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こうなっていたと思うか?

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 世の中には、
『眠っている家族を包丁で刺す』
 というような事件も起こっていただろう? だがそれは、その時に衝動的に刺してしまった事例ばかりだろうか? それまでにも何度も何度も包丁を手にして実行するかどうかで逡巡してギリギリのところで踏みとどまって、という事例はなかったのだろうか? その間に状況が改善されていれば実行に移されることはなかったのではないだろうか?
 無論、どんな事情があろうが包丁で人を刺すという行為そのものは許されない。許されないが、それを実行に移さずにいられなくなるまで当人を追い詰めたのは誰なのか? 何が原因なのか?
 本当に些細な理由で衝動的に刺した事例もあるだろうが、すべてがそうとは限らない。その事実から目を背けていては問題など解決できないだろう。
 ともあれ、釈埴しゃくじき琴美ことみ牧島まきしま煌輝ふぁんたじあの間でのそれは、本当に際どいところで回避された。これも結局、琴美自身も自覚的にそうしたわけじゃないにせよ、煌輝のことを見下し蔑み嘲るようなことをしなかったからこそこの結果に結びついたことだけは間違いない。
 ただ同時に、この件については、琴美がそうだったから回避できたのも事実だと思われる。大森海美神とりとんがいくら煌輝を気遣っても逆効果になった可能性が高い。
 だからこそ、この種の問題は扱いが難しいのだ。<優しさ>というものが万能とは限らない何よりの証拠だろう。
『優しく気遣ってるつもり』
 は、あくまで『つもり』でしかないのだ。自分自身、思い当たる節はないか? 優しく気遣われて逆に感情が昂ったりしたことはないか? あればそれが答だとは思わないか?
 もっとも、本来はここまで追い詰められた状態にならないようにするのが重要なはずである。なぜなら、海美神はたとえ琴美が他の誰かと親し気にしていてもむしろそれを喜ぶだろうし、逆に煌輝が他の誰かと親し気にしていても琴美はここまで思い詰めることはなかったはずだから。
『自分以外の誰かと親し気にしている』
 たったそれだけのことでここまでのことにはならなかった。今の煌輝だからこそこうなってしまった。
 煌輝の両親があのような人間になってしまったのは、煌輝の所為か? 子供が何かをしでかした時に、
『親の所為にするな!』
 と言うのなら、親が何かをしでかしてもそれを『子供の所為』にするのはおかしいだろう? ましてや子供が生まれる以前から親はそういう人間だったはずである。
 海美神と煌輝の家庭が入れ替わっていれば、煌輝はこうなっていたと思うか?

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