朝の運梯

大空 ソラ

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朝の運梯

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 「…………おはよう」

 早朝6時。
 バイトの夜勤帰り。その帰り道の途中にある小さな公園で、俺は一人の少女に声をかけた。


 「お、おはようさん!何や兄ちゃん、相も変わらず死んだような顔して!」

 「……ああ、君みたいな元気がほしいよ。どうやったらそんなに元気になれるんだ」

 「ウチの信条は『いつでも元気!』やから!」

 「……そうか、素晴らしい信条だね。でも出来ればもう少しボリュームを抑えてほしい」

 「はっはっは!ごめんな、ウチ抑えてこれやから」

 そうだった。君は初めて会ったあの日から、今のこの時までずっとそんなテンションだったね。

 「それに、朝っぱらから死んだような顔してる兄ちゃんのがおかしいんちゃう?朝はもっとこう……爽やか!って感じださな」

 「年をとるとね、朝が嫌いになるんだよ。朝日が苦手になるんだよ。鳥の鳴き声が煩わしく思うんだよ」

 「それ、兄ちゃんだけやろ」

 「…………はい」


 年下の高校生に心を抉られる。こんな経験したくなかったな。

 「まったく兄ちゃんはほんまにダメダメやな。昼夜逆転生活しとるし、自分の体をもっと気遣ったりや?」

 「そうだね。努力はしてるんだけどね」

 「夜のバイトしてる時点でその努力は嘘っぱちやん。嘘つきは泥棒の始まりやで」

 「そればかりはどうも……」

 「……はぁ。まあええよ。兄ちゃんには兄ちゃんの事情があるんやろし。ほら、運梯降りるからそこどいて」

 そういうと、俺との出会いからずっとぶら下がり続けていた運梯から、まるで鉄棒の応用のようで前後に勢いを付け、飛ぶようにして着地した。
 着地場所は俺と目と鼻の先。手を伸ばさずとも触れる位置に。

 「……あぶな」

 「あーごめんごめん。まさかこんな勢いつくなんて。でもまあ、兄ちゃんやったら受け止めてくれるやろうけどな」

 「いや、さすがに小動物を受け止めるのとは訳が違うんだからさ……」

 「む?なんや自分、ウチが重たい言うんか?おデブちゃん言うんか?」

 「違う違う。勝手に深読みしないで」

 それに、君を太ってるって言ったら他の女性に悪い。
 目視だから確かではないけれど、身長は150cm弱。体重は40kg前後だろう。太ってるというより、痩せすぎで心配になるくらいだ。

 「そんなん言うてもなー。兄ちゃんこの前木から飛び降りたウチをキャッチした時『グォッ……!!』って呻いてたしなー」

 普通、空から40kgある人間が落ちてきて、それをキャッチしたら呻き声の一つも出るって。
 むしろ手を離さなかったことを誉めていいところだよ、そこ。火事場のうんたらで踏ん張ったんだから。

 「まあ?兄ちゃんが悪い思ってるなら?お詫びとしてその手に持ってる袋の中身を半分くれるなら?許してあげるけど?」

 「端からそれが目的か……」

 「うーん?ウチ難しい言葉よーわからーん」

 「……ったく、この前の落下も元はと言えば猫を助けた後に足を滑らせた君が悪いんだけどな」

 「細かいことぐちぐち言いなって。細かい男はモテへんよ?」

 「…………ここに君の好物の唐揚げがある」

 「え、ほんま!?あ、しかもウチの好きなコンビニのやん!」

 コンビニの袋から5個入りの唐揚げを取りだし、少女からよく見えるように軽く傾けながら封を開ける。
 そんな一連の動作に、一挙手一投足を見逃すまいと食い入るように少女は俺を見つめていた。
 まるで犬が餌を欲している時のように、犬耳と尻尾がピンと空を向いてしまうように。だがーー

 「これは、こうだ!」

 ーー残念なことに、その唐揚げは一つたりとも少女の元に渡ることはなかった。

 「あーーーーーッ!!」

 「美味い美味い。こってりしてるかどうかは微妙だけど、新作もやっぱり美味しいな」

 何故なら、唐揚げは一つ残らず俺の口の中に消えていったから。そう、一気に。

 「アホー!!一気食いとかもったいないことすんなやー!!」

 「俺の金で買ったものだ。どう食べようと俺の勝手だろう」

 「正論なだけにむかつく……!」

 もったいないと君は言った。もちろん俺ももったいないとは思う。だが、それでも男にはやらないといけないことがあるんだ。
 お小遣いを貰っている高校生の君にはできない、だがアルバイトをしている俺にはできる。財力の差を見せつけてやるぜ。


 「唐揚げ……」

 だが何でだろう、この罪悪感にも似たような感情は。
 俺は別に悪いことをしたわけではない。自分が働いて得たお金で、自分の食べたい物を買って、自分の好きなように食べた。ただそれだけのはずだ。
 ……それだけの、はずなんだけど。

 「ウチも、食べたかった……」

 何なんだろう、この罪悪感……!!

 「…………これ」

 「え?」

 「……もう一個買ってあるから、これ」

 「…………ありがとー!!もー兄ちゃんのそういうとこほんま好きー!!」

 「抱きつくな!唐揚げ落とすだろ!?」

 「もーええからええから!恥ずかしがらんでええやん!!兄ちゃんも役得や思って素直に抱きつかれときって!!」

 「あーもう!暴れるな!痛い!痛いから!」

 腰付近に抱きついてくる少女を、体全体で揺らして振り払おうと試みるもがっちりとしがみついた少女はビクともしない。
 おかしい。この矮躯の中のどこにこれだけの力が眠っていたのか。それが気になって仕方がない。






 「――いやー満足満足」

 「……俺はがっつり疲れたよ」

 少女と会ってから一時間。そして少女が抱きついてきてから三十分。
 言葉通り、心底満足した顔で俺の周りを歩き回る少女。対してゲッソリとしている俺。まさに対極な存在である。

 「ふふん。兄ちゃんはほんま弄りがいがあってええな。学校ではこうはいかんから新鮮で楽しい」

 「……そうなの?」

 「そりゃそうに決まってるやん。ウチやって誰彼構わず抱きついたりなんてしやんよ。特に異性なら尚更や」

 「まあ、確かに恋人でもない男子高校生に抱きつくなんて普通はできないよな」

 「そうそう。ウチ、こう見えても学校ではお淑やかで通っとるんやから」

 「ダウト」

 「即答か」

 そんな姿を想像できるわけがない。何故ならこの少女が今まで俺に見せてきた姿は、一度としてお淑やかな時はなかったからだ。むしろ傍若無人、我が道を行く、そんな姿しか見たことがない。
 俺の経験が語る。これは信じてはいけない言葉であると。


 「いや、まあ確かに冗談やけどさ。もうちょい、信じてくれてもよくない?」

 「俺、素直だけが取り得なんだ。小学校の頃、通知表にもそう書かれていたし」

 「悲し。通知表に書かれるとか本気やん。冗談でも馬鹿にできんやつやん」

 「止めろ。そこは笑いに変えてくれ。むしろ今、笑ってくれ」

 「……ははは」

 「空笑いは止めてくださいお願いします」

 「…………ふふ、ほんま兄ちゃんとおると退屈しやんわ」

 「俺も、退屈はしない」

 心労が溜まりに溜まって少し危ないけど。

 「学校にも、こんな人がおったらもっとおもろいのにな……」

 ――今までの賑やかで和やかな空気が一変。
 少女の顔に影が差す。


 「みんなええ人やねん。それは間違いない。でもな…何か遠慮しとるというか、距離感があるというか」

 「……馴染めていない、と」

 「馴染めてない……うーん、まあ、そういえばそうかも」

 「引っ越してきてどれくらいになるんだっけ?」

 「半年過ぎ」

 「半年か……うーん、まあ仕方ない、のかも」

 「何で!?」

 「――近い!……えっと、まあ言ってしまえば簡単なんだけど」

 少女は何も言わずに俺の言葉を待つ。……いや、そんなに真剣に聞かれても困るんだけどな。そこまで大した理由でもないわけだし。

 「関西弁が怖いんだと思うんだよね」

 「はぁ?」

 「そういうの。俺は関西弁の知り合いも何人かいるから気にならないけど、こういう田舎で免疫のない人からしたら関西弁=怖いっていうのがあるんだと思うんだよ」

 「…………まじ?」

 「うん。土地柄穏やかな人が多いからさここ」

 「……確かに。授業中とかウチ以外喋ってないかも」

 授業は真面目に聞けよ。そういうのが余計に近寄りづらくしているんだよ。


 「別に君は金髪でもないし、危険なこともしていない。でも、不良みたいなイメージがついちゃってるんじゃないかな。賑やかで、語気が強い。イントネーションが違う。おとなしい子からしたらそれだけで近寄りがたいんだよ、たぶん」

 「……何、それなら『私、趣味はぬいぐるみ集めなんです』とか言えばいいん?」

 「いや、別に変えなくていいと思うよ」

 「……何で?」

 「そんなの、意味がないから」

 うん、別に変える必要もない。むしろそこまでして作るものでもない。そんなことして作った眉唾物の友達なんて、すぐに終わる。

 「君はそのままでいいと思う。……まあ、語尾を上げたりするのは喧嘩腰に聞こえるかもしれないから、そこだけは直したほうがいいと思うけど」

 「だから、何で?今のままやと何も変わらんやん」

 「君が変わるんじゃなくて、周りに変わってもらえばいいんだよ。君は今まで通りクラスメイトに接すればいい。自然体で、自分が思うままに」

 「でも、今までそれで変わらんかったのに……」

 「変わる。実体験の俺が言うんだ、間違いない」

 「実体験?」

 「そう。俺も、君と同じ体験をしていた友達を知っているんだ」

 高校生の時、関西から転校してきたアイツ。
 初めの自己紹介から関西弁バリバリで、元気いっぱいな金髪の少年。
 俺は、俺達は、その風貌に興味が湧いた。だが、それ以上に近寄っていいものかという不安感があった。
 結果、彼はクラスで浮いた存在となった。彼から話しかけることはあれど、話しかけられることは皆無。でも、それでも彼は変わらなかった。ずっと変わらず関西弁で喋り、変わらず自分から積極的に喋りかけ、変わらず学校に通い続けた。
 だからだろう。彼は次第に、クラスの中心人物になっていく。それまでにかけた時間は、約半年。……そう、この子と同じくらいだ。


 「そいつも初めはクラスに馴染めていなかった。でも、半年でクラスの中心になった。男と女で違いはあると思う。でも、そいつは何も変わらなかったし、何も変えなかった。変わったのは、俺達の方。近寄りがたかったそいつは、普通に楽しくていい奴だった。君と同じで」

 だから大丈夫。少女の頭をポンポンと叩き、話を終える。

 「……でも、その人とウチは違うよ?」

 「うん違う。でも、君もアイツも似たようなもんさ。二人とも凄くいい奴で、人を惹き付ける力がある」

 「ないよ。ウチにそんなん」

 「あるよ。俺がその一人だもん」

 「…………ロリコン?」

 「今、それ言う?結構真面目な話だったのに」

 「ごめん。冗談冗談」

 「君とこういう風に会うようになってから、毎日が楽しかったよ。君が話す内容はいつも楽しくて、興味を惹かれることが多い。退屈した日なんて一度もなかった」

 「………………」

そう、アイツと遊んでいた時も同じだった。同じ思いだった。

 「だから大丈夫。周りはまだ君のよさに気づけていないだけだ。すぐにでも気づいてくれる。それまでの間は、ごめんだけど俺なんかで我慢してくれ」

 「…………うん」

 「大丈夫大丈夫。君のよさは、必ず気づいてくれるよ」

 「ありがとう、兄ちゃん」

 「おう。だから、明日からはまた元気な顔を見せてくれよ」

 「うん」






 ――一ヵ月後。
 大学帰りに通った公園で、俺は少女が友達と思われる少女たちと仲良く話している姿を目にした。
 そして予想通り、少女はその後も変わることはなかった。夜勤帰りであの公園の前を通ると、いつも通り元気な声が聞こえてくる。そして、あの笑顔を俺に向けてくれる。

 「――兄ちゃん、おはようさん!相も変わらず死んだような顔してんな!」
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