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四章 一人ぼっちの君たちへ

第二十六話 友達になってくれないか?

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 またか、またこの痛みを思い出さないといけないのか。
 手の甲の火傷痕が骨にまで響いてズキズキと、一向に止む気配がない。熱された釘を打ち込まれていた方がまだマシだったかもしれない。
「………どうして、止めなかったんすか」
「儂と勇者の力量の差を、先日その目で確認なさいましたでしょう?」
「じゃあ、何で、俺にすぐ教えてくれなかった………」
 朝、目が覚めたら隣に居たはずの少女はそこに居なかった。ベアトリーチェもマナドゥもオートゥイユもヴェベールもシルビアの姿は見てないという。
 そして、カストディオさんに聞いたら、彼はこう答えた。
『勇者は先日の夜、一人でここを離れました。恐らく今は人間たちに捕らわれている頃でございましょう』
 んで、今に至るわけさ。
 本当に気分が悪い、目が覚めたばっかりだぞ。まだ朝だぞ。俺の体はすっかり「魔王の姿」に変わってしまっている。
 場所は俺とシルビアが寝ていたあの寝室。座り込んだ俺を見下ろすように立つカストディオさん、そして、部屋の隅で立ち尽くしている、何が起きているのか分からなく戸惑いを隠せないベアトリーチェと鬼の三人。
 俺は痛む手を抑え、ギシギシと歯を鳴らして立ち上がる。
「どこに行かれるのですか、不律様」
「決まってんだろ。アイツの過去や生き方なんて知ったことじゃないし、何を考えているかなんて知りたくもない。もう一度アイツを連れ戻す」
「それからどうなさるおつもりで」
「は?」
「勇者を連れ戻し、また二人だけで放浪するのですか?勇者は自ら望んでその身を、命を王政に投げ出したのですぞ?お言葉ですが、儂には不律様が何をしたいのか全く分かりませぬし、行動の筋も見えませぬ。このままではまた同じ過ちを永遠と繰り返すだけですぞ」
 ………クソが。
 俺はもう一度ドカリとその場に座り込み、強く強く歯を噛みしめる。
 どうしようもなく湧いてくるこの怒りは俺に向けてのものだ。そうだよ、あぁ、そうだ。俺はカストディオさんに何も言い返すことが出来ない。
 俺は世界を滅ぼしたいとか何とか言って、結局のところは何もしていない。ただただ自分の中に溜まった鬱憤を、この世界のせいにして生きてきただけだ。
 シルビア。お前は昨日俺に言ったじゃねーか。
 明日はどこに連れていってくれるんですか。って。
 意味が全く分からねーよ。何でそんなことを言った後に、俺の元から消えることが出来るんだよ。

「心中穏やかではないところ申しわけありませぬが不律様、儂も、ちと出かけねばなりませぬ」
 カストディオさんはしゃがみこんでいる俺の目線に合わせる様に、その場に礼儀正しく片膝をついた。
「この町は儂の結界により人間に探知されない、というのは先日オートゥイユに聞いたかと思いますが、どうやら、人間側にこの位置が割れてしまったようでございます」
「は………?」
 驚いた。俺も驚いたが、それ以上にベアトリーチェ達は、一瞬で危機迫る表情へと変わった。
「パパっ、それっテ!?」
「理由はよく分かりませぬが、昨日から用心して結界の外で周囲に異変が無いか待機させておいた同志達からの連絡が今朝、途絶えました」
 懐からごろごろと小さな魔結晶の装着されている、およそ俺の耳くらいの大きさの木の板が出て来る。
 あぁ、これはこの世界で言う、携帯みたいなものだったはず。
「魔族の生き残りたちを率いる者として、本当に迂闊なことをしてしまいました。人間側の国は恐らく、儂の考えている以上に緊迫した情勢だったのかもしれませぬな」
「パパ、ワタクシにもわかるように説明シテ!」
「ベアよ、少し黙っておれ。不律様、ここで儂の、老いぼれの昔話を一つ聞いて下さいませぬか?………これは、魔王様の話でございます」



 これは昔の話。ベアトリーチェもまだ幼く、言葉を覚えたてだった位の頃の話です。
 不律様は全く知らないと思いますが、魔族というのは儂やマナドゥたちの様な者たちばかりではありませぬ。大多数の魔族は、人間に比べると知能が低いのです。人並みの知能を持っているのは恐らく全体の二割にも満たない程度だったと思います。どれくらいの知能か簡潔に説明しますと、まず、文字が書けませぬ、そして相手が何を言っているのかはわかりますが、自分の考えをまとめて言葉を話すことが出来ませぬ。言うても片言ぐらいです。
 今日の糧のことは考えれても、明日の糧のことは考えれませぬ。もちろん、衣服なんてものの存在すら知らないような者たちばかり。野生の動物と同じような生活を毎日しておりました。
 それなのに魔族という存在は人間よりも力が強く、何よりも魔力を保有しております。
 故に人間達にとっては、魔族は危険な存在です。ですから、遥か昔から魔族は人間からの迫害を受けて、住む土地を追われ続けていました。

 我々、高等魔族も例外ではありません。いえ、なまじ知恵や思考力なんかを持っているせいで、人間達との抗争が絶えず起こっておりました。マナドゥたちの種族である『トロール』なんかは特に、元々の気性も激情家なせいか、人間と激しく争っていました。儂の種族の『ヴァンパイア』はあまり争いごとを好む性格ではない者が多い為、人間から迫害を受けない様に、ずっと怯えながら、逃げ続けながら生きてきたそうです。このヴァンパイア特有の「結界」も、そういったルーツがあり習得したのでしょう。

 そんな影の世界の中で、儂も先祖たちに習い、家族たちの身を隠しながら生きてました。
 儂には、妻がおりました。種族は同じ『ヴァンパイア』です。
 ベアトリーチェも生まれ、より一層食料などに気を付けるべきの時期です。妻より熟練度の高い儂が結界を張り、その結界の中で妻が食料集めにいそしむ日々。
 しかし、その日はあまりにも突然に訪れました。
 あまり食事を必要としない魔族ですが、決して食べなくても良いというわけではありません。妻はその日、いつものように食材を集めに行ってくると言って拠点を出ていきました。何故かはわかりませぬが、食料が思うように集まらなかったのか、それとも欲しい食材が少し離れた場所に見えたのか、偶然、妻は儂の結界の外に出てしまいました。
 ヴァンパイアにとって結界の外に出ることはタブーです。
 しかし、子が生まれたばかりだということもあってか、妻は自分の身のことを第一に考えていませんでした。妻が結界の外に出たのを感じた儂は、彼女を慌てて結界内に引き戻そうと、ベアトリーチェを抱えながら走りました。
 儂がその場に着いた時には、もう妻に命はありませんでした。額と胸に、赤色の銃痕が残っていました。
 殺したのは誰か。何故この場所が割れたか。偶然だったのか、分かりませぬ。とにかく儂は情けなく、怯えながらその場から逃げ出しました。子を抱え、遠くへ遠くへと逃げました。

 そんな時に、儂は魔王様に出会ったのです。あぁ、マナドゥたちと出会ったのもそのころじゃったか。

 『トロール』とは元々、体長が三メートル程度あるのが平均的で、マナドゥたちの様に小さいのは、はっきり言って希少種です。そして、基本的には群れませぬ。群れるとテリトリー内の食料がたちまちに尽きてしまいますからの。言うても子連れの母親ぐらいでしょう、群れるとしたら。
 どれぐらい走ったころじゃったか、儂は見てしまいました。数多の槍や剣を突き立てられ、体中に銃痕が刻まれたまま、三人の子を抱いて息絶えている女のトロール一体を。
 これは別に珍しい話ではありませぬ。我々は迫害されていた身なのですから。
 しかし、度肝を抜いたのはもう一つの光景です。王国の騎士団の死体の山の頂に、どこの種族かもわからない魔族のものがたった一人立っていたのです。
 それが、魔王様でした。
 魔王様は、まだ世界の何も知らないであろう三人のトロールの子を胸に抱きかかえ、ずっとそのまま抱きしめておられました。親の死体の前で呆然と、泣く事すらしなかった三人の子をです。

 儂は思わず声を掛けた。
「何故、人間を殺したのか」と。
「人間を殺せば、魔族の受ける迫害はもっと強くなっていくばかりだ」と。
 今思えば何とも情けない話ですな。妻を殺され、なお負け犬根性の抜けない儂は、恨むべき対象の人間が地に伏している姿を見ても、まだ怯えて保身のことばかりを考えていた。
 そんな儂に魔王様はこういったのだ。
「しかし、ここで殺さなかったら、この子たちはどうなっていた?」と。
 何も、言い返せなかった。

 魔王様はトロールの子を抱きかかえ、儂に近寄って言ったのだ。
「私はいずれ、魔族を束ねる王となる。私はお前とお前のその腕に抱く子供に、雨風を凌ぐ為の家を与えよう。喉が渇くことが無いように、安心して飲める水飲み場を与えよう。外敵に怯えることなく眠れる寝床を与えよう。お前ら二人が笑って晩飯を食せるような、暖かな空間を与えてやろう。お前らの知らない世界のことを教えてあげよう。お前らが危険にさらされた時、私が必ず守ってあげよう」
 支離滅裂で、滑稽無灯な言葉だった。
 その言葉の後に、魔王様は寂しそうな表情で儂に手を差し出したのだ。

「だから、私と友達になってくれないか?」

 儂は思わずその手を握った。
 魔族が人間のように暮らせる日々。ありえない夢物語だったが、確かに魔王様の目にはその物語が見えていた。だからこそ、儂はその手を握ったのだろう。
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