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地上の光
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長い階段を上がった。
ヴェルデ聖堂の地下通路。苔の光に照らされた石壁。三千年前のヴェルディアの爪痕が——壁面に刻まれている。
ガレスがイルヴァーンを背負っていた。痩せた体は軽い。人間に戻ったばかりの体は——歩く力もない。
「重くねえよ」ガレスが言った。「こんな痩せっぽちを背負うくらい、朝飯前だ」
「……すまない」イルヴァーンの声は掠れていた。目を開けているが——世界がまだうまく見えないようだ。瞳が焦点を結ばない。
「三千年も体を使ってなきゃ——そうなるだろうよ。まあ、じきに慣れる」
「慣れる——のか」
「ヴェルディアが慣れた。お前も慣れる」
通路が——明るくなった。地上の光が近い。
最後の角を曲がった時——
光が溢れた。
聖堂の入口から差し込む太陽の光。金色の光が通路の石壁を照らし、影を追い払った。
全員が——足を止めた。
外に出た。
ヴェルデの森。緑が——眩しい。木の葉が陽光を透かし、翡翠色の光を地面に散りばめている。鳥が鳴いている。風が——温かい。草の匂い。土の匂い。生きている世界の匂い。
「晴れているな」ジークが空を見上げた。雲一つない青空。
「嵐が——止まっている」セレナが両手を広げた。風を受けて——白い髪が揺れた。「地脈も——穏やかだ。感じます。世界が——落ち着いている」
フェリクスが計測器を確認した。
「魔力の流れが——正常値に戻っています。いや——正常値を超えている。記録上、最も安定した数値だ」
「回路の効果が——地上にも出ているのか」
「出ています。世界の均衡が——自律的に維持されている。回路がなかった時代より——遥かに安定している」
ミラが木に登った。猫のように軽々と枝を伝い、高い位置から周囲を見渡した。
「海が見える! 碧い海! 波も穏やか! ——嵐の痕跡も——もう消えかけてる!」
レイドは深く息を吸った。森の空気。湿った土。花の香り。——生きている。世界が生きている。
リーシャが隣に来た。銀髪に木漏れ日が落ちている。碧眼が——潤んでいた。
「きれい——ですね」
「ああ。——きれいだ」
「この世界を——守れました」
「守れた。——お前のおかげだ」
リーシャが首を横に振った。
「みんなのおかげです。十人の——みんなの」
◇
ヴェルデの街に降りた。
街は——無事だった。嵐で一部の屋根が飛んでいたが、建物は健在だ。街の人々が——修復作業をしている。
「おお——旅人さんたち!」
宿屋の主人が駆け寄ってきた。顔が日に焼けた中年の男。
「無事だったかい! ここ数日——ひどい嵐だったんだ。地震もあった。だが今朝——嘘みたいに収まった。空も海も——こんなに穏やかなのは何年ぶりか」
「何年ぶり——じゃないかもしれない」レイドが答えた。「これからは——ずっとこうだ」
「ほう? そりゃ嬉しいね。——ところで、そのお兄さんは大丈夫かい?」
ガレスの背中のイルヴァーンを見ている。
「少し疲れている。——部屋を借りたい」
「もちろんだ。十人分——いや、十一人分か。用意するよ」
宿屋に入った。温かい食事が出てきた。パンとスープと焼き魚。港町の素朴な料理。
全員がテーブルについた。イルヴァーンを椅子に座らせた。
「食べられるか」ヴェルディアがスプーンを差し出した。
「食べ——方を忘れた」
「口を開けて——入れて——噛んで——飲む。それだけだ。難しくない」
イルヴァーンがスープを一口——口に含んだ。
目が——見開かれた。
「温かい」
「当然だ。スープだからな」
「味が——ある。塩と——何かの野菜と——」
「カブだ」ガレスが言った。「港町のカブのスープ。素朴だが美味い」
イルヴァーンがもう一口。もう一口。スプーンを握る手が——震えている。だが止まらない。
「美味い——美味いな——こんなもの——三千年——」
涙がスープに落ちた。ヴェルディアが黙って——イルヴァーンの背中をさすった。
「分かる。私も——最初のスープで泣いた」
「お前も——泣いたのか」
「泣いた。——恥ずかしいが」
テーブルの全員が——黙って二人を見守った。ガレスが鼻をすすった。ミラが目元を拭った。
スープが空になった。イルヴァーンがスプーンを置いた。
「もう一杯——もらえるか」
「いくらでも」宿屋の主人が笑って鍋を持ってきた。
◇
食事の後、レイドは宿の屋上に上がった。
海が見えた。碧い海。穏やかな波。夕陽が水平線を橙に染めている。嵐の気配はどこにもない。
アルヴィンが隣に来た。
「レイド」
「何だ」
「俺は——王都に帰る。聖教会の改革がある。マルティウスの後始末も。——お前は?」
「俺は——」
レイドは海を見つめた。長い旅だった。死に戻りの日から——ここまで。
「まだ——決めてない。やるべきことは——もう残っていない」
「残っていないか。——いいな。俺には山ほどある」
「お前は好きでやってるだろう」
アルヴィンが笑った。金髪が夕陽に輝いている。
「好きで——やっている。勇者としてではなく。一人の人間として。——レイド、お前がいなければ、俺は勇者のまま死んでいた」
「大げさだ」
「大げさではない。——お前に感謝している。死に戻りの話を聞いた時——正直、信じられなかった。だが今は——お前が戻ってきてくれたことに感謝している」
二人は夕陽を見つめた。海の上に——光の道が伸びている。
「王都で——会おう」レイドが言った。
「ああ。——会おう」
アルヴィンが手を差し出した。レイドがその手を握った。
一周目では——この手に殺された。二周目では——この手と共に世界を救った。
手を離した。アルヴィンが屋上を去った。
レイドは一人で海を見つめた。夕陽が沈んでいく。空が橙から紫に——紫から藍に変わっていく。星が一つ、二つ——現れた。
全てが——終わった。
旅が——終わった。
ヴェルデ聖堂の地下通路。苔の光に照らされた石壁。三千年前のヴェルディアの爪痕が——壁面に刻まれている。
ガレスがイルヴァーンを背負っていた。痩せた体は軽い。人間に戻ったばかりの体は——歩く力もない。
「重くねえよ」ガレスが言った。「こんな痩せっぽちを背負うくらい、朝飯前だ」
「……すまない」イルヴァーンの声は掠れていた。目を開けているが——世界がまだうまく見えないようだ。瞳が焦点を結ばない。
「三千年も体を使ってなきゃ——そうなるだろうよ。まあ、じきに慣れる」
「慣れる——のか」
「ヴェルディアが慣れた。お前も慣れる」
通路が——明るくなった。地上の光が近い。
最後の角を曲がった時——
光が溢れた。
聖堂の入口から差し込む太陽の光。金色の光が通路の石壁を照らし、影を追い払った。
全員が——足を止めた。
外に出た。
ヴェルデの森。緑が——眩しい。木の葉が陽光を透かし、翡翠色の光を地面に散りばめている。鳥が鳴いている。風が——温かい。草の匂い。土の匂い。生きている世界の匂い。
「晴れているな」ジークが空を見上げた。雲一つない青空。
「嵐が——止まっている」セレナが両手を広げた。風を受けて——白い髪が揺れた。「地脈も——穏やかだ。感じます。世界が——落ち着いている」
フェリクスが計測器を確認した。
「魔力の流れが——正常値に戻っています。いや——正常値を超えている。記録上、最も安定した数値だ」
「回路の効果が——地上にも出ているのか」
「出ています。世界の均衡が——自律的に維持されている。回路がなかった時代より——遥かに安定している」
ミラが木に登った。猫のように軽々と枝を伝い、高い位置から周囲を見渡した。
「海が見える! 碧い海! 波も穏やか! ——嵐の痕跡も——もう消えかけてる!」
レイドは深く息を吸った。森の空気。湿った土。花の香り。——生きている。世界が生きている。
リーシャが隣に来た。銀髪に木漏れ日が落ちている。碧眼が——潤んでいた。
「きれい——ですね」
「ああ。——きれいだ」
「この世界を——守れました」
「守れた。——お前のおかげだ」
リーシャが首を横に振った。
「みんなのおかげです。十人の——みんなの」
◇
ヴェルデの街に降りた。
街は——無事だった。嵐で一部の屋根が飛んでいたが、建物は健在だ。街の人々が——修復作業をしている。
「おお——旅人さんたち!」
宿屋の主人が駆け寄ってきた。顔が日に焼けた中年の男。
「無事だったかい! ここ数日——ひどい嵐だったんだ。地震もあった。だが今朝——嘘みたいに収まった。空も海も——こんなに穏やかなのは何年ぶりか」
「何年ぶり——じゃないかもしれない」レイドが答えた。「これからは——ずっとこうだ」
「ほう? そりゃ嬉しいね。——ところで、そのお兄さんは大丈夫かい?」
ガレスの背中のイルヴァーンを見ている。
「少し疲れている。——部屋を借りたい」
「もちろんだ。十人分——いや、十一人分か。用意するよ」
宿屋に入った。温かい食事が出てきた。パンとスープと焼き魚。港町の素朴な料理。
全員がテーブルについた。イルヴァーンを椅子に座らせた。
「食べられるか」ヴェルディアがスプーンを差し出した。
「食べ——方を忘れた」
「口を開けて——入れて——噛んで——飲む。それだけだ。難しくない」
イルヴァーンがスープを一口——口に含んだ。
目が——見開かれた。
「温かい」
「当然だ。スープだからな」
「味が——ある。塩と——何かの野菜と——」
「カブだ」ガレスが言った。「港町のカブのスープ。素朴だが美味い」
イルヴァーンがもう一口。もう一口。スプーンを握る手が——震えている。だが止まらない。
「美味い——美味いな——こんなもの——三千年——」
涙がスープに落ちた。ヴェルディアが黙って——イルヴァーンの背中をさすった。
「分かる。私も——最初のスープで泣いた」
「お前も——泣いたのか」
「泣いた。——恥ずかしいが」
テーブルの全員が——黙って二人を見守った。ガレスが鼻をすすった。ミラが目元を拭った。
スープが空になった。イルヴァーンがスプーンを置いた。
「もう一杯——もらえるか」
「いくらでも」宿屋の主人が笑って鍋を持ってきた。
◇
食事の後、レイドは宿の屋上に上がった。
海が見えた。碧い海。穏やかな波。夕陽が水平線を橙に染めている。嵐の気配はどこにもない。
アルヴィンが隣に来た。
「レイド」
「何だ」
「俺は——王都に帰る。聖教会の改革がある。マルティウスの後始末も。——お前は?」
「俺は——」
レイドは海を見つめた。長い旅だった。死に戻りの日から——ここまで。
「まだ——決めてない。やるべきことは——もう残っていない」
「残っていないか。——いいな。俺には山ほどある」
「お前は好きでやってるだろう」
アルヴィンが笑った。金髪が夕陽に輝いている。
「好きで——やっている。勇者としてではなく。一人の人間として。——レイド、お前がいなければ、俺は勇者のまま死んでいた」
「大げさだ」
「大げさではない。——お前に感謝している。死に戻りの話を聞いた時——正直、信じられなかった。だが今は——お前が戻ってきてくれたことに感謝している」
二人は夕陽を見つめた。海の上に——光の道が伸びている。
「王都で——会おう」レイドが言った。
「ああ。——会おう」
アルヴィンが手を差し出した。レイドがその手を握った。
一周目では——この手に殺された。二周目では——この手と共に世界を救った。
手を離した。アルヴィンが屋上を去った。
レイドは一人で海を見つめた。夕陽が沈んでいく。空が橙から紫に——紫から藍に変わっていく。星が一つ、二つ——現れた。
全てが——終わった。
旅が——終わった。
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