勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした

ポポリーナ

文字の大きさ
122 / 127

地上の光

しおりを挟む
 長い階段を上がった。

 ヴェルデ聖堂の地下通路。苔の光に照らされた石壁。三千年前のヴェルディアの爪痕が——壁面に刻まれている。

 ガレスがイルヴァーンを背負っていた。痩せた体は軽い。人間に戻ったばかりの体は——歩く力もない。

「重くねえよ」ガレスが言った。「こんな痩せっぽちを背負うくらい、朝飯前だ」

「……すまない」イルヴァーンの声は掠れていた。目を開けているが——世界がまだうまく見えないようだ。瞳が焦点を結ばない。

「三千年も体を使ってなきゃ——そうなるだろうよ。まあ、じきに慣れる」

「慣れる——のか」

「ヴェルディアが慣れた。お前も慣れる」

 通路が——明るくなった。地上の光が近い。

 最後の角を曲がった時——

 光が溢れた。

 聖堂の入口から差し込む太陽の光。金色の光が通路の石壁を照らし、影を追い払った。

 全員が——足を止めた。

 外に出た。

 ヴェルデの森。緑が——眩しい。木の葉が陽光を透かし、翡翠色の光を地面に散りばめている。鳥が鳴いている。風が——温かい。草の匂い。土の匂い。生きている世界の匂い。

「晴れているな」ジークが空を見上げた。雲一つない青空。

「嵐が——止まっている」セレナが両手を広げた。風を受けて——白い髪が揺れた。「地脈も——穏やかだ。感じます。世界が——落ち着いている」

 フェリクスが計測器を確認した。

「魔力の流れが——正常値に戻っています。いや——正常値を超えている。記録上、最も安定した数値だ」

「回路の効果が——地上にも出ているのか」

「出ています。世界の均衡が——自律的に維持されている。回路がなかった時代より——遥かに安定している」

 ミラが木に登った。猫のように軽々と枝を伝い、高い位置から周囲を見渡した。

「海が見える! 碧い海! 波も穏やか! ——嵐の痕跡も——もう消えかけてる!」

 レイドは深く息を吸った。森の空気。湿った土。花の香り。——生きている。世界が生きている。

 リーシャが隣に来た。銀髪に木漏れ日が落ちている。碧眼が——潤んでいた。

「きれい——ですね」

「ああ。——きれいだ」

「この世界を——守れました」

「守れた。——お前のおかげだ」

 リーシャが首を横に振った。

「みんなのおかげです。十人の——みんなの」


  ◇


 ヴェルデの街に降りた。

 街は——無事だった。嵐で一部の屋根が飛んでいたが、建物は健在だ。街の人々が——修復作業をしている。

「おお——旅人さんたち!」

 宿屋の主人が駆け寄ってきた。顔が日に焼けた中年の男。

「無事だったかい! ここ数日——ひどい嵐だったんだ。地震もあった。だが今朝——嘘みたいに収まった。空も海も——こんなに穏やかなのは何年ぶりか」

「何年ぶり——じゃないかもしれない」レイドが答えた。「これからは——ずっとこうだ」

「ほう? そりゃ嬉しいね。——ところで、そのお兄さんは大丈夫かい?」

 ガレスの背中のイルヴァーンを見ている。

「少し疲れている。——部屋を借りたい」

「もちろんだ。十人分——いや、十一人分か。用意するよ」

 宿屋に入った。温かい食事が出てきた。パンとスープと焼き魚。港町の素朴な料理。

 全員がテーブルについた。イルヴァーンを椅子に座らせた。

「食べられるか」ヴェルディアがスプーンを差し出した。

「食べ——方を忘れた」

「口を開けて——入れて——噛んで——飲む。それだけだ。難しくない」

 イルヴァーンがスープを一口——口に含んだ。

 目が——見開かれた。

「温かい」

「当然だ。スープだからな」

「味が——ある。塩と——何かの野菜と——」

「カブだ」ガレスが言った。「港町のカブのスープ。素朴だが美味い」

 イルヴァーンがもう一口。もう一口。スプーンを握る手が——震えている。だが止まらない。

「美味い——美味いな——こんなもの——三千年——」

 涙がスープに落ちた。ヴェルディアが黙って——イルヴァーンの背中をさすった。

「分かる。私も——最初のスープで泣いた」

「お前も——泣いたのか」

「泣いた。——恥ずかしいが」

 テーブルの全員が——黙って二人を見守った。ガレスが鼻をすすった。ミラが目元を拭った。

 スープが空になった。イルヴァーンがスプーンを置いた。

「もう一杯——もらえるか」

「いくらでも」宿屋の主人が笑って鍋を持ってきた。


  ◇


 食事の後、レイドは宿の屋上に上がった。

 海が見えた。碧い海。穏やかな波。夕陽が水平線を橙に染めている。嵐の気配はどこにもない。

 アルヴィンが隣に来た。

「レイド」

「何だ」

「俺は——王都に帰る。聖教会の改革がある。マルティウスの後始末も。——お前は?」

「俺は——」

 レイドは海を見つめた。長い旅だった。死に戻りの日から——ここまで。

「まだ——決めてない。やるべきことは——もう残っていない」

「残っていないか。——いいな。俺には山ほどある」

「お前は好きでやってるだろう」

 アルヴィンが笑った。金髪が夕陽に輝いている。

「好きで——やっている。勇者としてではなく。一人の人間として。——レイド、お前がいなければ、俺は勇者のまま死んでいた」

「大げさだ」

「大げさではない。——お前に感謝している。死に戻りの話を聞いた時——正直、信じられなかった。だが今は——お前が戻ってきてくれたことに感謝している」

 二人は夕陽を見つめた。海の上に——光の道が伸びている。

「王都で——会おう」レイドが言った。

「ああ。——会おう」

 アルヴィンが手を差し出した。レイドがその手を握った。

 一周目では——この手に殺された。二周目では——この手と共に世界を救った。

 手を離した。アルヴィンが屋上を去った。

 レイドは一人で海を見つめた。夕陽が沈んでいく。空が橙から紫に——紫から藍に変わっていく。星が一つ、二つ——現れた。

 全てが——終わった。

 旅が——終わった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

処理中です...