勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした

ポポリーナ

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五つの封印

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 最後の二割が——最も長かった。

 赤い脈動が密度を増し、修復のたびに押し返してくる。一割九分。一割八分。一割七分。進む速度は——それまでの半分以下に落ちた。

 リーシャの額から汗が絶え間なく流れている。レイドの魔力も底が見え始めていた。二人の呼吸が荒くなり、足元がふらつく。

「一割を切りました」リーシャが掠れた声で言った。

 結晶球の表面は——ほぼ碧で覆われていた。最後の赤い脈動が結晶球の底部に追い詰められ、爪先ほどの赤い点として残っている。

「あと少しだ」ヴェルディアが声をかけた。

 イルヴァーンの声が——変わっていた。嘲りも、語りかけも消え、ただ——低い唸りだけが結晶球の奥から響いている。獣のような怒りの唸り。三千年の知性を持つ存在が、最後の最後に——理性を失いかけている。

「『——許さぬ。封じさせぬ。お前たちが消えても——私は在り続ける。千年でも——万年でも——待つ。必ず——出る——』」

「出られない」リーシャが呟いた。碧の光が最後の赤い点を包み込む。「ここに——眠りなさい」

 赤い点が——消えた。

 結晶球が——澄んだ碧の光を放った。一点の曇りもない。海底の広間が、碧の光で満たされた。天井の結界を通じて海水にも光が漏れ、深海が碧に染まった。

 脈動が——安定した。穏やかな鼓動。世界の心音のように、規則的に繰り返される。

「完了です」フェリクスが計測器を読んだ。声が震えている。「封印強度——最大値。完全修復——完了」

 リーシャの体から力が抜けた。レイドが両腕で支え、ゆっくりと床に座らせた。

「終わった——」リーシャが囁いた。碧眼に涙が浮かんでいる。「五つ目——終わりました」

 ガレスが大盾を地面に置いた。金属が石の床に響く。霜が溶け始め、水滴が流れ落ちた。

「全部——終わったのか。五つの封印が」

「ああ」ヴェルディアが結晶球を見上げた。「五つの神殿の封印——全て修復完了だ。三千年間放置された深淵の封印が——」

 ヴェルディアの声が詰まった。琥珀色の瞳に——光が滲んでいる。涙ではない。瞳の奥で、長く張り詰めていた何かが——ほどけていく。三千年の重荷の一つが——降りた瞬間。

「三千年——待った。この瞬間を。私の——仲間たちが命をかけて作った封印が。ようやく——修復された」

 ジークが壁に寄りかかった。

「感動的だな。——だが、帰りの心配をしろ。潮が満ちる前に出ないと」

「ああ。——行くぞ」

 通路を上がった。壁面の紋様が——赤みを帯びていた色から、本来の青緑に戻りかけている。封印の完全修復が通路にも影響を与えている。

 地上に出た。夕陽が海を照らしていた。海面の赤い光は——消えていた。碧い海が戻っている。

 ハルトが船上で待っていた。

「海の色が変わった」ハルトが驚いた顔で言った。「赤い光が——消えた。あんたら、一体何を——」

「仕事をした」レイドが答えた。「——それだけだ」


  ◇


 レヴァルスに帰還した夜。宿の食堂に全員が集まった。

 テーブルに並んだのは、港の新鮮な魚と、パンと、ワイン。ハルトが「祝いだ」と言って漁師仲間から仕入れてきた。

「五つの封印——全て修復」レイドがワインの杯を掲げた。「ここにいる全員のおかげだ」

 ガレスが杯を合わせた。ジークが無言で杯を上げた。フェリクスが小さく頷いた。リーシャが碧眼で微笑み、ヴェルディアが——杯を両手で持ち、その温もりを確かめるように見つめた。

「三千年分の——乾杯だ」ヴェルディアが言った。

 食事が始まった。ガレスが魚を頬張り、ジークがワインを啜り、リーシャが笑った。普通の夕食。仲間との、普通の時間。

 だがレイドは——食事の途中で、ヴェルディアの表情に気づいた。

 安堵の色は確かにある。だがその奥に——不安が消えていない。

「ヴェルディア。何かあるな」

 ヴェルディアが杯を置いた。全員の視線が集まった。

「封印は修復した。五つの神殿の結晶球は——全て正常に機能している。だが——」

「だが?」

「イルヴァーンの言葉が——引っかかっている。『もう一つの道がある』『これは序章に過ぎない』。あの存在は——封印の修復を想定していた。それでもなお、脱出できると言っていた」

 食堂が静まった。

「封印が完全なのに——出られる方法があるのか」ガレスが聞いた。

「考えられる可能性は——一つ。五つの封印は独立しているが、共通の基盤がある。封印の根幹。三千年前に——五人で構築した、封印の土台となる術式。その土台が壊れれば——五つの封印全てが同時に崩壊する」

「土台——」

「私たちはそれを『礎石』と呼んでいた。封印の——最も深い部分にある構造体。物理的な場所は——」

 ヴェルディアが言い淀んだ。琥珀色の瞳が暗くなる。

「海底の神殿の——さらに下だ。結晶球の直下。深淵の最も深い場所に——礎石がある」

「それが壊されたら——」

「五つの封印が同時に崩壊する。イルヴァーンだけでなく——他の四つの封印も。全ての深淵の眷属が——同時に解放される」

 沈黙。窓の外で波の音が響いている。

「イルヴァーンは——礎石を壊せるのか」レイドが聞いた。

「分からない。封印の内側から礎石に到達できるかどうか——三千年前の設計では不可能だったはずだ。だが——三千年の時間があれば——」

「道を見つけた可能性がある」

「ああ」

 レイドはワインの杯を見つめた。赤い液体に——海底の赤い光が重なって見えた。

「確認する方法は」

「礎石の状態を直接確認するしかない。海底の神殿の——さらに深部に降りる必要がある」

「いつ行く」

「リーシャが回復してからだ。今日明日は——体を休めろ。確認だけなら——そこまでの魔力は必要ない」

 食事が再開された。だが先ほどの祝いの空気は——消えていた。

 五つの封印を修復した。旅路の目標は達成した。だが——終わりではなかった。

 その下に——さらに深い闇がある。

 レイドは窓の外の海を見た。穏やかに見える夜の海。だがその底の底に——三千年の知性が、次の手を打とうとしている。
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