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第一章
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苦痛且つ面倒を齎した日から数日。
あの失敗以降、メイドが部屋に来ることもなく、アウロラは、再び他者とは不干渉な日常を手に入れた。
第二皇子が襲来してきたので、まだ何かあるかと多少の心構えをしていたが、全くと言って良いほどに無用の長物であった。
具体的に、何が如何して、如何なったのかは知る由もないが、兎にも角にも、拍子抜けするほどに、平穏な日々を送って、過ごしている。
「ぅ、ぇ……」
そして、変化無き我慢のならない激痛と迫り上がる不快感。
「……っ、う」
あぁ、早く死にたい。
いつものように、口元から溢れる血液が、綺麗な水面に波紋を作るのを見つめながら、まるで明日の天気について語るかのような気軽さで思う。
---変わらないな……。
激痛が収まり、汚れた口元を拭って、手を濯ぐ。
少し経てば、水面は静けさを取り戻す。
絶望を表す自身の漆黒に侵食された瞳が映し出されて、アウロラは、はぁ、と溜息を吐いた。
---そういえば……。
エステラは、この色について、何も言わなかったな、と唐突に思う。
この身体になってから、瞳は澱んだ黒で塗り潰されたままだ。
少なくとも、鏡や、今まさに自身を映す水面からは、他色を見たことがない。
何故なのだろうか、と、ふと疑問が浮かぶ。
エステラの性格ならば、要らぬお節介でも焼くだろうに。
知らなかったというのは、大前提として有り得ないことだ。
エステラ自身も保有者である。
いくら鈍感であろうとも、豊かな感情は、その瞳に嘘偽りなく反映される。
日常的にも鏡は使用していたはずで、変化する事実に気付かない要素はない。
それに、彼女は、冷遇されていたときも、乳母のヴィオラを筆頭とするメイド達に大切にされていた。
ある程度の教育を施されているはずで、当然、皇族特有の宝石眼についても、知識として有している可能性が高い。
単純に見ていなかったと仮定するならば、話はここで終了する。
だが、互いに顔を合わせた状態で、果たして、それは有り得るのか。
もし、エステラが、アウロラに対して、一欠片の関心も示すことのない人間であれば、考慮する余地もないことだが、実際に対面して、それは無いと断言できる。
---あぁ、そうだった。
小説の中のエステラは、他者を思い遣る人格者であった。
確かに、この世界の彼女は、アウロラに気遣う様子を見せていた。
だが、それは、同一であるという根拠にはならないのだ。
---まぁ、どうでもいいことだな。
エステラが、どんな人格の持ち主だろうが、アウロラ自身は無力だ。
出来ることは何もないし、能力があったところで願い下げである。
---終わりだ。
アウロラは、瑣末で無益な疑問を、頭の中から追い出した。
元々、水面に映る自身の瞳の色を眺めていたら、何となく思い浮かんだだけの問題だ。
必ず答えを見つけ出そうという執着はないし、そもそも、そんな気概も皆無である。
「はぁ……」
身体を起こして、反転させた。
そして、頭を池の縁に預けて、両眼を閉じる。
「……」
閉眼していても分かる、明るく暖かな陽射し。
適度な温度で降り注ぎ、穏やかな風も吹いて、本当に心地が良い。
---あぁ、落ちそう……。
余計な思考はせず、ただ頭をぼーっとさせる。
次第に、ふわふわしていく感覚を覚え、意識が彼方へ向かっていくのが分かる。
---落ちる。
瞬間、一陣の風が吹く。
落ちかけていた意識は、強制的に引き上げられた。
邪魔が入り、不愉快な気分になる。
だが、自然現象に文句を言ったところで仕方ないだろう。
「……っ、」
朦朧とする意識が、段々と鮮明になっていく。
そして、異様さに気付いて、ひゅう、と思わず息を呑んだ。
---何だ……?
一瞬驚きはしたものの、思考を取り戻していく。
陽射しのお蔭で、明るさが感じるはずなのに、目蓋の裏がやけに暗く、まるで、何かに遮られているようだ。
それに、何かが目の前にいる気配を感じる。
唐突に出現したことから考えるに、大方、魔導士なのだろう。
一体、どんな物好きが、冷遇された皇子に近付いてきたのだろうか。
砂粒ほどしかないが、興味が湧いた。
「……」
目蓋をゆっくりと開ける。
明るさを遮る何者かのお蔭で、そこまで抵抗はなかった。
「……誰だ?」
眼前には、雲が点在して浮かぶ綺麗な青空ではなく、闇を彷彿とさせる漆黒が広がっていた。
---本当に、誰だ?
人形のような美麗な顔立ちに、日焼けを知らない白い肌。
癖のない長い黒髪と同色の瞳。
そして、シンプルなデザインが施された同じく黒色の衣服を着用している。
背も高く、外見年齢は20代前半くらいで、恐らく、性別は男性であろう。
小説の中でも、こんな人物は登場していないはずだ。
いや、はたまた記憶が忘却の彼方に行ってしまっているのか。
---どうでもいいか……。
砂粒の興味は塵となり、跡形もなく消滅したのが分かった。
アウロラにとって、目の前に立つ正体不明の人物が、何者であろうと問題はない。
面倒事を引き起こすなら厄介な存在だが、警戒するだけ無意味だろう。
無駄に神経を尖らせて、疲労するだけのことに、どれほどの価値があるというのだ。
「…………」
「……」
黒色の双眸が、此方を見つめる。
自身と同じ黒色なのに、アウロラにはそれが何故だか綺麗に見えた。
「お前……」
ふむ、と顎に手を当てて、何やら考え込んでいる様子だ。
そして、数秒の間を空けて一言。
「気持ち悪いな」
その予想外の言葉に、アウロラは、思わず目を見開いたのだった。
あの失敗以降、メイドが部屋に来ることもなく、アウロラは、再び他者とは不干渉な日常を手に入れた。
第二皇子が襲来してきたので、まだ何かあるかと多少の心構えをしていたが、全くと言って良いほどに無用の長物であった。
具体的に、何が如何して、如何なったのかは知る由もないが、兎にも角にも、拍子抜けするほどに、平穏な日々を送って、過ごしている。
「ぅ、ぇ……」
そして、変化無き我慢のならない激痛と迫り上がる不快感。
「……っ、う」
あぁ、早く死にたい。
いつものように、口元から溢れる血液が、綺麗な水面に波紋を作るのを見つめながら、まるで明日の天気について語るかのような気軽さで思う。
---変わらないな……。
激痛が収まり、汚れた口元を拭って、手を濯ぐ。
少し経てば、水面は静けさを取り戻す。
絶望を表す自身の漆黒に侵食された瞳が映し出されて、アウロラは、はぁ、と溜息を吐いた。
---そういえば……。
エステラは、この色について、何も言わなかったな、と唐突に思う。
この身体になってから、瞳は澱んだ黒で塗り潰されたままだ。
少なくとも、鏡や、今まさに自身を映す水面からは、他色を見たことがない。
何故なのだろうか、と、ふと疑問が浮かぶ。
エステラの性格ならば、要らぬお節介でも焼くだろうに。
知らなかったというのは、大前提として有り得ないことだ。
エステラ自身も保有者である。
いくら鈍感であろうとも、豊かな感情は、その瞳に嘘偽りなく反映される。
日常的にも鏡は使用していたはずで、変化する事実に気付かない要素はない。
それに、彼女は、冷遇されていたときも、乳母のヴィオラを筆頭とするメイド達に大切にされていた。
ある程度の教育を施されているはずで、当然、皇族特有の宝石眼についても、知識として有している可能性が高い。
単純に見ていなかったと仮定するならば、話はここで終了する。
だが、互いに顔を合わせた状態で、果たして、それは有り得るのか。
もし、エステラが、アウロラに対して、一欠片の関心も示すことのない人間であれば、考慮する余地もないことだが、実際に対面して、それは無いと断言できる。
---あぁ、そうだった。
小説の中のエステラは、他者を思い遣る人格者であった。
確かに、この世界の彼女は、アウロラに気遣う様子を見せていた。
だが、それは、同一であるという根拠にはならないのだ。
---まぁ、どうでもいいことだな。
エステラが、どんな人格の持ち主だろうが、アウロラ自身は無力だ。
出来ることは何もないし、能力があったところで願い下げである。
---終わりだ。
アウロラは、瑣末で無益な疑問を、頭の中から追い出した。
元々、水面に映る自身の瞳の色を眺めていたら、何となく思い浮かんだだけの問題だ。
必ず答えを見つけ出そうという執着はないし、そもそも、そんな気概も皆無である。
「はぁ……」
身体を起こして、反転させた。
そして、頭を池の縁に預けて、両眼を閉じる。
「……」
閉眼していても分かる、明るく暖かな陽射し。
適度な温度で降り注ぎ、穏やかな風も吹いて、本当に心地が良い。
---あぁ、落ちそう……。
余計な思考はせず、ただ頭をぼーっとさせる。
次第に、ふわふわしていく感覚を覚え、意識が彼方へ向かっていくのが分かる。
---落ちる。
瞬間、一陣の風が吹く。
落ちかけていた意識は、強制的に引き上げられた。
邪魔が入り、不愉快な気分になる。
だが、自然現象に文句を言ったところで仕方ないだろう。
「……っ、」
朦朧とする意識が、段々と鮮明になっていく。
そして、異様さに気付いて、ひゅう、と思わず息を呑んだ。
---何だ……?
一瞬驚きはしたものの、思考を取り戻していく。
陽射しのお蔭で、明るさが感じるはずなのに、目蓋の裏がやけに暗く、まるで、何かに遮られているようだ。
それに、何かが目の前にいる気配を感じる。
唐突に出現したことから考えるに、大方、魔導士なのだろう。
一体、どんな物好きが、冷遇された皇子に近付いてきたのだろうか。
砂粒ほどしかないが、興味が湧いた。
「……」
目蓋をゆっくりと開ける。
明るさを遮る何者かのお蔭で、そこまで抵抗はなかった。
「……誰だ?」
眼前には、雲が点在して浮かぶ綺麗な青空ではなく、闇を彷彿とさせる漆黒が広がっていた。
---本当に、誰だ?
人形のような美麗な顔立ちに、日焼けを知らない白い肌。
癖のない長い黒髪と同色の瞳。
そして、シンプルなデザインが施された同じく黒色の衣服を着用している。
背も高く、外見年齢は20代前半くらいで、恐らく、性別は男性であろう。
小説の中でも、こんな人物は登場していないはずだ。
いや、はたまた記憶が忘却の彼方に行ってしまっているのか。
---どうでもいいか……。
砂粒の興味は塵となり、跡形もなく消滅したのが分かった。
アウロラにとって、目の前に立つ正体不明の人物が、何者であろうと問題はない。
面倒事を引き起こすなら厄介な存在だが、警戒するだけ無意味だろう。
無駄に神経を尖らせて、疲労するだけのことに、どれほどの価値があるというのだ。
「…………」
「……」
黒色の双眸が、此方を見つめる。
自身と同じ黒色なのに、アウロラにはそれが何故だか綺麗に見えた。
「お前……」
ふむ、と顎に手を当てて、何やら考え込んでいる様子だ。
そして、数秒の間を空けて一言。
「気持ち悪いな」
その予想外の言葉に、アウロラは、思わず目を見開いたのだった。
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