当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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二章 無意味の象徴

77話 『帰巣』

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「良いのん? あんな子に任せて?」
「大丈夫ですよ。恐らく、邪魔するでしょうから……」

 展望台の上。少し向こうの黒い渦を見つめながら言葉を返す。──呪文を唱え終えた是枝さくらは車椅子に戻り、大きく呼吸を乱していた

「──やはり流石と言わざるを得ませんよ、精霊王。まさか肉体を圧し潰すなんて、並大抵じゃないですね」
「皮肉に、聞こえます……。カエデさん……」
「……さあ、どうでしょう?」

 曖昧に、強引にはぐらかすとカエデは再び天に上っていく二筋の渦を見つめて、『回収方法』に思考を張り巡らせる。遅ければ彼らに邪魔だてされる上、下手をすればまた同じような事を行わなければならない
 それは流石に気が引けそうだ。──が、どうだろう。カエデには自分と他人との間に絶対領域があるように感じられる。もしかしたら何も感じていないかもしれない

「──そうですね……。やはり受肉、でしょうか」
「……受肉は──その人の体を借りて、むりやり穢れを抜き取るもの……でしたっけ?」
「その通りですよ。精霊王。──が、受肉にも当人の容量があってそれ以上になるあなた方を人間の体に取り入れれば元の人間の魂が外に出てしまいます。しかし計算上、浄化はほぼ不可能なので誰かに頼るしかありませんね。それも二つ……」

 ──ああ、ちょうど良い器を見つけました。と、静かに笑みを浮かべて森の中、離れ離れになっている二人を見つけてしまった


 ※※※


 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ……

 草を踏んで、石ころを蹴飛ばし、木々の間をくぐり抜けて──レイは今ここにいる。まだまだ走り終える気はないらしく、あれ以来、足を止めることなく延々と走り続けていた
 ふと見上げては暗闇の雲が空を覆い、段々とその範囲を広げているのが分かる。誰が見てもそれは異様で、一目見ただけで危ないものだと判断できるだろう
 先程までは青い空が見えていたのに今はもう見えない。ただただ黒い雲が広がっているだけだ

 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ……。と、ずっと走り続けている。思い出した決意を胸に秘めて、忘れないように左目の裏にその姿を映しながら二度と揺らがないよう、二度と消えないよう、懸命に刻み込む

 ──右の視界には見上げた雲が広がっていた。が、その中に一つ、何かが光を発して渦の中心へと落ちていくのが見えて足を止めてしまった

「……帰るよ。ちゃんと」

 再び決意を固めて元の場所へと走って行く。展望台まで行けば後は道なりに下りていけばバス停に着くはずだ。そうすれば、帰ることができる。

 走り続ける。淡々と。延々と。走って走って──あの日の記憶が、蘇りつつあった──……

 ──ハァっ、ハァっ、ハァっハァっハァっ……ッ!

 聴こえてくる。泣いてる声。叫んでる。怖がってる。助けに行きたいのに、体が動かない。──この中にいたらダイジョーブですよ。そう言われてクローゼットの中に隠れたのに、イヤだ……怖いよ……。

 何も見えなくて、何かが割れた音が聞こえてきた。それでもおねえちゃんの言うことを守って出なかった。何度も聞こえてきた。何かがパリンって割れて、バキッて何かが折れて、ガシャアンッて何かが壊れる音が。パチン、ドタバタ、ドンッ、バキッ、怖かった。

 ■■■ゃん、ね■、■■い■?

 自分の声がほとんど聞こえなかったくらいにたくさん音が聞こえてきたのは覚えている。怖くて、耳をふさいでいた。できるだけ音を立てないようにがんばって口もふさいでいた。膝と膝の間に耳を挟んで、両手で口をふさいで、聞かないように、泣かないようにしていたのを覚えている。

 ──ふと、叫び声がやんだ。急に聞こえなくなって、逆に怖くなった。おねえちゃんを探そうかな、なんて考えていた。おねえちゃんは強かったから、きっとお父さんにも勝ったのかなって思った。
 クローゼットから出て──、

「クローゼットから……? ──何から、出たっけ? アレ? 何から……出ようと? 出る? ……何から?」

 頭が痛い。何かにかき混ぜられたみたいに、止められていた濁流が溢れ出しそうだ。こめかみが、痛い……。

 レイは空を見上げた。特に何かを見つけたわけじゃない。少し気になっただけで……「ぁ──」見たことのない光景が浮かんだ

 真っ黒な何かの中、何かを探すように手を前に突き出して振っている。ただ、それだけの光景が頭に浮かんで足を止めてしまった

「──なんだろう、今の……」

 とても苦しかった。胸の辺りが痛くて、口の周りに何かが当たって少し痒かった。今の、なんだろう……。胸に手を当てて確認してみても何も分からなくて、口の周りをなぞってみても何も分からなかった。

「──何を……? 今は、レイカちゃんの所に戻ってあげないと……守ってあげないと……!」

 胸に当てた手をギュッと握り締めて再び走り出す。目指すは家族。温かなあの場所へと、再び疾走を開始した──

 シュッ──……

 ──すると同時に、レイの眼前を誰かが横切った。あまりに一瞬のことだったので見えなかったのか、レイは足を止めて警戒するように左側へ目を向ける

 右側から飛んできた何かは、木を一本破壊しているのにも関わらず姿が見えない。が、それでもレイは気を緩めずに右側も確認する

 こちらにも同じく何もなく、何かが折れたりしている様子もない。それが不思議で、不気味で、ゆっくりと足を擦るように動かして進む

 小さな靴を擦る音も、遠くで何かが走っている音も、上空で何かが話している声も、全部が聞こえてくる。遠くで誰かが叫んだ。何か大きな音が鳴った。──たぶん爆発だと思う。空の上で何かが言っている。助けて。お兄ちゃん、痛いよ。子供みたいな声だった。どこだ、おーい。返事しろよ。今度は男の子の声だった。二人とも、何かを探しているみたいだけど何も見つけられないでいるみたいだ。

「ぁ──あ、あっ、あああっ……!」

 そうだ。いたんだ。誰かがあの先に、何かを開けた先に。おねえちゃん……そうだ。おねえちゃんが。おねえちゃんがあの先にいて、振り返って、ボクを見た。それと、誰かがいたんだ。おねえちゃんと別の、誰かが。

「なんで、忘れてたんだろう。こんなに、こんなに好きだったのに。優しかった、キレイだった、強かった、賢かった。何もかもボクより強くて、何もかもボクよりすごくて、憧れてたんだ。なのに、なんで……忘れて……! そう、そうだ! おねえちゃんの名前はっ!!」

 ──……ブツッ

 何かが切れるような音がした。

「……あ、──早く、レイカちゃんの所に帰らないと」
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