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一章
三、殺意の病
しおりを挟むまだ日は昇っていない。うっすらと空が白み始めたばかりである。
人の気の少ない広い宿舎の庭で秣(まぐさ)をほぐすところから楊甜の一日は始まった。
厩舎に入り昨日の古くなったものを掃除し、新しい秣と水を替える。
そして濃い茶色の毛並みをくしで整えようと毎日試みるものの、どうもこの馬は体に触ることを許してくれない。
完全に舐められていた。主人に似るというか、生き写しかのような態度の悪さであった。
(よし、水を飲んでる隙に後ろから…)
パカーンと気味の良い甲高い音が響き、頭が吹き飛ぶ。
髪を胴に巻いていたから幸い遠くに飛ぶことはなかったが、相当な衝撃に一瞬意識を失っていた。
「馬の世話も出来ねぇのか、この阿呆が」
「うぶびびび!?」
下手すれば溺れて死ぬような水量がぶちまけられる。
目を覚ますとそこには桶を持って苛立っている主人と、上唇をひん剥いてこちらを馬鹿にした表情を見せる馬の姿があった。
楊甜は慌てて外れていた首をもとに戻し立ち上がる。
「ご、ごめんなさい!気を失ってました!」
「もういい、これ以上喋るな。馬鹿と話すと気分がさらに悪くなる」
「うぅ…」
「どうしてこんなに仕事ができないのか、その反省文を書け。俺が帰ってくるまでに十の木簡に隙間無くだ」
最近、この主人「諸葛恪」の機嫌は明らかに悪かった。
いやもともと常に機嫌が悪そうな人ではあるが、ここ数日は特にだ。
「あの、文字ってどう書けば…」
「お前の部屋に書簡を置いてるだろ、それを見て勝手に学べ。明後日には全部暗唱できるようになっておけ」
「え」
「お前は誰に仕えていると思ってる。馬鹿を連れてると俺の面子に係わるだろ」
冷たくぴしゃりと言い放ち、諸葛恪は馬の背にひらりと飛び乗る。
諸葛恪の目から見た楊甜の顔には馬の蹄の跡がくっきりと残っていた。
あまりにもそれが馬鹿丸出しであったため、諸葛恪は更に虫の居所が悪くなっていくのを感じる。
「当然、宿舎の掃除も全部やっておけ。一つでも出来なかったら追い出す」
「そそそそそんなぁ!追い出すなんて!」
「いつまで甘いことを言っている。それともあの覚悟は嘘だったのか?だったらお前に興味はない、出ていけ」
馬に跨ったまま厩舎を飛び出し、宿舎を後にした。
楊甜を拾ったあの日。楊甜は人ならざる身ながら、人として栄達することを夢に見ていた。
馬鹿は嫌いだが、ここまで突き抜けた馬鹿には興味をそそられた。
いつだって歴史を動かすのは図抜けた馬鹿である。少し、羨ましくもあった。
しかしこの夢を語るのならば、人並みの努力では当然成し遂げられるはずもない。
だからこそいつまでもどこかふわふわとした雰囲気を漂わせる楊甜が苛立たしくもあった。
「いや、それよりも腹が立つのはこっちだ…」
諸葛恪は馬を駆けさせ、大通りの人影をすり抜け、城郭の門の前に辿り着く。
そこには気まずそうな顔を浮かべる門兵が五人並び、壮年の部隊長らしき兵士が前に出て頭を下げた。
「申し訳ありません、"諸葛"左輔都尉。本日も将軍は病によって公務に出られておらず、不在なのです」
「これで三日連続だ。私が来ていることはお伝えしているのだろうな?」
「え、えっと、一応、その旨を伝える者は何度も派遣しておりますが…」
「なんだ、では私を軽んじているのか?」
「いえっ決してそのような!」
「もういい。礼を失していると思い避けてきたが、私が直接出向く。将軍の屋敷の場所を教えろ」
流石にそれは。兵士たちはそう言いかけたが、あの諸葛恪に意見することは出来なかった。
ただ一言「危のうございます」とだけ忠告し、朱桓の屋敷の場所を明かす。
城内をめぐる河川を上り、僅かに丘陵となっている地を上った先。
普通金持ちや権力のある人間は大通り沿いだったり城郭や武器庫の付近に屋敷を構えるものだ。
しかし朱桓はこうした人の多い通りや河川からも少し離れた地に屋敷を構えている。
戦場に生き、数多の敵兵を屠ることで勇名を馳せた猛将の暮らす屋敷にしては、些かのどかすぎる気がした。
「誰ぞ居ないか!」
門兵も衛兵もいない。それどころか人が住んでいるような気配もしない。
盗みや刺客に入られでもしたら、諸葛恪はそう思ったがすぐに「だったらわざわざ朱桓の屋敷は狙わんな」と考え直した。
代々官吏を輩出する地元の名門の生まれながら、その戦い方には一切の遠慮も気品すらない。
殺せるだけ殺す。それが朱桓という将軍だった。誰が好き好んでそんな将軍に近づこうと思うのか。
しばらく待っても音沙汰がないため諸葛恪は屋敷の門に手をかけると、同時に内側からギギギと音を立てて開く。
そこには若そうな女の使用人が立っていたが、顔には痣や傷があり明らかにやつれた様子を見せていた。
「急な訪問、失礼する。朱将軍に左輔都尉の諸葛恪が来たとお伝え出来ないか」
「申し訳ありません。今、将軍は誰ともお会いになれません」
「理由を聞きたい。公務にも出られず、一目も会えぬとは相当な病だ。ならば将軍はこの濡須口防衛の任に堪えないと陛下に伝えねばならん」
女は少し困ったように微笑み「戦が始まれば治る病なのですが」とつぶやいた。
やはり何かある。
そして以前より朱桓将軍にはこんな噂があった。
将軍は"人を殺したくなる衝動"を抑えがたくなることがある、と。
諸葛恪が朱桓を訪った理由はこの噂を確かめるためでもあった。
この使用人の傷や痣を見ていると、その噂の真実味も増してくるよう感じる。
「そうか、将軍に会うことが難しいのだな。いつ会える」
「すいません」
女はただただそう言って頭を下げ門を閉じた。
取り付く島もない。無理に話を聞こうとすれば、なんとなくよくない結果になるだろうと勘が囁く。
いずれにせよ情報が必要だ。諸葛恪は眉間の皴を更に深く寄せた。
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