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商業ギルド長を落とすプレゼン術
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ギュンターの商業ギルド事務所は、集落の中心にある石造りの建物の二階にあった。軋む木の階段を上がると、葉巻の煙が漂う狭い部屋に通された。壁には古い地図と取引先の一覧が貼られ、棚には帳簿が無造作に積まれている。前世のベテラン営業マンの事務所を思い出した。書類の山に埋もれているようでいて、必要な情報がどこにあるか本人だけは完璧に把握している——そういう部屋だ。
ギュンターは机の向こうに座っていた。太った体躯。赤ら顔。五十代半ば。鼻の脂がてかっている。目は小さいが鋭い。商人の目。太い指に嵌まった銀の指輪が、唯一の装飾品だった。
「王都から来た小娘に商売の何がわかるんだ」
開口一番がそれだった。椅子にもたれ、葉巻をくゆらせながら、値踏みするような目で見ている。
前世の取引先にもこういうタイプはいた。最初に威圧して、相手の力量を測る。怯めば足元を見る。反発すれば対等に扱う。
「何がわかるか——お見せいたしますわ」
私はテーブルの上にヘルムガルド鋼のサンプルを置いた。青い光沢が、窓からの光を反射する。
ギュンターの目が変わった。葉巻を持つ手が止まる。商人の本能が、品質の異常さを嗅ぎ取った。
「……触っていいか」
「どうぞ」
ギュンターが鋼材を手に取った。重さを確かめ、表面を爪で引っ掻き、光に透かした。爪の痕が一切つかない。鋼材の表面に映った窓の光が、ギュンターの顔を照らした。二十秒ほどの沈黙。その間、ギュンターの鼻息が荒くなっていくのが聞こえた。
「これは——マルクスが打ったのか」
「ええ。新しい製法で」
「新しい製法? あの頑固者が?」
「頑固者ほど、結果を見せれば動きますわ」
ギュンターが鼻を鳴らした。しかし鋼材から手を離さない。
次に、事業計画書を広げた。
羊皮紙に書かれた数字の列。前世のプレゼン資料のような華やかさはないが、数字の裏付けは完璧だ。
「鉱山再開。支脈の小規模採掘。月産鉄鉱石の見込みがこの数字。マルクスの新製法による鋼材精製。歩留まりがこの数字。で、直接取引ルートの開拓」
私はギュンターの横に回り、羊皮紙を指差しながら説明した。そろばんの珠が弾ける音がする——ギュンターが暗算を始めたのだ。
「ギルドが流通を担う。辺境発の高品質鋼材を、近隣三領地に直接販売。仲買手数料は一割五分。ギルドの取り分は従来の王都経由の三倍になります」
数字を出した瞬間、ギュンターの身体が微かに前に傾いた。身を乗り出している。商人が最も反応する刺激——利益の数字。
「三倍だと? そんな都合のいい話が——」
「都合がいいのではなく、構造を変えるだけですわ」
私はそろばんを借り、目の前で計算を実演した。王都の仲買人が取る手数料。中間商人の上乗せ。輸送業者のマージン。三段階の中間搾取を一つずつ数字にしていくと、ギュンターの目がどんどん鋭くなっていった。
「——ここまで抜かれていたのか」
「ええ。王都の大手商業ギルドを経由した場合の流通コストがこちら。直接取引の場合がこちら。差額の大半がギュンター殿の利益になります」
ギュンターは計算書を睨んだ。一分。二分。指が数字の上を追っている。
「……この計算、本当に令嬢がやったのか?」
「ええ。帳簿と数字は——得意分野ですの」
前世の経理部主任が泣いて喜ぶ数字だ。こんなに明快な利益構造の案件は、ブラック企業にはなかった。
ギュンターは椅子に深く座り直した。葉巻の煙を天井に向けて吐き出す。考えている。
「問題は初期投資だ。鉱山の再開、送風設備の改良、鋼材の在庫——金がかかる」
「その通りですわ。見積もりはこちらに」
別の羊皮紙を広げた。項目ごとの費用見積もりと、回収までのタイムライン。前世のスタートアップのピッチ資料と同じ構成だ。
ギュンターが一項目ずつ指で追い、時折唸り声を上げた。
「……細かい計算だな。鉱夫の日当まで入れてある」
「人件費を無視した計画は破綻しますわ。働く人に正当な報酬を払うのは、経営の基本です」
前世で学んだ最大の教訓。ブラック企業は人件費を削って利益を出す。まともな企業は人に投資して利益を出す。
「初期投資は私が出します。換金した資産から」
「足りるのか?」
「ぎりぎりですわ。だからこそ、ギルドの協力が必要なんです。ギルドの流通インフラと人脈がなければ、どんなに良い製品を作っても売り先がない」
正直に言った。ギュンターのような商人には、虚勢は通じない。正直に弱みを見せたほうが信頼される。前世の営業研修で学んだ唯一の有益な教え——「信頼は弱みの開示から始まる」。あの研修だけは、ブラック企業でも役に立った。
ギュンターの目が微かに細くなった。品定めをしている。この小娘の正直さが本物かどうか。三十年商売を続けてきた人間の目は、嘘を見逃さない。
「……まず鉱山の試掘から付き合ってやる」
条件付き。しかし——承諾だ。
「ありがとうございます、ギュンター殿」
「礼はまだ早い。結果を見てからだ」
ギュンターが立ち上がった。去り際、扉の前で足を止めた。葉巻の煙が漂う中、振り返ったその目は——先ほどの値踏みとは違っていた。
「だが忠告しておく」
声のトーンが変わった。低く、重く。
「王都の商業ギルドに目をつけられたら、辺境ごと潰されるぞ」
背筋に冷たいものが走った。
ギュンターは一瞬だけ遠い目をした。若い頃の記憶を見ている目。
「あいつらは商売で勝てない相手を、政治で潰す。俺も昔——いや、余計なことだった」
扉が閉まった。葉巻の煙の残り香が、部屋に漂い続けていた。ギュンターの言葉が耳に残っている。「政治で潰す」——前世のブラック企業も同じだった。正論を言う人間は正論では潰せないから、人事異動で飛ばす。左遷。窓際。この世界でも、権力のやり口は変わらないらしい。
ギルド事務所を出た。通りの乾いた風が頬を撫でる。遠くからマルクスの鍛冶の音が聞こえる。西日の赤い光が、集落の屋根を照らしていた。
「ヨハン」
「はい」
「商業ギルドの協力を得ました」
「本当ですか!」
「条件付きですが。……ギュンター殿の忠告、心に留めておきましょう」
王都の商業ギルド。カーティス・ノーヴァルの名前が浮かんだ。卒業式の会場にいたはずの商務大臣の息子。あの男が辺境に目を向けるのは、まだ先のはずだが——。
備えは早いに越したことはない。帳簿を完璧に整備する。正しい数字は、政治的な攻撃に対する最強の盾だ。
小さな一歩。しかし確実な一歩。
マルクスの鋼。ギュンターの流通網。この二つが噛み合えば、ヘルムガルドは変わる。
帰り道、領主館に向かって歩きながら、ヨハンに報告した。
「ギュンター殿は、辺境の商売を三十年守ってきた人ですわ。王都の大手に何度も煮え湯を飲まされてきた。だからこそ——『直接取引で中間搾取を排除する』というモデルに、本気で反応した」
「でも、条件付きですよね」
「ええ。鉱山の試掘で結果を出す必要がある。あと一ヶ月。マルクスと一緒に、最初のロットを仕上げますわ」
ヨハンが少し考え込んだ。
「セラフィーナ様。ギュンターが最後に言った忠告——王都の商業ギルドのこと、本気で心配した方がいいでしょうか」
「……本気で心配すべきですわね。でも今は、目の前のことに集中する。備えは帳簿の整備から。正しい記録は、どんな政治攻撃にも対抗できる最強の証拠になります」
前世の経理部主任の遺言のような言葉だった。帳簿は嘘をつかない。嘘をつかせなければ——誰にも壊されない。
夕陽が山の稜線に沈んでいく。鍛冶場の方角から、まだマルクスのハンマーの音が聞こえていた。あの無骨な男は、きっと日が暮れるまで鋼を打ち続けるのだろう。新しい製法に取り憑かれたように。
足元の土が橙色に染まっている。影が長く伸びて、二人分の影が石垣に重なった。
ギュンターは机の向こうに座っていた。太った体躯。赤ら顔。五十代半ば。鼻の脂がてかっている。目は小さいが鋭い。商人の目。太い指に嵌まった銀の指輪が、唯一の装飾品だった。
「王都から来た小娘に商売の何がわかるんだ」
開口一番がそれだった。椅子にもたれ、葉巻をくゆらせながら、値踏みするような目で見ている。
前世の取引先にもこういうタイプはいた。最初に威圧して、相手の力量を測る。怯めば足元を見る。反発すれば対等に扱う。
「何がわかるか——お見せいたしますわ」
私はテーブルの上にヘルムガルド鋼のサンプルを置いた。青い光沢が、窓からの光を反射する。
ギュンターの目が変わった。葉巻を持つ手が止まる。商人の本能が、品質の異常さを嗅ぎ取った。
「……触っていいか」
「どうぞ」
ギュンターが鋼材を手に取った。重さを確かめ、表面を爪で引っ掻き、光に透かした。爪の痕が一切つかない。鋼材の表面に映った窓の光が、ギュンターの顔を照らした。二十秒ほどの沈黙。その間、ギュンターの鼻息が荒くなっていくのが聞こえた。
「これは——マルクスが打ったのか」
「ええ。新しい製法で」
「新しい製法? あの頑固者が?」
「頑固者ほど、結果を見せれば動きますわ」
ギュンターが鼻を鳴らした。しかし鋼材から手を離さない。
次に、事業計画書を広げた。
羊皮紙に書かれた数字の列。前世のプレゼン資料のような華やかさはないが、数字の裏付けは完璧だ。
「鉱山再開。支脈の小規模採掘。月産鉄鉱石の見込みがこの数字。マルクスの新製法による鋼材精製。歩留まりがこの数字。で、直接取引ルートの開拓」
私はギュンターの横に回り、羊皮紙を指差しながら説明した。そろばんの珠が弾ける音がする——ギュンターが暗算を始めたのだ。
「ギルドが流通を担う。辺境発の高品質鋼材を、近隣三領地に直接販売。仲買手数料は一割五分。ギルドの取り分は従来の王都経由の三倍になります」
数字を出した瞬間、ギュンターの身体が微かに前に傾いた。身を乗り出している。商人が最も反応する刺激——利益の数字。
「三倍だと? そんな都合のいい話が——」
「都合がいいのではなく、構造を変えるだけですわ」
私はそろばんを借り、目の前で計算を実演した。王都の仲買人が取る手数料。中間商人の上乗せ。輸送業者のマージン。三段階の中間搾取を一つずつ数字にしていくと、ギュンターの目がどんどん鋭くなっていった。
「——ここまで抜かれていたのか」
「ええ。王都の大手商業ギルドを経由した場合の流通コストがこちら。直接取引の場合がこちら。差額の大半がギュンター殿の利益になります」
ギュンターは計算書を睨んだ。一分。二分。指が数字の上を追っている。
「……この計算、本当に令嬢がやったのか?」
「ええ。帳簿と数字は——得意分野ですの」
前世の経理部主任が泣いて喜ぶ数字だ。こんなに明快な利益構造の案件は、ブラック企業にはなかった。
ギュンターは椅子に深く座り直した。葉巻の煙を天井に向けて吐き出す。考えている。
「問題は初期投資だ。鉱山の再開、送風設備の改良、鋼材の在庫——金がかかる」
「その通りですわ。見積もりはこちらに」
別の羊皮紙を広げた。項目ごとの費用見積もりと、回収までのタイムライン。前世のスタートアップのピッチ資料と同じ構成だ。
ギュンターが一項目ずつ指で追い、時折唸り声を上げた。
「……細かい計算だな。鉱夫の日当まで入れてある」
「人件費を無視した計画は破綻しますわ。働く人に正当な報酬を払うのは、経営の基本です」
前世で学んだ最大の教訓。ブラック企業は人件費を削って利益を出す。まともな企業は人に投資して利益を出す。
「初期投資は私が出します。換金した資産から」
「足りるのか?」
「ぎりぎりですわ。だからこそ、ギルドの協力が必要なんです。ギルドの流通インフラと人脈がなければ、どんなに良い製品を作っても売り先がない」
正直に言った。ギュンターのような商人には、虚勢は通じない。正直に弱みを見せたほうが信頼される。前世の営業研修で学んだ唯一の有益な教え——「信頼は弱みの開示から始まる」。あの研修だけは、ブラック企業でも役に立った。
ギュンターの目が微かに細くなった。品定めをしている。この小娘の正直さが本物かどうか。三十年商売を続けてきた人間の目は、嘘を見逃さない。
「……まず鉱山の試掘から付き合ってやる」
条件付き。しかし——承諾だ。
「ありがとうございます、ギュンター殿」
「礼はまだ早い。結果を見てからだ」
ギュンターが立ち上がった。去り際、扉の前で足を止めた。葉巻の煙が漂う中、振り返ったその目は——先ほどの値踏みとは違っていた。
「だが忠告しておく」
声のトーンが変わった。低く、重く。
「王都の商業ギルドに目をつけられたら、辺境ごと潰されるぞ」
背筋に冷たいものが走った。
ギュンターは一瞬だけ遠い目をした。若い頃の記憶を見ている目。
「あいつらは商売で勝てない相手を、政治で潰す。俺も昔——いや、余計なことだった」
扉が閉まった。葉巻の煙の残り香が、部屋に漂い続けていた。ギュンターの言葉が耳に残っている。「政治で潰す」——前世のブラック企業も同じだった。正論を言う人間は正論では潰せないから、人事異動で飛ばす。左遷。窓際。この世界でも、権力のやり口は変わらないらしい。
ギルド事務所を出た。通りの乾いた風が頬を撫でる。遠くからマルクスの鍛冶の音が聞こえる。西日の赤い光が、集落の屋根を照らしていた。
「ヨハン」
「はい」
「商業ギルドの協力を得ました」
「本当ですか!」
「条件付きですが。……ギュンター殿の忠告、心に留めておきましょう」
王都の商業ギルド。カーティス・ノーヴァルの名前が浮かんだ。卒業式の会場にいたはずの商務大臣の息子。あの男が辺境に目を向けるのは、まだ先のはずだが——。
備えは早いに越したことはない。帳簿を完璧に整備する。正しい数字は、政治的な攻撃に対する最強の盾だ。
小さな一歩。しかし確実な一歩。
マルクスの鋼。ギュンターの流通網。この二つが噛み合えば、ヘルムガルドは変わる。
帰り道、領主館に向かって歩きながら、ヨハンに報告した。
「ギュンター殿は、辺境の商売を三十年守ってきた人ですわ。王都の大手に何度も煮え湯を飲まされてきた。だからこそ——『直接取引で中間搾取を排除する』というモデルに、本気で反応した」
「でも、条件付きですよね」
「ええ。鉱山の試掘で結果を出す必要がある。あと一ヶ月。マルクスと一緒に、最初のロットを仕上げますわ」
ヨハンが少し考え込んだ。
「セラフィーナ様。ギュンターが最後に言った忠告——王都の商業ギルドのこと、本気で心配した方がいいでしょうか」
「……本気で心配すべきですわね。でも今は、目の前のことに集中する。備えは帳簿の整備から。正しい記録は、どんな政治攻撃にも対抗できる最強の証拠になります」
前世の経理部主任の遺言のような言葉だった。帳簿は嘘をつかない。嘘をつかせなければ——誰にも壊されない。
夕陽が山の稜線に沈んでいく。鍛冶場の方角から、まだマルクスのハンマーの音が聞こえていた。あの無骨な男は、きっと日が暮れるまで鋼を打ち続けるのだろう。新しい製法に取り憑かれたように。
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