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六章 『追憶の先に見えるもの』
247話 『矛を向ける先』
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「名無しさーん」
るんちゃんは、名乗らない女性に盛大に皮肉を込めたあだ名をつけて呼んだ。
それは名乗らない彼女に対して、名乗る名前も無いのだろうと言う勝手極まりない結構酷い考えを基にして名付けたつもりであった。が、彼女は簡単に振り向いて何気ない様子で「なんだ。知ってるんじゃないか、名前」とだけ言って、再び前を向いて運転する。
「……え、あなた『ナナシ』と言う名前なんですか?」
自分で聞いた事を、その質問自体を疑うような口調で、彼女は首を傾けた。
そんな彼女の口調に、ナナシは呆れたような、諦めたような口調で、けれどどこか納得したような声音で、ああ、と口にする。それは酷く物寂しげで悲壮すら帯びていた。
「……なんだ、当てずっぽうか」
「あなたは」そうるんちゃんが言いかけた所で、ナナシが「少し降りるぞ」と言って、その直後にヘリコプターは急速に高度を落としていった。
「ここに、私の拠点がある。これまでに手に入れた情報もあるんだ。ただ、一人であの場所を攻略はほぼ不可能に等しい。協力してくれるな?」
答えを待たずに、彼女はヘリコプターを乱暴に着地させて、風圧も収まりきらない間に操舵席から離れて一本の旗が立った場所へと駆け出して行った。彼女は雪の被った足場の雪を足でどけると、そこから一本のスコップを取り出す。それは持ち手の部分から伸びた鎖が旗に引っ掛けられていて、旗のすぐ側に埋もれていたようだった。
そのスコップを引っ張り出してナナシが雪掻きを始めた頃、ようやくるんちゃんが乗り物酔いで目を回しているエミリをその脇腹に担いで乱れた金色の短髪に、ぴくぴくと特徴的なまろ眉を動かしながら、ヘリコプターをそっと下りて、一つ、深呼吸。
「荒い運転ですねえ……」
じろりと流し目を送ったるんちゃんの視線に気づいていないのか、それとも無視しているのか。とにかく彼女は雪掻きを続けている。いや、もはやそれは雪掘りだった。
「何してるんですかー?」と声を張り上げて尋ねたるんちゃんに一瞥もくれずに掘り進めている彼女を眺めてぐるりと瞳を回して彼女の傍へ。
「何してるんですか?」
「この下に、拠点がある。それを掘り出しているだけだ」
「……手伝いましょうか?」
「迷惑だ。待っていろ」
「もうっ! あなたはどうしてそう……とにかく! 協調性が無いんですか! 協力して欲しいのなら、相手の事を知ろうとは思わないんですか!?」
雪を掘っていた腕を止めて、彼女は隣に立つるんちゃんの顔を見る。屈んでいるせいと掘っていたせいでるんちゃんを見上げる形になり、彼女へ一言「すまない」と返事した。
その顔に感情は宿っていない。その能面にすら及ばない顔に、るんちゃんは目を見開いた。
「だがあと少しだ。その間そこで待っていてくれ」
ちり、と。
敵意にも似たものをその能面にすら及ばない顔に覚えて、るんちゃんは一歩後ずさった。
それから一分もしない内に彼女はそれを掘り当てて金属製の蓋を開き、るんちゃんへそれを指し示す。
「入口が開いた。降りてきてくれ」
掘っていた穴の中へと消えていった彼女のいた場所を覗き込むと、そこには丸い金属板とその下へと続く長い穴が見つけられた。脇に抱えていたエミリと目を見合わせ、それから二人はその下へと降りていく。
手作り感が否めない、取ってつけたような梯子を使い、人一人が降りられるくらいの幅しかない穴を降りていくとやがて広い空間に出た。そこは雑然としており、さながら紙の山とでも形容すべき地形を成していた。
積み重ねられた紙の束が床を形作り、本来あったはずのそれは見る影も無く埋もれてしまっている。取ってつけたような梯子の下にはタラップが伸びていた。
そのタラップは紐で簡単に作られた物で、ゆらゆらと揺れている。その下に、彼女はいた。山があれば、谷がある。凹凸した地形の、凹んだ部分。そこに降りている彼女を見つけて、タラップを降りる前に「どこに行くんですかー?」と声をかけた。
しかし、彼女は二人を一瞥したものの、それからまたどこかへ歩き始めてしまう。
「エミリちゃん、気をつけてくださいね」
「ん。わかった」
タラップを降りた二人は十歳付近と思われる少女、エミリとほとんど変わらない身長がある紙の山を左右に置きながら、真っ直ぐと言えなくもない一本道に近いその谷を走った。
追いかけるその背中はまだ見えない。
「エミリちゃん」
「どうしたの」
「あの人──名無しさんの事を、どうして信用できるんですか?」
「運命の糸……」
ぼそりと呟かれたその言葉に、るんちゃんはエミリをちらりと振り返ってその真意を見極めようとする。が、伏せていたその表情を窺い知ることは難しく、るんちゃんは再び前を向いた。
「……運命が見えると言う話ですか?」
そう尋ねると、返事はすぐに返ってくる。
「うん」
「運命とは、どこまで分かるものなんですか?」
少し考えてから、エミリは語った。
「この人が動くと、ボクにどんな影響があるのか、例えば、悪い事が起こるとか、いい事が起こるとか、そういうのが分かるよ。あの人のそれは、ほとんどボクにいい事が起こるって分かるんだ。だから信じる」
そう言ったエミリの説明に、るんちゃんは目を足下に向けながら「そうだったんですね」とあまり浮かない面持ちで呟いた。その顔を、後ろにいるエミリは見る事ができない。
「……分かりました。では『ほとんど』ではないものについては、自分がエミリちゃんを守ります。なので、できるだけ離れないで下さいね」
「うん、わかった」
ぞわりと背中を撫でるような感じにエミリは襲われて、自分の背筋を白いコート越しに触ってみた。そこには冷たい雪が付いていただけだったが、エミリは小首を傾けた。
「…………」
手を握ったりして、それを眺めてはみたものの答えが出ることはなく、緩んで遅くなっていた足をまた速めた。るんちゃんとの距離が開いていたが、名無しが紙の谷と言うようなこの場所から、更に一段、子供の膝くらい下に下りたところに机を置いて、その上で紙を広げて眺めていたのを見つけて、二人はまた加速する。
「来たか」
「来たかじゃないですよ! なんなんですかこの紙の束は!」
「私がこれまでに集めた情報の全てだ。この二年間の世界の情勢をここに保管してある。が、生憎、ネットは死んでいた。と言うより接続できない。機器を繋ぐ先が無い。こうなればクラウドも実質凍結したものだろう。そのせいで仕入れた情報をわざわ紙に書かなくてはならなくなったんだ」
「ネットが死んだからってこんな……。それに二年でこんなに書けるものなんですか……?」
見渡す限りの紙の山を見て、疑うような口調でるんちゃんは尋ねた。
その質問を受けて、彼女は一瞬だけ、凍りついたかのように一分の隙も無く固まってしまった。それを、エミリはジッと見つめていた。
「……ああ。やれば、意外とできるものだ」
「そうなんですか」
「それよりこれを見てくれ。地図だ。私達がこれから向かうあの場所には小さな街が作られている。恐らくきっと、あの内部ではネットが使える。電力供給しているんだ。できないわけが無い」
そう確信を告げた名無しは、机の上に広げている紙を指さした。エミリ、るんちゃんはそれを覗き込むとその地図の、立てた指が置かれた地点──中心の建物に目を向ける。
「ここが目的地だ。しかしここには一部の人間しか入る事のできない電磁波フィールドが張られていて、私達は簡単に入る事ができない。そして、この周囲には現時点、この地上においての人が住める最高の環境である小さな街が作られている。そこにはアンドロイドだかヒューマノイドだかが徘徊して警備を担当しているが……それを、お前達に惹きつけてほしい。その間に私は自前の、一瞬、自分の周囲だけこれを無効化する道具を使って会社に潜入し、情報を手に──」「ちょっと待ってください」
そこで話を挟んだのはるんちゃんだった。挙手して、彼女は二人の視線が集まった事を確認すると「それならば」と前置きする。
「──私達は捨て駒の上にあなたが手に入れた情報を伝える伝えないを操作できるじゃないですか。その策はあなたに有利過ぎると思います」
「ならどうする? 他に策があるか?」
「策は……そうですね……なら、私が、その、アンドロイドを、ハッキングします。そうして内側から、電磁波フィールド? でしたっけ、それを解除します。そうして混乱している所に便乗して会社へ侵入します。……これで如何ですか?」
彼女は、ちらりとエミリの方を見てから視線を戻した。
「……できるのか?」
「はい。できます」
断言するるんちゃんの態度を見てから思案に耽って、彼女は目を閉じた。それからこの空間に少しの沈黙が流れて「分かった」と頷き返した。それを受けたるんちゃんはほっと肩から力を抜いてエミリに疲れ切った様子の笑顔を向けた。
それから、警備アンドロイドをハッキングして、潜伏する場所やそれに要する時間などを名無しとるんちゃんが話し合っている間、エミリは地図を眺めたり、足下の紙をしゃがんで覗き込んでみたりしながら時間を潰している間に、彼女達の話し合いは終わった。
ここまでの話では、アンドロイドをハッキングした後、エミリ達は街の外で一旦待機する事になった。電磁波フィールドを解除するのに要する時間は、およそ三時間らしい。その間は装備の点検や潜入経路の確認。その他異常事態へ備えて最低限の取り決めなど。それらを話し合って、三人はその日の夜、猛吹雪の中作戦を決行した。
※※※
レイカ、メルの二人は会社周りの街、その細い路地に潜伏していた。機械の警吏達から身を隠しながら、二人は息を潜める。この街にも人はいたが、ごく少数で、なおかつどこか病人のようにやつれた顔をした者ばかりであった。
そんな街の様子をざっと確認してから、この場所で一旦立ち止まり、二人は黙り込む。
「ねえ」とメル。「この街はどこから見ても異様だと思う。どうするの?」
「……私達の目的は、飽く迄あの建物を牛耳る黒幕だ。それと話をつけに行くンだ。だから」
「この街の人達を見捨てる?」
言葉の先を取られたレイカは顔をしかめて見せて、ため息の後に「ああ、そうだ」と諦め切ったような口調で言葉にした。メルは何か含んだ目線を彼女に向けたまま続きを促す。
「仕方ないだろう。この街の人達をあンな風にしている原因は分からないが……私はこの街を救うために行動している訳じゃないンだ。それにここは敵の本拠地。いつどこで襲われるかも分からない状況で、これ以上の不安要素を増やす気にはなれない」
「不安要素、なんだ」
「こう立て続けに来られるとね。一見関連性が無いように見えて何か関係があるのでは……と疑ってしまうのは仕方がないと思うよ。少なくとも、私はそうだ」
「関連性はあると思うよ。ただ、口にはできないの。ごめんね」
「…………」
目を見開いて、寂しそうな顔をするメルを視界の中心に納めながら、レイカは黙り込む。
メルはそうして固まって動かない彼女ににこっと笑って見せた。
「絶対に、口に出しちゃダメだよ」
「…………」
茫然自失として正面に、壁にもたれている彼女を見つめているレイカを見てから、メルは息をついてその笑顔を柔らかな、包み込むような微笑みに変えた。
「絶対に大丈夫だよ。私にあなた達を迫害する理由は無い。それどころかプラスになるよ。エミリちゃんには苦労させるかもしれないけれど、それでも、人類にとっては良いことだ」
さらりと流れるようにそれを言って、メルは「そろそろ行こう」とレイカに伝える。
「機械警備兵は遠くに行ったよ」と、路地の向こうの道を指さした。そのまま歩き出したメルの背中に、レイカは「待て」とだけ声をかけて動きを制止する。
「──お前は、何者なんだ?」
躊躇うような口ぶりで、レイカはやるせないような、困惑するような、そんな顔にシワを作ったはいいものの、それをどこに向けるべきか迷った挙げ句、自分の足下を眺めたままメルに尋ねた。
彼女は振り返らずにレイカに答えた。
「秘密」
そう聞いて、レイカはその表情に陰りを見せて、震える息を吐き出した。
その、どこか湿っぽい息を吐いてから、レイカは一言。
「お前は、この世界にとっては害悪なのか?」
息を詰めた音がした。それは、メルが息を飲んだ音であった。
大きく目を見開いた彼女は、その顔を強張らせてその場で硬直した。
「──それは、分からない」
「そうか」
ただ、と。メルはそこに一つ、付け加えた。
「エミリちゃんには、遅かれ早かれ、苦難が訪れる」
「苦難?」
「そう。『勇者』が覚醒するための試練が。あの子にはきっともうすぐ、災難が訪れる」
そう言って、彼女はくるりと振り返った。
「今はこの話はどうでもいいよね。今、重要なのはあの、この街の中心に聳える建物『会社』へ潜入して、シャチョウと言う人に話をつけに行くこと。早く、行こう」
「ああ、分かった……」
幾らかの疑問を腹の底に抱えながら、レイカは彼女と共に『会社』へと向かって行った。
[あとがき]
次回も一週間後!
……と言いたい所だけど、3月1日が切りいいのでその日に更新します!
それじゃあ3月!
るんちゃんは、名乗らない女性に盛大に皮肉を込めたあだ名をつけて呼んだ。
それは名乗らない彼女に対して、名乗る名前も無いのだろうと言う勝手極まりない結構酷い考えを基にして名付けたつもりであった。が、彼女は簡単に振り向いて何気ない様子で「なんだ。知ってるんじゃないか、名前」とだけ言って、再び前を向いて運転する。
「……え、あなた『ナナシ』と言う名前なんですか?」
自分で聞いた事を、その質問自体を疑うような口調で、彼女は首を傾けた。
そんな彼女の口調に、ナナシは呆れたような、諦めたような口調で、けれどどこか納得したような声音で、ああ、と口にする。それは酷く物寂しげで悲壮すら帯びていた。
「……なんだ、当てずっぽうか」
「あなたは」そうるんちゃんが言いかけた所で、ナナシが「少し降りるぞ」と言って、その直後にヘリコプターは急速に高度を落としていった。
「ここに、私の拠点がある。これまでに手に入れた情報もあるんだ。ただ、一人であの場所を攻略はほぼ不可能に等しい。協力してくれるな?」
答えを待たずに、彼女はヘリコプターを乱暴に着地させて、風圧も収まりきらない間に操舵席から離れて一本の旗が立った場所へと駆け出して行った。彼女は雪の被った足場の雪を足でどけると、そこから一本のスコップを取り出す。それは持ち手の部分から伸びた鎖が旗に引っ掛けられていて、旗のすぐ側に埋もれていたようだった。
そのスコップを引っ張り出してナナシが雪掻きを始めた頃、ようやくるんちゃんが乗り物酔いで目を回しているエミリをその脇腹に担いで乱れた金色の短髪に、ぴくぴくと特徴的なまろ眉を動かしながら、ヘリコプターをそっと下りて、一つ、深呼吸。
「荒い運転ですねえ……」
じろりと流し目を送ったるんちゃんの視線に気づいていないのか、それとも無視しているのか。とにかく彼女は雪掻きを続けている。いや、もはやそれは雪掘りだった。
「何してるんですかー?」と声を張り上げて尋ねたるんちゃんに一瞥もくれずに掘り進めている彼女を眺めてぐるりと瞳を回して彼女の傍へ。
「何してるんですか?」
「この下に、拠点がある。それを掘り出しているだけだ」
「……手伝いましょうか?」
「迷惑だ。待っていろ」
「もうっ! あなたはどうしてそう……とにかく! 協調性が無いんですか! 協力して欲しいのなら、相手の事を知ろうとは思わないんですか!?」
雪を掘っていた腕を止めて、彼女は隣に立つるんちゃんの顔を見る。屈んでいるせいと掘っていたせいでるんちゃんを見上げる形になり、彼女へ一言「すまない」と返事した。
その顔に感情は宿っていない。その能面にすら及ばない顔に、るんちゃんは目を見開いた。
「だがあと少しだ。その間そこで待っていてくれ」
ちり、と。
敵意にも似たものをその能面にすら及ばない顔に覚えて、るんちゃんは一歩後ずさった。
それから一分もしない内に彼女はそれを掘り当てて金属製の蓋を開き、るんちゃんへそれを指し示す。
「入口が開いた。降りてきてくれ」
掘っていた穴の中へと消えていった彼女のいた場所を覗き込むと、そこには丸い金属板とその下へと続く長い穴が見つけられた。脇に抱えていたエミリと目を見合わせ、それから二人はその下へと降りていく。
手作り感が否めない、取ってつけたような梯子を使い、人一人が降りられるくらいの幅しかない穴を降りていくとやがて広い空間に出た。そこは雑然としており、さながら紙の山とでも形容すべき地形を成していた。
積み重ねられた紙の束が床を形作り、本来あったはずのそれは見る影も無く埋もれてしまっている。取ってつけたような梯子の下にはタラップが伸びていた。
そのタラップは紐で簡単に作られた物で、ゆらゆらと揺れている。その下に、彼女はいた。山があれば、谷がある。凹凸した地形の、凹んだ部分。そこに降りている彼女を見つけて、タラップを降りる前に「どこに行くんですかー?」と声をかけた。
しかし、彼女は二人を一瞥したものの、それからまたどこかへ歩き始めてしまう。
「エミリちゃん、気をつけてくださいね」
「ん。わかった」
タラップを降りた二人は十歳付近と思われる少女、エミリとほとんど変わらない身長がある紙の山を左右に置きながら、真っ直ぐと言えなくもない一本道に近いその谷を走った。
追いかけるその背中はまだ見えない。
「エミリちゃん」
「どうしたの」
「あの人──名無しさんの事を、どうして信用できるんですか?」
「運命の糸……」
ぼそりと呟かれたその言葉に、るんちゃんはエミリをちらりと振り返ってその真意を見極めようとする。が、伏せていたその表情を窺い知ることは難しく、るんちゃんは再び前を向いた。
「……運命が見えると言う話ですか?」
そう尋ねると、返事はすぐに返ってくる。
「うん」
「運命とは、どこまで分かるものなんですか?」
少し考えてから、エミリは語った。
「この人が動くと、ボクにどんな影響があるのか、例えば、悪い事が起こるとか、いい事が起こるとか、そういうのが分かるよ。あの人のそれは、ほとんどボクにいい事が起こるって分かるんだ。だから信じる」
そう言ったエミリの説明に、るんちゃんは目を足下に向けながら「そうだったんですね」とあまり浮かない面持ちで呟いた。その顔を、後ろにいるエミリは見る事ができない。
「……分かりました。では『ほとんど』ではないものについては、自分がエミリちゃんを守ります。なので、できるだけ離れないで下さいね」
「うん、わかった」
ぞわりと背中を撫でるような感じにエミリは襲われて、自分の背筋を白いコート越しに触ってみた。そこには冷たい雪が付いていただけだったが、エミリは小首を傾けた。
「…………」
手を握ったりして、それを眺めてはみたものの答えが出ることはなく、緩んで遅くなっていた足をまた速めた。るんちゃんとの距離が開いていたが、名無しが紙の谷と言うようなこの場所から、更に一段、子供の膝くらい下に下りたところに机を置いて、その上で紙を広げて眺めていたのを見つけて、二人はまた加速する。
「来たか」
「来たかじゃないですよ! なんなんですかこの紙の束は!」
「私がこれまでに集めた情報の全てだ。この二年間の世界の情勢をここに保管してある。が、生憎、ネットは死んでいた。と言うより接続できない。機器を繋ぐ先が無い。こうなればクラウドも実質凍結したものだろう。そのせいで仕入れた情報をわざわ紙に書かなくてはならなくなったんだ」
「ネットが死んだからってこんな……。それに二年でこんなに書けるものなんですか……?」
見渡す限りの紙の山を見て、疑うような口調でるんちゃんは尋ねた。
その質問を受けて、彼女は一瞬だけ、凍りついたかのように一分の隙も無く固まってしまった。それを、エミリはジッと見つめていた。
「……ああ。やれば、意外とできるものだ」
「そうなんですか」
「それよりこれを見てくれ。地図だ。私達がこれから向かうあの場所には小さな街が作られている。恐らくきっと、あの内部ではネットが使える。電力供給しているんだ。できないわけが無い」
そう確信を告げた名無しは、机の上に広げている紙を指さした。エミリ、るんちゃんはそれを覗き込むとその地図の、立てた指が置かれた地点──中心の建物に目を向ける。
「ここが目的地だ。しかしここには一部の人間しか入る事のできない電磁波フィールドが張られていて、私達は簡単に入る事ができない。そして、この周囲には現時点、この地上においての人が住める最高の環境である小さな街が作られている。そこにはアンドロイドだかヒューマノイドだかが徘徊して警備を担当しているが……それを、お前達に惹きつけてほしい。その間に私は自前の、一瞬、自分の周囲だけこれを無効化する道具を使って会社に潜入し、情報を手に──」「ちょっと待ってください」
そこで話を挟んだのはるんちゃんだった。挙手して、彼女は二人の視線が集まった事を確認すると「それならば」と前置きする。
「──私達は捨て駒の上にあなたが手に入れた情報を伝える伝えないを操作できるじゃないですか。その策はあなたに有利過ぎると思います」
「ならどうする? 他に策があるか?」
「策は……そうですね……なら、私が、その、アンドロイドを、ハッキングします。そうして内側から、電磁波フィールド? でしたっけ、それを解除します。そうして混乱している所に便乗して会社へ侵入します。……これで如何ですか?」
彼女は、ちらりとエミリの方を見てから視線を戻した。
「……できるのか?」
「はい。できます」
断言するるんちゃんの態度を見てから思案に耽って、彼女は目を閉じた。それからこの空間に少しの沈黙が流れて「分かった」と頷き返した。それを受けたるんちゃんはほっと肩から力を抜いてエミリに疲れ切った様子の笑顔を向けた。
それから、警備アンドロイドをハッキングして、潜伏する場所やそれに要する時間などを名無しとるんちゃんが話し合っている間、エミリは地図を眺めたり、足下の紙をしゃがんで覗き込んでみたりしながら時間を潰している間に、彼女達の話し合いは終わった。
ここまでの話では、アンドロイドをハッキングした後、エミリ達は街の外で一旦待機する事になった。電磁波フィールドを解除するのに要する時間は、およそ三時間らしい。その間は装備の点検や潜入経路の確認。その他異常事態へ備えて最低限の取り決めなど。それらを話し合って、三人はその日の夜、猛吹雪の中作戦を決行した。
※※※
レイカ、メルの二人は会社周りの街、その細い路地に潜伏していた。機械の警吏達から身を隠しながら、二人は息を潜める。この街にも人はいたが、ごく少数で、なおかつどこか病人のようにやつれた顔をした者ばかりであった。
そんな街の様子をざっと確認してから、この場所で一旦立ち止まり、二人は黙り込む。
「ねえ」とメル。「この街はどこから見ても異様だと思う。どうするの?」
「……私達の目的は、飽く迄あの建物を牛耳る黒幕だ。それと話をつけに行くンだ。だから」
「この街の人達を見捨てる?」
言葉の先を取られたレイカは顔をしかめて見せて、ため息の後に「ああ、そうだ」と諦め切ったような口調で言葉にした。メルは何か含んだ目線を彼女に向けたまま続きを促す。
「仕方ないだろう。この街の人達をあンな風にしている原因は分からないが……私はこの街を救うために行動している訳じゃないンだ。それにここは敵の本拠地。いつどこで襲われるかも分からない状況で、これ以上の不安要素を増やす気にはなれない」
「不安要素、なんだ」
「こう立て続けに来られるとね。一見関連性が無いように見えて何か関係があるのでは……と疑ってしまうのは仕方がないと思うよ。少なくとも、私はそうだ」
「関連性はあると思うよ。ただ、口にはできないの。ごめんね」
「…………」
目を見開いて、寂しそうな顔をするメルを視界の中心に納めながら、レイカは黙り込む。
メルはそうして固まって動かない彼女ににこっと笑って見せた。
「絶対に、口に出しちゃダメだよ」
「…………」
茫然自失として正面に、壁にもたれている彼女を見つめているレイカを見てから、メルは息をついてその笑顔を柔らかな、包み込むような微笑みに変えた。
「絶対に大丈夫だよ。私にあなた達を迫害する理由は無い。それどころかプラスになるよ。エミリちゃんには苦労させるかもしれないけれど、それでも、人類にとっては良いことだ」
さらりと流れるようにそれを言って、メルは「そろそろ行こう」とレイカに伝える。
「機械警備兵は遠くに行ったよ」と、路地の向こうの道を指さした。そのまま歩き出したメルの背中に、レイカは「待て」とだけ声をかけて動きを制止する。
「──お前は、何者なんだ?」
躊躇うような口ぶりで、レイカはやるせないような、困惑するような、そんな顔にシワを作ったはいいものの、それをどこに向けるべきか迷った挙げ句、自分の足下を眺めたままメルに尋ねた。
彼女は振り返らずにレイカに答えた。
「秘密」
そう聞いて、レイカはその表情に陰りを見せて、震える息を吐き出した。
その、どこか湿っぽい息を吐いてから、レイカは一言。
「お前は、この世界にとっては害悪なのか?」
息を詰めた音がした。それは、メルが息を飲んだ音であった。
大きく目を見開いた彼女は、その顔を強張らせてその場で硬直した。
「──それは、分からない」
「そうか」
ただ、と。メルはそこに一つ、付け加えた。
「エミリちゃんには、遅かれ早かれ、苦難が訪れる」
「苦難?」
「そう。『勇者』が覚醒するための試練が。あの子にはきっともうすぐ、災難が訪れる」
そう言って、彼女はくるりと振り返った。
「今はこの話はどうでもいいよね。今、重要なのはあの、この街の中心に聳える建物『会社』へ潜入して、シャチョウと言う人に話をつけに行くこと。早く、行こう」
「ああ、分かった……」
幾らかの疑問を腹の底に抱えながら、レイカは彼女と共に『会社』へと向かって行った。
[あとがき]
次回も一週間後!
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本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
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