勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした

ポポリーナ

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世界の鼓動

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 回路が完成した瞬間——世界が応えた。

 水底の紋様が白い光を放ち、泉の水全体が輝いた。光が水面を突き破り、地下空洞の天井まで駆け上がった。

 レイドの手の下で——紋様が脈動していた。鼓動だ。世界の心臓が——動き始めた。

「回路が——起動した」リーシャの声が響いた。「全ての紋様が——接続されています」

 水底の魔法陣が——生きている。光の脈動が、紋様の線に沿って流れていく。東西、南北、上下——三本の主回路が交差する中心点で、光が合流し、一つの球体になった。

「柱が——」ヴェルディアが呟いた。

 泉の中心から——光の柱が立ち上がった。

 前回の柱とは違う。あの柱は外から与えられた力で立てたもの。今回の柱は——回路自体が生み出した力だ。世界の核が、自らの力で均衡を保ち始めた。

「これが——完成した回路の柱」リーシャの碧眼が見開かれた。「理論通りだ——回路が自律的に均衡を維持している」

 柱の光は——十色だった。十人の魔力の色が混ざり合い、虹のように重なっている。青。赤。金。緑。銀。紫。白。橙。碧。琥珀。

「美しい——」セレナが息を呑んだ。

「美しい——が、安定しているのか」ジークが現実的な声で聞いた。

 フェリクスが水中で計測器を確認した。

「安定しています。数値が——完璧だ。揺らぎがゼロに近い。前回の柱よりも——遥かに安定している」

「回路が完成したことで——柱に必要なエネルギーが、世界の地脈から自動供給されている。外部からの魔力注入が——不要になった」リーシャが説明した。

「つまり——」レイドが聞いた。

「誰も柱を支える必要がない。世界が——自分で自分を支えている」

 ヴェルディアの手が——紋様から離れた。

 均衡の維持が——不要になった。四日間、一人で支え続けた重荷が——降りた。

 ヴェルディアの体が——水中でゆっくりと崩れ落ちた。

「ヴェルディア!」レイドが駆け寄った。

 ヴェルディアを抱き起こした。軽い。骨と皮だけのように軽い。四日間——ほとんど食べず、眠らず、世界を支え続けた体。

「大丈夫——だ」ヴェルディアの声は掠れていた。「力が——抜けただけだ。体が——軽い。重荷が——」

 琥珀色の瞳から——涙が零れた。泉の水と混ざって見えないはずの涙が——確かに流れた。

「三千年——」

 声が震えた。

「三千年——支え続けた。竜の姿で。人間の姿で。一人で。——ようやく——」

「終わったんだ」レイドが言った。「お前の仕事は——終わった」

 ヴェルディアが——レイドの胸に顔を埋めた。声を殺して泣いた。肩が震えている。三千年分の重荷が——涙に変わって流れ出している。

 全員が——黙って見守った。泉の光が、二人を包んでいた。


  ◇


 泉から上がった。

 全員がずぶ濡れで——泉の畔に座り込んだ。疲労が全身を覆っている。だが——達成感がある。

 ガレスが空を見上げた。地下空洞の天井——苔の光。そして——微かに見える、通路から差し込む光。

「地上は——どうなっている」

「地震が——止まっている」フェリクスが計測器を確認した。「地脈の振動が——急速に安定化しています」

「回路の完成が——地上にも影響しているのか」

「当然です」リーシャが答えた。「世界の均衡が自律的に維持されるようになった。地上の嵐も地震も——収まるはずです」

 アルヴィンが聖剣を見下ろした。金色の光が——穏やかだ。嵐の中の激しい輝きではない。平穏の光。

「勇者の紋章も——静かだ」

「紋章は世界の均衡と連動しています。均衡が安定すれば——紋章も安定します」

 ヴァレリウスが聖印を見つめた。白い光が——同じく穏やかに灯っている。

「聖印も——初めて見る輝き方だ。激しくない。温かい」

 セレナが両手を胸の前で合わせた。

「祈りが——届いています。世界全体から——感謝の波動が」

「感謝——」ジークが片眉を上げた。

「そうとしか——表現できない。世界が——安堵しているんです。長い長い病から——回復したように」

 ミラが岩壁に背を預け、天井を見上げた。

「ねえ。——イルヴァーンは、どうしてるの?」

 全員が——水面を見つめた。泉の光の柱。その奥——深淵の底に、イルヴァーンがいる。

「聞こえているはずだ」ヴェルディアが掠れた声で言った。レイドの隣に座り、毛布にくるまっている。「封印を通じて——回路の完成を感じたはずだ」

「何か——言ってこないのか」

 沈黙。

 泉の水面が——静かに揺れた。光の柱が微かに明滅した。

 そして——声が聞こえた。

 水底から。深淵の向こうから。低い、静かな声。

「——見事だ」

 イルヴァーンの声。怒りはない。悲しみもない。ただ——疲れた声。

「人間の魔力だけで——回路を完成させた。百年で劣化するかもしれない。だが——完成させた」

 レイドが水面に向かって言った。

「聞いていたか」

「聞いていた。何もせずに——見ていた。約束通り」

「お前は——これからどうする」

 長い沈黙。泉の光が揺れた。

「……分からない。三千年——目的を持って生きた。世界を完成させるという目的。だが——お前たちがそれを成し遂げた。俺の方法ではなく——お前たちの方法で。俺の目的が——なくなった」

「目的がなくなったら——何をする」

「……何もしない。封印の中で——眠る。それだけだ」

 ヴェルディアが毛布の中から声を出した。

「イルヴァーン」

「……何だ。ヴェルディア」

「お前は——封印から出たいか」

 沈黙が長かった。泉の光が——ゆっくりと明滅した。イルヴァーンの心臓の鼓動のように。

「出たい。——だが、出られない。俺の体は深淵の力と融合している。封印の外に出れば——世界を汚染する。それが——三千年前にお前が俺を封じた理由だ」

「三千年前は——そうだった」ヴェルディアが言った。「だが——今は違う。回路が完成した。世界の均衡は自律的に維持されている。お前の深淵の力が漏れても——回路が自動的に浄化する。——理論上は」

「理論上は——か」

「リーシャの設計だ。信頼できる」

 リーシャが碧眼を見開いた。ヴェルディアの方を見た。

「ヴェルディアさん——封印を解くつもりですか」

「回路が完成した以上——封印を維持する必要がない。深淵の眷属は封印で制御されている。だがイルヴァーンは——眷属ではない。元は人間だ」

「元は——そうだ」イルヴァーンの声が掠れた。

「お前を——外に出してやりたい。三千年——独りで閉じ込められていた。それは——」

 ヴェルディアの声が詰まった。

「それは——私が三千年独りで柱だったのと同じだ。誰も——三千年も独りでいるべきではない」

 泉の光が——強く脈動した。

 イルヴァーンの声が——長い沈黙の後に響いた。

「……明日——考えよう。今は——休め。お前たちは——疲れている」

 水面が静かになった。

 レイドは空を見上げた。天井の苔の光。穏やかな光。

 回路は完成した。柱は立った。世界は——自分で自分を支えている。

 だが——もう一つ、やるべきことが残っている。
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