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深淵の王の最後
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翌朝。
泉の畔で全員が集まった。光の柱が——安定して輝いている。十色の光。世界の均衡は——自律的に維持されている。
ヴェルディアの顔色は——少し回復していた。一晩眠っただけで——四日間の疲労が抜けたわけではない。だが——目に力が戻っている。
「イルヴァーンの封印を解く方法を——話す」
全員が耳を傾けた。
「封印は五つの神殿の結晶球と、礎石で構成されている。イルヴァーンが閉じ込められているのは——封印の最深部。五つの封印が作る空間の中心だ。封印を解くには——五つの結晶球の力を一斉に解放し、空間を開く必要がある」
「結晶球を壊すのか」アルヴィンが聞いた。
「壊すのではない。——解放する。封印としての機能を停止させる。回路が完成した今、深淵の眷属は回路の浄化機能で制御できる。結晶球は——封印の器から、浄化の補助装置に転用する」
「遠隔で操作できるのか。五つの神殿は——世界各地に散らばっている」
「泉を通じて操作できる。泉は全ての地脈と接続している。ここから——五つの結晶球に指示を送れる」
「リスクは」レイドが聞いた。
「ある。イルヴァーンの体は深淵の力と融合している。封印から出た瞬間——深淵の力が漏洩する。回路の浄化機能が追いつけば問題ない。追いつかなければ——」
「追いつくのか」
「リーシャ」
リーシャが羊皮紙を広げた。昨晩のうちに——計算していた。
「回路の浄化能力を計算しました。イルヴァーンの深淵の力の推定量と照合した結果——浄化は十分間に合います。ただし条件があります」
「何だ」
「イルヴァーン自身が——深淵の力を手放す意志を持つこと。力を保持したまま封印から出れば——浄化が追いつかない。自ら力を手放し、人間の体に戻る覚悟があれば——回路が残りの深淵の力を浄化します」
「イルヴァーンに——選ばせるのか」
「はい。三千年前——イルヴァーンは深淵の力を選んだ。今度は——人間の体を選ぶかどうか」
全員が泉の水面を見つめた。光の柱が——静かに輝いている。
「イルヴァーン」レイドが水面に向かって呼びかけた。「聞こえているか」
沈黙。そして——声。
「聞こえている」
「お前に——選択肢がある。封印から出る方法がある。だが——深淵の力を手放す必要がある。全てを。人間の体に戻ることになる」
「人間の——体」
「三千年前——お前は人間だった。術者の一人だった。その体に——戻れる」
「……体は——もう残っていない。三千年で——深淵の力に置き換わっている。力を手放せば——何も残らないかもしれない」
「リーシャの計算では——人間の核は残っている。深淵の力の奥に。三千年間——消えずに」
「消えずに——」
「お前が回路の完成を望んだこと。世界を完成させたいと思ったこと。——それは深淵の力の望みではない。人間の望みだ。人間の核が——まだ生きている」
泉の光が——揺れた。大きく。イルヴァーンの感情が——水面を波立たせている。
「怖い」
イルヴァーンの声が——初めて震えた。
「三千年——深淵の力と共にいた。力がなくなれば——俺は何者だ。術者としての力も。深淵の王としての力も。全てを失って——何が残る」
「お前が残る」ヴェルディアが答えた。「私も——柱の力を全て失った。竜の力も。三千年の魔力も。残ったのは——この体だけだ。だが——」
ヴェルディアが立ち上がった。よろめきながら——泉の縁に立った。
「これでいい。力がなくても——世界は美しい。飯が美味い。朝日が温かい。仲間がいる。——力を失って初めて、それを知った」
「ヴェルディア——」
「怖いなら——一緒に怖がればいい。お前は独りじゃない。——もう」
長い沈黙。
泉の水面が——静かに鳴った。波紋が広がり、消え、また広がる。
「……やってくれ」
イルヴァーンの声が——静かに響いた。
「力を——手放す。人間に——戻る。怖いが——これ以上、独りは嫌だ」
◇
ヴェルディアが泉の縁にしゃがみ、水面に手を浸した。
「五つの結晶球に——指示を送る。封印機能の停止。浄化機能への転換。——リーシャ、回路の浄化系を起動してくれ」
リーシャが水底の紋様に手を触れた。碧の光が——回路の特定の経路を走った。浄化機能。世界の回路に組み込まれた自浄作用が——起動した。
「準備完了」
「イルヴァーン。——始めるぞ」
「……ああ」
ヴェルディアが目を閉じた。泉を通じて——五つの神殿の結晶球に意志を送った。南端の岬。砂漠。サルディス。東回廊の山中。海底。五つの結晶球が——同時に脈動した。
封印機能が——停止した。
泉の水面が赤く染まった。深淵の底から——赤い光が湧き上がってきた。イルヴァーンの深淵の力が——封印を抜けて上昇してくる。
「来た——」ガレスが大盾を構えた。
「戦闘じゃない」レイドが制した。「——見守れ」
赤い光が泉の水面を突き破った。泉全体が赤い光に包まれた。光の柱が——赤い光と混ざり合った。
「浄化機能——作動中」リーシャが報告した。「回路が——深淵の力を分解しています」
赤い光が——少しずつ薄くなっていった。泉の光の柱が——赤い成分を吸収し、浄化し、透明に変えていく。
そして——泉の中心から、何かが浮き上がってきた。
人の形だ。
黒い影のような——朧げな人の形。深淵の力に包まれた体が——力を失いながら、泉の水面に向かって浮上してくる。
水面を突き破って——頭が出た。肩が出た。
男だった。
痩せた体。長い黒髪が水に濡れて張りついている。目は閉じている。肌は蒼白で——だが、人間の肌だ。鱗もない。黒い結晶もない。
「イルヴァーン——」ヴェルディアが手を伸ばした。
男の体を泉から引き上げた。レイドとガレスが手伝い、泉の畔に横たえた。
イルヴァーンの目が——ゆっくりと開いた。
深い黒の瞳。三千年前の——人間の瞳。
「——明るい」
掠れた声だった。
「光が——見える。赤くない光が。——久しぶりだ」
ヴェルディアが——イルヴァーンの手を握った。
「お帰り」
「……ただいま」
イルヴァーンの目から——涙が流れた。黒い涙ではない。透明な涙。人間の涙。三千年ぶりの——人間の涙。
「体が——軽い。力がない。指も——うまく動かない。——これが、人間か」
「これが——人間だ。慣れる。——私も慣れた」
イルヴァーンが空を見上げた。地下空洞の天井。苔の光。
「美しい——のか。これが」
「美しい」ヴェルディアが答えた。
「……そうか」
イルヴァーンの瞼が——重くなった。三千年ぶりの人間の体が——眠りを求めている。
「眠っていい。——守ってやる」
「守って——くれるのか。裏切り者の——俺を」
「お前は——帰ってきた。それでいい」
イルヴァーンの目が閉じた。穏やかな寝息が——泉の畔に響いた。
レイドは全員を見回した。十人の仲間。そして——眠っている一人。
「終わったか——」ガレスが呟いた。
「終わった」レイドが答えた。「封印も。回路も。——全部」
泉の光の柱が——穏やかに輝いていた。十色の光が混ざり合い、虹のように重なっている。世界の心臓が——静かに鼓動している。
レイドは深く息を吸った。地下空洞の湿った空気。冷たくて——澄んでいる。
全てが——終わった。
泉の畔で全員が集まった。光の柱が——安定して輝いている。十色の光。世界の均衡は——自律的に維持されている。
ヴェルディアの顔色は——少し回復していた。一晩眠っただけで——四日間の疲労が抜けたわけではない。だが——目に力が戻っている。
「イルヴァーンの封印を解く方法を——話す」
全員が耳を傾けた。
「封印は五つの神殿の結晶球と、礎石で構成されている。イルヴァーンが閉じ込められているのは——封印の最深部。五つの封印が作る空間の中心だ。封印を解くには——五つの結晶球の力を一斉に解放し、空間を開く必要がある」
「結晶球を壊すのか」アルヴィンが聞いた。
「壊すのではない。——解放する。封印としての機能を停止させる。回路が完成した今、深淵の眷属は回路の浄化機能で制御できる。結晶球は——封印の器から、浄化の補助装置に転用する」
「遠隔で操作できるのか。五つの神殿は——世界各地に散らばっている」
「泉を通じて操作できる。泉は全ての地脈と接続している。ここから——五つの結晶球に指示を送れる」
「リスクは」レイドが聞いた。
「ある。イルヴァーンの体は深淵の力と融合している。封印から出た瞬間——深淵の力が漏洩する。回路の浄化機能が追いつけば問題ない。追いつかなければ——」
「追いつくのか」
「リーシャ」
リーシャが羊皮紙を広げた。昨晩のうちに——計算していた。
「回路の浄化能力を計算しました。イルヴァーンの深淵の力の推定量と照合した結果——浄化は十分間に合います。ただし条件があります」
「何だ」
「イルヴァーン自身が——深淵の力を手放す意志を持つこと。力を保持したまま封印から出れば——浄化が追いつかない。自ら力を手放し、人間の体に戻る覚悟があれば——回路が残りの深淵の力を浄化します」
「イルヴァーンに——選ばせるのか」
「はい。三千年前——イルヴァーンは深淵の力を選んだ。今度は——人間の体を選ぶかどうか」
全員が泉の水面を見つめた。光の柱が——静かに輝いている。
「イルヴァーン」レイドが水面に向かって呼びかけた。「聞こえているか」
沈黙。そして——声。
「聞こえている」
「お前に——選択肢がある。封印から出る方法がある。だが——深淵の力を手放す必要がある。全てを。人間の体に戻ることになる」
「人間の——体」
「三千年前——お前は人間だった。術者の一人だった。その体に——戻れる」
「……体は——もう残っていない。三千年で——深淵の力に置き換わっている。力を手放せば——何も残らないかもしれない」
「リーシャの計算では——人間の核は残っている。深淵の力の奥に。三千年間——消えずに」
「消えずに——」
「お前が回路の完成を望んだこと。世界を完成させたいと思ったこと。——それは深淵の力の望みではない。人間の望みだ。人間の核が——まだ生きている」
泉の光が——揺れた。大きく。イルヴァーンの感情が——水面を波立たせている。
「怖い」
イルヴァーンの声が——初めて震えた。
「三千年——深淵の力と共にいた。力がなくなれば——俺は何者だ。術者としての力も。深淵の王としての力も。全てを失って——何が残る」
「お前が残る」ヴェルディアが答えた。「私も——柱の力を全て失った。竜の力も。三千年の魔力も。残ったのは——この体だけだ。だが——」
ヴェルディアが立ち上がった。よろめきながら——泉の縁に立った。
「これでいい。力がなくても——世界は美しい。飯が美味い。朝日が温かい。仲間がいる。——力を失って初めて、それを知った」
「ヴェルディア——」
「怖いなら——一緒に怖がればいい。お前は独りじゃない。——もう」
長い沈黙。
泉の水面が——静かに鳴った。波紋が広がり、消え、また広がる。
「……やってくれ」
イルヴァーンの声が——静かに響いた。
「力を——手放す。人間に——戻る。怖いが——これ以上、独りは嫌だ」
◇
ヴェルディアが泉の縁にしゃがみ、水面に手を浸した。
「五つの結晶球に——指示を送る。封印機能の停止。浄化機能への転換。——リーシャ、回路の浄化系を起動してくれ」
リーシャが水底の紋様に手を触れた。碧の光が——回路の特定の経路を走った。浄化機能。世界の回路に組み込まれた自浄作用が——起動した。
「準備完了」
「イルヴァーン。——始めるぞ」
「……ああ」
ヴェルディアが目を閉じた。泉を通じて——五つの神殿の結晶球に意志を送った。南端の岬。砂漠。サルディス。東回廊の山中。海底。五つの結晶球が——同時に脈動した。
封印機能が——停止した。
泉の水面が赤く染まった。深淵の底から——赤い光が湧き上がってきた。イルヴァーンの深淵の力が——封印を抜けて上昇してくる。
「来た——」ガレスが大盾を構えた。
「戦闘じゃない」レイドが制した。「——見守れ」
赤い光が泉の水面を突き破った。泉全体が赤い光に包まれた。光の柱が——赤い光と混ざり合った。
「浄化機能——作動中」リーシャが報告した。「回路が——深淵の力を分解しています」
赤い光が——少しずつ薄くなっていった。泉の光の柱が——赤い成分を吸収し、浄化し、透明に変えていく。
そして——泉の中心から、何かが浮き上がってきた。
人の形だ。
黒い影のような——朧げな人の形。深淵の力に包まれた体が——力を失いながら、泉の水面に向かって浮上してくる。
水面を突き破って——頭が出た。肩が出た。
男だった。
痩せた体。長い黒髪が水に濡れて張りついている。目は閉じている。肌は蒼白で——だが、人間の肌だ。鱗もない。黒い結晶もない。
「イルヴァーン——」ヴェルディアが手を伸ばした。
男の体を泉から引き上げた。レイドとガレスが手伝い、泉の畔に横たえた。
イルヴァーンの目が——ゆっくりと開いた。
深い黒の瞳。三千年前の——人間の瞳。
「——明るい」
掠れた声だった。
「光が——見える。赤くない光が。——久しぶりだ」
ヴェルディアが——イルヴァーンの手を握った。
「お帰り」
「……ただいま」
イルヴァーンの目から——涙が流れた。黒い涙ではない。透明な涙。人間の涙。三千年ぶりの——人間の涙。
「体が——軽い。力がない。指も——うまく動かない。——これが、人間か」
「これが——人間だ。慣れる。——私も慣れた」
イルヴァーンが空を見上げた。地下空洞の天井。苔の光。
「美しい——のか。これが」
「美しい」ヴェルディアが答えた。
「……そうか」
イルヴァーンの瞼が——重くなった。三千年ぶりの人間の体が——眠りを求めている。
「眠っていい。——守ってやる」
「守って——くれるのか。裏切り者の——俺を」
「お前は——帰ってきた。それでいい」
イルヴァーンの目が閉じた。穏やかな寝息が——泉の畔に響いた。
レイドは全員を見回した。十人の仲間。そして——眠っている一人。
「終わったか——」ガレスが呟いた。
「終わった」レイドが答えた。「封印も。回路も。——全部」
泉の光の柱が——穏やかに輝いていた。十色の光が混ざり合い、虹のように重なっている。世界の心臓が——静かに鼓動している。
レイドは深く息を吸った。地下空洞の湿った空気。冷たくて——澄んでいる。
全てが——終わった。
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