天才軍師、顔の良い生首を拾う。~孔明じゃない諸葛さんの怪異譚~

久保カズヤ

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五章

六、その背中は何を語る

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 呉の全軍は帰路の途中にあった。

 戦争において最も気を祓うべきなのが帰り道だ。敵に背を突かれればたちまち全軍が総崩れになりかねない。
 つまり全軍の総帥たる皇帝が、その撤退を放り出して帰国するなどあってはならないことだ。しかし今、その皇帝は建業に居た。
 他でもない、張昭が危篤であると聞いたからだ。

「な、張昭、お前、お前が危篤と聞いたから、朕は、こうして…」

 肩で息をする孫権。明日とも知れない命と聞いていたが、目の前に居る張昭は寝台に座り、意識もはっきりとしている様子であった。
 勿論、出征前と比べれば随分と痩せている。だが顔色は悪くない。孫権は顔を伏せ、わなわなと震える手で拳を握った。
 諸葛恪は一歩前に進み出て、そんな孫権に訴えかける。

「陛下、臣も陛下と同じく前線より見舞いに来ました。輔呉将軍は危篤であると嘘をつき、あろうことか殿下を使者として臣を建業に呼び戻したのです。越権行為も甚だしいかと」
「…張昭よ、いい加減にせよ。どこまで朕を困らせれば気が済むのだ。どこまでお前は、朕を怒らせれば気が済むのだ」
「たとえ輔呉将軍といえど重罪です。是非とも処罰を。この国は輔呉将軍のものでは御座いません」

 孫権の目は赤かった。諸葛恪はそれを見て、この機会に張昭の影響力を大いに削いでおかなければならないと、そう思った。
 こんなことがまた起きてしまえば国は混乱するだろう。まともな政権運営さえできないだろう。
 すべてこの国のためだ。この国のために、邪魔な老人には退場いただきたい。これが諸葛恪の考えだった。

 すると張昭はふらつきながらも寝台から立ち上がり、静かに孫権の目の前に立った。
 何を言うつもりなのか。今度はどんな説教をするつもりなのか。呆れつつ、諸葛恪は静かに向かい合う二人を傍から見ることにした。

 そして、そんな期待は見事に裏切られた。

「陛下、いや、仲謀(孫権のあざな)よ」

 張昭は身を屈め、膝を折り、手を地につけ、頭を下げた。

「すまなかった。今まで、お前には苦労を掛けた」
「そんな…」

 孫権は何か言葉を発そうとして、何度も声が詰まる。その目からはとめどなく涙が流れていた。
 あり得ない光景である。口元を抑えて目を見開き、諸葛恪は頭を下げる張昭の背中を瞳に焼き付けんとしていた。
 未だかつて、張昭から誰かに頭を下げたことなどなかった。それは君主たる孫権に対してもだ。
 いや、相手が孫権となると頑なに頭を下げようとしないのが張昭なのである。

 いつも二人の喧嘩は孫権が先に折れ、張昭が続いて詫びるというのが当たり前になっていた。
 誰に対してもそうだった張昭が、孫権に対して、そして諸葛恪も同席する場で、頭を下げている。
 すると孫権もその場に膝をつき、子供のように泣きながら張昭の肩を掴んでいた。

「なぜだ、何故、謝るのだ師父よ。今更、いまさら何を、詫びようというのだっ!」
「何でだろうなぁ。だが今しか頭を下げることは出来んと、そう思ってしまったのだ。仲謀、数えればもう四十年になる」
「…四十年?」
「貴方と私が出会ってからだ」
「あの頃の師父は、優しかったな」
「そうだったか」
「されど兄上が倒れてから、厳しくなった。私のやることなすことを批判し、激怒した。理不尽だと何度思ったか分からん」
「それは、お前を本当の息子のように思っていたから、だから厳しくせねばならんと、そう思っておった」

 頭を上げた張昭の顔は、恥ずかしそうな笑顔であった。
 この言葉をどれほど待っていたか。それと同時に、これは別れの言葉であると孫権は直感していた。

「ここまでよく頑張った、仲謀。怒ることでしかお前を支えることが出来なかったこの不器用な儂を、どうか、許してくれ」
「師父よ、何故私が貴方を"師父"と呼ぶのか分かっておられるか。形式的に敬っているのではない。本当の師であり父であると思っているから、こう呼ぶのだ」
「…」
「大嫌いだった。何度お前を殺そうと思ったか分からん。だが、お前は私にとって、大嫌いな父だった」

 孫権の父「孫堅」は、孫権が十歳の頃に戦場で死んだ。常に戦場に居た父の姿や思い出はほとんど記憶に残っていなかった。
 そして父の代わりに自分を守ってくれた兄「孫策」は、孫権が二十歳になる前に死んだ。
 それからずっと、孫権は君主であり続けなければならなかった。そんな孫権の側に、常に張昭は居た。

 二人の老人は抱き合い、わんわんと泣いている。
 蚊帳の外の諸葛恪はそれを見て、いつの間にか涙を流していた。何故だろうか、理由は分からない。
 しかしずっと胸の内にあった張昭への悪感情は、もう消えていた。同時に少しだけ羨ましいと思った。
 何に対してそう思ったのか、それもまたよく分からない。

 もう自分は居なくても良いだろう。二人を置いて外に出る。
 曇り空であった。日も陰り、風が寒い。
 結局、張昭は自分に何を伝えたかったのだろうかと、道を歩き悶々と自問自答を繰り返した。

 すると一羽のホトトギスが諸葛恪の肩にとまる。

「泣いてるのか?」
「な、違う。風のせいで目に砂が入ったのです」
「まぁ、いい。お前に一つ報告しとくことがあってな」
「なんですか」
「あの馬鹿首がお前のために、山に入ったぞ。もう解雇したやつのことなんてお前にはどうでも良いだろうが。一応、伝えておこうと思ってな」

 再び飛び立とうとした杜宇を、思わず両手で捕まえる。
 ぐえっと苦しそうな声が聞こえた。そんな両手の中にいる杜宇を、諸葛恪は驚くように見つめる。
 どうでもいい話だろう。なのになぜ、この手は杜宇を放そうとしないのだ。

「な、なん、ぐるじい…」
「あっ、いや、すいません」
「ふぅ、ふぅ、いいか、よく考えろ小僧。これが運命の岐路だと思え。どっちを選ぼうと構わんが、さぁ、お前はどうしたい」

 まだ、諸葛恪は迷いの中にいた。
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