勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした

ポポリーナ

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交わる足跡

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 ナージャの紅い瞳が、三人を値踏みするように見ていた。

 通路の出口は、紫黒の瘴気に覆われた森の入口だった。枯れた木々が骨のように立ち並び、地面を這う霧が足元を隠している。風は生温く、鉄錆と硫黄が混じった重い匂いが鼻を突いた。

「勇者の仲間が三人。——しかも一人は、面白い魔力を持っている」

 ナージャの視線がリーシャに向いた。リーシャの手からはまだ碧い光が漏れ、瘴気と共鳴するように揺れている。

「あなたが、ナージャですね」リーシャが一歩前に出た。「レイドから聞いています」

「聞いている、ね。あの男は口が軽い」

「私たちはレイドに会いに来ました。魔王城に案内してください」

 ナージャの眉が跳ね上がった。

「命令されるいわれはないわ。ここは魔王領よ。人間が勝手に入ってきて——」

「お願いします」

 リーシャの声が変わった。命令でも要請でもない。純粋な懇願。

「仲間が一人で危険な場所にいるんです。放っておけません」

 ナージャが口を噤んだ。紅い瞳が、リーシャの碧い瞳と交差する。数秒の沈黙の後、ナージャは舌打ちした。

「……ついてきなさい。主が判断する」

 ナージャが背を向け、瘴気の森へ歩き出した。リーシャが続き、ガレスとミラがその後に付く。

「あの子、意外と話が通じるじゃん」ミラが小声で言った。

「油断するな」ガレスが低く返した。「あの目は、俺たちを信用してねえ」

 森の中を進むにつれ、瘴気が濃くなっていく。紫黒の霧が胸の高さまで上がり、視界が狭まる。ガレスの呼吸が荒くなった。人間の体に瘴気は毒だ。

 だがリーシャだけが、平然としていた。

 それどころか——体の調子が、良くなっている。魔力の流れが滑らかになり、感覚が研ぎ澄まされていく。瘴気の中にいるはずなのに、体が拒絶反応を起こさない。

「あなた——」ナージャが振り返った。「なぜ瘴気に侵されない」

「分かりません。ただ、私の魔力がこの瘴気と同じ根を持っているような気がするんです」

 ナージャの紅い瞳が鋭くなった。何かを考え込むような表情。だがそれ以上は何も言わず、先を急いだ。


  ◇


 森の中腹で、ミラの耳が動いた。

「後ろから追手。——通路を抜けてきた。三人以上」

 全員が足を止めた。ナージャが舌打ちする。

「あの通路を他の人間にも知られたのね」

「フェリクスの部隊だと思う」ミラが耳を澄ませた。「足音の間隔が訓練された傭兵のそれ。等間隔で、音を殺してる」

 リーシャが振り返った。瘴気の霧の向こうに、微かな足音が響いている。

「追いつかれる前に城に着けますか」

「走れば」ナージャが短く答えた。「ただし、瘴気の濃い区域を通る。人間二人は持つかしら」

 ガレスが盾を背負い直した。

「俺を舐めるなよ、お嬢ちゃん。この程度で倒れるガレス・ブロンドじゃねえ」

「おっさん、顔色悪いよ」ミラが指摘した。

「うるせえ。走るぞ」

 五人——いや、四人と一匹のような速さのミラが、瘴気の森を駆け始めた。

 木々の間を縫うように走る。枯れ枝が顔を叩き、足元の根が何度も足を引っかけようとする。ガレスの大きな体が木々に引っかかりながらも、力任せに突き進んでいく。

 リーシャは走りながら、後方に魔法の感知網を張った。追手の位置を探る。

「三人。距離は縮まっている。——でも、瘴気で速度が落ちているようです」

「当然ね。人間は瘴気に弱い。訓練された傭兵でも、この濃度では長くは走れない」

 ナージャの足取りは軽かった。魔族にとって瘴気は空気と同じだ。

 森を抜けると、視界が開けた。

 灰色の荒野の向こうに、黒い城の影がそびえている。魔王城。尖った塔が瘴気の空に突き刺さり、壁面に刻まれた紋様が淡い光を放っている。

「あれが——」

 リーシャの碧眼が見開かれた。学者の目が、城の構造を分析しようとしている。壁の紋様、塔の配置、地面から立ち昇る魔力の流れ。全てが「設計」されている。自然にできた城ではない。世界の魔力を制御するための、巨大な装置。

「リーシャの仮説通りだわ」ミラが隣で呟いた。「魔王城自体が、世界を支える装置ってこと」

「走るの? 止まるの?」ナージャが苛立たしげに振り返った。

 リーシャは学者の目を引っ込め、走り出した。

 城門に辿り着いた時、ガレスが膝に手をついて荒い息をしていた。瘴気で肺が焼けるような感覚だろう。ミラが背中をさすっている。

「おっさん、大丈夫?」

「平気だ……。ちょっと、息が——」

「ここから先は城の結界内。瘴気は薄くなる」ナージャが城門を開けた。「入りなさい」

 城の中に入ると、空気が変わった。瘴気が急速に薄れ、代わりに冷たく清浄な空気が流れ込んでくる。ガレスの呼吸が楽になった。

「レイドはどこですか」リーシャが問うた。

「玉座の間。主と話している」

 ナージャが先導し、長い回廊を歩く。壁に灯る青白い松明が、四人の影を石壁に映している。

 回廊を曲がった先に、重い扉があった。ナージャが手を触れると、右手の紋章が光り、扉が軋みながら開く。

 玉座の間。

 青白い松明の光。足元に脈動する魔法陣。そして——

 レイドが振り返った。

 灰色の瞳が、碧い瞳と交差した。

「リーシャ——」

 レイドの声が掠れた。驚きと、安堵と、そして罪悪感が入り混じった声。

「なぜ、ここに——」

 リーシャは足早に歩み寄り、レイドの前に立った。碧眼が蝋燭のように揺れている。

 そして——

 手を振り上げた。

 乾いた音が、玉座の間に響いた。

 レイドの頬が赤くなった。ガレスが目を見開き、ミラが口をぽかんと開けた。ナージャですら、一瞬だけ驚いた顔をした。

「一人で背負うのは、優しさじゃありません」

 リーシャの声は震えていたが、瞳は揺るがなかった。

「傲慢です」

 レイドは何も言えなかった。頬の痛みよりも、リーシャの言葉が胸を打った。

「あなたは全部一人でやろうとする。仲間に嘘をつき、危険に飛び込み、誰にも助けを求めない。——それで世界を救えると思っているなら、馬鹿です」

 碧い瞳から涙が溢れた。だがリーシャは拭おうとしなかった。

「私たちは、あなたの仲間です。使い捨ての駒じゃない。——頼ってください」

 ガレスが一歩前に出た。レイドの肩を掴む。

「俺も同じ気持ちだぜ、リーダー。——次に一人で消えたら、殴る」

「あたしも蹴る」ミラが付け加えた。

 レイドの視界が滲んだ。唇を噛み、天井を仰ぐ。魔法陣の青い光が涙に反射して、星のように散った。

「……すまない」

「謝るんじゃなくて、約束してください」

「……分かった。もう一人で行かない」

 リーシャが頷いた。涙を袖で拭い、背筋を伸ばした。

 そしてその碧い瞳が、玉座に座る存在を見た。

 魔王ヴェルディア。

 漆黒の髪。蒼白い肌。紅い瞳。

 ヴェルディアもまた、リーシャを見ていた。その瞳が僅かに見開かれている。

「……お前の中に、古い力の残滓がある」

 ヴェルディアの声が、静かに響いた。

「守り手の血筋。——かつて柱に仕え、柱を補助した一族の末裔」

 リーシャが息を呑んだ。

「私の、血筋が——?」

「お前の魔力が瘴気と共鳴した理由だ。お前の中には、柱と繋がる力が眠っている」

 玉座の間に、新しい沈黙が降りた。リーシャの碧眼が揺れている。学者の知性と、未知への畏怖が交錯する目。

 その時、ナージャが急足で玉座の間に駆け込んできた。

「主。緊急報告です」

 ナージャの声に、普段の冷淡さがなかった。代わりにあるのは、切迫した緊張。

「結界の外に勢力が集結しています。人間の軍勢——」

 ナージャの紅い瞳が、苦々しく光った。

「勇者の旗印が、二つ」

 玉座の間の空気が凍りついた。

 アルヴィンと、ジーク。二つの勇者パーティーが、魔王領に迫っていた。
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