96 / 127
最後の封印
しおりを挟む
修復を再開したのは、リーシャが倒れてから四日後だった。
朝の港。ハルトの漁船が桟橋に繋がれている。ハルトは渋い顔をしていたが、レイドの目を見て——何も言わずに舵を握った。
「赤い海だ」ハルトが呟いた。「漁師五十年——こんな海は初めて見る」
海面が赤みを帯びていた。水平線の近くでは明確に赤い光が海底から透過し、海全体が病んだ生き物のように脈動している。
魔の海域に入った。波が異常に高い。船体が左右に揺れ、水夫たちが懸命に櫂を操った。
「海流が——前より乱れている」フェリクスが計測器を見た。「渦の数が倍になっています」
断崖に着いた。干潮を待ち、通路に入った。
通路の状態は——レイドとヴェルディアの補修が効いていた。壁面の亀裂は塞がり、水の滴りも少ない。だが通路全体に——赤い光が滲んでいた。壁面の紋様が本来の青緑ではなく、赤みを帯びた紫色に変わっている。
「イルヴァーンの力が——通路にまで浸透し始めている」ヴェルディアが壁面に触れた。「急がなければ」
広間に辿り着いた。
結晶球を見て——リーシャが息を呑んだ。
青い領域は七割六分から——七割に後退していた。四日間で六分を削られた。そして赤い脈動は——前とは明らかに違っていた。
赤い光が——結晶球の底部に集中していた。上部は青い領域が広がっているが、下部に赤い光が凝縮し、異様な密度で脈打っている。
「集束が——進んでいる」ヴェルディアの声が低い。「イルヴァーンが赤い力を一点に集めている。このままでは——」
「封印の底を突き破る気か」
「可能性がある。通常の封印破壊は——全体を均等に削って崩壊させる。だがイルヴァーンは——一点に力を集中して穴を開けようとしている。針で布を突くように」
「対策は」
「底部から修復する。赤い集束点を——直接潰す」
リーシャが碧眼を閉じた。深呼吸。そして——目を開けた。
「やります」
結晶球の前に立った。両手を翳す。だが今度は上部ではなく——底部に向けて。
碧の光が結晶球の底に向かった。赤い集束点に触れた瞬間——強烈な反発が返ってきた。
「ぐっ——」リーシャの体が後ろに押し戻された。レイドが支える。
「声が——来ます。前より——強い」
「『守り手の娘。お前の力は認める。だが——遅すぎた。準備は整った。お前たちが封印を完成させようと——もう関係ない。穴はすでに——開き始めている』」
結晶球の底部が——割れた。
物理的に割れたわけではない。赤い光が集束した一点から——裂け目のような線が走り、そこから黒い靄が噴き出した。
「封印に——穴が」フェリクスが叫んだ。
黒い靄が広間に広がった。冷たい。骨の芯まで凍るような冷気。靄の中から——何かが形を成そうとしていた。影のような、実体のない手が靄の中から伸びた。
「ガレス!」レイドが叫んだ。
ガレスが大盾を構えて前に出た。影の手が盾に触れた瞬間——盾の表面が凍りついた。白い霜が金属を覆い、ガレスの手が震えた。
「冷てえ——! だが——止まる!」
ガレスが踏ん張った。大盾で影の手を押し返す。だが靄の中から——二本目の手が伸びた。
「ジーク!」
ジークが剣を抜き、二本目の手を斬った。剣が手を通り抜けた。実体がない。
「斬れねえ——」
「物理攻撃は効きません!」ヴェルディアが叫んだ。「魔力で——封じるしかない!」
リーシャが歯を食いしばった。結晶球への修復と——穴からの噴出を止める作業を同時にやらなければならない。
「レイド。——全部ください。全部」
レイドがリーシャの背に手を当てた。残った魔力の全てを——注ぎ込む。体が軋む。視界が白くなる。だが——止まらない。
リーシャの両手から碧の光が爆発的に放たれた。右手が結晶球の底部に向かい、赤い集束点を塞ぐ。左手が靄に向かい、噴出を押し戻す。
広間全体が碧と赤の光で染まった。二つの力がぶつかり合い、衝撃波が空気を震わせた。
「『——やるな、守り手の娘。だが——これは序章に過ぎない。穴は塞がれても——次はもっと大きく開く。三千年の準備を——舐めるなよ』」
リーシャが叫んだ。声ではなく——碧の光が叫んだ。結晶球の底部の裂け目が——塞がった。赤い集束点が碧の光に呑み込まれ、消散した。黒い靄が——引いていく。
影の手が消えた。広間に静寂が戻った。
リーシャの手が下がった。膝が折れた。だが——今度は倒れなかった。レイドが支え、ガレスが背後から支えた。
「塞がりました——穴は。でも——」
リーシャの碧眼が結晶球を見つめた。
「赤い領域は——まだ二割残っています。そして——底部の封印構造が損傷しました。穴は塞いだけれど——封印自体に傷がついた。次に同じ攻撃を受けたら——塞ぎきれないかもしれない」
「時間が——ないのか」
「ないかもしれません。残り二割を——今日中に終わらせる必要があります」
レイドは仲間を見回した。ガレスの大盾に霜が残っている。ジークの剣が冷気で曇っている。フェリクスの計測器が震えている。
「やれるか」
「やるしかねえだろ」ガレスが盾を構え直した。
「同感だ」ジークが剣を鞘に戻した。
リーシャが結晶球に向き直った。
「最後の——二割。始めます」
碧の光が——再び、結晶球に注がれた。
朝の港。ハルトの漁船が桟橋に繋がれている。ハルトは渋い顔をしていたが、レイドの目を見て——何も言わずに舵を握った。
「赤い海だ」ハルトが呟いた。「漁師五十年——こんな海は初めて見る」
海面が赤みを帯びていた。水平線の近くでは明確に赤い光が海底から透過し、海全体が病んだ生き物のように脈動している。
魔の海域に入った。波が異常に高い。船体が左右に揺れ、水夫たちが懸命に櫂を操った。
「海流が——前より乱れている」フェリクスが計測器を見た。「渦の数が倍になっています」
断崖に着いた。干潮を待ち、通路に入った。
通路の状態は——レイドとヴェルディアの補修が効いていた。壁面の亀裂は塞がり、水の滴りも少ない。だが通路全体に——赤い光が滲んでいた。壁面の紋様が本来の青緑ではなく、赤みを帯びた紫色に変わっている。
「イルヴァーンの力が——通路にまで浸透し始めている」ヴェルディアが壁面に触れた。「急がなければ」
広間に辿り着いた。
結晶球を見て——リーシャが息を呑んだ。
青い領域は七割六分から——七割に後退していた。四日間で六分を削られた。そして赤い脈動は——前とは明らかに違っていた。
赤い光が——結晶球の底部に集中していた。上部は青い領域が広がっているが、下部に赤い光が凝縮し、異様な密度で脈打っている。
「集束が——進んでいる」ヴェルディアの声が低い。「イルヴァーンが赤い力を一点に集めている。このままでは——」
「封印の底を突き破る気か」
「可能性がある。通常の封印破壊は——全体を均等に削って崩壊させる。だがイルヴァーンは——一点に力を集中して穴を開けようとしている。針で布を突くように」
「対策は」
「底部から修復する。赤い集束点を——直接潰す」
リーシャが碧眼を閉じた。深呼吸。そして——目を開けた。
「やります」
結晶球の前に立った。両手を翳す。だが今度は上部ではなく——底部に向けて。
碧の光が結晶球の底に向かった。赤い集束点に触れた瞬間——強烈な反発が返ってきた。
「ぐっ——」リーシャの体が後ろに押し戻された。レイドが支える。
「声が——来ます。前より——強い」
「『守り手の娘。お前の力は認める。だが——遅すぎた。準備は整った。お前たちが封印を完成させようと——もう関係ない。穴はすでに——開き始めている』」
結晶球の底部が——割れた。
物理的に割れたわけではない。赤い光が集束した一点から——裂け目のような線が走り、そこから黒い靄が噴き出した。
「封印に——穴が」フェリクスが叫んだ。
黒い靄が広間に広がった。冷たい。骨の芯まで凍るような冷気。靄の中から——何かが形を成そうとしていた。影のような、実体のない手が靄の中から伸びた。
「ガレス!」レイドが叫んだ。
ガレスが大盾を構えて前に出た。影の手が盾に触れた瞬間——盾の表面が凍りついた。白い霜が金属を覆い、ガレスの手が震えた。
「冷てえ——! だが——止まる!」
ガレスが踏ん張った。大盾で影の手を押し返す。だが靄の中から——二本目の手が伸びた。
「ジーク!」
ジークが剣を抜き、二本目の手を斬った。剣が手を通り抜けた。実体がない。
「斬れねえ——」
「物理攻撃は効きません!」ヴェルディアが叫んだ。「魔力で——封じるしかない!」
リーシャが歯を食いしばった。結晶球への修復と——穴からの噴出を止める作業を同時にやらなければならない。
「レイド。——全部ください。全部」
レイドがリーシャの背に手を当てた。残った魔力の全てを——注ぎ込む。体が軋む。視界が白くなる。だが——止まらない。
リーシャの両手から碧の光が爆発的に放たれた。右手が結晶球の底部に向かい、赤い集束点を塞ぐ。左手が靄に向かい、噴出を押し戻す。
広間全体が碧と赤の光で染まった。二つの力がぶつかり合い、衝撃波が空気を震わせた。
「『——やるな、守り手の娘。だが——これは序章に過ぎない。穴は塞がれても——次はもっと大きく開く。三千年の準備を——舐めるなよ』」
リーシャが叫んだ。声ではなく——碧の光が叫んだ。結晶球の底部の裂け目が——塞がった。赤い集束点が碧の光に呑み込まれ、消散した。黒い靄が——引いていく。
影の手が消えた。広間に静寂が戻った。
リーシャの手が下がった。膝が折れた。だが——今度は倒れなかった。レイドが支え、ガレスが背後から支えた。
「塞がりました——穴は。でも——」
リーシャの碧眼が結晶球を見つめた。
「赤い領域は——まだ二割残っています。そして——底部の封印構造が損傷しました。穴は塞いだけれど——封印自体に傷がついた。次に同じ攻撃を受けたら——塞ぎきれないかもしれない」
「時間が——ないのか」
「ないかもしれません。残り二割を——今日中に終わらせる必要があります」
レイドは仲間を見回した。ガレスの大盾に霜が残っている。ジークの剣が冷気で曇っている。フェリクスの計測器が震えている。
「やれるか」
「やるしかねえだろ」ガレスが盾を構え直した。
「同感だ」ジークが剣を鞘に戻した。
リーシャが結晶球に向き直った。
「最後の——二割。始めます」
碧の光が——再び、結晶球に注がれた。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
ちゃんと忠告をしましたよ?
柚木ゆず
ファンタジー
ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。
「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」
アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。
アゼット様。まだ間に合います。
今なら、引き返せますよ?
※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる