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夜の鉄棒
しおりを挟む「………………こんばんは」
午後8時。
アルバイトの帰り。その帰り道の途中にある小さな公園で、俺は一人の少女に声をかけた。
「…………やあ」
「うん」
目の前の少女は公園にある大きな鉄棒にぶら下がっていた。
それだけなら特におかしな所もないだろう。だが、彼女の足元。そこに置かれている一冊の本が、今の俺たちの微妙な空気を作り出している原因だ。
『ぶら下がり健康器で身長を伸ばそう』
なんて。
いかにも怪しいタイトルの雑誌が足元に。更に言えば開かれた状態で、ぶら下がりながらも見えるような位置に置かれていた。
「これは違うよ」
「まだ何も言ってないよ」
「君とボクの仲だ。君が今何を考え、そしてどんな失礼なことを考えているかなんて想像も容易い」
「……そうか。そこまで言ってもらえるなら俺も嬉しいよ。――で、何をしているんだ?」
「…………最近姿勢が悪いと言われてね。背筋を伸ばす為に鉄棒にぶら下がっているというわけさ」
「ああ、ぶら下がり健康法とかいうもんな」
「ああ、そうそれだ。ぶら下がり健康法。ようやく名前を思い出すことが出来た」
「あれ、でも君って姿勢悪くなかったような……。この前『姿勢の歪みは心の歪みだよ』って言われた気がするんだけど」
「………………これは、そう、あれだ。筋トレ、というやつさ」
「そうか、筋トレか」
こいつ、アッサリと意見を変えやがった。しかも何事もなかったかのようにそ知らぬ顔で。
「ああ。最近自分のひ弱さに嫌気がさしてね。少し運動をしようと考えていたところなんだ。でもボクは元々運動音痴でね。走ったりするのが苦手な口なんだ。だから先ずは基礎体力を鍛えようと思って、この鉄棒にぶら下がっているというわけさ」
「……よくもまあ、そんなにぺらぺらと」
強ち間違えてもいないからツッコミづらい。
本当にこいつは普段使う場面が限られている豆芝レベルの豆知識においては立派な知識力だ。
「いやいや。ボクには君が何を言っているのかがわからないよ。言っただろう?基礎体力を鍛える為に鉄棒にぶら下がっているのさ。それ以上の理由もなければそれ以下の理由もないさ」
「ちなみにその雑誌は?」
軟骨を伸ばし、身長も伸ばそう!
なんて風に眉唾物な情報を掲載しているそのページは何なんだろうね。
「………………たまたま。そう、たまたまここに落ちていただけだよ。このページが開いているのもボクにはうかがい知ることのできないことさ」
「そうか。たまたま落ちていただけなら捨てておこうか?こんなところにあったら邪魔で仕方ないだろう?」
「そ、そ、そんなことは…ない……かな?ほら、今ボクは鉄棒にぶら下がっているじゃないか。やはりこういう健康法は正しいやり方でやらないと正しい効果が得られないわけで、それでは健康法の意味がないわけで、だから筋トレ初心者のボクにはそういった情報が事細かに記載されているその雑誌が必要なわけさ」
……ああ、もう。ほんとかわいいなこいつ。
「……そうか。なあ、そろそろ休憩したらどうだ?俺が来るまで、そして来てから今のいままでずっとぶら下がっていたわけだし、いい加減疲れたろ」
「……そうだね。そろそろ休憩にしようか」
「ほら、お茶とサンドイッチ」
「ありがたくいただくとしよう。好意は素直に受け取らないとね」
「組み合わせは微妙かもしれないけど、君牛乳の類苦手だもんね」
「あれが牛の血だと知ってしまった日から、ボクはそれを体が受け付けなくなってしまってね。無意識下に拒否してしまうんだ」
そういえばこの子血が苦手なんだっけか。一回俺が鼻血を出してしまった時、凄く焦って最終的にはパニックで気を失ってしまったもんな。
「卵。ハム。シーチキン。スイーツ。どれを食べる?」
「全て一つずついただこうかな」
「よく食べるな」
ちっこいのに。とは言うまい。
言ったが最後、拗ねて口を聞かなくなるからな。
「運動をしたからね。それに成長期だから」
「成長期……ねぇ」
満足げに無い胸を張る。
……言いたいなぁ。
今年に入って何cm身長伸びたの?って。
149cmからいったい何cm伸びたの?って。
16歳のこの子に言ってみたいな。
「何か言いたげだが、それについては聞かないでおこう。ボクも無益な殺生はしたくないからね」
「さすが心が広い」
心があると言われている場所も平原みたいな広さだしな。
「ふふん。それでは、いただくとしよう」
「了解。ほら、全部分けておいたぞ」
「ありがとう。ありがたくいただくよ」
コンビニで着いてきたお手拭きで手を拭いたのち『いただきます』と言ってタマゴサンドに手を伸ばし、小さな口で一口。
「ふー……」
満足げな表情を浮かべ、更に一口と続ける。
あむ。
そんな擬音が付きそうな食べ方をする少女。
普段は自分ではクールに決めているつもりでも、こういった所に人の本性というものは出てしまう。クールに成りきれない小さな少女。俺はこの子のこういった所は凄く魅力的だと思う。
「……なんだい、年の離れた妹を見るような目をして」
「ああ、すまない。うちの妹もこんな感じにサンドイッチを食べていたなって、何か懐かしくてな」
いないけどな、そんな妹。
俺は元来から一人っ子だ。
「ふむ。君のような兄を持つなんて、その妹さんには同情するよ」
「おい、俺のメンタルの弱さをなめるなよ。ガラスだぞ、硬貨一枚で割れる薄さだぞ」
「どうしてそれで胸を張れるのか……ボクには一切理解できないね」
「うるせー。黙ってサンドイッチ食ってろ」
「まったく、こんな戯れ言で一々拗ねないでもらいたいね。年下のボクでも不愉快なことを言われた程度で拗ねたりはしないよ。君も年上なんだから、年上なりの威厳を持ってもらいたいものだ」
「ちびっこ」
「は?」
「…………あ」
まずい。
つい口が滑ってしまった。
「ーーーーさ、そろそろ帰るか」
30分後。
場の空気に耐えられなくなった俺がそうきりだすまでの間、そこでは無の空間が続いていた。
「……………………」
つーん。
といった感じに顔を背けながら歩き出す少女。
俺はその隣に着いていくのみ。
「ほ、ほら今日はいい天気だな。月が綺麗だぞ」
「……………………」
俺の不用意な一言で拗ねてしまった少女は空に目をやるものの、何も発しない。すぐに前を見て歩き出す。
「そ、そういえば最近学校はどう?友達と仲良くしてるか?」
「……………………」
目すら合わせてくれない。
「えっと……あの…………ごめん」
「…………何が」
苦節30分。
ようやく少女は口を開いた。
だがここで安心してはいけない。次に言う言葉次第では同じことを繰り返すだけになってしまうだろう。次に言う言葉は絶対に間違えてはいけない言葉だ。
「……人の身体的特徴を貶してしまったから。だから、ごめん」
「…………」
どうだ?
「…………はぁ」
勝った……!
「……まったく、人には触れられたくないことの一つや二つはあるものだ、それをわかっていないと将来苦労することになるよ。いいかい?ボクだからこんな温情な対処で済んでいるが、相手が相手なら君はあの台詞のあとすぐに刺されていただろうね」
「……はい」
おかしいな。
さっき自分で言ってたのに『不愉快なことを言われたとしても拗ねたりはしないさ』って。拗ねて、そして説教までされてしまった。
だが文句も言うまい。言ったが最後、また拗ねて無言のループが始まる。
「そもそも君にはデリカシーというものが欠けているんだ。いいかい、女の子はそういうところに敏感なものだよ。できる男とできない男だと態度も180度変わってくる。頭の片隅に入れておくといい」
「……うっす」
「ボクが面倒くさい女ならあそこでお別れだっただろうね。でもボクは心が広いから。あんな愚かな失態をした君を許そうじゃないか」
「……あざっす」
「これに懲りたら二度とあの言葉を口にしないことだ。いいかい、次はないからね?」
「……はい」
「……ふぅ。よし、満足した」
額の汗を手で拭うと、心の底から満足したといった表情を浮かべる。
「それじゃあ今日はここでお別れだね」
言うと、いつもの別れ道まで着いていたようで。少女は俺に向けていつも通りの別れの挨拶を告げる。
「今日も君といる時間は退屈しなかった。むしろ満足したと言っていい」
微笑みながら続ける。
「ありがとうボクに付き合ってくれて。また、明日か明後日にでもあの場所で会おう」
次の約束を有無を言わさずに一人で交わす。
「ボクは君と過ごすあの時間は尊いものだと思っている。君にもそう思われているなら嬉しく思うよ」
だが、一切嫌な気がしない。むしろ心地よさすら覚える。
「だからまた会えると信じている。その時はまた、中身のない話をして無常に過ぎる時間を共に過ごそうじゃないか」
……この子の持つ人間性がそうさせるのかもな。
「さよならは言わないよ。また会おうーーあ、サンドイッチ美味しかったよ、いつもありがとう。それじゃあ」
少女は手を振ることなくクールに別れ道を進んで行く。
俺はそんな少女の後ろ姿を見ながら何も言わずに見送る。
これが、俺と少女の別れ際のルールだ。まあ、勝手にあの子が作ったルールだけど。
……だが、今日は一つだけ言いたい。
ーーーー雑誌持って帰るのな。
それのせいでせっかく格好よく決めたのに全てが台無しだよ。
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