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四日間の猶予
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泉の畔で、レイドは目を覚ました。
体が重い。指先まで力が入らない。瞼を開くと——薄暗い地下空洞の天井が見えた。苔の青白い光。砂が、まだ僅かに落ちてきている。
隣でリーシャが丸くなって眠っていた。銀髪が水に濡れたまま額に張りついている。碧眼は閉じたまま——表情は穏やかだが、目の下に深い隈がある。
「起きたか」
ガレスの声だった。岩に腰掛け、斧を膝に置いている。その手が斧の柄を磨いていた。
「どのくらい——寝てた」
「八時間ってところだ。リーシャは——まだ起きない。魔力を使い切ったからな」
レイドは上半身を起こした。全身が軋む。骨の芯まで疲れが染みている。
泉を見た。水面は——暗い。光の柱がない。世界の核が——剥き出しのまま。
「ヴェルディアは——」
「あっちだ」
ガレスが顎で示した方角に、ヴェルディアが座っていた。泉の縁に両足を投げ出し、水面に手を浸している。琥珀色の瞳が——半分閉じている。額に汗が浮いていた。
「世界を——支えてるのか」
「ああ。柱が止まってる間——あの人が、一人で均衡を保ってる。三千年間やってたことを——もう一度」
レイドは立ち上がろうとした。膝が笑った。ガレスの手が伸びて支えた。
「無理するな。——四日ある」
「四日——」
「リーシャが言ってた。回路の損傷箇所の再計算に一日。全員の魔力回復に三日。——四日後にもう一度やる」
レイドはヴェルディアの背中を見つめた。小さな背中だ。三千年を生きた竜の背中とは思えないほど——華奢で、小さい。
◇
一日目の夕方。
リーシャが目を覚ました。
最初に口にした言葉は——「紙とペンをください」だった。
「体は——」レイドが聞いた。
「大丈夫です。——いえ、大丈夫ではありません。頭が重いし、指先が痺れています。でも——頭は動く。計算しなければ」
セレナがパンと干し肉を差し出した。リーシャは片手で食べながら、もう片手で羊皮紙に数式を書き始めた。
「損傷箇所は三つ。主回路の一つと、副回路の二つ。イルヴァーンの力が上書きした部分を剥がした時に——回路の一部が歪んだ。この歪みを——補正した新しいパターンで埋める必要がある」
「前回と同じ設計で?」
「いいえ。損傷した部分は——元の設計に戻せません。新しい紋様を設計する必要がある。——ヴェルディアさん」
ヴェルディアが振り返った。顔が——蒼白だ。
「何だ」
「三箇所の損傷部分の座標を——教えてください。水底の紋様の中で、どの位置が歪んでいるか」
「記憶している。——東西軸の第三交差点。南北軸の第五分岐。上下軸の第二結節。三箇所とも——イルヴァーンの力が最も深く食い込んでいた場所だ」
リーシャが書き留めた。碧眼が数式を追っている。口の中で数字を呟いている。
「第三交差点は——主回路だ。ここが最も重要で、最も難しい」
「担当は——俺だった」レイドが言った。「東西軸。俺の回路だ」
「はい。だから——新しいパターンは、レイドが一番理解できる形にします」
リーシャの手が止まらない。数式が羊皮紙を埋めていく。レイドはその横顔を見つめた。疲労で顔色が悪いのに——目だけが、炎のように燃えている。
◇
夜。
泉の畔に小さな焚き火を起こした。地下空洞の空気は冷えている。十人が火を囲んでいる。ヴェルディアだけが——泉の縁から動かない。
「飯くらい食え」ジークがヴェルディアに干し肉を投げた。
「後でいい」
「後じゃ干からびる。——食え」
ヴェルディアが黙って干し肉を口に運んだ。噛む力が弱い。額の汗が——止まらない。
「どれくらい持つ」レイドが聞いた。
「四日なら——持つ。それ以上は——分からない。三千年前と違って——今の体は人間だ。竜の体力はもうない」
「無理をしていないか」
「無理をしている。——だが、やるしかない。柱が止まっている間——地上では嵐と地震が起きている。私が均衡を保たなければ——世界が壊れる」
アルヴィンが聖剣を膝に置いた。金色の光が——微かに揺れている。
「何かできることは——ないのか。俺たちにも」
「ある」ヴェルディアが答えた。「魔力を——少しずつ分けてくれ。均衡を保つのに必要な魔力量は——一人分では足りないが、十人で分散すれば負荷が減る」
「どうすれば——」
「泉の水に手を浸して——魔力を流し込め。泉を通じて——私に届く」
全員が泉に手を浸した。それぞれの魔力の色が——水面に広がった。青。赤。金。緑。銀。紫。白。橙。碧。十色の光が——ヴェルディアに流れ込んでいく。
ヴェルディアの呼吸が——少し楽になった。
「……ありがたい」
「礼はいらねえ」ガレスが言った。「仲間だろう」
焚き火が揺れた。煙が天井に向かって立ち昇っていく。苔の光に照らされた十人の影が——壁面に大きく映った。
レイドは泉の水面を見つめた。光のない水面。だが——十色の魔力の波紋が、微かに光っている。
あと三日。三日で——全てを終わらせる。
◇
二日目の朝。
リーシャが計算を終えた。
「できました」
羊皮紙三枚に——三つの新しい回路パターンが描かれていた。
「これが——損傷箇所を埋める新設計です。前回の設計をベースに、イルヴァーンの力に浸食された部分を回避する迂回路を追加しています。——効率は少し落ちますが、安定性は上がります」
フェリクスが羊皮紙を覗き込んだ。
「この迂回路——美しい。無駄がない。一晩でこれを設計したのか」
「ヴェルディアさんの助言がなければ——もっと時間がかかりました」
ヴェルディアが微かに頷いた。顔色は昨日より悪い。だが——目は生きている。
「三千年の経験が——少しは役に立ったか」
「少しどころではありません」
リーシャが三枚の羊皮紙を配った。一枚目はレイドへ。二枚目はセレナへ。三枚目はミラへ。
「損傷した三つの回路を担当するのは——この三人です。レイドは主回路の修正。セレナとミラは副回路の修正。——他の七人は前回と同じパターンを使います」
「同じパターン——前回の記憶は残っている」ジークが言った。
「はい。前回の訓練が生きます。——新しいパターンの暗記は、三人だけで済む。残り三日で——十分間に合います」
レイドは羊皮紙を見つめた。新しい回路パターン。前回の東西軸を——修正した設計。複雑だが——リーシャの言った通り、前回の訓練の延長線上にある。体が覚えている形を——少しだけ変える。
「やれる」
リーシャが微笑んだ。碧眼に——光が戻っていた。
「では——訓練を始めましょう。今度こそ——完成させます」
泉の畔で、二度目の訓練が始まった。
体が重い。指先まで力が入らない。瞼を開くと——薄暗い地下空洞の天井が見えた。苔の青白い光。砂が、まだ僅かに落ちてきている。
隣でリーシャが丸くなって眠っていた。銀髪が水に濡れたまま額に張りついている。碧眼は閉じたまま——表情は穏やかだが、目の下に深い隈がある。
「起きたか」
ガレスの声だった。岩に腰掛け、斧を膝に置いている。その手が斧の柄を磨いていた。
「どのくらい——寝てた」
「八時間ってところだ。リーシャは——まだ起きない。魔力を使い切ったからな」
レイドは上半身を起こした。全身が軋む。骨の芯まで疲れが染みている。
泉を見た。水面は——暗い。光の柱がない。世界の核が——剥き出しのまま。
「ヴェルディアは——」
「あっちだ」
ガレスが顎で示した方角に、ヴェルディアが座っていた。泉の縁に両足を投げ出し、水面に手を浸している。琥珀色の瞳が——半分閉じている。額に汗が浮いていた。
「世界を——支えてるのか」
「ああ。柱が止まってる間——あの人が、一人で均衡を保ってる。三千年間やってたことを——もう一度」
レイドは立ち上がろうとした。膝が笑った。ガレスの手が伸びて支えた。
「無理するな。——四日ある」
「四日——」
「リーシャが言ってた。回路の損傷箇所の再計算に一日。全員の魔力回復に三日。——四日後にもう一度やる」
レイドはヴェルディアの背中を見つめた。小さな背中だ。三千年を生きた竜の背中とは思えないほど——華奢で、小さい。
◇
一日目の夕方。
リーシャが目を覚ました。
最初に口にした言葉は——「紙とペンをください」だった。
「体は——」レイドが聞いた。
「大丈夫です。——いえ、大丈夫ではありません。頭が重いし、指先が痺れています。でも——頭は動く。計算しなければ」
セレナがパンと干し肉を差し出した。リーシャは片手で食べながら、もう片手で羊皮紙に数式を書き始めた。
「損傷箇所は三つ。主回路の一つと、副回路の二つ。イルヴァーンの力が上書きした部分を剥がした時に——回路の一部が歪んだ。この歪みを——補正した新しいパターンで埋める必要がある」
「前回と同じ設計で?」
「いいえ。損傷した部分は——元の設計に戻せません。新しい紋様を設計する必要がある。——ヴェルディアさん」
ヴェルディアが振り返った。顔が——蒼白だ。
「何だ」
「三箇所の損傷部分の座標を——教えてください。水底の紋様の中で、どの位置が歪んでいるか」
「記憶している。——東西軸の第三交差点。南北軸の第五分岐。上下軸の第二結節。三箇所とも——イルヴァーンの力が最も深く食い込んでいた場所だ」
リーシャが書き留めた。碧眼が数式を追っている。口の中で数字を呟いている。
「第三交差点は——主回路だ。ここが最も重要で、最も難しい」
「担当は——俺だった」レイドが言った。「東西軸。俺の回路だ」
「はい。だから——新しいパターンは、レイドが一番理解できる形にします」
リーシャの手が止まらない。数式が羊皮紙を埋めていく。レイドはその横顔を見つめた。疲労で顔色が悪いのに——目だけが、炎のように燃えている。
◇
夜。
泉の畔に小さな焚き火を起こした。地下空洞の空気は冷えている。十人が火を囲んでいる。ヴェルディアだけが——泉の縁から動かない。
「飯くらい食え」ジークがヴェルディアに干し肉を投げた。
「後でいい」
「後じゃ干からびる。——食え」
ヴェルディアが黙って干し肉を口に運んだ。噛む力が弱い。額の汗が——止まらない。
「どれくらい持つ」レイドが聞いた。
「四日なら——持つ。それ以上は——分からない。三千年前と違って——今の体は人間だ。竜の体力はもうない」
「無理をしていないか」
「無理をしている。——だが、やるしかない。柱が止まっている間——地上では嵐と地震が起きている。私が均衡を保たなければ——世界が壊れる」
アルヴィンが聖剣を膝に置いた。金色の光が——微かに揺れている。
「何かできることは——ないのか。俺たちにも」
「ある」ヴェルディアが答えた。「魔力を——少しずつ分けてくれ。均衡を保つのに必要な魔力量は——一人分では足りないが、十人で分散すれば負荷が減る」
「どうすれば——」
「泉の水に手を浸して——魔力を流し込め。泉を通じて——私に届く」
全員が泉に手を浸した。それぞれの魔力の色が——水面に広がった。青。赤。金。緑。銀。紫。白。橙。碧。十色の光が——ヴェルディアに流れ込んでいく。
ヴェルディアの呼吸が——少し楽になった。
「……ありがたい」
「礼はいらねえ」ガレスが言った。「仲間だろう」
焚き火が揺れた。煙が天井に向かって立ち昇っていく。苔の光に照らされた十人の影が——壁面に大きく映った。
レイドは泉の水面を見つめた。光のない水面。だが——十色の魔力の波紋が、微かに光っている。
あと三日。三日で——全てを終わらせる。
◇
二日目の朝。
リーシャが計算を終えた。
「できました」
羊皮紙三枚に——三つの新しい回路パターンが描かれていた。
「これが——損傷箇所を埋める新設計です。前回の設計をベースに、イルヴァーンの力に浸食された部分を回避する迂回路を追加しています。——効率は少し落ちますが、安定性は上がります」
フェリクスが羊皮紙を覗き込んだ。
「この迂回路——美しい。無駄がない。一晩でこれを設計したのか」
「ヴェルディアさんの助言がなければ——もっと時間がかかりました」
ヴェルディアが微かに頷いた。顔色は昨日より悪い。だが——目は生きている。
「三千年の経験が——少しは役に立ったか」
「少しどころではありません」
リーシャが三枚の羊皮紙を配った。一枚目はレイドへ。二枚目はセレナへ。三枚目はミラへ。
「損傷した三つの回路を担当するのは——この三人です。レイドは主回路の修正。セレナとミラは副回路の修正。——他の七人は前回と同じパターンを使います」
「同じパターン——前回の記憶は残っている」ジークが言った。
「はい。前回の訓練が生きます。——新しいパターンの暗記は、三人だけで済む。残り三日で——十分間に合います」
レイドは羊皮紙を見つめた。新しい回路パターン。前回の東西軸を——修正した設計。複雑だが——リーシャの言った通り、前回の訓練の延長線上にある。体が覚えている形を——少しだけ変える。
「やれる」
リーシャが微笑んだ。碧眼に——光が戻っていた。
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