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宿角健雅
宿角家
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宿角健剛の父、宿角将全は、非常に厳格で一徹な人物だった。そう<言い聞かされて>きた。二百年以上続く造り酒屋であった家の誇りを守る為に、そして自身も若くして軍人として戦争に行ったこともあり、徹底して家族を締め上げた。そうやって育ってきたことからそうすることこそが正しいと信じていた。実際、造り酒屋の主人として、酒の出来不出来を見極める能力は高かったそうだ。
だが、そんな宿角将全の長男である宿角健剛は、幼い頃から厳しい父に対して反抗的な面を見せる子供であった。というのも、彼の実の母である清江に対する父・将全の態度に反発を覚えていたからだ。
将全は妻の清江に対しても尊大に振る舞い、僅かに口答え、いや、自分の気に入らない何気ない言葉を吐いただけで殴る蹴るの暴力を振るい、奴隷のようにかしずかせて支配した。母のことが好きだった健剛は、理不尽に母を虐げる父親のことが大嫌いで、物心つく頃には憎んでさえいた。
そして、将全から振るわれた暴力によって受けた傷が元で清江は敗血症を発症し、僅か二十八歳でこの世を去った。今ならば傷害致死事件として扱われるであろうこの件も、当時は清江自身の不摂生が原因だと将全や将全側の親類が喧伝したことでむしろ宿角家に迷惑を掛けたとして、清江の遺骨は墓にさえ入れてもらえなかった。
おそらくこのことが、健剛の宿角家への憎悪を決定付けたのだろう。
しかもその後、将全はすぐさま新しい妻・さとを娶り、さととの間に次男の将仁と三男の隆三を設けた。だが将全はこの頃、外に愛人を抱えそちらに入り浸りとなって、店には顔を出すものの、家には殆ど帰ってこなかった。次男の将仁が三歳の時に肺炎にかかって死んでも、葬式に出ることはなかった。
一方、三男の隆三は、理不尽な父親が家に寄りつかなかったことが逆に幸いし、母親に愛されて真っ直ぐな気性の穏やかな人間へと育っていった。それに加えて彼自身に蔵人としての才覚があり、研究熱心でかつ人当たりがよかったこともあって醸造職人の蔵人達に好かれ大切にされたことも幸いしたのかもしれない。また、職人達の責任者であった杜氏からも認められ、次の杜氏候補として修業を積んだ。そして、たまに現れる暴君のような父親のことは『利き酒の才覚以外は見習ってはいけない悪辣な人間の見本』と考え、徹底して反面教師としたらしい。
しかし、五歳上で母違いの兄であった健剛は手の付けられない悪童となり、学校でも度々乱闘騒ぎを起こし、継母であったさとを嘆かせた。さとも懸命に諭そうとしたが、彼女が平手で叩いたくらいでは健剛にはまるで届かなかった。十五になった頃には悪い仲間とつるみ、家にも帰らなくなった。しかも事件を起こしては宿角家とその親戚筋に尻拭いをさせるようにまでなった。
そんな兄の姿も、隆三にとっては反面教師になったのだろう。
なのに、いかなる運命のいたずらか、隆三が二十五歳になった時、突然、将全が病に倒れて半身が麻痺、さとが付きっ切りで介護することとなったのだった。
だが、そんな宿角将全の長男である宿角健剛は、幼い頃から厳しい父に対して反抗的な面を見せる子供であった。というのも、彼の実の母である清江に対する父・将全の態度に反発を覚えていたからだ。
将全は妻の清江に対しても尊大に振る舞い、僅かに口答え、いや、自分の気に入らない何気ない言葉を吐いただけで殴る蹴るの暴力を振るい、奴隷のようにかしずかせて支配した。母のことが好きだった健剛は、理不尽に母を虐げる父親のことが大嫌いで、物心つく頃には憎んでさえいた。
そして、将全から振るわれた暴力によって受けた傷が元で清江は敗血症を発症し、僅か二十八歳でこの世を去った。今ならば傷害致死事件として扱われるであろうこの件も、当時は清江自身の不摂生が原因だと将全や将全側の親類が喧伝したことでむしろ宿角家に迷惑を掛けたとして、清江の遺骨は墓にさえ入れてもらえなかった。
おそらくこのことが、健剛の宿角家への憎悪を決定付けたのだろう。
しかもその後、将全はすぐさま新しい妻・さとを娶り、さととの間に次男の将仁と三男の隆三を設けた。だが将全はこの頃、外に愛人を抱えそちらに入り浸りとなって、店には顔を出すものの、家には殆ど帰ってこなかった。次男の将仁が三歳の時に肺炎にかかって死んでも、葬式に出ることはなかった。
一方、三男の隆三は、理不尽な父親が家に寄りつかなかったことが逆に幸いし、母親に愛されて真っ直ぐな気性の穏やかな人間へと育っていった。それに加えて彼自身に蔵人としての才覚があり、研究熱心でかつ人当たりがよかったこともあって醸造職人の蔵人達に好かれ大切にされたことも幸いしたのかもしれない。また、職人達の責任者であった杜氏からも認められ、次の杜氏候補として修業を積んだ。そして、たまに現れる暴君のような父親のことは『利き酒の才覚以外は見習ってはいけない悪辣な人間の見本』と考え、徹底して反面教師としたらしい。
しかし、五歳上で母違いの兄であった健剛は手の付けられない悪童となり、学校でも度々乱闘騒ぎを起こし、継母であったさとを嘆かせた。さとも懸命に諭そうとしたが、彼女が平手で叩いたくらいでは健剛にはまるで届かなかった。十五になった頃には悪い仲間とつるみ、家にも帰らなくなった。しかも事件を起こしては宿角家とその親戚筋に尻拭いをさせるようにまでなった。
そんな兄の姿も、隆三にとっては反面教師になったのだろう。
なのに、いかなる運命のいたずらか、隆三が二十五歳になった時、突然、将全が病に倒れて半身が麻痺、さとが付きっ切りで介護することとなったのだった。
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