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六章 『追憶の先に見えるもの』
245話 『理由を探して』
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「──見覚えがある気がする」
エミリは、二人が歩いてきた雪原。その足跡の上に立っている雪と同化したかのような装いをしている彼女を指さしてそう言った。彼女は、何も喋らずにまっすぐ確かな足取りでエミリに近づいてきて、目を見開いたままエミリに手を伸ばす。
その時だった。その腕をるんちゃんは横から掴んで、もう片手でエミリを自分側へと引き寄せた。彼女の視線はエミリからるんちゃんの顔へと移される。
ぴくぴくとるんちゃんの特徴的なまろ眉が動きを見せるが、その目は至って真剣で、雪のような姿をした彼女に眉に唾をつけた口調で一言。
「何しようとしてたんですか?」
彼女はそのまま少しだけるんちゃんを見つめてから、興味を無くしたらしくそのままエミリに視線を戻した。るんちゃんが掴んだ彼女の手に、力が入る。
「──ッ!?」
瞬間にも満たない時間で手を離して数歩後ずさり、リュックサックのせいでバランスを崩しかけたるんちゃんは顔をしかめて片足を進行方向へ回して、雪の表面を削りながらバランスを整える。
そして見る彼女は、既に目の前に迫って来ていた。彼女は大きく目を見開いて、握り拳を後ろへと引きながらるんちゃんの目の前へ。そこへ、エミリが「待って」と強めの口調で告げた。その一言に、るんちゃんは意識を奪われて、視線を、エミリに移してしまった。
まずいと直感的に感じ取ったるんちゃんは、咄嗟にエミリを庇おうと抱き寄せながらその視線を再び襲い掛かってきた彼女へと向けて──
「──え」
彼女は、拳をるんちゃんへと突く直前で止めていた。
遅れて、小さな突風がるんちゃんの短い髪を弄ぶ。
「この人、どこかで、見覚えがあるんだ」
すぐ目の前の彼女を見上げて、エミリは問う。どうしてボクたちを襲うのかと。
彼女は静かに、淡々と、こう答えた。
「私はお前を探していた」
その答えに目を見開いたるんちゃんを他所に、エミリは重ねて彼女に問いかける。
「なら、どうして襲うの?」
「ならば問う」そう言われて、るんちゃんがエミリを抱き寄せる力が強くなった。「お前はなぜここに来た? そんな無様な格好で、無力な姿に成り果ててまで、なぜここに来た?」
彼女は鬼気迫る『冷たい熱』の籠もった鋭い視線をエミリの喉元に突きつける。
るんちゃんに抱き締められたエミリは、喉に何かつっかえるような違和感に──あるいは原因不明の息苦しさに──生唾を飲み込んでそれを飲み込んでから小さく息を吸い込み答えた。
「前に進むため」
「なんのために?」
「ボクの理由が欲しいから」
「……理由?」
目を眇めた彼女に、エミリはうんと少しぎこちない頷きを返した。
そのまま、辿々しくではあるが、話し続ける。
「えっと、ボクが……ボクだと分かる、理由が欲しいから。だからボクは、確かめに行くんだ。これまでのボクが、これまで何をして来たのかを。それを、見てみたい。だからボクは『運命』のゆく先を見るんだ。そうすればきっと、答えは、分かる」
「……つまり、心の支えが欲しくて、それを探すためにあの島に乗り込もうとしてる、か?」
「たぶん、そう?」
「聞かれても知らん。──しかしまあ、そうか。心の支えか……」
何度か、自分の足下を見下ろしながらぼそぼそと小さな声で「心の支え」と反芻した後、彼女は軽く頷いて、顔を上げた。
「良いだろう。お前のその目的、手伝ってやる」
藪から棒にそんなことを言った彼女の言葉に反応が遅れたるんちゃんは、一拍置いてから上手く回らない舌でだめでしよ!? と噛みながら言った。それを訂正する余裕など、彼女には無い様子で、慌てているるんちゃんはエミリを抱き寄せる腕により一層、力を込めた。
「だ、だだだいたい! あなたみたいな得体の知れない人なんて、信用できません!」
「どうして?」
「どうしてって……エミリちゃん、この人は自分達を襲いました! 被害は出ませんでしたけれど……少なくとも、危ない人なのは間違いないです! なので、一緒に行動するのは危険です!」
「──なら」と、彼女が戯けた口調で、軽い笑みを湛えながら提言する。「私と、お前。一対一で勝負しよう。それで、私の技量は分かるだろう?」
その笑みに、はあ? と刺々しい、疑惑の念を瞳に宿したるんちゃん。そんな彼女に、エミリは自分を抱き締めるその腕にそっと手を重ねて、彼女の目を見上げる。
「……るんちゃん」
エミリの視線を受け止めたるんちゃんは、睨むようにして目を細め、提言してきた彼女の方へと目を移す。彼女はまだ、戯けた笑みをやめてはいない。
「分かりました……。約束は、守りますよ」
※※※
──くるくると、彼の、男にしては細い指の上でペンが回る。
彼の名はイェン。三年前に起こった大災害からこの島へと避難できた人間の一人だ。特徴と言えるような特徴は特になく、強いて言うなら、そばかすの付いた黒髪の黄色人種と言ったところか。
今はこの島の子供達を集めて行われている授業を受けている。一クラスおよそ二〇人程度で、計三クラス(そこでは年齢別に一〇歳以下、~一五歳、~一八歳の計三クラスに分けられている。彼はその内の~一五歳クラスの一人だ)あり、そこで暇を持て余すような授業の内容を、右から左へ聞き流しながら、運良く手に入れた窓際の席でぼうっと外を眺めていた。
空虚に淀んだ瞳が退屈に心を沈めて、新たに消費する刺激を求めて燻っていた。
落書きなんてものも既にマスターしており、僅か三分で教室の風景を写生する事すらできるレベルにまで達していた。正直なところ、彼はそんなことはどうでも良かった。例え、世界一の芸術家やビジネスマン、金持ちになったところで、退屈には勝てないと、そう彼は考えているからだ。
退屈とは延々と格闘している。そして、いつもヤツにトドメを刺す事に失敗する。
そのために、落書きの他には目を左右で違う方向へ動かしたり、片目だけを動かしたり、余裕で一日中空気椅子できたり、一秒に三〇回瞬きできたり、完璧な腹話術をマスターしたり、三時間呼吸を止めたり、体中の関節を自在に外す事ができたり、その他色々、多彩な芸を習得した。その中でも特に気に入っているのは『体を眠らせながら意識を覚醒させること』と『意識を落としながら体を動かせること』の二つだった。この二つは、退屈から避難するときや、何か考え事を続けたい時などに使えて便利だと、そんな技能だ。これがあるから、退屈にも多少なりとも価値はあることを認めざるを得ないのだが。
思わず、あくびをかいてしまった彼は、あ、とだけ口にして、小さく押し黙った。
目の前に、担任が立っていたのだ。
そして、ふと周りを見回せばクラスメイト達の視線が一斉にイェンへと向けられていて、イェンは訝しげに目を眇めた。
「イェン・ロー。あなたはいつになれば真面目に授業を受けるのですか?」と先生。
「はいはい。受けてますよせーんせっ」
「では、今の授業の科目は?」
「数学」
「なら今、机の上に置いてあるその教材の科目は?」
聞かれて、イェンはちらりと自らの机の上を見た。
そこに置かれた教材に目を見開いて、イェンは答えに窮する。
「科目は?」と重ねて、威圧するかのような強い口調で聞かれて、イェンは仕方無しに目を窓の外に背けつつ答えた。
「……世界史」
「なぜ?」
「……気分」
突き刺さるような視線に、イェンはただただ目を背け続ける。
口を噤むイェンの後ろでメガネをかけた彼女の、蒼い、鋭い目がチクチクと彼を貫く。
たらたらと、冷や汗が彼の体中を覆っていた。
「今すぐ」と高圧的で静かな怒声が耳元で囁く。「教科書を出しなさい」
「分かったよ……」
教科書を出すイェンを尻目に、彼女は再び黒板の前へと戻って行く。その後ろ姿を眺めて、ほう、と息を吐きながら世界史の教材をバッグの中に仕舞い込み、代わりに取り出すのは数学の教材。そうしていると、隣に座る少女が口元に手を当ててひそひそとイェンに声をかけた。
「災難だったね、イェン」
「分かってたなら教えてくれても良かっただろ?」とひそひそ声で返すイェン。
「だって、寂しそうに外を見てるイェンがカッコよくて……」
ほっぺたを両手で挟んで体を左右に楽しそうに動かしている少女がにまにまと笑っているのを見て、イェンは口角を下げてため息の後に取り出した教材を開いた。
「うえ……。イヤミも大概にしろよ」
「イヤミじゃないって」
そこ、静かに。と静かな怒声で叱咤され、二人は背筋をピシッと姿勢良く伸ばした。
直後、つんと鼻を鳴らして教室の、黒板に向き直った彼女を見てほっとしてから開いた教材のページを間違えていることに気がついて、授業の内容と同じページを探して開けた。
「さて、ではイェンくん」
「え、おれ?」
「あなたには特別にこの問題を解かせてあげましょう。どうぞ?」
「いや、さっきまで聞いてなかったんですよ? 解けるわけ──」
「さっきまで」と強い、高圧的な前置きが発せられる。「隣の席のアミラさんと仲良く会話してらっしいましたよね? 注意された直後にそんな真似ができるとは……さぞ、自信がお有りのようです。ねえ? イェンさん?」
それはまさにイヤミだった。
ちくちくと突き刺さる言葉の数々にイェンが打ちのめされているのを見かねた、隣の席の少女──アミラが「はいっ!」と手をピンと伸ばして挙げる。
「なら! 私が解きますセンセー!」
「……今はあなたを指名してはいません。静かに」
「でも! 話を聞いてないちんぷんかんぷんなローくんにそれをさせるのは可哀想だと思います! あと! わざわざ間違うと分かっている事に時間をかけていたら、授業時間が無くなります! なので私が解きます!」
先生である彼女がちらりと黒板の中心から真上に位置する箇所に掛けられた時計へ目を向けて、残り時間も少ない事を見ると、静かに瞑目して「分かりました」と頷いた。
ほっと二人が息をついた直後「しかし」と力強い、鋭い剣気にも似た静かな声が発せられる。
「イェン・ロー。あなたは補習です」
「マジかよ……」
ぐるりと瞳を回してため息をついたイェンはぐったりとその机に崩れ落ちた。
イェンと話していた少女──アミラが問題を解いた数分後、チャイムが鳴って授業が終わり、帰宅する生徒達の笑い声が遠ざかっていくに連れてイェンの心が重たく、暗くなっていくのをひしひしと感じ取りながらアミラは「じゃあ、またね」と歯切れの悪い挨拶を残して教室を出て行った。
手を挙げるだけで応えたイェンを教室を出る際に振り返って、それから出て行った。
教室のドアが閉まると、残ったのは二人だけ。教師である彼女とイェンだ。
「さて、イェン・ロー」
「…………」
名前を呼ばれたイェンは返事をせずにいると、彼女は激しい音を立てて机を強く叩いた。しかし、イェンは頑なにその体を起こさない。彼女は酷く凍えるような声で「イェン・ロー」と呼びかける。
「近頃のあなたの言動は目に余る。このままいけば、あなたは落第するでしょう。授業も真面目に受けず、試験の点数も低い。その上補習も真面目に受けなければ、それは必至です。それでもいいのですか?」
そんな、叱咤激励にも似た言葉をかけられたイェンはゆっくりと、その体を起こす。そうして顔を上げたイェンの顔にはどこか他人を小馬鹿にしたような笑みが浮かべられていた。
「あなたは……」
眉間を狭め、小首を傾げる教師。
彼女は、イェンの反応に困惑した様子を見せた。
「だから、努力しろって?」
その笑みはまだ消えない。
「……ええ。その通りよ。今ならまだ間にあ──」
「──間に合うとかの問題じゃない。出ないんだよ。やる気が。……なあセンセ。センセーは分かる? こんな風にやりたい事を見つけられずに、やる気も見つけられずにつまらない日を延々と続けなきゃいけない、何も感じなくなってしまうようなこんな感覚が。何もかも全部が麻痺したみたいにさ。だから、俺は俺のやりたい事を見つけたいんだよ。だから、こんな事にやる気は起きないし、さらさらやる気はない。じゃ、そーゆーことで、俺は帰るよ。じゃあね、センセー」と立ち上がるイェン。
「……待ちなさい」
席を離れようとするイェンの腕を掴んで止めた彼女の静かな声が、より静かな教室に少しだけ響く。イェンは振り返らなかった。彼女は続ける。
「だからと言って、勉学を怠らせるわけにはいかないわ。あなたには、しっかりと補習を受けてもらいます。やる気は勉学をするしないには関係ないのです。あなたは評定が低い。だから、補習を受ける。それだけです。さあ、置いて行こうとしているこの教科書を開けなさい」
イェンは振り返らずに一つ、聞いた。
「ならセンセーはやる気のないことにも、手が出せんの?」
「やらなければならない事なら、やる気は関係がありません」
「これは本当に、必ず、どうしても、やらなければいけないことなの?」
「あなたの『未来を決定するため』の勉学です。必須ですね」
「どうして未来の決定にそれが必要なの?」
「選択するための知識を得るためです。選択する未来の価値に気づかなければ、あなたの思い描く──」
そこで、彼女はしまったと自分の失態に気づき、思わず目を大きく見開いた。
はあ、とイェンのため息が続く。
「思い描く? 何?」
「……未来に、辿り着けません」
苦く苦しく、絞り出すかのようなその言葉には、これまでの力が籠もっておらず、どこか上滑りしてしまっていた。言葉の選択を完全に失敗してしまった彼女は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「……やりたい事が無いのに、見つけられてないのに。そんな俺に『思い描く未来』があると思ってんだ?」
「見つけられないのは、知識を身に着けておらず、未来の、選択を……」
「もういいよ」
腕を掴む手を振り払い、イェンは再びため息を、これみよがしに吐いた。
「センセーは結局さ、未来を考えてる奴の事しか考えてないんだろ? 俺みたいな奴の事なんて、ちゃんと考えてなかったんだろ? だから──」
流れるような動きで振るわれた掌がイェンに迫った。
勢いよく振り返った彼女はその瞳を鋭く尖らせて、イェンを睨みつける。
「────」
その掌は、イェンにぶつかる寸前で止まり、彼女に背を向けていたイェンはそれに気が付かずに教室を出て行った。彼女は「どうして私が……」と悔しげに顔をしかめた。
その顔が誰かに知られる事は無かったけれども。
[あとがき]
次回も更新は一週間後!2月17日!
……まだ、なんとかなっているけれど書くの遅くなった自覚ある……。
最近は寒い~…!
エミリは、二人が歩いてきた雪原。その足跡の上に立っている雪と同化したかのような装いをしている彼女を指さしてそう言った。彼女は、何も喋らずにまっすぐ確かな足取りでエミリに近づいてきて、目を見開いたままエミリに手を伸ばす。
その時だった。その腕をるんちゃんは横から掴んで、もう片手でエミリを自分側へと引き寄せた。彼女の視線はエミリからるんちゃんの顔へと移される。
ぴくぴくとるんちゃんの特徴的なまろ眉が動きを見せるが、その目は至って真剣で、雪のような姿をした彼女に眉に唾をつけた口調で一言。
「何しようとしてたんですか?」
彼女はそのまま少しだけるんちゃんを見つめてから、興味を無くしたらしくそのままエミリに視線を戻した。るんちゃんが掴んだ彼女の手に、力が入る。
「──ッ!?」
瞬間にも満たない時間で手を離して数歩後ずさり、リュックサックのせいでバランスを崩しかけたるんちゃんは顔をしかめて片足を進行方向へ回して、雪の表面を削りながらバランスを整える。
そして見る彼女は、既に目の前に迫って来ていた。彼女は大きく目を見開いて、握り拳を後ろへと引きながらるんちゃんの目の前へ。そこへ、エミリが「待って」と強めの口調で告げた。その一言に、るんちゃんは意識を奪われて、視線を、エミリに移してしまった。
まずいと直感的に感じ取ったるんちゃんは、咄嗟にエミリを庇おうと抱き寄せながらその視線を再び襲い掛かってきた彼女へと向けて──
「──え」
彼女は、拳をるんちゃんへと突く直前で止めていた。
遅れて、小さな突風がるんちゃんの短い髪を弄ぶ。
「この人、どこかで、見覚えがあるんだ」
すぐ目の前の彼女を見上げて、エミリは問う。どうしてボクたちを襲うのかと。
彼女は静かに、淡々と、こう答えた。
「私はお前を探していた」
その答えに目を見開いたるんちゃんを他所に、エミリは重ねて彼女に問いかける。
「なら、どうして襲うの?」
「ならば問う」そう言われて、るんちゃんがエミリを抱き寄せる力が強くなった。「お前はなぜここに来た? そんな無様な格好で、無力な姿に成り果ててまで、なぜここに来た?」
彼女は鬼気迫る『冷たい熱』の籠もった鋭い視線をエミリの喉元に突きつける。
るんちゃんに抱き締められたエミリは、喉に何かつっかえるような違和感に──あるいは原因不明の息苦しさに──生唾を飲み込んでそれを飲み込んでから小さく息を吸い込み答えた。
「前に進むため」
「なんのために?」
「ボクの理由が欲しいから」
「……理由?」
目を眇めた彼女に、エミリはうんと少しぎこちない頷きを返した。
そのまま、辿々しくではあるが、話し続ける。
「えっと、ボクが……ボクだと分かる、理由が欲しいから。だからボクは、確かめに行くんだ。これまでのボクが、これまで何をして来たのかを。それを、見てみたい。だからボクは『運命』のゆく先を見るんだ。そうすればきっと、答えは、分かる」
「……つまり、心の支えが欲しくて、それを探すためにあの島に乗り込もうとしてる、か?」
「たぶん、そう?」
「聞かれても知らん。──しかしまあ、そうか。心の支えか……」
何度か、自分の足下を見下ろしながらぼそぼそと小さな声で「心の支え」と反芻した後、彼女は軽く頷いて、顔を上げた。
「良いだろう。お前のその目的、手伝ってやる」
藪から棒にそんなことを言った彼女の言葉に反応が遅れたるんちゃんは、一拍置いてから上手く回らない舌でだめでしよ!? と噛みながら言った。それを訂正する余裕など、彼女には無い様子で、慌てているるんちゃんはエミリを抱き寄せる腕により一層、力を込めた。
「だ、だだだいたい! あなたみたいな得体の知れない人なんて、信用できません!」
「どうして?」
「どうしてって……エミリちゃん、この人は自分達を襲いました! 被害は出ませんでしたけれど……少なくとも、危ない人なのは間違いないです! なので、一緒に行動するのは危険です!」
「──なら」と、彼女が戯けた口調で、軽い笑みを湛えながら提言する。「私と、お前。一対一で勝負しよう。それで、私の技量は分かるだろう?」
その笑みに、はあ? と刺々しい、疑惑の念を瞳に宿したるんちゃん。そんな彼女に、エミリは自分を抱き締めるその腕にそっと手を重ねて、彼女の目を見上げる。
「……るんちゃん」
エミリの視線を受け止めたるんちゃんは、睨むようにして目を細め、提言してきた彼女の方へと目を移す。彼女はまだ、戯けた笑みをやめてはいない。
「分かりました……。約束は、守りますよ」
※※※
──くるくると、彼の、男にしては細い指の上でペンが回る。
彼の名はイェン。三年前に起こった大災害からこの島へと避難できた人間の一人だ。特徴と言えるような特徴は特になく、強いて言うなら、そばかすの付いた黒髪の黄色人種と言ったところか。
今はこの島の子供達を集めて行われている授業を受けている。一クラスおよそ二〇人程度で、計三クラス(そこでは年齢別に一〇歳以下、~一五歳、~一八歳の計三クラスに分けられている。彼はその内の~一五歳クラスの一人だ)あり、そこで暇を持て余すような授業の内容を、右から左へ聞き流しながら、運良く手に入れた窓際の席でぼうっと外を眺めていた。
空虚に淀んだ瞳が退屈に心を沈めて、新たに消費する刺激を求めて燻っていた。
落書きなんてものも既にマスターしており、僅か三分で教室の風景を写生する事すらできるレベルにまで達していた。正直なところ、彼はそんなことはどうでも良かった。例え、世界一の芸術家やビジネスマン、金持ちになったところで、退屈には勝てないと、そう彼は考えているからだ。
退屈とは延々と格闘している。そして、いつもヤツにトドメを刺す事に失敗する。
そのために、落書きの他には目を左右で違う方向へ動かしたり、片目だけを動かしたり、余裕で一日中空気椅子できたり、一秒に三〇回瞬きできたり、完璧な腹話術をマスターしたり、三時間呼吸を止めたり、体中の関節を自在に外す事ができたり、その他色々、多彩な芸を習得した。その中でも特に気に入っているのは『体を眠らせながら意識を覚醒させること』と『意識を落としながら体を動かせること』の二つだった。この二つは、退屈から避難するときや、何か考え事を続けたい時などに使えて便利だと、そんな技能だ。これがあるから、退屈にも多少なりとも価値はあることを認めざるを得ないのだが。
思わず、あくびをかいてしまった彼は、あ、とだけ口にして、小さく押し黙った。
目の前に、担任が立っていたのだ。
そして、ふと周りを見回せばクラスメイト達の視線が一斉にイェンへと向けられていて、イェンは訝しげに目を眇めた。
「イェン・ロー。あなたはいつになれば真面目に授業を受けるのですか?」と先生。
「はいはい。受けてますよせーんせっ」
「では、今の授業の科目は?」
「数学」
「なら今、机の上に置いてあるその教材の科目は?」
聞かれて、イェンはちらりと自らの机の上を見た。
そこに置かれた教材に目を見開いて、イェンは答えに窮する。
「科目は?」と重ねて、威圧するかのような強い口調で聞かれて、イェンは仕方無しに目を窓の外に背けつつ答えた。
「……世界史」
「なぜ?」
「……気分」
突き刺さるような視線に、イェンはただただ目を背け続ける。
口を噤むイェンの後ろでメガネをかけた彼女の、蒼い、鋭い目がチクチクと彼を貫く。
たらたらと、冷や汗が彼の体中を覆っていた。
「今すぐ」と高圧的で静かな怒声が耳元で囁く。「教科書を出しなさい」
「分かったよ……」
教科書を出すイェンを尻目に、彼女は再び黒板の前へと戻って行く。その後ろ姿を眺めて、ほう、と息を吐きながら世界史の教材をバッグの中に仕舞い込み、代わりに取り出すのは数学の教材。そうしていると、隣に座る少女が口元に手を当ててひそひそとイェンに声をかけた。
「災難だったね、イェン」
「分かってたなら教えてくれても良かっただろ?」とひそひそ声で返すイェン。
「だって、寂しそうに外を見てるイェンがカッコよくて……」
ほっぺたを両手で挟んで体を左右に楽しそうに動かしている少女がにまにまと笑っているのを見て、イェンは口角を下げてため息の後に取り出した教材を開いた。
「うえ……。イヤミも大概にしろよ」
「イヤミじゃないって」
そこ、静かに。と静かな怒声で叱咤され、二人は背筋をピシッと姿勢良く伸ばした。
直後、つんと鼻を鳴らして教室の、黒板に向き直った彼女を見てほっとしてから開いた教材のページを間違えていることに気がついて、授業の内容と同じページを探して開けた。
「さて、ではイェンくん」
「え、おれ?」
「あなたには特別にこの問題を解かせてあげましょう。どうぞ?」
「いや、さっきまで聞いてなかったんですよ? 解けるわけ──」
「さっきまで」と強い、高圧的な前置きが発せられる。「隣の席のアミラさんと仲良く会話してらっしいましたよね? 注意された直後にそんな真似ができるとは……さぞ、自信がお有りのようです。ねえ? イェンさん?」
それはまさにイヤミだった。
ちくちくと突き刺さる言葉の数々にイェンが打ちのめされているのを見かねた、隣の席の少女──アミラが「はいっ!」と手をピンと伸ばして挙げる。
「なら! 私が解きますセンセー!」
「……今はあなたを指名してはいません。静かに」
「でも! 話を聞いてないちんぷんかんぷんなローくんにそれをさせるのは可哀想だと思います! あと! わざわざ間違うと分かっている事に時間をかけていたら、授業時間が無くなります! なので私が解きます!」
先生である彼女がちらりと黒板の中心から真上に位置する箇所に掛けられた時計へ目を向けて、残り時間も少ない事を見ると、静かに瞑目して「分かりました」と頷いた。
ほっと二人が息をついた直後「しかし」と力強い、鋭い剣気にも似た静かな声が発せられる。
「イェン・ロー。あなたは補習です」
「マジかよ……」
ぐるりと瞳を回してため息をついたイェンはぐったりとその机に崩れ落ちた。
イェンと話していた少女──アミラが問題を解いた数分後、チャイムが鳴って授業が終わり、帰宅する生徒達の笑い声が遠ざかっていくに連れてイェンの心が重たく、暗くなっていくのをひしひしと感じ取りながらアミラは「じゃあ、またね」と歯切れの悪い挨拶を残して教室を出て行った。
手を挙げるだけで応えたイェンを教室を出る際に振り返って、それから出て行った。
教室のドアが閉まると、残ったのは二人だけ。教師である彼女とイェンだ。
「さて、イェン・ロー」
「…………」
名前を呼ばれたイェンは返事をせずにいると、彼女は激しい音を立てて机を強く叩いた。しかし、イェンは頑なにその体を起こさない。彼女は酷く凍えるような声で「イェン・ロー」と呼びかける。
「近頃のあなたの言動は目に余る。このままいけば、あなたは落第するでしょう。授業も真面目に受けず、試験の点数も低い。その上補習も真面目に受けなければ、それは必至です。それでもいいのですか?」
そんな、叱咤激励にも似た言葉をかけられたイェンはゆっくりと、その体を起こす。そうして顔を上げたイェンの顔にはどこか他人を小馬鹿にしたような笑みが浮かべられていた。
「あなたは……」
眉間を狭め、小首を傾げる教師。
彼女は、イェンの反応に困惑した様子を見せた。
「だから、努力しろって?」
その笑みはまだ消えない。
「……ええ。その通りよ。今ならまだ間にあ──」
「──間に合うとかの問題じゃない。出ないんだよ。やる気が。……なあセンセ。センセーは分かる? こんな風にやりたい事を見つけられずに、やる気も見つけられずにつまらない日を延々と続けなきゃいけない、何も感じなくなってしまうようなこんな感覚が。何もかも全部が麻痺したみたいにさ。だから、俺は俺のやりたい事を見つけたいんだよ。だから、こんな事にやる気は起きないし、さらさらやる気はない。じゃ、そーゆーことで、俺は帰るよ。じゃあね、センセー」と立ち上がるイェン。
「……待ちなさい」
席を離れようとするイェンの腕を掴んで止めた彼女の静かな声が、より静かな教室に少しだけ響く。イェンは振り返らなかった。彼女は続ける。
「だからと言って、勉学を怠らせるわけにはいかないわ。あなたには、しっかりと補習を受けてもらいます。やる気は勉学をするしないには関係ないのです。あなたは評定が低い。だから、補習を受ける。それだけです。さあ、置いて行こうとしているこの教科書を開けなさい」
イェンは振り返らずに一つ、聞いた。
「ならセンセーはやる気のないことにも、手が出せんの?」
「やらなければならない事なら、やる気は関係がありません」
「これは本当に、必ず、どうしても、やらなければいけないことなの?」
「あなたの『未来を決定するため』の勉学です。必須ですね」
「どうして未来の決定にそれが必要なの?」
「選択するための知識を得るためです。選択する未来の価値に気づかなければ、あなたの思い描く──」
そこで、彼女はしまったと自分の失態に気づき、思わず目を大きく見開いた。
はあ、とイェンのため息が続く。
「思い描く? 何?」
「……未来に、辿り着けません」
苦く苦しく、絞り出すかのようなその言葉には、これまでの力が籠もっておらず、どこか上滑りしてしまっていた。言葉の選択を完全に失敗してしまった彼女は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「……やりたい事が無いのに、見つけられてないのに。そんな俺に『思い描く未来』があると思ってんだ?」
「見つけられないのは、知識を身に着けておらず、未来の、選択を……」
「もういいよ」
腕を掴む手を振り払い、イェンは再びため息を、これみよがしに吐いた。
「センセーは結局さ、未来を考えてる奴の事しか考えてないんだろ? 俺みたいな奴の事なんて、ちゃんと考えてなかったんだろ? だから──」
流れるような動きで振るわれた掌がイェンに迫った。
勢いよく振り返った彼女はその瞳を鋭く尖らせて、イェンを睨みつける。
「────」
その掌は、イェンにぶつかる寸前で止まり、彼女に背を向けていたイェンはそれに気が付かずに教室を出て行った。彼女は「どうして私が……」と悔しげに顔をしかめた。
その顔が誰かに知られる事は無かったけれども。
[あとがき]
次回も更新は一週間後!2月17日!
……まだ、なんとかなっているけれど書くの遅くなった自覚ある……。
最近は寒い~…!
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「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
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