勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした

ポポリーナ

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北嶺への道——分かたれた手

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 翌朝、リーシャが先に発った。

 宿場町の東門で、銀髪が朝日を受けて白く光った。旅装に身を包み、学院の身分証を胸ポケットに収め、肩には調査器具を詰めた鞄。学者の顔だった。

「王都に着いたら、すぐに学院の古文書庫に入ります。守り手の力の覚醒条件と、五大聖堂の地下構造について調べます」

「気をつけろ。マルティウスの耳に入れば——」

「分かっています」

 リーシャの碧眼がレイドを見据えた。真っ直ぐで、揺るがない目。魔王城で泣きながら叱責した時の激しさは消え、静かな覚悟だけが残っている。

「レイド。一つだけ」

「何だ」

「カイルを助けたら、すぐに連絡してください。鴉でいい。——あなたが無事かどうか、知りたいから」

 レイドは頷いた。余計な言葉は要らなかった。

 リーシャが背を向け、東門をくぐった。銀髪が人混みに紛れていく。レイドはその姿が見えなくなるまで立っていた。

「行こうぜ、リーダー」

 ガレスが背後から声をかけた。大盾を背負い、旅支度を整えた大男が、朝の光の中に仁王立ちしている。

「北嶺まで、馬を飛ばしても三日はかかる。カイルの奴、持つかね」

「持たせる」

 レイドは踵を返した。宿場町の西門から出る。北嶺は北西の方角だ。街道を辿り、途中から山岳路に入る。

 ミラが猫のように音もなく合流した。どこにいたのか分からない。褐色の肌に朝露が光っている。

「馬三頭、手配したよ。裏の厩舎から。——正規の馬借だと聖教会に足がつくから、知り合いに頼んだ」

「助かる」

「あと、ジークに伝言送っといた。聖教会の動きを探ってくれって」

「早いな」

「こういうのは速度が命っしょ」

 ミラが唇の端を上げた。軽い口調。だが猫目の奥に、鋭い光が宿っている。魔王城での独断の判断以来、ミラの目は変わった。覚悟を決めた者の目だ。

 三人は宿場町の裏手に回った。路地の奥、石壁に囲まれた小さな厩舎に三頭の馬が繋がれていた。黒毛、栗毛、葦毛。どれも足の速そうな牡馬だ。藁の匂いと獣の体温が、朝の冷気の中で湯気のように立ち上っている。

「出発前に確認しておきたい」

 レイドが馬に鞍を載せながら言った。

「ガレス。お前にはカイルたちの救出で前衛を頼む。魔物は一周目より凶暴化している可能性がある」

「任せろ。盾で止める。お前が後ろから叩け」

「ミラ。索敵と退路の確保。北嶺の地形は複雑だ。追い詰められたら詰む」

「了解。弓と脚には自信あるし。退路は三本確保するよ」

 レイドは鐙に足をかけ、馬に跨った。手綱を握る右手に力を込める。

 振り返ると、宿場町の屋根の向こうに朝陽が昇り始めていた。東の方角。リーシャが向かった方向。あの銀髪は今、どこまで行っただろうか。

 ——信じろ。仲間を。

 ヴェルディアの言葉が蘇った。三千年を孤独に生きた魔王が、レイドに教えてくれたこと。

「行くぞ」

 馬の腹を蹴った。三頭が一斉に駆け出し、宿場町の西門をくぐった。


  ◇


 三頭の馬を駆り、街道を北西へ走った。

 秋の風が冷たい。街道沿いの農村を抜けるたびに、世界の異変が目に飛び込んでくる。枯れた畑。萎れた果樹。井戸水が濁った村。一周目では、この時期にはまだここまで酷くなかった。ヴェルディアの衰弱が、前の世界より速く進んでいる。

「なあ、リーダー」

 馬を並べて走りながら、ガレスが声を上げた。風が言葉を千切るから、声を張らなければ聞こえない。

「カイルの奴はどんな状況だ。伝書には壊滅寸前って書いてあったが」

「一周目でも北嶺で魔物の暴走が起きた。あの時は——カイルのパーティーは半壊した。何人か死んだ」

 ガレスの顔が引き締まった。馬の手綱を握る太い指に力が入る。

「今回は間に合うのか」

「間に合わせる」

 レイドの左手が疼いた。ヴェルディアの紋様が、微かに脈動している。魔王城から離れるほど、紋様の反応は弱くなるはずだった。だが今は逆だ。距離に関係なく、紋様が断続的に熱を持つ。

 ヴェルディアの衰弱が、さらに進んでいる。

「レイド。左手」

 ミラが馬上から鋭く指摘した。

「光ってるよ。袖から漏れてる」

 レイドは慌てて袖を引き下ろした。紋様の青白い光が、薄い布越しに滲んでいる。

「……体への影響は」

「分からない。痛みはある。だが動ける」

「無理すんなよ」ガレスが眉を寄せた。「お前が倒れたら、全部終わりだ」

「分かってる」

 分かっている。だが止まれない。カイルが死ねば、一周目と同じだ。北嶺の壊滅は、世界崩壊の序章だった。勇者パーティーが一つ消えるたびに、人々の希望が削られ、恐怖が広がり、秩序が崩れていく。

 馬を駆った。風が頬を叩き、視界の端を景色が流れていく。


  ◇


 二日目の夕暮れ、山岳路の入口に着いた。

 北嶺の峰々が夕陽に染まっている。赤と紫と灰色が混ざり合い、雲の切れ間から差す光が岩肌を照らしている。壮大な景色だ。だがその美しさの裏に、レイドは異変を感じ取っていた。

 大気中の魔力が、揺らいでいる。

「ねえ」ミラが馬を降り、地面に手を当てた。「この振動——」

 ガレスも降りた。大盾を地面に立てると、盾が微かに震えている。

「地震か?」

「違う」レイドが首を振った。「地脈の乱れだ。魔物が集まっている時に起きる現象だ」

「——知ってるのか」

「一周目で経験した」

 山岳路の入口に、焦げた跡があった。魔法の痕跡。戦闘があった証拠だ。岩の表面が炭化し、地面には深い溝が刻まれている。大型の魔物が暴れた跡だ。

 ミラが周囲を見回した。猫目が暗くなる森の中を走査している。

「足跡がある。人間の。——複数。三日以上前のもの。北に向かってる」

「カイルたちの撤退痕だろう」

「追跡できる?」

「余裕。ただし——」

 ミラの表情が曇った。

「足跡に混じって、大きな爪痕がある。追ってる。魔物が、カイルたちを追ってる」

 レイドの背筋を冷たいものが走った。一周目では、ここで撤退したカイルたちを魔物の群れが執拗に追跡した。制御を失った魔物は、通常の行動パターンを逸脱する。獲物を見つければ、どこまでも追い続ける。

「急ぐぞ。馬はここに繋いでいく。山道は馬では走れない」

 三人は馬を降り、武装を確認した。レイドが剣を確認し、ガレスが大盾を背負い直し、ミラが弓の弦を張った。

 山岳路に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

 冷たく、重い。魔力の残滓が霧のように立ち込め、肌に纏わりつく。ヴェルディアの制御が及ばなくなった魔力が、大気中に漏れ出している。

 ガレスが鼻を鳴らした。

「嫌な匂いだな。血と——灰の匂いがする」

「先に進む。足を止めるな」

 三人は山道を駆け上がった。暮れていく空の下、北嶺の闇が彼らを飲み込んでいく。

 岩場を越え、倒木を跨ぎ、獣道をなぞるように進む。ミラが先行し、足跡と爪痕を追っている。時折立ち止まり、半エルフの長い耳を風に向ける。

「上。——二百歩先の崖の下。何かいる」

「魔物か」

「分からない。でも、人の声も混じってる。弱い声」

 ガレスが大盾を前に構えた。金属の板が腕の中で軋む。

「行くぞ」

 三人は足音を殺して崖沿いの道を登った。風が唸り、砂利が靴の下で音を立てる。月が厚い雲の陰に隠れ、周囲が暗くなった。

 崖の縁から見下ろすと——そこにいた。

 カイルが。

 岩陰に背中を預け、折れた剣を膝に置いて座っている。鎧は半壊し、顔は血と泥にまみれ、右腕が不自然な角度で垂れ下がっていた。その周囲に、三人の仲間らしき姿が横たわっている。動いているのは、一人だけ。

 そしてその前方——暗闇の中に、赤い目が光っていた。三つ。六つ。十を超えている。

 魔物の群れが、獲物を囲んでいた。

 レイドの左手が、強く脈動した。

 ——カイル。生きていろ。

 一周目では間に合わなかった。二周目で、同じ失敗は許されない。

 レイドは剣を抜いた。ガレスが大盾を構え、ミラが弓に矢をつがえた。

 崖下から、カイルの掠れた声が聞こえた。

「来るな……もう——」

 その声を遮るように、山道の先から——魔物の咆哮が響き渡った。
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