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告白と宣戦
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書架に並んだ革表紙の背が、暖炉の明かりを吸い込んで鈍く光っていた。
ヴァルターの書斎は、学院長の部屋とは思えないほど質素だった。壁一面の書架。使い込まれた樫の机。暖炉の火が、深い皺の刻まれた老人の横顔を照らしている。
鉄心は書斎の椅子に座らず、壁に背を預けて立っていた。リリアーナとセレナが椅子に腰を下ろし、三人の視線がヴァルターに集まる。
誰も口を開かない。暖炉の薪が爆ぜて、小さな火の粉が床石に散った。
ヴァルターは背を向けたまま、書架の一角に手を伸ばした。古びた木箱を引き出す。蓋を開けると、中から鈍い銀色の光沢を放つ金属片が現れた。
星鉄鋼。
鉄心の拳甲と同じ輝きだった。
「……七十二年前のものじゃ」
ヴァルターの声は、いつもの威厳を脱ぎ捨てていた。まるで長い旅路の果てに、ようやく荷を下ろした旅人のような——掠れた、低い声。
「儂は魔力が低かった。貴族の家系でありながら、同期の半分にも満たぬ魔力量。嘲笑の的じゃった」
リリアーナの息が止まった。大陸最強の大魔導士が——魔力が低かった?
「だから鍛えた。体を。誰にも見られぬよう、夜ごと森に入り、走り、岩を砕いた」
ヴァルターが振り返った。暖炉の炎が、その目に揺れる光を落とす。
「そして見つけてしまった。古い文献の中に——練筋術の記述を」
セレナがノートを胸に押し当てた。指先が白くなるほど強く。地下で見つけた文献と、同じものだ。
「研究を進めるうちに、もう一つの真実に辿り着いた」
ヴァルターの手が、机の縁を白くなるまで握りしめた。
「魔力枯渇。この世界の魔力は——有限じゃった」
◇
暖炉の火が一瞬、大きく揺れた。風が窓の隙間から忍び込んだのか。それとも、この部屋に満ちた緊張が空気を震わせたのか。
「当時の宮廷魔導士長に報告した」
ヴァルターは椅子に腰を下ろした。背もたれに体を預ける姿は、百歳を超えた老人そのものだった。
「結果は——脅迫じゃった。『秩序のために沈黙せよ。さもなくば、お前の家族が消える』と」
「……っ」
リリアーナが唇を噛んだ。
「研究を封印した。練筋術の文献を地下に隠し、星鉄鋼の試作品をこの箱に入れて——儂は魔法の道に転じた。低い魔力を、七十年かけて鍛え上げ、大陸最強と呼ばれるまでに」
乾いた笑いが漏れた。自嘲だった。
「認めん、と——何度言ったか分からぬ。筋力ごときが魔法を超えるなど、と。あれは、世界に向けた言葉ではなかった」
ヴァルターの目が、真っ直ぐに鉄心を捉えた。
「自分自身に言い聞かせておったのじゃ」
暖炉の薪が崩れ落ち、火の粉が宙に舞い上がった。誰も、それを見ていなかった。
「お前を排除しようとしたのは——」
老人の声が、途切れた。喉の奥で何かが詰まったように。
「お前が、若き日の儂そのものだったからじゃ」
鉄心は黙っていた。壁に預けた背中を起こし、一歩、ヴァルターに近づいた。
「……あんた」
低い声だった。普段の豪快さはなかった。
「ずっと、一人で背負ってたんだな」
ヴァルターの肩が揺れた。唇が歪む。返す言葉を探すように、視線が泳いだ。
リリアーナが膝の上で拳を握りしめた。何か言おうとして——言葉を飲み込む。視線を落とし、自分の白い手の甲を見つめた。七十二年。この人は、七十二年もの間——。
セレナは眼鏡の奥の目を伏せていた。ノートの表紙を指でなぞりながら、長い息を吐く。
「……学院長。わたくし——」
リリアーナが顔を上げた、その時——。
◇
書斎の扉が、蹴り開けられた。
冷たい空気が流れ込む。廊下に立っていたのは、紫紺の法衣に身を包んだ長身の男だった。鷲鼻に細い目。薄い唇が、蔑みを含んだ弧を描いている。
背後に、武装した魔法騎士が六人。
「学院長閣下。突然の訪問、ご容赦いただきたい」
慇懃な声。だが目は笑っていなかった。
「枢機卿ゲオルク・フォン・ドラクロワ……」
セレナが立ち上がった。椅子が床を擦る音が鋭く響く。
「魔力至純派の——」
「異端調査の令状を持参した」
ドラクロワが羊皮紙を広げた。蝋印が暖炉の光を受けて赤黒く光る。
「剛田鉄心。筋力崇拝の異端的行為、および禁じられた古代術の使用により——身柄を拘束する」
リリアーナが弾かれたように立ち上がった。
「お待ちなさい! 正式な裁判も経ずに——」
「黙りなさい、アルカディア家の令嬢」
ドラクロワの視線が、ナイフのようにリリアーナを射抜いた。
「貴女の家名に泥を塗るのは得策ではないと思うが?」
「——退け」
低い声が、書斎に落ちた。
ヴァルターが立ち上がっていた。先ほどまでの疲れ切った老人の姿は消えていた。大陸最強の大魔導士の威圧が、部屋の空気を凍てつかせる。
「学院の中で学生の身柄を拘束する権限は、学院長にしかない。枢機卿であろうと——この書斎から出ていけ」
ドラクロワの目が細まった。薄い唇が歪む。
「……やはり、庇い立てなさるか」
一歩、後退した。だが、その目には余裕があった。
「結構。だが覚えておかれよ、学院長閣下。貴族議会の決議は既に得ている。次に来る時は——軍を連れてくる」
法衣の裾を翻し、ドラクロワは廊下へ消えた。魔法騎士たちの鎧が鳴る音が遠ざかっていく。
◇
ドラクロワの足音が完全に消えた。だが、去った後の空気は先ほどまでとは質が異なっていた。嵐の前の静けさ。空気に含まれた緊張が、肌を刺すように冷たい。
「時間がない」
ヴァルターが呟いた。窓の外に目を向ける。二つの月が、薄い雲の向こうで光っていた。
「ドラクロワは本気じゃ。軍を動かす政治力がある」
「逃げたほうがいいんじゃ——」
セレナが言いかけた。
「逃げねえよ」
鉄心の声が、書斎に響いた。
壁から背を離し、部屋の中央に立つ。拳を握りしめた。星鉄鋼の拳甲の重みが、拳に馴染んでいる。
「逃げも隠れもしねえ。俺は俺のやり方で戦う」
リリアーナが、鉄心の隣に歩み出た。銀髪が暖炉の炎に照らされて、淡い金色に染まっている。
「……あなた、本当に馬鹿ですわ」
声は掠れていた。だが、その目は真っ直ぐだった。
「でも——わたくしも、逃げませんわ」
書斎の扉が開いた。エリオットが飛び込んでくる。息を切らし、頬に汗が光っている。
「聞こえてた——廊下まで全部聞こえてたぞ! 俺も戦う!」
その背後から、カイルが静かに姿を現した。眼鏡の奥の目が、いつになく鋭い。
「……逃げ道の確保と情報戦は僕に任せて。戦うにしても、馬鹿正直にやるだけじゃ勝てない」
最後に、廊下の影からレオンハルトが腕を組んで壁に寄りかかった。
「貴族議会の内部にも、至純派に反対する派閥はある。使えるコネは使う」
鉄心は仲間たちを見回した。唇の端が、ゆっくりと持ち上がる。
「——おう。頼りにしてるぜ、お前ら」
ヴァルターは五人の若者を見つめていた。苦い笑みが、深い皺の間に浮かぶ。手の中の星鉄鋼の欠片を、そっと机の上に置いた。
「……やれやれ。儂も、もう隠す側でいるのは限界じゃ」
その言葉には、七十二年分の重さがあった。
「学院の中にも、至純派に与する教授が何人かおる。そやつらの動きは儂が抑える。外の戦いはお前たちに任せるが——内側は、儂の領分じゃ」
鉄心が手を差し出した。何も言わず、ただ——大きな掌を、ヴァルターの前に。
老人は目を見開いた。痩せた手が伸びかけて——止まり——そして、節くれ立った指が、鉄心の掌を握った。
華奢な。だが確かな力が込められた握手だった。
その瞬間——。
窓硝子が、微かに震えた。
鉄心が振り返る。窓の外、暗い月の下で、学院を包む結界が大きく揺らいでいた。透明な膜に亀裂が走るように、青白い光が明滅する。
ヴァルターの顔から、血の気が引いた。
「結界の魔力供給装置が——」
老人の声が掠れた。
「何者かに、破壊された」
学院が、無防備になった。
ヴァルターの書斎は、学院長の部屋とは思えないほど質素だった。壁一面の書架。使い込まれた樫の机。暖炉の火が、深い皺の刻まれた老人の横顔を照らしている。
鉄心は書斎の椅子に座らず、壁に背を預けて立っていた。リリアーナとセレナが椅子に腰を下ろし、三人の視線がヴァルターに集まる。
誰も口を開かない。暖炉の薪が爆ぜて、小さな火の粉が床石に散った。
ヴァルターは背を向けたまま、書架の一角に手を伸ばした。古びた木箱を引き出す。蓋を開けると、中から鈍い銀色の光沢を放つ金属片が現れた。
星鉄鋼。
鉄心の拳甲と同じ輝きだった。
「……七十二年前のものじゃ」
ヴァルターの声は、いつもの威厳を脱ぎ捨てていた。まるで長い旅路の果てに、ようやく荷を下ろした旅人のような——掠れた、低い声。
「儂は魔力が低かった。貴族の家系でありながら、同期の半分にも満たぬ魔力量。嘲笑の的じゃった」
リリアーナの息が止まった。大陸最強の大魔導士が——魔力が低かった?
「だから鍛えた。体を。誰にも見られぬよう、夜ごと森に入り、走り、岩を砕いた」
ヴァルターが振り返った。暖炉の炎が、その目に揺れる光を落とす。
「そして見つけてしまった。古い文献の中に——練筋術の記述を」
セレナがノートを胸に押し当てた。指先が白くなるほど強く。地下で見つけた文献と、同じものだ。
「研究を進めるうちに、もう一つの真実に辿り着いた」
ヴァルターの手が、机の縁を白くなるまで握りしめた。
「魔力枯渇。この世界の魔力は——有限じゃった」
◇
暖炉の火が一瞬、大きく揺れた。風が窓の隙間から忍び込んだのか。それとも、この部屋に満ちた緊張が空気を震わせたのか。
「当時の宮廷魔導士長に報告した」
ヴァルターは椅子に腰を下ろした。背もたれに体を預ける姿は、百歳を超えた老人そのものだった。
「結果は——脅迫じゃった。『秩序のために沈黙せよ。さもなくば、お前の家族が消える』と」
「……っ」
リリアーナが唇を噛んだ。
「研究を封印した。練筋術の文献を地下に隠し、星鉄鋼の試作品をこの箱に入れて——儂は魔法の道に転じた。低い魔力を、七十年かけて鍛え上げ、大陸最強と呼ばれるまでに」
乾いた笑いが漏れた。自嘲だった。
「認めん、と——何度言ったか分からぬ。筋力ごときが魔法を超えるなど、と。あれは、世界に向けた言葉ではなかった」
ヴァルターの目が、真っ直ぐに鉄心を捉えた。
「自分自身に言い聞かせておったのじゃ」
暖炉の薪が崩れ落ち、火の粉が宙に舞い上がった。誰も、それを見ていなかった。
「お前を排除しようとしたのは——」
老人の声が、途切れた。喉の奥で何かが詰まったように。
「お前が、若き日の儂そのものだったからじゃ」
鉄心は黙っていた。壁に預けた背中を起こし、一歩、ヴァルターに近づいた。
「……あんた」
低い声だった。普段の豪快さはなかった。
「ずっと、一人で背負ってたんだな」
ヴァルターの肩が揺れた。唇が歪む。返す言葉を探すように、視線が泳いだ。
リリアーナが膝の上で拳を握りしめた。何か言おうとして——言葉を飲み込む。視線を落とし、自分の白い手の甲を見つめた。七十二年。この人は、七十二年もの間——。
セレナは眼鏡の奥の目を伏せていた。ノートの表紙を指でなぞりながら、長い息を吐く。
「……学院長。わたくし——」
リリアーナが顔を上げた、その時——。
◇
書斎の扉が、蹴り開けられた。
冷たい空気が流れ込む。廊下に立っていたのは、紫紺の法衣に身を包んだ長身の男だった。鷲鼻に細い目。薄い唇が、蔑みを含んだ弧を描いている。
背後に、武装した魔法騎士が六人。
「学院長閣下。突然の訪問、ご容赦いただきたい」
慇懃な声。だが目は笑っていなかった。
「枢機卿ゲオルク・フォン・ドラクロワ……」
セレナが立ち上がった。椅子が床を擦る音が鋭く響く。
「魔力至純派の——」
「異端調査の令状を持参した」
ドラクロワが羊皮紙を広げた。蝋印が暖炉の光を受けて赤黒く光る。
「剛田鉄心。筋力崇拝の異端的行為、および禁じられた古代術の使用により——身柄を拘束する」
リリアーナが弾かれたように立ち上がった。
「お待ちなさい! 正式な裁判も経ずに——」
「黙りなさい、アルカディア家の令嬢」
ドラクロワの視線が、ナイフのようにリリアーナを射抜いた。
「貴女の家名に泥を塗るのは得策ではないと思うが?」
「——退け」
低い声が、書斎に落ちた。
ヴァルターが立ち上がっていた。先ほどまでの疲れ切った老人の姿は消えていた。大陸最強の大魔導士の威圧が、部屋の空気を凍てつかせる。
「学院の中で学生の身柄を拘束する権限は、学院長にしかない。枢機卿であろうと——この書斎から出ていけ」
ドラクロワの目が細まった。薄い唇が歪む。
「……やはり、庇い立てなさるか」
一歩、後退した。だが、その目には余裕があった。
「結構。だが覚えておかれよ、学院長閣下。貴族議会の決議は既に得ている。次に来る時は——軍を連れてくる」
法衣の裾を翻し、ドラクロワは廊下へ消えた。魔法騎士たちの鎧が鳴る音が遠ざかっていく。
◇
ドラクロワの足音が完全に消えた。だが、去った後の空気は先ほどまでとは質が異なっていた。嵐の前の静けさ。空気に含まれた緊張が、肌を刺すように冷たい。
「時間がない」
ヴァルターが呟いた。窓の外に目を向ける。二つの月が、薄い雲の向こうで光っていた。
「ドラクロワは本気じゃ。軍を動かす政治力がある」
「逃げたほうがいいんじゃ——」
セレナが言いかけた。
「逃げねえよ」
鉄心の声が、書斎に響いた。
壁から背を離し、部屋の中央に立つ。拳を握りしめた。星鉄鋼の拳甲の重みが、拳に馴染んでいる。
「逃げも隠れもしねえ。俺は俺のやり方で戦う」
リリアーナが、鉄心の隣に歩み出た。銀髪が暖炉の炎に照らされて、淡い金色に染まっている。
「……あなた、本当に馬鹿ですわ」
声は掠れていた。だが、その目は真っ直ぐだった。
「でも——わたくしも、逃げませんわ」
書斎の扉が開いた。エリオットが飛び込んでくる。息を切らし、頬に汗が光っている。
「聞こえてた——廊下まで全部聞こえてたぞ! 俺も戦う!」
その背後から、カイルが静かに姿を現した。眼鏡の奥の目が、いつになく鋭い。
「……逃げ道の確保と情報戦は僕に任せて。戦うにしても、馬鹿正直にやるだけじゃ勝てない」
最後に、廊下の影からレオンハルトが腕を組んで壁に寄りかかった。
「貴族議会の内部にも、至純派に反対する派閥はある。使えるコネは使う」
鉄心は仲間たちを見回した。唇の端が、ゆっくりと持ち上がる。
「——おう。頼りにしてるぜ、お前ら」
ヴァルターは五人の若者を見つめていた。苦い笑みが、深い皺の間に浮かぶ。手の中の星鉄鋼の欠片を、そっと机の上に置いた。
「……やれやれ。儂も、もう隠す側でいるのは限界じゃ」
その言葉には、七十二年分の重さがあった。
「学院の中にも、至純派に与する教授が何人かおる。そやつらの動きは儂が抑える。外の戦いはお前たちに任せるが——内側は、儂の領分じゃ」
鉄心が手を差し出した。何も言わず、ただ——大きな掌を、ヴァルターの前に。
老人は目を見開いた。痩せた手が伸びかけて——止まり——そして、節くれ立った指が、鉄心の掌を握った。
華奢な。だが確かな力が込められた握手だった。
その瞬間——。
窓硝子が、微かに震えた。
鉄心が振り返る。窓の外、暗い月の下で、学院を包む結界が大きく揺らいでいた。透明な膜に亀裂が走るように、青白い光が明滅する。
ヴァルターの顔から、血の気が引いた。
「結界の魔力供給装置が——」
老人の声が掠れた。
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