勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした

ポポリーナ

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老兵の覚悟

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 リーシャが目を覚ましたのは、二日後の朝だった。

 宿の部屋に朝日が差し込んでいた。海風がカーテンを揺らし、港の喧騒が遠くから聞こえる。リーシャが碧眼を開いた時、ガレスが椅子に座って盾を磨いていた。

「起きたか」

「ガレスさん——何日」

「二日だ。お前は——ぶっ倒れて二日間寝てた。レイドが心配しすぎて三回も様子を見に来た」

「二日——通路は。結晶球は」

「落ち着け。ヴェルディアとレイドが昨日、海底に行った。通路の壁を補修して、結晶球の状態を確認してきた。青い領域は——維持できている」

 リーシャが体を起こそうとして——よろめいた。ガレスが手を伸ばして支えた。

「まだ無理すんな。体が回復してねえ」

「でも——」

「今日は休め。レイドとヴェルディアが——何とかしようとしてる。お前の仕事は——回復することだ」

 リーシャが唇を噛んだ。碧眼が揺れ、拳が毛布を掴んだ。だがガレスの手の力強さに——抗えなかった。枕に頭を戻した。

「ガレスさん。一つ——聞いてもいいですか」

「何だ」

「怖くないですか。あの海底で——イルヴァーンの声を聞いて。私は——正直、怖い」

 ガレスが盾を磨く手を止めた。赤毛の短い髪を掻き、窓の外の海を見た。

「怖いさ。あんな声を聞いたのは初めてだ。深淵の王だの、三千年の封印だの——俺の理解の外にある。盾で受け止められる相手じゃねえ」

「でも——逃げないんですね」

「逃げる理由がねえからな。お前やレイドやヴェルディアが——命を懸けて封印を直している。俺は——その間、天井が落ちないように盾を構えるだけだ。それが俺の仕事だ」

「それだけじゃ——」

「それだけでいい。俺には魔力はねえ。封印の仕組みも分からねえ。だが——仲間を守ることはできる。それが——俺の全部だ。それ以上のものは要らない」

 リーシャの碧眼が——潤んだ。ガレスが照れたように盾に目を戻した。

「泣くな。まだ泣く場面じゃねえ。——スープが冷める前に飲め。海の魚のスープだ。美味いぞ」


  ◇


 同じ頃、レイドとヴェルディアは再び海底の広間にいた。

 今回は二人だけだ。ジークと傭兵が通路を守り、ガレスはリーシャの護衛で宿に残った。フェリクスは通路の途中で計測を続けている。

 結晶球の青い領域は——七割六分で維持されていた。赤い脈動が残り二割四分。だが赤い光は前より濃くなっている。密度を増し、最後の抵抗をしているかのようだ。

「リーシャなしで——修復を進められるか」レイドが聞いた。

「進められない。私の知識とレイドの魔力では——結晶球の修復は不可能だ。守り手の力がなければ、封印の構造に干渉できない」

「では——通路の補修だけか」

「ああ。今日は通路の壁面を本格的に修復する。リーシャが戻ってくるまで——この通路を維持しなければならない」

 二人で通路に戻り、壁面の亀裂を一つずつ塞いだ。ヴェルディアが構造を分析し、レイドが魔力を注入する。三千年前の封印技術の断片。ヴェルディアの知識がなければ、どこを修復すべきかすら分からない。

 三時間かけて、最も危険な亀裂五箇所を修復した。壁面に新しい紋様が刻まれ、防水封印が施された。

「これで——あと十日は持つ」ヴェルディアが壁面に手を当てて確認した。

「十日あれば——リーシャが回復する」

「ああ。だが——」

 ヴェルディアが通路の奥——広間の方角を見た。

「結晶球の赤い脈動が——変わり始めている。密度が増しただけではない。脈動のパターンが——変わった」

「どう変わった」

「以前は——削る動きだった。封印の内側から外に向かって、圧力をかけ続ける動き。だが今は——」

 ヴェルディアが唇を引き結んだ。

「集束している。赤い脈動が——一点に集まり始めている。まるで——何かを準備しているように」

「準備——」

「イルヴァーンが言った『もう一つの道』。それが——何であれ、準備を始めている可能性がある。修復が進んだことで——焦りが出たのかもしれない」

「焦り? 三千年待てる存在が——焦るのか」

「三千年かけた計画を——残り二割四分の修復で潰されそうになっている。焦りもするだろう」

 二人は通路を上がり、地上に出た。

 船に乗り、レヴァルスに帰還した。港に着いた時、フェリクスが報告した。

「ジークの傭兵が——海域の異変を察知しました。魔の海域の海面が——昨夜から光っています。青ではなく——赤い光が。海底から赤い光が水面まで透過してきている」

 レイドとヴェルディアが顔を見合わせた。

「赤い脈動が——海面にまで及んでいるのか」

「漁師たちが怯えています。ハルトが船を出すのを渋り始めている」

「明日——リーシャが動けるようになったら、すぐに行く。これ以上待てない」

 宿に戻った。リーシャの部屋を覗くと、リーシャがベッドに座って食事を取っていた。顔色は——まだ蒼白だが、前よりマシだ。

「明後日には——動けると思います」リーシャが言った。

「無理はするな」

「無理じゃありません。——あの結晶球を、このままにしておけない。赤い脈動の中に——何かが起きている気がする。私にしか感じられない、微かな変化が」

「どんな変化だ」

「イルヴァーンが——何かを集めている。赤い脈動の力を、一点に凝縮している。それが何のためか——分かりませんが。良いことではない」

 レイドは頷いた。

「明後日、行く。全員で。——最後の修復を終わらせる」

 窓の外の海が——赤い光を帯びていた。水平線近くの海面が微かに赤く染まり、夜空との境界が曖昧になっている。

 深淵の王が——動き始めている。
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