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第二章
最強の悔悟
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透明過ぎる水は、まるで触れていないかのように自然にタイゴクたちを包み込んだ。
冷たくない。けれどあたたかくもない、ただの膜のようだ。
一歩一歩、水の中に進むたびに身体が沈んでいく。身体中を覆っていた泥も、死んだ源力も、そのたびに水に溶けては消えていった。
あんなに擦っても落ちなかった乾きかけの泥が、こんなにも簡単に溶けるとは。
やはりこの水自体が普通ではないのだと理解したタイゴクは、透けて見える泉の底に立って一度頭まで浸かった。
四ノ宮の口元は己の大きな手で覆い、間違って水を飲まないようにしてやる。
しかしほんの一瞬でも呼吸を止められた四ノ宮は、タイゴクが泉から頭を出してやった途端に小さな咳と共に泥を吐いた。
「しばらく、このままでいなさい。湯を用意させておくから」
「コイツもか」
「そう。死んだ源力を剥がすだけだから、お前達に危ないことはしないよ」
ゆっくりしておいき。そう言って一条が四ノ宮の頬に触れれば、立て続けに二度、三度と口から泥が吐き出された。
山で泥を飲んだのではない。死んでしまった自然の源力が四ノ宮の中に入り込み、この泉の力で押し出されているのだ。
死んだ源力を身体に溜め込む体質の者は、人間の中には少なからず居ると聞く。
そのほとんどは無意識に溜め込んでいってしまう者だが、今回はあまりにも死んだ源力が多すぎたのだ。
あまりにも多くの自然が一度に消えたせいで、本来源力を溜め込む質ではない四ノ宮の中に、死にゆくソレが逃げ込んでしまったのだろう。
大人しく消えていくには大きすぎる災害、だったのだ。
山崩れを消滅させた瞬間の四ノ宮は、源力を使い果たして空っぽの状態だったから、身を守る術がなかった。
もしかしたら、十二天将を喚び出すために自然の源力を吸い出してもいたのかもしれない。
そんな事をしたら、死んだ源力が……人間どもが言う怨念や呪いといった類の性質に変化してしまったソレが、入り込んでしまうというのに。
──もしも、自分がもっと近くに居たならば。
もっと早く、四ノ宮の身体に逃げ込もうとする死した源力に気付いていれば、守ってやる事は出来ただろう。
鬼や妖怪といった類の者は、源力から生まれる存在だ。
自然に発生した源力が強い力を得て、さらに信仰や伝承、伝説といった外部からの干渉を受けてぎゅうと固められて出来たものが、妖怪となる。
もしかしたらタイゴクとて、生まれたての頃にはその辺の葉っぱや木と同じような存在だったのかもしれない。
一体どうやって自分が「大嶽丸」となったのかはタイゴクも知らないが、少なくとも源力の塊であるタイゴクであれば、死んだ源力なんかに汚染される事もなかったのだ。
四ノ宮とてそれが分かっているはずなのに、どうしてタイゴクを使わなかったのか。
そんなものは簡単だ。あの大規模な災害においてタイゴクが出来る事はほとんどなかったから、だろう。
タイゴクは四ノ宮と契約をした上での自由を許されているが、その能力自体は縛られていない。
雷を喚ぼうが、大鬼に戻ろうが、四ノ宮は契約さえ果たせば一切関与しないと約束しているのだ。
だが四ノ宮は、あまりタイゴクを戦わせる事にいい顔をしない。
源力がねじ曲がって生まれる〝曲魂〟は、性質としては鬼や妖怪と同じようなものであり、遠回りすればタイゴクと同種と呼んでも間違いではないから、だろうか。
愚か者め、と、タイゴクは思う。
そんな事を言えば、〝曲魂〟は死んだ人間の魂が歪んだものでもあるのだから、四ノ宮とも同種と言える存在なのだ。
なのに、何を遠慮しているというのか。
「タイゴク」
また幾度か泥を吐いてから、四ノ宮は静かになった。
ぐったりとタイゴクに身体を預けて、それでも表情だけは先ほどよりも幾ばくか穏やかで。
タイゴクは四ノ宮の額に残った泥を拭って溶かしてやってから、ゆっくりと身体ごと背後の遙を見た。
「……ンな顔してんなよ。別に、怒ってない」
「お前に怒られても怖くはないが」
「その割には、めちゃくちゃしょげた顔してる」
黙ってタイゴクの背を眺めていたらしい遙は、用意されていたタオルを開きながら唇を尖らせた。
四ノ宮を頼むと遙と約束をしたのは、山崩れの起きる数時間前のことだ。
戯言のような嘘をついたつもりはなかった。四ノ宮に無理をさせる事も、タイゴク自身望んでは居なかったことだ。
守る、つもりだった。
いや守り切る自信はあったのだ。
それなのにこんな事になって、まったくザマぁない。
けれど、どこかプライドが邪魔をしてか、それとも一度もしたことのない行為に対する躊躇か。タイゴクは、遙に謝罪をする事が出来なかった。
悪かった。
すまない。
言葉は浮かぶのに、音として吐き出される事が出来ない。
ざぶ、と水を散らしながら泉から上がったタイゴクと四ノ宮を引き剥がす事もせずにタオルを巻き付けた遙も、望んではいないのかも。
そのせいか、どうにも腑に落ちなくて胸の奥がむしゃくしゃした。
元はと言えばタイゴクを置き去りにして一人で無茶をした四ノ宮が悪いというのに、文句を言える相手が寝ていては何も出来ない。
今はただ、死なないでくれと、そう願う事しか出来なくて、遙が差し出してきた大きなタオルで四ノ宮を包む。
肌が触れる部分は、残した。
そうでなければ、どんな名前をつけていいのかも分からない感情で叫びだしてしまいそうな、そんな気がして。
「湯が出来たそうだ。このまま湯殿に行こう」
「全裸だが」
「さっき、一条様が使ってる内廊下を使っていいって言われた。人は通らない」
「見てるのは【壁】だけか」
「そうだ。人じゃない。行こう」
下手をすればまた思考に沈みそうなタイゴクの腕を、遙が掴んで引っ張っていく。
ほんの数日の事だが、そんな短い間にこの子供に「【壁】は人間ではない」という認識が刻み込まれてしまった現実を、四ノ宮はどう受け止めるだろうか。
自然と思考が四ノ宮の事ばかりになる己に苦笑しながら、腰に巻かれたタオルが落ちないように廊下を進む。
確かに、何かが見ている気配はあるが遙以外の人間の姿はない。
四ノ宮家の当主の裸体を見る事は、時代が時代なら「目が潰れる」と言われるくらいのレベルのものだ。
きっとタイゴクたちを見ている【壁】どもも、細目遠目で見ていることだろう。
それでも、軽く苛立つのはどうしようもないが。
俺以外の者が、この男を見るな。
その感情の名を、ぐるぐると心臓の周囲を渦巻く吐き気を、なんと呼べばいいのか、タイゴクは知らない。
タイゴクが出来る事といえば、風呂に移動をしても決して四ノ宮を離さず、時折唇を重ねて源力を分ける事くらいだ。
風呂の中も、【壁】どもが見ているかもしれないという懸念はあった。
あったが、どうせ恥をかくのは四ノ宮だけだと、冷たくぐったりとした四ノ宮の舌を吸って食んで、反射で跳ねた身体を抑えながら源力を与え続けた。
「……まだ腑が冷え切っているね。これは少し、厄介かもしれない」
しかし、タイゴクが出来たのはそこまでだ。
身体が十分に温まったところで渡されていた符をクシャリと握り潰せば、着替えた一条がやってきて四ノ宮の様子を確認してそう言った。
腑──つまりは、はらわただ。
死んだ源力を受け入れてしまった身は、外側をいくら温めても肺腑までも温めてはくれない。
四ノ宮の額と首元に指先をやって熱をはかった一条は、柳眉を険しく逆立たせて立ち上がる。
「このままでは四ノ宮が死ぬ。私が、清めよう」
「……出来るのか」
「まぁね。普段隠されている身なれど、得意分野では四ノ宮に負けるつもりはないよ……ただ、お前にも少し、無理をしてもらう事になるかもしれない」
細い目を笑みの形に弓引けば、案外この男は猫のような顔になるのだなと、タイゴクはどうでもいい事を考えた。
四ノ宮の家の庭を寝床にしている猫たちは、時折やけに悟ったような、自信満々の顔をする事がある。
今を生き抜けばまた、あの黒い猫たちの姿も見る事が出来るだろうか。
タイゴクが過去を思い返しながら未来を思うのは、源力の塊として生まれ、鬼の意識を得てからは、初めてのことだった。
冷たくない。けれどあたたかくもない、ただの膜のようだ。
一歩一歩、水の中に進むたびに身体が沈んでいく。身体中を覆っていた泥も、死んだ源力も、そのたびに水に溶けては消えていった。
あんなに擦っても落ちなかった乾きかけの泥が、こんなにも簡単に溶けるとは。
やはりこの水自体が普通ではないのだと理解したタイゴクは、透けて見える泉の底に立って一度頭まで浸かった。
四ノ宮の口元は己の大きな手で覆い、間違って水を飲まないようにしてやる。
しかしほんの一瞬でも呼吸を止められた四ノ宮は、タイゴクが泉から頭を出してやった途端に小さな咳と共に泥を吐いた。
「しばらく、このままでいなさい。湯を用意させておくから」
「コイツもか」
「そう。死んだ源力を剥がすだけだから、お前達に危ないことはしないよ」
ゆっくりしておいき。そう言って一条が四ノ宮の頬に触れれば、立て続けに二度、三度と口から泥が吐き出された。
山で泥を飲んだのではない。死んでしまった自然の源力が四ノ宮の中に入り込み、この泉の力で押し出されているのだ。
死んだ源力を身体に溜め込む体質の者は、人間の中には少なからず居ると聞く。
そのほとんどは無意識に溜め込んでいってしまう者だが、今回はあまりにも死んだ源力が多すぎたのだ。
あまりにも多くの自然が一度に消えたせいで、本来源力を溜め込む質ではない四ノ宮の中に、死にゆくソレが逃げ込んでしまったのだろう。
大人しく消えていくには大きすぎる災害、だったのだ。
山崩れを消滅させた瞬間の四ノ宮は、源力を使い果たして空っぽの状態だったから、身を守る術がなかった。
もしかしたら、十二天将を喚び出すために自然の源力を吸い出してもいたのかもしれない。
そんな事をしたら、死んだ源力が……人間どもが言う怨念や呪いといった類の性質に変化してしまったソレが、入り込んでしまうというのに。
──もしも、自分がもっと近くに居たならば。
もっと早く、四ノ宮の身体に逃げ込もうとする死した源力に気付いていれば、守ってやる事は出来ただろう。
鬼や妖怪といった類の者は、源力から生まれる存在だ。
自然に発生した源力が強い力を得て、さらに信仰や伝承、伝説といった外部からの干渉を受けてぎゅうと固められて出来たものが、妖怪となる。
もしかしたらタイゴクとて、生まれたての頃にはその辺の葉っぱや木と同じような存在だったのかもしれない。
一体どうやって自分が「大嶽丸」となったのかはタイゴクも知らないが、少なくとも源力の塊であるタイゴクであれば、死んだ源力なんかに汚染される事もなかったのだ。
四ノ宮とてそれが分かっているはずなのに、どうしてタイゴクを使わなかったのか。
そんなものは簡単だ。あの大規模な災害においてタイゴクが出来る事はほとんどなかったから、だろう。
タイゴクは四ノ宮と契約をした上での自由を許されているが、その能力自体は縛られていない。
雷を喚ぼうが、大鬼に戻ろうが、四ノ宮は契約さえ果たせば一切関与しないと約束しているのだ。
だが四ノ宮は、あまりタイゴクを戦わせる事にいい顔をしない。
源力がねじ曲がって生まれる〝曲魂〟は、性質としては鬼や妖怪と同じようなものであり、遠回りすればタイゴクと同種と呼んでも間違いではないから、だろうか。
愚か者め、と、タイゴクは思う。
そんな事を言えば、〝曲魂〟は死んだ人間の魂が歪んだものでもあるのだから、四ノ宮とも同種と言える存在なのだ。
なのに、何を遠慮しているというのか。
「タイゴク」
また幾度か泥を吐いてから、四ノ宮は静かになった。
ぐったりとタイゴクに身体を預けて、それでも表情だけは先ほどよりも幾ばくか穏やかで。
タイゴクは四ノ宮の額に残った泥を拭って溶かしてやってから、ゆっくりと身体ごと背後の遙を見た。
「……ンな顔してんなよ。別に、怒ってない」
「お前に怒られても怖くはないが」
「その割には、めちゃくちゃしょげた顔してる」
黙ってタイゴクの背を眺めていたらしい遙は、用意されていたタオルを開きながら唇を尖らせた。
四ノ宮を頼むと遙と約束をしたのは、山崩れの起きる数時間前のことだ。
戯言のような嘘をついたつもりはなかった。四ノ宮に無理をさせる事も、タイゴク自身望んでは居なかったことだ。
守る、つもりだった。
いや守り切る自信はあったのだ。
それなのにこんな事になって、まったくザマぁない。
けれど、どこかプライドが邪魔をしてか、それとも一度もしたことのない行為に対する躊躇か。タイゴクは、遙に謝罪をする事が出来なかった。
悪かった。
すまない。
言葉は浮かぶのに、音として吐き出される事が出来ない。
ざぶ、と水を散らしながら泉から上がったタイゴクと四ノ宮を引き剥がす事もせずにタオルを巻き付けた遙も、望んではいないのかも。
そのせいか、どうにも腑に落ちなくて胸の奥がむしゃくしゃした。
元はと言えばタイゴクを置き去りにして一人で無茶をした四ノ宮が悪いというのに、文句を言える相手が寝ていては何も出来ない。
今はただ、死なないでくれと、そう願う事しか出来なくて、遙が差し出してきた大きなタオルで四ノ宮を包む。
肌が触れる部分は、残した。
そうでなければ、どんな名前をつけていいのかも分からない感情で叫びだしてしまいそうな、そんな気がして。
「湯が出来たそうだ。このまま湯殿に行こう」
「全裸だが」
「さっき、一条様が使ってる内廊下を使っていいって言われた。人は通らない」
「見てるのは【壁】だけか」
「そうだ。人じゃない。行こう」
下手をすればまた思考に沈みそうなタイゴクの腕を、遙が掴んで引っ張っていく。
ほんの数日の事だが、そんな短い間にこの子供に「【壁】は人間ではない」という認識が刻み込まれてしまった現実を、四ノ宮はどう受け止めるだろうか。
自然と思考が四ノ宮の事ばかりになる己に苦笑しながら、腰に巻かれたタオルが落ちないように廊下を進む。
確かに、何かが見ている気配はあるが遙以外の人間の姿はない。
四ノ宮家の当主の裸体を見る事は、時代が時代なら「目が潰れる」と言われるくらいのレベルのものだ。
きっとタイゴクたちを見ている【壁】どもも、細目遠目で見ていることだろう。
それでも、軽く苛立つのはどうしようもないが。
俺以外の者が、この男を見るな。
その感情の名を、ぐるぐると心臓の周囲を渦巻く吐き気を、なんと呼べばいいのか、タイゴクは知らない。
タイゴクが出来る事といえば、風呂に移動をしても決して四ノ宮を離さず、時折唇を重ねて源力を分ける事くらいだ。
風呂の中も、【壁】どもが見ているかもしれないという懸念はあった。
あったが、どうせ恥をかくのは四ノ宮だけだと、冷たくぐったりとした四ノ宮の舌を吸って食んで、反射で跳ねた身体を抑えながら源力を与え続けた。
「……まだ腑が冷え切っているね。これは少し、厄介かもしれない」
しかし、タイゴクが出来たのはそこまでだ。
身体が十分に温まったところで渡されていた符をクシャリと握り潰せば、着替えた一条がやってきて四ノ宮の様子を確認してそう言った。
腑──つまりは、はらわただ。
死んだ源力を受け入れてしまった身は、外側をいくら温めても肺腑までも温めてはくれない。
四ノ宮の額と首元に指先をやって熱をはかった一条は、柳眉を険しく逆立たせて立ち上がる。
「このままでは四ノ宮が死ぬ。私が、清めよう」
「……出来るのか」
「まぁね。普段隠されている身なれど、得意分野では四ノ宮に負けるつもりはないよ……ただ、お前にも少し、無理をしてもらう事になるかもしれない」
細い目を笑みの形に弓引けば、案外この男は猫のような顔になるのだなと、タイゴクはどうでもいい事を考えた。
四ノ宮の家の庭を寝床にしている猫たちは、時折やけに悟ったような、自信満々の顔をする事がある。
今を生き抜けばまた、あの黒い猫たちの姿も見る事が出来るだろうか。
タイゴクが過去を思い返しながら未来を思うのは、源力の塊として生まれ、鬼の意識を得てからは、初めてのことだった。
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