当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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四章 進む道の先に映るもの

221話 『高揚を抉る深い爪』

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 腕から伸びて、ミズキの腕を掴んだそれを全力で引くと、ミズキが水面から顔を出すように『暗黒』の中から姿を現した。それでもしつこく彼女の体へと、纏わりつくように手を伸ばす腕より速く、自分の側へと引き寄せて、抱き寄せた。

「れっ、イ……くん!」

 今にも泣き出しそうな顔で笑顔を見せるミズキの顔を見て、ふと、口角が歪む。

「あはっ、アハハっ!」

 同じように左腕から伸びる腕が大きく膨れ上がり、レイの体積を軽く無視しておよそ十倍ほど大きくなった腕を体の回転を利用して振ると、それは掬い上げるように、落ちて行った三人を拾い上げた。

 彼ら彼女らを抱えたまま落ちていくレイは、そのまま全員を自らで抱えながら真下の、既に地面を覆い尽くしていた『暗黒』を見下ろして、それでもまだ、消えることのない笑顔を浮かべた。

「ハハ、あはっはは!」

 伸ばされる手。踏みつける。腕を掴む手。振り払う。髪を引っ張る腕を振り返りながら叩き飛ばし、足を掴んだ腕を蹴り払い、足場代わりに踏みつけた腕から高く、飛び上がる。

 黒い風のようにびゅおうと音を立てて、自分が落ちてきた所より、もっと、もっと高く。

 飛び上がった先、すぐ目の前に部屋を蹂躙して追いかけてきた『暗黒』を映す。
 目と目の一つとが至近距離で合い、その大きな瞳には、顔を歪ませて笑う自分の姿。

「きゃふ、ッはぁ──!」

 堪え切れない笑いが止めどなく溢れてきて、胸を擽るその感情が、口元を歪ませて高笑いする。
 高鳴る胸の奥で暴れ回る『楽しさ』に犯されているようで息が苦しくて、心が張り裂けそうで、今にも狂ってしまいそうな『沼』に堕ちていってしまいそうだ。

 心の赴くままに振り上げられた足が自分を映す瞳を蹴り潰して踏み込み蹴り飛ばした。
 反動で吹っ飛んだレイの体は黒い風のようにびゅおうと遠く彼方へと飛んでいく。

「アハハハハ──ッ!」

 黒い風が通り過ぎた後には哄笑だけが空虚を帯びて響き渡っていた。

 ※※※

 黒い隕石のように、それは墜落した。

 昼下がりの青い空の下、それを間近で見つめている少女は目を白黒させる。
 亀裂の入ったアスファルトの道路をその衝撃で凹ませながら轟音と共に爆風を撒き散らして、黒を纏った人影はそこに立っていた。

 暴風と共に巻き散らかされたアスファルトの粉塵が辺りに舞い、その姿を朧げに少女に伝える。車椅子に座り、既に落ち着いた長い金糸のような髪を撫でながらその人影を捉える。

「──くフッ」

 その抑えるような笑い声に眉をひそめて、車椅子の少女は口を開いた。

「あなたは、誰ですか?」

 その問いと共に、少女の背後から大地の息吹と錯覚するような、厳かな風が粉塵の向こうの人影に輪郭を与え、その姿を顕にする。

 目を見開いた。その人影を見た少女──さくらは、色々と変わっているその姿の中に、確かに既視感のある違和感をその姿に感じ、深く眉間にしわを作る。

 そして、ふとその違和感の正体に気が付き、絶句する。

 一人立つその傍らに、倒れ伏す少年とミイラ。とへたり込む女性の姿。そして、側に佇む精霊の少女。それらの中心に立つその姿に、まるで『王の風格』すら覚え、さくらは軽く身震いした。

「──お久しぶりですね、剣崎くん」

 さらさらと靡く白い短髪。それを見つめながら、にこっと笑って見せる。

 返事は無い。

「まあ、色々と変わってしまっているみたいですが……イメチェン、ですか?」

「……ん。そうだよ。んふっ」

 さっと口元を隠して目線を泳がせたレイを、微笑みの中に潜ませた鋭い視線で捉えて「どうしてここに?」と笑顔のまま尋ねる。

「修学旅行だよ。さくらさん」

「名前呼びです!? ちょ! レイくん浮気は許さないですよ!?」

「してない、してないから……ちょっと待って……。くふふふ……。笑っちゃう……」

「な、なんだか変わりましたね……。色々と……ほんとに……」

 おかしそうに笑うレイに迫るミズキ。じゃれあう二人を眺めていて、眉尻を少しだけ下ろして、瞳を小刻みに震わせたさくらは、ぶんぶんと首を横に振った。

「──少しお話し、良いですか?」

「良いですけど……」目線だけをさくらに向ける。「さくらさん、どうして君がここにいるの? コーイチくんは?」

「コーイチくんならもうすぐここに来るはずですよ。それより、剣崎くん。ここは危険なんです。ここから早く逃げてください。私は、なんとかアレを食い止めますか」ふと、さくらは目を見開いた。「ら……?」

 凝視。黒い眼帯と右目が自分を見ている事に気づき、瞬きする。
 レイは掠りもしないミズキの振り回す腕をすり抜けて、よろよろと、縋るように、さくらに近づく。その顔には、見るものを恐怖させるような、薄ら寒い笑顔が浮かべられていた。

「……アレを、止められるんですか?」

「…………」

 すぐ目の前まで近づいていた、きょとんとした目を見てさくらは咄嗟に顔を後ろへ引いた。そのまま黙り込んださくらへと、レイは首を傾げて尋ねる。

「聞こえてます?」

「え、あ、はい。──聞こえてますよ。ええ、はい。止められます」

「ほんと?」

 肩を掴まれて、さくらは咄嗟に頷いて見せた。すると力の篭もった掌へ視線を移し、顔をしかめる。

「ほんと、ですよ……。あとその、手を、離してください。痛いので……」

「あ、ごめんね」

 ぱっと手を離すと、レイは顔も一緒に離して「それで」と後ろをくるりと振り返りながら、さくらへ問う。

「どうすれば、止められるの?」

「……アレは空気中の魔力を──って、分かりませんよね。えと、簡単に言うと、動いていればその内止まるのでそれまで足止めできれば勝ちです」

「……説明やめたよね?」

 再び目線をさくらに戻したレイは、首を傾ける。
 その真っ直ぐで、きょとんとした瞳から目を逸らして少しだけ俯いた。

「長くなるので……」

「ん。分かったよ。……でもどうやって止めよ? 何か考えがあるの? さくらさん」

 ちらりと、レイを見上げたさくらは、背筋を伸ばして一つ息を吐いた。
 すぐ後ろで、車椅子の取手を持つ彼女へ視線を向け、薄く微笑みながら、前を向いた。

「ここまで来たのなら分かっていると思いますが、あの結界を何重にも組み合わせて、動きを封じ込めるつもりです。……少なくとも、時間は稼げます」

 考え込むように口元に手を当てて薄く目を細める。
 それを黙って見上げていると、レイの視線がさくらに向いて、にこりと笑顔が向けられた。

「分かったよ。──そうだ。お願いがあるんだけどいいかな?」

 ぱちくりと、その目を瞬かせたさくらは怪訝そうに眉をひそめ、小首を傾げて尋ねる。

「……はい、なんですか?」

「あのお屋敷」振り返って街の中央の大きな屋敷を指さす。「頑丈な扉の向こう。街の人達を避難させたのは良いんだけど、あの壁を越えちゃったらまずいでしょ?」

 指を向こうに向けたまま、体の正面をさくらの方に向けてその目を伏せる。
 少しくぐもった声で話を続けた。

「だから、どこに移動させようか、色々と困ってたんだ。何か知ってたら教えてもらえないかな」

「え、すごいですね。あんな短時間で……」

「たまたまだよ、たまたま……。それより、知ってる?」

「そうですね……」

 目を伏せて少しの間、黙り込んださくらをジッと見つめる。
 沈黙がその間二人の間に降りた。

 ハッと我に返ったウンディーネは辺りを見回してレイの姿を見つけると近くによって行ってその頭を撫で始めた。ぺちんとそれを煩わしげに手でどけるも、また撫でられる。

 それを見たミズキが「何をしてるんです!?」とウンディーネの腕を掴んだり、掌から放射した水の水圧で吹き飛ばそうとしても精霊王である彼女に吸い込まれるようにして水が消えてしまい、無駄に終わる。その間も何度も撫でてくる手を払い続けるレイ。

 最後には突進して精霊王ウンディーネに体当たり。
 一瞬だけよろけたものの、掴まれ、捕まれ、抱き寄せられる。ほっぺたをすりすりと楽しげに擦り付けてくるウンディーネを引き剥がそうとするも失敗。

 その間も何度も払い続けて、やがて諦めたレイは不服そうに顔を背けてそっぽを向いた。

「街の外には出せるかもしれませんが……すみません。場所まではちょっと……。それに連れ出せるとも思えませんし……って」くすくすと笑いながらそんな三人を見る。「何してるんですか?」

 笑われた事に気が付いたレイは慌てた様子でウンディーネを押しのけて手と首をぶんふんと横に振る。あたふたと弁解しようとするレイに「落ち着いて下さい」と一言、さくらは告げた。

 すぅ、はぁ、と。深呼吸をしてからまっすぐさくらの目を見て「な、なんでもないで──ぷふっ」思わず吹き出して閉まったレイは体を丸めて下を向いた。

「やっぱり嬉しいんじゃないの」

 また頭を撫でてきたウンディーネの手を振り払い、少し距離をとって即座に否定。

「嬉しくないから! さっきの余韻が軽く残ってるだけだから!?」

 腕をめちゃくちゃに振り回して伸ばしてくる腕を振り払ったレイは肩で息をして、こほん、とわざとらしく咳払いをする。気恥ずかしそうに目を逸らしたレイを見て、くすくすとさくらはまだ笑う。
 少し顔を赤くして、そのままレイは話を次に進めた。

「街の外、ね……。スピードで言えば『こっち』の方が速いし……。まるで津波だ」

 ジッと、レイの瞳を見つめるさくら。
 その両目に問い掛けられているような気がして、レイは息を詰めた。

 その人達を、どうするつもりなのか。

 下を向いて、自分の足下を見た。そこにはひび割れたアスファルト。そのひびの隙間に目が。子供、大人、男、女、若人、老人。様々な人達の目が、自分を凝視しているかのような感覚を覚えた。

 今にも彼らはそのひびから手を伸ばし、自分を奈落の底へ連れ込もうとしているようにさえ見えて、肩とか、頭とか、お腹。とにかく全身が重たく感じる。

「……やっぱり、外に連れ出した方が、良いのかな」

 その選択をした途端、重たくて、重た過ぎて、一歩引きそうになった。
 辛うじて、踏みとどまる。

「……分かりました。まだあと少し時間があるので、ついて来てください。彼ら『有馬家』の非常用通路。そこを使って街の人達を連れ出してください」

「…………非常用?」

「はい。──一度だけそこを通りましたが、分かりづらい上に外からの侵入を拒んでいた『結界』のようなものが張られていたので気づかなかったのも無理はないと思います」

 ならどうして知っているのか、聞いてみようとしたら、まだ妙に胸の内で転がる高揚感が小さく口元を歪ませて、さっと口元を隠す。丸い目をして瞬きをしたさくらに「ちょっと待ってて」と言い残してくるりと背を向けた。

 歩いて行ったのは、ミイラのような格好をした女性の側で目を回している少年の側。
 そこで膝を抱えてしゃがみ込んで、声をかけた。

「起きてー」

「起きて、ますよぉ……。少し気分が、悪いだけでぇ……」

「ん。なら良かった。一つ、質問」

「なんですかねぇ……」

 深呼吸を挟んで、その顔を覗き込んで、それを尋ねた。

「最初の予定は変更したよ。あの鳥でビビらせる、って言うのはナシ。代わりにね、あそこの皆をこの街の外に追い出そうってなったんだ。それで、君はどうするの?」

「どうするって……どういう事ですか……?」

「君を連れて来たのは、彼女を助けてあの鳥にビビらせてもらうため。だったらもう君には用はないんだ。ぼく達。君は、カエデさんと繋がってるみたいだから、聞きたいこともあったし……」

 気まずそうにまだ少し焦点がズレた目でレイを見上げると、にこりと、優しそうな微笑みが陰に包まれて黒く、その目には映った。

「……矛盾してますよ」

「え?」

「用はないのに、聞きたいことがあるって……。ははは、君……レイさん、でしたっけ? 嘘が下手ですね。正直者の、いい証拠ですよ」

 ゲロは吐いてきたけども、とから笑いにも似た力の無い笑顔を浮かべて、その体を起こした。
 意表を突かれたレイは目を見開いて、彼の顔をじっと見つめる。

「もうしばらく、ついて行きます。──状況に置いてけぼりですし、まだ死にたくないですし。……それに、ついて行ったら、守ってもらえそうですから」

「…………」

 ミイラの女性を起こした彼の後ろ姿を見つめて、レイはぽかんと口を開いたまま固まる。

 ──正直者の、いい証拠ですよ。

 その言葉が頭の中で反芻して、自然と、何かを堪えるように口元が歪んだ。
 噛み合わせた歯に、膝を抱えた手に、目一杯の力を込めて。

 どろりと、膝から黒い液体が流れた。

「お話しは終わりましたか?」

 タイミングを待っていたかのように切り出したさくらの声を後ろからかけられ、目を見開く。顔だけで振り返り、さらさらと風に揺れる金髪を見る。

「終わったよ」

「そうですか。では、そこまで案内しますね」

 そっと、優しげに微笑んだその顔にひんやりとした冷たさを感じて息が詰まった。
 顔を強張らせたレイの顔を少し見て、すぐ後ろに立った彼女の方を向いて、

「ねえ、一つ聞いてもいい?」

 瞬きをした。掛けられた声の方、正面。振り向けば、レイが立っていた。

 立ち上がって尋ねたレイの顔を見て、さくらは首を傾ける。
 その瞳に続きを促され、顎を引いてその目を見ながら質問した。

「……封鎖、みたいなの。されてるんだよね?」

「今は、少し前にその『結界』が解除されたのを感じたので、きっと通れるはずです」

 ナナセさん、お願いします。

 振り向いてそう言った彼女の目の先、深くフードを被りマスクをつけた女性の姿を目に入れる。背丈は自分より高く、出る所は出ている。そして、フードから時折ちらつくように見える金色の瞳に心が抉られるような思いが浮かび上がる。

「ぇ、その人って……」

「安心してください。まだ大丈夫ですから」

 キコキコと。

 車椅子を押していくその後ろ姿に目を奪われた。

 その姿を見ていると心が押し潰されそうになって、胸に転がっていた高揚感もどこへやら。その間もずっと頭を撫でてきたウンディーネの手を払う力も、今のレイには無かった。





[あとがき]
 次回は九月十四日に更新です。
 今日は少し補足とか、説明みたいになります。

 レイくんが笑ったのは高揚感によるものだけど、その高揚感の正体はメイリィです。
 こと細かく説明するなら、レイくんの別人格として存在した彼女は、レイくんに殺されました。つまり『自分を殺す』という行為と同じです。

 メイリィが殺された事により、彼女の存在した場所をレイが横取りして、そこを占領した形になります。それを行うためには『殺す相手を見つける』必要があります。
 つまり、自分を殺すという事は『殺す自分を自覚した』という前提が無ければ行えない行為なんです。

 自覚し、自分の一面を知ったレイくんは、彼女を『抑え込む』ために、彼女の存在した場所を自分の支配下に置きました。

 つまり『同化』してるんです。あの二人は。

 自分の人格を歪めて、レイくんは彼女を取り込み、今のレイくんが出来上がった形です。
 これが、今回レイくんがたくさん笑った理由です。
 その後の余韻は、高揚感が『抑え切れていない』だけです。

 難しいですね、これ全部、わかりやすく書くのって……。
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