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居場所のない教室
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朝靄が石造りの校舎を白く包む中、規則正しい衝撃音が校庭に響いていた。
ドスン。ドスン。ドスン。
剛田鉄心は、まだ薄暗い夜明けの校庭で腕立て伏せを繰り返している。吐く息が白い。芝生に降りた朝露が、両手の下でじわりと温まっていく。五百回を超えたあたりで、ようやく肩に心地よい張りが生まれてくる。
「——あれ、なんだ?」
「朝から……地震?」
寮の窓がいくつか開き、寝ぼけ眼の生徒たちが顔を出す。校庭の中央で巨体を上下させる人影を見つけると、一様に目を見開いた。
「ノーマジックの……」
「信じられない。あの体、本当に人間?」
ひそひそと交わされる囁き。だが鉄心の耳には届かない。集中しているのではなく、単純に五百メートル先の声など聞こえないだけだ。
「よし、千回!」
跳ね起きた鉄心が、朝日に向かって大きく伸びをする。肩甲骨がごきごきと鳴った。澄んだ朝の空気が肺を満たし、全身に力がみなぎる。
「いい朝だ。飯が楽しみだな」
そう、今日から学院生活が始まる。
◇
大食堂は、朝から魔法の光で満ちていた。
天井に浮かぶ無数の光球が柔らかな輝きを放ち、長テーブルには湯気を立てる料理が整然と並ぶ。焼きたてのパンの香ばしさ、ベーコンの脂が弾ける音、温かなスープの湯気——鉄心の腹が、盛大に鳴った。
「うおお、すげえ! バイキングじゃん!」
目を輝かせて席に着く。周囲の生徒たちは、銀色のフォークやナイフに軽く魔力を込め、食器が自動で料理を口元まで運んでいる。優雅な朝食風景。
鉄心もフォークを手に取った。
——動かない。
魔力感応式のカトラリーは、魔力のない鉄心の手の中でただの金属棒でしかなかった。何度か振ってみるが、うんともすんとも言わない。
「ま、いいか」
あっさり諦めた鉄心は、両手でパンを掴み、豪快にかぶりついた。次にスープ皿を持ち上げ、そのまま口をつけて飲み干す。
周囲の空気が凍る。
貴族の子息たちが、信じられないものを見る目で固まっている。一人の少年がフォークを取り落とし、からんと高い音が食堂に響いた。
「……手づかみ?」
「嘘でしょう。犬でももう少し行儀が——」
「うまい! ここの飯は最高だな!」
悪意ある囁きなど耳に入らない。鉄心はパンを三つ、ソーセージを十本、スープを四杯平らげ、満面の笑みで腹を叩いた。
食堂の隅で、セレナ・ミスティカが額を押さえている。
「……初日から、これですか」
手元のノートに、さらさらとペンが走る。『食事量:常人の約五倍。魔力感応器具への反応——ゼロ』。データの記録は怠らない。教師としての義務だと、自分に言い聞かせながら。
◇
二限目の鐘が鳴り、セレナに連れられた鉄心が教室の扉を開ける。
石灰岩の壁に囲まれた階段教室。三十の机が弧を描いて並び、それぞれに魔法の教科書と水晶のペンが置かれている。窓から差し込む光の中を、微かな魔力の粒子がきらきらと舞っていた。
三十対の目が、一斉に突き刺さる。
「特例入学の剛田鉄心です」
セレナの声は平坦だ。感情を削ぎ落とした、事務的な紹介。
「……色々ありますが、よろしくお願いします」
小さな溜息が漏れる。『色々』に詰め込まれた意味を、生徒たちは正確に読み取った。
「おう! よろしくな!」
鉄心が片手を上げ、教室全体に笑顔を向ける。
「筋トレ仲間募集中だ! 朝五時から校庭でやってるから、いつでも来てくれ!」
沈黙。
誰も笑わない。誰も頷かない。石壁よりも冷たい静寂が教室を支配する。
「ノーマジックが、同じ教室にいるなんて……」
前列の少女が、隣の席に小声で漏らす。
「教室の格が下がるわ。学院長は何を考えているのかしら」
鉄心は——気にしていなかった。本当に、まるで気にしていない。空いている最後列の隅の席に向かい、どすんと座る。椅子が悲鳴のような軋みを上げた。
「おー、この席いいな。後ろだから黒板見えにくいけど、まあなんとかなるだろ!」
セレナが教壇で目を細める。あの笑顔に翳りがない。嘲笑されても、無視されても、揺るがない。
——本物なのか。あれは演技ではなく、本当に気にしていないのか。
セレナの視線が、ふと教室の壁に並ぶ肖像画に移った。歴代首席の名が金文字で刻まれている。最新の一枚には『リリアーナ・フォン・アルカディア』の名。史上最年少で首席に就いた天才の肖像が、銀髪を靡かせてこちらを見下ろしている。
あの令嬢と、この筋肉の塊が同じ教室に収まる日が来るとは。セレナは内心で苦笑した。
「では、魔法理論の講義を始めます」
教科書が開かれる。セレナの声が流れるように魔法の基礎理論を解説していく。魔力回路の構造、属性変換の原理、詠唱と発動の因果関係——。
鉄心は必死だった。
水晶ペンが魔力に反応して動かないため、普通の炭筆を鞄から取り出し、ノートに文字を刻む。だが、黒板に描かれる魔法陣の図式は、外国語どころか象形文字のように見える。
「魔力回路ってのは……血管みたいなもんか?」
独り言が漏れる。前の席の生徒が振り返り、露骨に顔をしかめた。
三十分が過ぎる頃、鉄心の瞼が重くなってきた。セレナの声が子守唄に変わり、教科書の文字がぐにゃりと歪む。
——がくん。
頭が机にぶつかる鈍い音。鉄心は教科書に突っ伏して、寝息を立て始めた。
教室のあちこちから、失笑と嘲りが漏れる。
「やっぱりノーマジックには無理なのよ」
「獣に学問を教えるようなものだわ」
セレナの眉がぴくりと動く。注意すべきだ。だが——鉄心の机に目をやった瞬間、別のことが気になった。
開いたままの教科書。古代魔法陣の図版が載ったページ。その円環の模様が——どこかで見た気がする。あの巨大な拳甲に刻まれていた紋様と、似ていないか。
いや、まさか。偶然だろう。
セレナは考えを振り払い、講義を続けた。
教室の中段、窓際の席に座る少年が一人、眠りこけた鉄心をじっと見つめている。他の生徒のような嘲笑や嫌悪ではない。その茶色い瞳には、純粋な好奇心が宿っていた。
——カイル・ウィンザー。男爵家の三男。上に二人の兄がいるが、どちらも魔力に秀でた優等生だ。対してカイルの魔力量は中の下。家名を継ぐ資格もなく、兄たちの余り物のような扱いで学院に送り出された。入学式の日、父は兄たちには激励の手紙を寄こしたが、カイルには一言もなかった。
目立たない生徒。教室の序列でも下から数えた方が早い。「ウィンザー家の落ちこぼれ」——その囁きを、カイルは何度も聞いてきた。
だからこそ、わかる。教室の隅に追いやられる感覚。存在を無視される苦さ。鉄心が受けている仕打ちは、カイルにとって他人事ではなかった。
だが——あの男は笑っている。
嘲笑されても、無視されても、堂々と笑っている。カイルにはできなかったことを、あの巨体の男は息をするようにやっている。
なぜ、あれほどの体を作れるのだろう。魔力強化なしで、あの質量。あの密度。そして何より——あの折れない心は、どこから来るのか。
カイルはノートの端に、小さくメモを書き添える。『剛田鉄心——要観察』。
◇
昼休みの食堂は、朝以上の喧騒に包まれている。
グループごとに固まって座る生徒たち。名門貴族の子息は中央の上座、平民出身者は端の席。暗黙の序列が、座席の配置にそのまま表れていた。
鉄心は、誰もいないテーブルの端に一人で座った。
周囲のテーブルから、ちらちらと視線が飛ぶ。だが誰一人として、隣に座ろうとはしない。ノーマジックに関わることは、自分の評価を下げることと同義だ。
鉄心はそんな空気を意に介さず、山盛りの皿を三つ並べた。
「いただきます!」
今度は木のスプーンを持参している。朝の反省を活かしたのではなく、「手づかみだと効率が悪い」という純粋な合理性からだ。
もぐもぐと頬張りながら、鉄心は窓の外を眺める。校庭の向こうに広がる訓練場。午後はあそこで実技があるらしい。
「うまい! 肉が柔らかくて最高だな。ここの料理人、腕がいいぜ」
独り言なのか、誰かに話しかけているのか。本人にも区別はないのだろう。ただ美味いものを食べて、素直にそう口にする。それだけのことだ。
食堂の柱の陰から、セレナがその姿を見つめていた。
手元の皿には、ほとんど手をつけていないサンドイッチが載っている。食欲がないわけではない。考え事が、胃を重くしている。
——あの明るさは、本物なのだろうか。
排除と無視。初日にしてこの仕打ち。普通の人間なら心が折れる。自分なら——セレナは一瞬、遠い過去の記憶に触れかけて、すぐに蓋をした。
「この学院で魔力を持たない者が学んだ記録は、公式には一つもない」
昨夜、自分が鉄心に告げた言葉が脳裏をよぎる。『公式には』。あの含みに、鉄心は気づいただろうか。おそらく気づいていない。あの男は、そういう機微には鈍い。
だが——とセレナは目を細める。
鉄心の左手首に巻かれた包帯。朝の筋トレで擦りむいたのだろう。それでも箸を——いや、スプーンを握る手は力強く、迷いがない。
この学院で、あの男はどこまで持つのか。
一週間か。一ヶ月か。それとも——。
「……まったく」
小さく呟いて、セレナはサンドイッチに手を伸ばした。柄にもなく、気になっている自分がいる。教師として当然の関心だ。それ以上でも以下でもない。そう結論づけて、一口齧る。
そのとき——。
カァァァン、と高く澄んだ鐘の音が、食堂の天井を震わせた。
午後の授業開始を告げる鐘。
セレナが背筋を伸ばし、食堂の中央に声を通す。
「では午後は実技です。全員、訓練場へ」
教室がざわめく。実技——つまり、魔法を使う授業。ノーマジックにとっては、最も残酷な時間。
だが鉄心は、弾かれたように立ち上がった。目が輝いている。
「実技!? やっと体動かせるのか!」
拳を握り、ぐっと天に突き上げる。
「よっしゃ、筋トレで解決だ!」
食堂中の視線が集まる。嘲笑、困惑、呆れ——そして、柱の陰のセレナだけが、わずかに口元を歪めた。
あれは笑みだったのか、それとも。
「……あの人は、何を言っても無駄なんでしょうね」
誰にも聞こえない声で呟き、セレナは訓練場へと歩き出す。
その背中を、鉄心が大股で追いかけていく。
——魔法のない男が、魔法の実技に挑む。
それがどれほど無謀なことか、この時の鉄心はまだ知らない。
ドスン。ドスン。ドスン。
剛田鉄心は、まだ薄暗い夜明けの校庭で腕立て伏せを繰り返している。吐く息が白い。芝生に降りた朝露が、両手の下でじわりと温まっていく。五百回を超えたあたりで、ようやく肩に心地よい張りが生まれてくる。
「——あれ、なんだ?」
「朝から……地震?」
寮の窓がいくつか開き、寝ぼけ眼の生徒たちが顔を出す。校庭の中央で巨体を上下させる人影を見つけると、一様に目を見開いた。
「ノーマジックの……」
「信じられない。あの体、本当に人間?」
ひそひそと交わされる囁き。だが鉄心の耳には届かない。集中しているのではなく、単純に五百メートル先の声など聞こえないだけだ。
「よし、千回!」
跳ね起きた鉄心が、朝日に向かって大きく伸びをする。肩甲骨がごきごきと鳴った。澄んだ朝の空気が肺を満たし、全身に力がみなぎる。
「いい朝だ。飯が楽しみだな」
そう、今日から学院生活が始まる。
◇
大食堂は、朝から魔法の光で満ちていた。
天井に浮かぶ無数の光球が柔らかな輝きを放ち、長テーブルには湯気を立てる料理が整然と並ぶ。焼きたてのパンの香ばしさ、ベーコンの脂が弾ける音、温かなスープの湯気——鉄心の腹が、盛大に鳴った。
「うおお、すげえ! バイキングじゃん!」
目を輝かせて席に着く。周囲の生徒たちは、銀色のフォークやナイフに軽く魔力を込め、食器が自動で料理を口元まで運んでいる。優雅な朝食風景。
鉄心もフォークを手に取った。
——動かない。
魔力感応式のカトラリーは、魔力のない鉄心の手の中でただの金属棒でしかなかった。何度か振ってみるが、うんともすんとも言わない。
「ま、いいか」
あっさり諦めた鉄心は、両手でパンを掴み、豪快にかぶりついた。次にスープ皿を持ち上げ、そのまま口をつけて飲み干す。
周囲の空気が凍る。
貴族の子息たちが、信じられないものを見る目で固まっている。一人の少年がフォークを取り落とし、からんと高い音が食堂に響いた。
「……手づかみ?」
「嘘でしょう。犬でももう少し行儀が——」
「うまい! ここの飯は最高だな!」
悪意ある囁きなど耳に入らない。鉄心はパンを三つ、ソーセージを十本、スープを四杯平らげ、満面の笑みで腹を叩いた。
食堂の隅で、セレナ・ミスティカが額を押さえている。
「……初日から、これですか」
手元のノートに、さらさらとペンが走る。『食事量:常人の約五倍。魔力感応器具への反応——ゼロ』。データの記録は怠らない。教師としての義務だと、自分に言い聞かせながら。
◇
二限目の鐘が鳴り、セレナに連れられた鉄心が教室の扉を開ける。
石灰岩の壁に囲まれた階段教室。三十の机が弧を描いて並び、それぞれに魔法の教科書と水晶のペンが置かれている。窓から差し込む光の中を、微かな魔力の粒子がきらきらと舞っていた。
三十対の目が、一斉に突き刺さる。
「特例入学の剛田鉄心です」
セレナの声は平坦だ。感情を削ぎ落とした、事務的な紹介。
「……色々ありますが、よろしくお願いします」
小さな溜息が漏れる。『色々』に詰め込まれた意味を、生徒たちは正確に読み取った。
「おう! よろしくな!」
鉄心が片手を上げ、教室全体に笑顔を向ける。
「筋トレ仲間募集中だ! 朝五時から校庭でやってるから、いつでも来てくれ!」
沈黙。
誰も笑わない。誰も頷かない。石壁よりも冷たい静寂が教室を支配する。
「ノーマジックが、同じ教室にいるなんて……」
前列の少女が、隣の席に小声で漏らす。
「教室の格が下がるわ。学院長は何を考えているのかしら」
鉄心は——気にしていなかった。本当に、まるで気にしていない。空いている最後列の隅の席に向かい、どすんと座る。椅子が悲鳴のような軋みを上げた。
「おー、この席いいな。後ろだから黒板見えにくいけど、まあなんとかなるだろ!」
セレナが教壇で目を細める。あの笑顔に翳りがない。嘲笑されても、無視されても、揺るがない。
——本物なのか。あれは演技ではなく、本当に気にしていないのか。
セレナの視線が、ふと教室の壁に並ぶ肖像画に移った。歴代首席の名が金文字で刻まれている。最新の一枚には『リリアーナ・フォン・アルカディア』の名。史上最年少で首席に就いた天才の肖像が、銀髪を靡かせてこちらを見下ろしている。
あの令嬢と、この筋肉の塊が同じ教室に収まる日が来るとは。セレナは内心で苦笑した。
「では、魔法理論の講義を始めます」
教科書が開かれる。セレナの声が流れるように魔法の基礎理論を解説していく。魔力回路の構造、属性変換の原理、詠唱と発動の因果関係——。
鉄心は必死だった。
水晶ペンが魔力に反応して動かないため、普通の炭筆を鞄から取り出し、ノートに文字を刻む。だが、黒板に描かれる魔法陣の図式は、外国語どころか象形文字のように見える。
「魔力回路ってのは……血管みたいなもんか?」
独り言が漏れる。前の席の生徒が振り返り、露骨に顔をしかめた。
三十分が過ぎる頃、鉄心の瞼が重くなってきた。セレナの声が子守唄に変わり、教科書の文字がぐにゃりと歪む。
——がくん。
頭が机にぶつかる鈍い音。鉄心は教科書に突っ伏して、寝息を立て始めた。
教室のあちこちから、失笑と嘲りが漏れる。
「やっぱりノーマジックには無理なのよ」
「獣に学問を教えるようなものだわ」
セレナの眉がぴくりと動く。注意すべきだ。だが——鉄心の机に目をやった瞬間、別のことが気になった。
開いたままの教科書。古代魔法陣の図版が載ったページ。その円環の模様が——どこかで見た気がする。あの巨大な拳甲に刻まれていた紋様と、似ていないか。
いや、まさか。偶然だろう。
セレナは考えを振り払い、講義を続けた。
教室の中段、窓際の席に座る少年が一人、眠りこけた鉄心をじっと見つめている。他の生徒のような嘲笑や嫌悪ではない。その茶色い瞳には、純粋な好奇心が宿っていた。
——カイル・ウィンザー。男爵家の三男。上に二人の兄がいるが、どちらも魔力に秀でた優等生だ。対してカイルの魔力量は中の下。家名を継ぐ資格もなく、兄たちの余り物のような扱いで学院に送り出された。入学式の日、父は兄たちには激励の手紙を寄こしたが、カイルには一言もなかった。
目立たない生徒。教室の序列でも下から数えた方が早い。「ウィンザー家の落ちこぼれ」——その囁きを、カイルは何度も聞いてきた。
だからこそ、わかる。教室の隅に追いやられる感覚。存在を無視される苦さ。鉄心が受けている仕打ちは、カイルにとって他人事ではなかった。
だが——あの男は笑っている。
嘲笑されても、無視されても、堂々と笑っている。カイルにはできなかったことを、あの巨体の男は息をするようにやっている。
なぜ、あれほどの体を作れるのだろう。魔力強化なしで、あの質量。あの密度。そして何より——あの折れない心は、どこから来るのか。
カイルはノートの端に、小さくメモを書き添える。『剛田鉄心——要観察』。
◇
昼休みの食堂は、朝以上の喧騒に包まれている。
グループごとに固まって座る生徒たち。名門貴族の子息は中央の上座、平民出身者は端の席。暗黙の序列が、座席の配置にそのまま表れていた。
鉄心は、誰もいないテーブルの端に一人で座った。
周囲のテーブルから、ちらちらと視線が飛ぶ。だが誰一人として、隣に座ろうとはしない。ノーマジックに関わることは、自分の評価を下げることと同義だ。
鉄心はそんな空気を意に介さず、山盛りの皿を三つ並べた。
「いただきます!」
今度は木のスプーンを持参している。朝の反省を活かしたのではなく、「手づかみだと効率が悪い」という純粋な合理性からだ。
もぐもぐと頬張りながら、鉄心は窓の外を眺める。校庭の向こうに広がる訓練場。午後はあそこで実技があるらしい。
「うまい! 肉が柔らかくて最高だな。ここの料理人、腕がいいぜ」
独り言なのか、誰かに話しかけているのか。本人にも区別はないのだろう。ただ美味いものを食べて、素直にそう口にする。それだけのことだ。
食堂の柱の陰から、セレナがその姿を見つめていた。
手元の皿には、ほとんど手をつけていないサンドイッチが載っている。食欲がないわけではない。考え事が、胃を重くしている。
——あの明るさは、本物なのだろうか。
排除と無視。初日にしてこの仕打ち。普通の人間なら心が折れる。自分なら——セレナは一瞬、遠い過去の記憶に触れかけて、すぐに蓋をした。
「この学院で魔力を持たない者が学んだ記録は、公式には一つもない」
昨夜、自分が鉄心に告げた言葉が脳裏をよぎる。『公式には』。あの含みに、鉄心は気づいただろうか。おそらく気づいていない。あの男は、そういう機微には鈍い。
だが——とセレナは目を細める。
鉄心の左手首に巻かれた包帯。朝の筋トレで擦りむいたのだろう。それでも箸を——いや、スプーンを握る手は力強く、迷いがない。
この学院で、あの男はどこまで持つのか。
一週間か。一ヶ月か。それとも——。
「……まったく」
小さく呟いて、セレナはサンドイッチに手を伸ばした。柄にもなく、気になっている自分がいる。教師として当然の関心だ。それ以上でも以下でもない。そう結論づけて、一口齧る。
そのとき——。
カァァァン、と高く澄んだ鐘の音が、食堂の天井を震わせた。
午後の授業開始を告げる鐘。
セレナが背筋を伸ばし、食堂の中央に声を通す。
「では午後は実技です。全員、訓練場へ」
教室がざわめく。実技——つまり、魔法を使う授業。ノーマジックにとっては、最も残酷な時間。
だが鉄心は、弾かれたように立ち上がった。目が輝いている。
「実技!? やっと体動かせるのか!」
拳を握り、ぐっと天に突き上げる。
「よっしゃ、筋トレで解決だ!」
食堂中の視線が集まる。嘲笑、困惑、呆れ——そして、柱の陰のセレナだけが、わずかに口元を歪めた。
あれは笑みだったのか、それとも。
「……あの人は、何を言っても無駄なんでしょうね」
誰にも聞こえない声で呟き、セレナは訓練場へと歩き出す。
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