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隠された道
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嵐の夜。北嶺の山腹にある岩窟で、レイド・リーシャ・ガレスの三人はカイルと合流した。
カイルは雨に濡れた体を洞窟の奥に寄せ、弓を傍らに立てかけた。
「レイド。久しぶりだな——って言いたいが、十日ぶりか」
「すまん、またお前を巻き込む」
「借りがあると言っただろう。——で、カルディナ聖堂への裏道か」
カイルが地面に棒で略図を描いた。
「正規の山道は二つある。東の街道と、北嶺を越える峠道。どっちも聖教会に押さえられているはずだ。だが——三つ目の道がある」
「三つ目?」
「鍾乳洞だ。北嶺の地下を貫く洞窟がある。昔、山の民が冬季の移動に使っていた。入口は岩場に隠されていて、知っている者はほとんどいない。俺は子供の頃、爺さんに連れられて通ったことがある」
カイルの棒が地面に線を引いた。岩窟から北西に向かう線。途中で地下に潜り、山の内部を通ってカルディナの谷に出る。
「距離は地上の半分。だが危険もある。洞窟の中は暗く、所々で崩落している。それに——地下の魔物がいる」
「地下の魔物?」
「岩蜘蛛。洞窟に棲む魔物だ。暴走は収まっているが、元々攻撃的な種だ。巣に入れば襲ってくる」
ガレスが大盾を叩いた。
「蜘蛛なら潰せる。地下で盾を構えるのは得意だぜ」
「頼もしいな」カイルが笑った。「出発はいつだ」
「嵐が収まったらすぐに」レイドが答えた。「マルティウスの猶予は三日だが、もう一日半を消費した。残り一日半で三つ目の残滓を確保しなければならない」
「厳しい日程だな」
「厳しくても、やるしかない」
嵐の風が洞窟の入口で唸っている。雨が吹き込み、松明の炎を揺らす。四人は火を囲み、短い休息を取った。
リーシャが地脈を感じ取っている。覚醒した守り手の目に映る世界は、以前とは全く違う。大地の下を流れる魔力の川。その流れの緩急。淀み。そして——損傷。
「地脈の損傷が、この辺りに集中しています」
「北嶺は柱の密集地帯だったからか」
「はい。五つの柱のうち二つがこの山脈にあった。アイゼンとカルディナ。両方の柱が砕かれたことで、地脈に大きな裂け目ができている。魔物の暴走が北嶺で特にひどかったのは、そのためです」
「三つ目の残滓を取り込めば——」
「この裂け目を繕えます。完全ではなくとも。地脈が安定すれば、北嶺の魔物も落ち着くでしょう」
カイルが目を見開いた。
「つまり——リーシャがやろうとしていることは、北嶺を救うことにもなるのか」
「世界全体を救うことです」リーシャが静かに答えた。「ですが——北嶺もその一部です」
カイルの目に決意の光が灯った。この山で生まれ、この山で育った男にとって、北嶺を救うという言葉は何よりも重い。
「必ず案内する。カルディナの地下まで」
嵐は夜半に収まった。雲の切れ間から星が覗き、北嶺の稜線を銀色に照らしている。
四人は洞窟を出た。カイルが先頭に立ち、岩場を縫うように進む。暗い中でも迷わない。体が覚えている道。
一時間ほど歩くと、岩壁に小さな裂け目が見えた。人一人がようやく通れる幅。カイルが松明を掲げて中を覗く。
「ここだ。入口は狭いが、中は広くなる」
四人は一列になって裂け目に入った。岩の壁が体を擦り、冷たい空気が肺を刺す。数十歩進むと——空間が広がった。
鍾乳洞の天井が高く、石柱が林のように立っている。水滴が落ちる音が反響し、壁面に鉱物の光が微かに煌めいている。美しい光景だが、松明の光が届かない暗闇の奥に——何かの気配がある。
「リーシャ。感じるか」
「はい。岩蜘蛛の巣が——前方二百歩ほど。十体以上。大きい」
「迂回できるか」
「この洞窟には分岐がありますが——」カイルが首を振った。「蜘蛛の巣を避けると、半日以上余計にかかる」
「時間がない。突破する」
レイドが剣を抜いた。ガレスが大盾を構え、カイルが弓に矢を番える。リーシャの掌に銀色の光が灯った。
「行くぞ」
四人は暗闇の奥に向かって歩き出した。水滴の音だけが、鍾乳洞に響いていた。
そして——闇の奥から、無数の脚が石を掻く音が、近づいてきた。
◇
同じ夜。王都。
ミラは路地裏を走っていた。
浄罪の目の見張りが増えている。アルヴィンの帰還で聖教会は警戒態勢に入り、王都の裏社会にも監視の手が伸びていた。
だがミラの足取りは軽い。影から影へ。屋根から屋根へ。この街の裏道は、彼女の庭だ。
ジークの密使と合流したのは、川沿いの倉庫だった。フード付きのマントを被った男が壁にもたれている。
「ジーク様からの伝言です」男が小さな筒を差し出した。「そして——もう一つ、口頭で」
「聞くよ」
「マルティウスが禁術の準備をしています。守り手の力を奪う古代の術式。三日以内に完成する見通しです」
ミラの猫目が鋭くなった。
「禁術? 守り手の力を奪う?」
「千年前の記録から復元しているようです。浄罪の目の精鋭が大聖堂の地下に集められ、術式の触媒となる聖遺物を準備しています」
「レイドに伝えないと」
「伝書は既にジーク様が手配済みです。ですが——ミラ殿に別の任務があります」
「何」
「大聖堂の地下に潜入し、禁術の準備状況を確認すること。可能であれば——妨害を」
ミラは口笛を吹いた。
「大聖堂の地下に潜れって? 前にリーダーとリーシャが入った時は大騒ぎになったんだけど」
「今回は別ルートがあります。ジーク様のフェリクス経由の情報です。大聖堂の東翼に——修繕工事用の足場が組まれています。そこから屋根裏に入り、内部の隠し通路を使えば地下に到達できます」
ミラは筒を受け取り、中の地図を広げた。大聖堂の構造図。東翼の足場。屋根裏の通路。地下への階段。
「面白い。——やるよ」
「お気をつけて。失敗すれば——」
「失敗しない。あたしを誰だと思ってるの」
ミラは夜の闇に溶けて消えた。大聖堂に向かって。マルティウスの禁術を止めるために。
猫は夜に強い。闇の中でこそ、最も鋭い爪を見せる。
王都の夜は深い。だがその深さの中に——光を携えた者たちがいる。それぞれの場所で、それぞれの戦いを。
嵐は去った。だが本当の嵐は——これから来る。
王都の屋根の上を、小さな影が駆けていく。月明かりが瓦を白く照らし、大聖堂の尖塔が夜空に突き刺さっている。ミラはその尖塔を見据え、足を速めた。三日。あと三日で全てが決まる。ならば——その三日を、自分の手で変えてみせる。
カイルは雨に濡れた体を洞窟の奥に寄せ、弓を傍らに立てかけた。
「レイド。久しぶりだな——って言いたいが、十日ぶりか」
「すまん、またお前を巻き込む」
「借りがあると言っただろう。——で、カルディナ聖堂への裏道か」
カイルが地面に棒で略図を描いた。
「正規の山道は二つある。東の街道と、北嶺を越える峠道。どっちも聖教会に押さえられているはずだ。だが——三つ目の道がある」
「三つ目?」
「鍾乳洞だ。北嶺の地下を貫く洞窟がある。昔、山の民が冬季の移動に使っていた。入口は岩場に隠されていて、知っている者はほとんどいない。俺は子供の頃、爺さんに連れられて通ったことがある」
カイルの棒が地面に線を引いた。岩窟から北西に向かう線。途中で地下に潜り、山の内部を通ってカルディナの谷に出る。
「距離は地上の半分。だが危険もある。洞窟の中は暗く、所々で崩落している。それに——地下の魔物がいる」
「地下の魔物?」
「岩蜘蛛。洞窟に棲む魔物だ。暴走は収まっているが、元々攻撃的な種だ。巣に入れば襲ってくる」
ガレスが大盾を叩いた。
「蜘蛛なら潰せる。地下で盾を構えるのは得意だぜ」
「頼もしいな」カイルが笑った。「出発はいつだ」
「嵐が収まったらすぐに」レイドが答えた。「マルティウスの猶予は三日だが、もう一日半を消費した。残り一日半で三つ目の残滓を確保しなければならない」
「厳しい日程だな」
「厳しくても、やるしかない」
嵐の風が洞窟の入口で唸っている。雨が吹き込み、松明の炎を揺らす。四人は火を囲み、短い休息を取った。
リーシャが地脈を感じ取っている。覚醒した守り手の目に映る世界は、以前とは全く違う。大地の下を流れる魔力の川。その流れの緩急。淀み。そして——損傷。
「地脈の損傷が、この辺りに集中しています」
「北嶺は柱の密集地帯だったからか」
「はい。五つの柱のうち二つがこの山脈にあった。アイゼンとカルディナ。両方の柱が砕かれたことで、地脈に大きな裂け目ができている。魔物の暴走が北嶺で特にひどかったのは、そのためです」
「三つ目の残滓を取り込めば——」
「この裂け目を繕えます。完全ではなくとも。地脈が安定すれば、北嶺の魔物も落ち着くでしょう」
カイルが目を見開いた。
「つまり——リーシャがやろうとしていることは、北嶺を救うことにもなるのか」
「世界全体を救うことです」リーシャが静かに答えた。「ですが——北嶺もその一部です」
カイルの目に決意の光が灯った。この山で生まれ、この山で育った男にとって、北嶺を救うという言葉は何よりも重い。
「必ず案内する。カルディナの地下まで」
嵐は夜半に収まった。雲の切れ間から星が覗き、北嶺の稜線を銀色に照らしている。
四人は洞窟を出た。カイルが先頭に立ち、岩場を縫うように進む。暗い中でも迷わない。体が覚えている道。
一時間ほど歩くと、岩壁に小さな裂け目が見えた。人一人がようやく通れる幅。カイルが松明を掲げて中を覗く。
「ここだ。入口は狭いが、中は広くなる」
四人は一列になって裂け目に入った。岩の壁が体を擦り、冷たい空気が肺を刺す。数十歩進むと——空間が広がった。
鍾乳洞の天井が高く、石柱が林のように立っている。水滴が落ちる音が反響し、壁面に鉱物の光が微かに煌めいている。美しい光景だが、松明の光が届かない暗闇の奥に——何かの気配がある。
「リーシャ。感じるか」
「はい。岩蜘蛛の巣が——前方二百歩ほど。十体以上。大きい」
「迂回できるか」
「この洞窟には分岐がありますが——」カイルが首を振った。「蜘蛛の巣を避けると、半日以上余計にかかる」
「時間がない。突破する」
レイドが剣を抜いた。ガレスが大盾を構え、カイルが弓に矢を番える。リーシャの掌に銀色の光が灯った。
「行くぞ」
四人は暗闇の奥に向かって歩き出した。水滴の音だけが、鍾乳洞に響いていた。
そして——闇の奥から、無数の脚が石を掻く音が、近づいてきた。
◇
同じ夜。王都。
ミラは路地裏を走っていた。
浄罪の目の見張りが増えている。アルヴィンの帰還で聖教会は警戒態勢に入り、王都の裏社会にも監視の手が伸びていた。
だがミラの足取りは軽い。影から影へ。屋根から屋根へ。この街の裏道は、彼女の庭だ。
ジークの密使と合流したのは、川沿いの倉庫だった。フード付きのマントを被った男が壁にもたれている。
「ジーク様からの伝言です」男が小さな筒を差し出した。「そして——もう一つ、口頭で」
「聞くよ」
「マルティウスが禁術の準備をしています。守り手の力を奪う古代の術式。三日以内に完成する見通しです」
ミラの猫目が鋭くなった。
「禁術? 守り手の力を奪う?」
「千年前の記録から復元しているようです。浄罪の目の精鋭が大聖堂の地下に集められ、術式の触媒となる聖遺物を準備しています」
「レイドに伝えないと」
「伝書は既にジーク様が手配済みです。ですが——ミラ殿に別の任務があります」
「何」
「大聖堂の地下に潜入し、禁術の準備状況を確認すること。可能であれば——妨害を」
ミラは口笛を吹いた。
「大聖堂の地下に潜れって? 前にリーダーとリーシャが入った時は大騒ぎになったんだけど」
「今回は別ルートがあります。ジーク様のフェリクス経由の情報です。大聖堂の東翼に——修繕工事用の足場が組まれています。そこから屋根裏に入り、内部の隠し通路を使えば地下に到達できます」
ミラは筒を受け取り、中の地図を広げた。大聖堂の構造図。東翼の足場。屋根裏の通路。地下への階段。
「面白い。——やるよ」
「お気をつけて。失敗すれば——」
「失敗しない。あたしを誰だと思ってるの」
ミラは夜の闇に溶けて消えた。大聖堂に向かって。マルティウスの禁術を止めるために。
猫は夜に強い。闇の中でこそ、最も鋭い爪を見せる。
王都の夜は深い。だがその深さの中に——光を携えた者たちがいる。それぞれの場所で、それぞれの戦いを。
嵐は去った。だが本当の嵐は——これから来る。
王都の屋根の上を、小さな影が駆けていく。月明かりが瓦を白く照らし、大聖堂の尖塔が夜空に突き刺さっている。ミラはその尖塔を見据え、足を速めた。三日。あと三日で全てが決まる。ならば——その三日を、自分の手で変えてみせる。
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