当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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二章 無意味の象徴

89話 『縁』

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「──どう思いますか? 『■■■■』さん?」

「ひっぐ……!?」

 突如、レイが滂沱の涙を溢した──……

「あっ、ぇ……?」

「混乱している間に──!」

 左手で目を擦っても擦っても拭っても拭っても溢れ出す涙は留まる所を知らずに落ちていく。そんなレイに向けて走り出したカエデはレイの背に回り込んだ

「行動不能に──ッ!」

 その背に刺さったナイフを抜き去ると逆手に持ったナイフを肩甲骨に突き刺し、そこから腰にかけて斜めにナイフを下ろす

 ──肉を引き裂き、骨を破壊する音。軽い金属が砕ける音がほとんど同時に鳴り、レイの腰までにかけてからジェットのように赤く噴出する血がカエデの白い服に血が付着した

「ぅ、ぁぐァ、ぁァ──ッ!!」

 ジェットに前に押し出され数歩のよろめきを余儀なくされたレイは右腕の黒剣のようなものを杖代わりになんとか倒れることを防ぐが、苦痛に震える歯を鳴らす
 苦しみに短い息を何度も繰り返すレイに対し、心底嬉しそうに笑うカエデは半ばで折れたナイフを逆手に持ったままレイに近づいて行く

「いやぁ~。驚きました。こんな所に来てたんですか。ならばその魔力量とて説明は要りませんねぇ? 剣崎ちゃん? ……あらら? さんの方が言いやすいのですかね?」

 あからさまな余裕を見せるカエデは既に晩酌を楽しんでいるかの如くレイの感情をくすぐり、燻る怒りの火種を煽っている

「さてさて、ここで新たな問題が出て来ました。どうあなたを対処しましょう? 『勇者』なら、最悪殺しても良かったのですが……。あなたは『精霊持ち』。しかし手を抜けば私も命を奪われかねない。適切な対処が見つかりません。ならどうすれば良いのか。ならば答えは明白──」

 ポイッと半ばで刃折れたナイフを足下に捨て、それを蹴ってレイの足元まで移動させる。そのナイフは何度か跳ねたものの、しっかりとレイの足下まで転がっていった

「──全力の命乞いです」

 と言いながら微笑むカエデのそれを聞いた誰もが目を点にした。この場では二人。さくらとレイだ

「こうして武器も捨て、敵意の無い事を表明したつもりですがどうでしょう? 一体は無力化しているとは言え、隣に立っているもう一体が怪しい所ですからね……。流石の私も命を捨てるような真似はしませんよ。──さて、如何でしょうか? 見逃してはいただけませんか?」

 ニコニコと貼り付けたような笑みを使い続けるカエデは、先程までの全てを何事も無かったかのように放り投げてそう持ち出した

「ぁ、ぁぁ、ぁ、ぐぅっ……」

「流石に返事はできませんか……。でしたら、良いことを思いつきましたよ? 私があなたの傷を今すぐに癒やして差し上げましょう。その代わりに私を見逃すと言うのは如何でしょうか? 悪くない提案だとは思うんですが……。しかしながらそれを決めるのはあなたなので私にはその権利は無いのです。さあ剣崎さん。返答をお伺いしますがどうでしょう? このままだとあなたは死んでしまう。それはあなたも困るはずですよ? まだ死にたくはないのでしょう? ──ならば! 私はあなたが死なないように全力を尽くすと約束しましょう! このまま私の力無しではあなたは死んでしまう! それは回避したいでしょう!? どうですか? 良い案でしょう!? 今すぐにでも決めてください! さあ、さあ、さあっ!」

 血の面を着けたカエデは狂気的な笑みを浮かべて、傷口を左手で押さえようと後ろに手を回すレイの背中を今すぐにでも叩かんばかりの語勢で問い詰める

「剣崎くんには、手を出さないでください」

「──今の今まで黙りこくっていたあなたが何を言っているんですかぁ? さくらさぁん」

「それはっ、どうすればこの状況の打開を──」

「打開? あなたが? できるわけないじゃないですか。まともに移動もできず、私の行動を制限する事すらできないだろうあなたがどうやって私を止めると? 言うは易し、ですよ?」

 唇の下に下を作るほど強く唇を噛み締めて眉間に深いシワを刻み込んださくらを睥睨して再びレイに視線を向ける

「少し邪魔が入りましたが話を戻して──、どうしますか?」

 レイは既に倒れて右腕の異形もなくなり、はだける右腕が残るだけの虫の息だ。うつ伏せに倒れたレイの背中の傷からはポコポコとドス黒い液体のようなものが溢れ出して気泡を作っては服に染みていく
 カーキの上着に黒が侵食していく
 それはその下の白い服にも言えることで、そうなろうとレイには動く気配が感じられない。それどころか、もうすぐ事切れそうな気配すら漂わせている

「──」

 それをしゃがんで顔を覗き込んだカエデは目を薄っすらと細めて唇を僅かにへの字に曲げた

 レイは今、短く浅い呼吸を繰り返していた。睫毛まつげを震わせ、その隙間から覗く右眼は白い。レイは今、死の縁に立っている

 ここは、どこだろう。

 暗い。

 ──ああ、さっきの所か。辺りが暗いし。遠くに、向かっている先に光が見える。違うのは、階段みたいな所にいる事くらいだ。

 光の向こうには二つの人影が見えて、左から、たぶん女の子と、その子よりも大きい女の子。右側の子は同い年くらいだと思う。

 彼女達はどこか諭すように声をかけてきた。

『まだ来ちゃダメです』

『早く帰ってくださいです。レイカちゃん達が待ってるです』

 二人の声を聞いて、胸が締め付けられるように痛くなった。なんだろう、この、疼く感じは。誰かがボクの手を引っ張る。振り返る。君は──、さっきの黒い子。どうしたの? まだ何かがあるの? 聞いても、返事はなかった。

 口を動かしてはいる。ただ、言葉になっていないだけで。

 それでも彼女は右手を両手で掴んで引っ張り続ける。ボクをどこかへ連れて行こうとするみたいに。

 どこに行きたいの? なんで、ボクを引っ張るの?

 問いかけても、返事は来ない。

 この子が何をしたいのか、なんで下の方に下ろそうとするのかも分からない。どうしよう。階段の上の光っている方か、階段の下の暗い方。どっちを選べば良いんだろう。

 この小さくて黒い服を着た女の子は下の方へと連れて行こうとする。

 ──あの子達も来るなと言っているし、下の方へ行ってみよう。何も無かったら、また上に行ってみよう。
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