勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした

ポポリーナ

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鍾乳洞の死闘

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 岩蜘蛛は巨大だった。

 体長は人の胴ほど。灰色の甲殻が鍾乳石と同じ色をしており、暗闇の中では岩と見分けがつかない。八本の脚が石壁を自在に這い、顎から透明な粘液が糸のように垂れている。

 一体ならば脅威ではない。だが——十五体が、天井と壁面に張り付いて三人を取り囲んでいた。

「多いな」ガレスが大盾を構えた。

「予想通りです」カイルが弓を引き絞った。「岩蜘蛛は群れで巣を守る。ここが巣の入口だ」

 最初の一体が天井から落ちてきた。ガレスの盾が受け止め、鈍い衝撃音が鍾乳洞に反響する。甲殻が盾にぶつかり、火花が散った。

「重い!」

 ガレスが盾で弾き返した。岩蜘蛛が壁に叩きつけられ、甲殻に罅が入る。だがすぐに体勢を立て直し、再び跳びかかってきた。

 レイドの剣が横薙ぎに走り、岩蜘蛛の脚を二本斬り落とした。バランスを崩した蜘蛛に、カイルの矢が正確に頭部の関節を貫いた。一体目が倒れた。

 だが残りの十四体が一斉に動いた。天井から、壁から、床の隙間から。四方八方から岩蜘蛛が殺到する。

「円陣!」レイドが叫んだ。

 四人が背中合わせに立った。ガレスが前方の盾壁。レイドが左右の剣。カイルが弓で遠距離。そしてリーシャが——

「守りは任せてください」

 銀色の光が四人を包んだ。守り手の防壁。岩蜘蛛の糸が防壁に触れて弾かれ、粘液が光の膜の上を滑り落ちた。

「リーシャ! 防壁を維持しながら戦えるのか」

「長くは持ちません。一分——いいえ、二分が限界です」

「十分だ。二分で十四体を片づける」

 レイドが防壁の外に飛び出した。剣が弧を描き、二体目の岩蜘蛛を斬り伏せる。三体目が横から飛びかかり、レイドは身を低くして潜り抜けた。背後でカイルの矢が蜘蛛の腹を貫く。

 ガレスの盾が壁になり、前方からの攻撃を全て受け止めた。大盾の裏側で剣を握り、盾の隙間から突きを繰り出す。狭い洞窟でこそ、盾使いの真価が発揮される。通路を完全に塞ぎ、敵を一方向からしか来させない。

「六体倒した! 残り八!」

 カイルの矢が次々と放たれた。暗闇の中でも正確に急所を射抜く。北嶺の猟師は、闇の中の獲物を追うことに長けている。

 だが岩蜘蛛も学習していた。矢を避けるように甲殻を向け、盾の隙間を狙って突進してくる。一体がガレスの足元に潜り込み、脚に噛みついた。

「ぐっ——」

 ガレスの脚から血が噴いた。先ほどリーシャが治癒した傷が、再び開いた。

「ガレス!」

「平気だ! この程度——」

 ガレスが歯を食いしばり、足元の蜘蛛を踏み潰した。大盾ごと体重をかけ、甲殻を砕く。

 レイドは残る蜘蛛に向かって跳んだ。一体、二体と斬り伏せる。剣技は一周目で磨き上げたものだ。魔物の動きのパターンが見える。予測できる。

 左手の紋様が熱を持った。力を貸そうとしている。ヴェルディアの魔力が、剣に流れ込もうとしている。

 ——使うな。約束した。

 レイドは右手だけで剣を振るった。左手を握りしめ、紋様の力を押さえ込む。

 最後の一体をカイルの矢が仕留めた。矢が岩蜘蛛の頭部を貫き、灰色の体が崩れ落ちた。

 静寂が戻った。鍾乳洞に水滴の音だけが響いている。

「全滅」カイルが息を吐いた。「——いいチームだな」

「ああ」レイドが汗を拭った。「ガレス、脚は」

「二回目だ。——リーシャ、また頼む」

 リーシャが防壁を解除し、ガレスの傷に手を当てた。銀色の光が流れ込み、出血が止まる。

「ガレスさん。無理をしないでください。治癒にも限界があります」

「悪い悪い。——でも止まるわけにはいかねえだろ」

 ガレスの笑顔に、リーシャは溜息をついた。

 四人は蜘蛛の巣を越え、鍾乳洞の奥に進んだ。カイルが先導し、狭い通路を抜け、広い空間を横切り、地下の川を渡った。

 やがて——前方に光が見えた。

「出口だ」カイルが指さした。「ここを抜ければ——カルディナの谷だ」

 光に向かって歩いた。洞窟の出口から、冷たい山の空気が吹き込んでくる。

 出口に立った時——眼下にカルディナの谷が広がっていた。緑の少ない、荒れた谷。だがその中央に、石造りの聖堂が見える。カルディナ聖堂。三つ目の柱の残滓が眠る場所。

「着いた」レイドが呟いた。「だが——」

 聖堂の周囲に、白い点が見えた。聖騎士の鎧。少なくとも二十人が聖堂を包囲している。

「先を越されたか」ガレスが唸った。

「だが裏口がある」カイルが谷の東側を指した。「聖堂の建設時に使われた石切り場の坑道が、聖堂の地下に繋がっている。入口は谷の東の崖にある。聖騎士は知らないはずだ」

 レイドは頷いた。

「夜を待つ。暗くなってから——谷を渡る」

 四人は洞窟の出口に身を潜め、日が落ちるのを待った。カルディナ聖堂が夕陽に赤く染まり、やがて闇に沈んでいく。

 三つ目の柱。手を伸ばせば届く距離に——ある。


  ◇


 魔王城。

 ヴェルディアは玉座で目を開けた。

 二つ目の残滓が守り手に取り込まれたことを、体が感じ取っていた。左肩にかかっていた重みが——少しだけ、軽くなった。千年間、一人で背負い続けた世界の重さ。その一部が、他の誰かに分かち合われた。

「……二つ目」

 ヴェルディアの紅い瞳が、遠くを見つめた。蒼白な肌。少女の姿をした、三千年の存在。玉座の周りに漂う青い光が、微かに——微かに明るくなっている。

 ナージャが玉座の傍に立っていた。

「ヴェルディア様。お体の具合は」

「少し楽になった。——ナージャ。あの人間たち、まだ生きているようだな」

「しぶといですね。聖教会に追われながら柱を回っているようです」

「しぶとい……か。そうだな。レイドという男は——しぶとい」

 ヴェルディアの唇に、微かな笑みが浮かんだ。三千年で初めて見せた種類の表情だった。

「ヴェルディア様?」

「何でもない。——ただ、少しだけ——」

 期待している。その言葉は、口にはしなかった。三千年の孤独を生きた存在は、期待することを忘れていた。だが今——胸の奥に、微かな温もりがある。

 守り手が目覚めている。世界を支える新しい力が、芽吹いている。

 あと二つ。あと二つの残滓が守り手に渡れば——ヴェルディアは、初めて休むことができる。完全にではないが。少しだけ。千年ぶりに——眠ることができるかもしれない。

「ナージャ」

「はい」

「結界を少し薄くする。魔力を節約して——あの者たちが柱を回る時間を稼ぐ」

「結界を薄く? それは——」

「危険だ。だが今は、守り手の覚醒を優先する。聖教会の軍勢が来ても——私はまだ戦える。少しの間なら」

 ナージャの眉が寄った。主の判断に従うべきか、諫めるべきか。だが——ヴェルディアの目に宿った光を見て、ナージャは口を閉じた。

「分かりました。——お傍にいます。いつでも」

「ああ。頼む」

 魔王城の窓から、荒野が見える。結界の光が一段薄くなった。世界を支える力が、形を変えつつある。一人の肩から——多くの肩へ。

 三千年の孤独が、終わりに近づいている。——かもしれない。
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