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小さな変化

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真猫まなは本当に、言われなければ三時間くらい平気で風呂に入っていた。のぼせ気味になれば上がって体を冷まし、また湯に浸かる。そういうことを何度も繰り返し、喉が渇けば湯船の湯をそのまま飲んだ。普通に考えれば不潔だろうが、彼女はそんなことは気にしないし、実際、彼女はここに来て一度も体調を崩したりしていない。

元々、彼女はほぼ獣のような特性を持っていることが分かっていた。その為か、彼女の免疫は野生動物のそれに匹敵するほどに高められていると思しき様子すらあった。歯磨きなどしてこなかったにも拘わらず虫歯が一本もなく、布団やベッドではなく、毛足の長い柔らかくて暖かいものとは言えどただのカーペットで寝ていても風邪すらひかず、腹を下したことさえない。遠くのものを見る時にも目を細めたりしないので視力もいいのだろう。そして小さな音にも反応し警戒するのだから耳もいい筈だ。それらも全て、彼女自身の特性だと言えるだろう。

『今さらだけど、本当に猫みたいだな』

そんな彼女の様子を見ていて、桃弥とうやはしみじみ思った。

家の外では服を着る(と言っても、天然素材の着心地のいいものでなければ今も嫌がるので、その辺りは気を遣う)ものの、その様子はまるでペットに服を着せているかのような違和感さえ彼に抱かせる。本来なら服を着てないのがおかしい筈なのだが、真猫まなを見ている限りだとその認識が揺らいでしまう気がする。

だから、家で裸で気ままに振る舞う彼女の姿にこそゆったりとしたものを感じてしまった。

ただ、それはさて置きこの時、桃弥とうやも気付いてなかったのだが、彼女に僅かな変化が表れ始めていた。風呂で遊びながらも、

「あ…あさがおのあ…い…いぬのい……」

と呟くように声を出していたのだ。それは、宿角玲那すくすみれいなが学校で彼女の前で発していた言葉であった。非常に小さな声で、風呂場のドアも脱衣所のドアも開け放しているのにリビングにいる桃弥とうやにさえ聞こえない程度のものだったが、確かに玲那を真似ていたのである。既に効果が現れ始めていたのだ。

十二歳という年齢を思えば何を今さらと普通は思うかも知れない。しかし彼女にとってこれは非常に大きな意味を持つ小さな変化なのだ。彼女が人間の真似をし、そこから何かを学び取ろうとしていることの発露なのである。ただの獣に等しかった彼女が、人間として歩み始めたと言ってもいいかも知れない。

ここに玲那がいればきっと喜んだだろうが、残念ながらこの最初の変化は誰にも気付かれることなく、さすがに満足したのか彼女自らリビングに戻って行ったことで終わったのだった。 

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