当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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六章 『追憶の先に見えるもの』

244話 『旅路』

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 エミリとるんちゃんの二人が出て行ってから、およそ一週間が過ぎた日の事。

 そこは真っ暗な部屋だ。布団以外には何も無い、薄暗く、埃っぽい。使用感は無いものの、そこには一人の少女が住んでいる。薄暗い中では見えづらいその丸く座る姿は、何か、外敵から身を守る様子を想起させる。

 しかし実際は守るのではなく、自分を殺すための勇気を奮い立たせようと、自分の持っていたカッターナイフを片手に持って、ただジッと、そうして、死を目前にして固まっているだけであった。つまり、守るのではなく自分を傷付ける勇気をおこすため、自分を言い聞かせていたのだった。

「……生きていても、価値は無い」

 何度も口にした言葉で、自分を追い詰める。

「これから先、思い出してはくれない」

 かつてあった、自分になけなしの優しさを振り撒いてくれた彼との過去を思い返し、刃を剥き出しにしたカッターナイフを固く握る。その時、焼き付くような熱が顔を支配した。
 彼女自身、その熱の源を認知する事はできなかったが、彼女は唇を噛んで、眉をひそめながら今にも泣き出しそうな決死の表情を浮かべる。

「……っ」

 カッターナイフを握る拳に、力が入った。
 唇から、よだれが一筋垂れる。

 そして、涙が目に浮かぶと同時に体が執拗に震え出した。

『──また来る』

「……ウソつき」

 昔かけられたその言葉も、今はもう、不鮮明だ。声も顔も、なんとなくしか思い出すことができない。記憶の中からも、彼は、立ち去ろうとしている。

「……ウソつき」

 もう幾度ともなく言った言葉が繰り返される。それしかもう、何もできる事が思い浮かばなかった。本当に彼は、もう、自分の事を忘れたいのだと。そう思えてしまう。
 ──それならば、たった一人に、なってしまう。

 ぽろぽろと、溜まっていた涙が溢れ落ちた。

「ぅぅぅ、ううっ、ううぅッぅう……ッ!」

 泣いてどうにかなるものではないが、それでも、涙が止まらなかった。答えに行き着くたびに涙が抑えきれなくなって、心を大きく抉り取って落ちていく。温もりを奪われる感覚を覚えて、愛香はそのたびに何度も唸り続ける。
 吐き出す言葉も、表現する行動も思い浮かばない。たたただ、唸り続けた。

 ぎゅっと膝を抱き抱え、手に握ったカッターナイフが震える。
 背筋が凍りつくような感覚に襲われた瞬間、部屋の扉が開く。

「…………」

 そちらを見れば、そこに立っていたのはレイカだった。
 彼女は黙りながら愛香を見つめている。

「……レイカさんか」

 再び顔を背けた愛香は、事もなげにそう吐き捨てた。
 かける言葉が見つからないのか、レイカは少しの間黙っていた。それを背中に受けたままで、愛香はただ静かにその場に座り込む。その顔は不思議な事に凪いでいた。
 少し前までの、様々な感情の入り乱れた顔は消え去り、今はもう、その顔に感情が灯った様子は無い。仮にあったとしても、それはつまらなさや呆れのようなものだろう。

 やがて、レイカは満を持して、声を掛けた。

「今から、外に行く」

 愛香は膝を抱えたまま、どこか他人事のように聞く。

「愛香ちゃんは連れて行くけれど、拘束させてもらう。これは強制だ」

「…………」

「すまないな」

 背後から掛けられる謝罪に、愛香はまともに取り合う気にはなれなかった。

「……いいよ、別に」

 すっと、カッターナイフをいつの間にか力の抜けていた手から没収される。
 そうして、愛香は背後からそっと目隠しを施された。

 ※※※

 果てしない雪原を歩き続けておよそ一週間。
 今は休息がてら、リュックサックから取り出した水筒──特殊な魔力回路にて保温性がとても高く数週間は熱を保持できるもの──で白湯を飲んでいる最中だった。

「エミリちゃん、先は見えてきましたか?」

「ううん。まだ」

 エミリは水筒の中身をぐびっと傾けながら空を見上げた。
 それは確かに空の上にまで伸びているのだ。ただ、伸びた先が延々と見えない。ただ、空にその糸が見えているだけなのだ。

「ならエミリちゃん。またいつもの練習をしてみましょうか?」

「うん、分かった」

 これは、旅を始めてから日課になっているるんちゃんとのだ。
 その修行で鍛えるものは、あらゆる生物に宿っていると言われている『魔力』と、その操縦方法だ。近年『魔力』を扱える者どころか、それを知覚することさえできない者で大多数を占めているが、まだほそぼそと、それは受け継がれている。
 そしてその適性を認められたエミリはこれから起こるかもしれない危険に備えて、るんちゃんの指導の下日々修行に励んでいる。

 二人は、白湯がまだ半分近く残った水筒をリュックサックの中に仕舞い込み、早速、修行へと移った。まず始めに、エミリは『魔力』の感知から始める。

「始めの頃は、心を落ち着かせて、自然を感じるような感覚でやってくださいね!」

 そんな事を、るんちゃんは修行の始めに言っていた。
 ただ、今となってはそんな事は言わずともエミリは感知できるようになっていた。しばらくそうしながら、二人は糸の先を見つけるべく歩き続ける。

 ふとるんちゃんは、思いついたように指を一本立てて「そうだ」と声にした。
 その声にぱちくりと瞬きして、エミリはるんちゃんを見た。

「今から自分がエミリちゃんに抱き着くので、エミリちゃんは目を閉じてそれを避けて下さい。目隠しおにごっこみたいな感じです。制限時間は五分で、もし最後まで逃げられたらエミリちゃんにご褒美としてドロップスをあげましょう」

「ドロップス?」

「甘い甘いお菓子です。美味しいですよー」

 ほっぺたを落ちないように両手で押さえて、るんちゃんはひやああ、と興奮冷め切らぬ声で腰を左右に振る。どこか楽しげなそのるんちゃんの顔を見て、エミリは頷いた。

「やる」

「おお! やる気めいっぱいですねー!」

 行きますよーと彼女が少し離れてから、元気よく言うのに合わせて、エミリは目を閉じる。すっと、腹の中の一物を足元に落とすような感覚。その後に、周囲の景色が、頭の中でゆっくりと映し出される。それで『見えていない景色を見ることができる』ようになった。

 その時のエミリには、うっすらとだが動くものの気配を感じ取る事ができた。
 駆けてくるるんちゃんの気配にも、エミリはもちろん気がつく。

 浮かぶ景色の中で俯瞰するかのように、動く己の体を眺めながら、操り人形のようにその体を操る。るんちゃんが迫って来るのとは反対方向へ逃げるようにと。

 しかし、追ってくるのは微弱な気配のみ。全てが見えるわけではなく、景色と、自分の体としか『見える』という形で把握はできない。他は、自分からどの方向にその気配があるかどうか程度しか把握はできていない。

 そして今は、微かに伝わる微弱な気配を漂わせるるんちゃんが、エミリの背後で両手を広げて抱き締めて捕まえようと腕を振るう。その腕は掴む物を見失い、空気を抱いた。
 頭の上、髪を掠めたそのるんちゃんの腕から咄嗟に、空中を舞う自分の髪を引っ張って捕まえられるのを回避。そうしなければ今頃はきっと、ぎゅっと作られた握り拳に捕まえられていただろう。

 雪の上に倒れ込むと、上から彼女が近づいてきた。

「るんちゃん」

 返事は無かった。ただ、迫りくる微かな靄のような気配を頼りに、エミリは声を掛けようと口を開き、左右にどさりと音を聞いて、ぱちくりと瞬きをしてしまった。

「──あ」

 上から、押し倒すような形でるんちゃんがエミリを見つめていた。その目と目が合い、エミリは負けちゃったと言って、音のした方を確認する。
 左右にはやはり、るんちゃんの腕があった。今彼女は四つん這いのような姿勢になっているので必然、そうなるのだが。

「エミリちゃん……」

 ぷるぷると震えている彼女は、同じように震えている笑顔を浮かべてから、汗を拭うこともせずに彼女は静かに告げる。

「今、限界なんです……」

「限界?」

「この姿勢を維持するのも、キツイので……できるだけ早く、そこから離れてください……」

 そう言われて、思い至る。
 彼女の背には彼女の何倍かの大きさのリュックサックがある。体重にして考えれば何十倍、下手をすれば何百倍になるか分からないそれを背負っているのだ。
 その重さは──負担は──どうしても彼女が背負うことになる。とどのつまりは、このままではエミリを押し潰してしまうかもしれないので、素早く離れてほしいとの事だった。

 引き攣った笑顔に頷きを返して、エミリはその場から離れて立ち上がると同時、振り返ると、その瞬間にるんちゃんが雪の上に崩れ落ちた。

「ああアッ!? 背骨! 背骨が折れるっ!?」

 雪の上で喚くるんちゃんの上にのしかかるリュックサックを押して(この時、エミリは魔力を操作しておよそ身体能力が飛躍的に向上していた)ごろりとるんちゃんをリュックサックの下から救助する。ここ一週間ほど、エミリは何度かこういった状況に遭遇していたため、今回もすぐにそれに対処することができた。

「あ、ありがとうございますぅ……」

 涙を浮かべた、気恥ずかしさからだろう遠慮したような笑顔を浮かべて、るんちゃんは深呼吸の後に再び雪の上に足をつけて、リュックサックを背負い直した。

「さて、まだ二分も経ってないですが、自分の負けでいいです。助けてもらいましたしね。あ、ちゃんと約束は守りますよー? ドロップス、飴玉をあげましょう」

 リュックサックの、側面のポケットから缶を取り出して、蓋を開け、掌の上で振ると、その中の飴玉が一つ、掌にぽとりと落ちる。白色の飴玉が。

「ハッカでしたかあ……」

 その掌を見つめていたエミリは、意気消沈した様子のるんちゃんの掌から飴玉を取って、すぐさま口の中に放り込んだ。──瞬間、目の前に火花が飛び散る感覚を味わう。

「うぇ?」

 ぽろりと口の中から落ちてしまいそうになるのを、両手で口を塞いで危うく回避。
 とは言え、すうすうとする口の中に理解が及ばず、エミリはただただ困惑した表情でるんちゃんを見上げるのだった。るんちゃんは苦々しい、申し訳なさそうな笑顔を浮かべて、ぺこりとお辞儀する。

「ごめんなさい……その飴、味が苦手でしたら自分が残りを──」

「ううん、もうダイジョーブ。食べられる」

「え? す、スゴイですね……。自分なんてハッカ味を食べられるようになるのに一ヶ月ほど掛かりましたから……」

「そうなんだ」

「エミリちゃんはすごい子だったんですねえ」

「…………」

 エミリは、そうは考えていなかった。しかし、それを上手く言葉にできない。
 なぜ、そう思うのか。なぜ、そうなのか。それを考えていると、どうしても何かが足りないように感じてしまうのだ。例えば、頭の一部。例えば、胸の辺り。その、欠落した箇所に意識を向けると、泥沼に入り込むような感覚に陥ってしまうから、言葉にすることはできない──したくない──と思ってしまう。

「エミリちゃん?」

 呼ばれて、ぱちくりと瞬き。それから彼女の顔を見上げて首を傾けた。

「どうしたの?」

「思い詰めた顔してましたけれど……自分、何か悪い事でもしてしまいましたか……?」

 そう言われて、エミリは自分の顔をぺたぺたと触ってみた。頬、口、鼻、おでこ。とにかく色々と触って、しかし、その全てに異常は感じ取れなかったので、首を振る。

「何もないよ」

「……そうですか」

 ひとまず、先程の追いかけっこで見失っていてはまずいとエミリは空を見上げて、糸の位置を確認した。そして、あっと小さな声を出して、エミリは口をぽかんと開けて目を丸くする。
 そんなエミリを見て、るんちゃんは何かあったんですかと柔らかな声で聞いた。
 その問いに、エミリは遥か上空を指さして、彼女に告げる。

「──地面が、浮いてる」

「え……?」

 エミリの言葉を聞いて、るんちゃんは空を見上げた。
 そこには、雲に紛れて、空に浮かぶ島が見えた。

「糸はあの島に、繋がってる」

 そう、白と黒の瞳をきらきらと輝かせて言った。
 その単調な口調には、この一週間、共に過ごしてきたるんちゃんにも微かに違和感を覚える程度の期待とか、希望とか、そういうきらきらしたものが籠もっていた。

「嬉しいですか?」

「楽しみ」

「何か、思い出せそうですか?」

「それは、分からない……」

 けど、とそこで止めて、エミリは生唾を飲み込んだ。

「あの場所には、ボクの知らない、昔のボクを知っている人がいるって、そう思う。きっと、あの場所に答えはあると思う」

 確信めいた物言いをするエミリの顔を見ればそこには、島を凝視しているエミリがいた。
 かける言葉が思いつかなかったるんちゃんは──その姿を恐ろしく感じてしまい──言葉を失った。そして目のやり場に困り果て、その逃げ場に空に浮かぶ島を選んだ。

 そこに、彼女は答えがあると言う。そして、るんちゃんはどうしてかその答えを見てみたくなった。その思いがなんなのかは、彼女自身、分かっていなかったが──

「──行きましょう、エミリちゃん」

「うん」

「あの島は、自分も初めて知りました。おそらく、彼ら(七つの大罪のこと)が避難した先なのでしょう。あの島のことは──そうですね。仮に『避難島』とでも呼びましょうか。分かりやすくて良いですしね」

「るんちゃん」

「なんでしょうか?」

 再び見れば、エミリはるんちゃんの背後を指さした。

「あの人、こっちを見てるよ」

「あの人……?」

 背負ったリュックサックがエミリに当たらないように振り返って、その姿を捉える。
 彼女はまるで、例えるならば、雪と同化して見えた。それは白い外套を身に纏っているためだ。黒い髪も短く揃え、白いもこもことした帽子で隠している。左目を眼帯で覆った彼女は、エミリとるんちゃんの二人をジッと見つめていた。

 彼女を見つめて、エミリはるんちゃんに一言言った。

「あの人、見覚えがある気がする」





[あとがき]
 お待たせしました!六章開始!
 ……あははは。執筆頑張りますが、間に合わなかったらごめんなさい。

 次回更新は10日です!
 ……定期更新やばくなったら更新頻度落ちます。
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