優衣

かつたけい

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終章 誕生

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     1
 二〇一四年、六月二十七日 土曜日。

 宮城県石巻市駅前北通りの路上にて、トラック同士が衝突する事故が発生した。

 原因は、運送トラックを運転していた男の、居眠り運転による信号無視。青信号で渡っていたダンプカーに、減速することなく真横から突っ込んだのだ。

 運転手は、双方ともに打撲などの軽傷。
 横転することはなく、運送トラックが頭からダンプカーの腹に衝突したという状態のままで止まったため、建物に突っ込むなどの被害は出なかった。

 しかし、この事故に巻き込まれて、一人の少女の命が失われた。
 減速せずに突っ込んでくるトラックの前に、彼女は自ら飛び込んだのである。
 青信号で横断歩道を渡っていた、幼い女の子を助けるために。

 目の前での予期しなかった惨劇の到来に、女の子の両親が悲鳴を上げたのとほぼ同時に、歩道を歩いていた少女は肩のバッグを投げ捨てて車道へと飛び出し、その幼い女の子を突き飛ばした。
 そしてその瞬間、トラックに跳ね飛ばされ、横切ろうとしていたダンプカーの側面に叩き付けられ、そしてその瞬間に再度トラックが突っ込んで、その少女の身体を押し潰したのである。

 数分後には警察、救急車が到着したが、トラックでさえダンプカーと衝突した正面部分がぐちゃぐちゃなのだ、その間に挟まれた人間が助かるはずもなかった。

 どう考えても、即死であっただろう。病院で検死の結果を待つまでもなく、全身の骨は粉々に砕け、内蔵も潰れてしまっているはずだ。

 少女は、学校の制服姿であった。
 事故現場からそれほど遠くないところにある、石巻聖亜女学院高等部の制服だ。

 もちろん肉体のみならず、その制服もぼろぼろであった。

 全身を完全に押し潰された少女の死体であるが、奇跡的というべきなのか、その顔だけは無傷であり、口元から、つっと一筋の血が伝っているのみであった。

 ふんわりと柔らかそうな髪の毛。
 少しあどけなさを残した、可愛らしい顔立ち。

 両目は閉じているものの、まるで生きているようであった。
 通常であれば苦痛や恐怖により凄まじい形相になっていてもおかしくないはずだというのに、その死に顔は実に安らかで、その口元には満足げな微笑みすら浮かんでいた。

 すべてに満足をし、自ら永久の眠りについたような、そんな表情であった。

     2
 一九九八年、十月二十一日。

 仙台市宮城野区の東仙台中央総合病院で、一つの生命が誕生した。

 待合室で両手を組んで、必死に祈っていたしのはらまさあきであるが、聞こえてきた産声に、跳ね飛ぶかのような勢いでその顔を上げていた。まるで居眠りを怒鳴られた高校生のように、首や視線をキョロキョロと左右に振った。

 ドアが開き、看護婦がひょこりんと顔を出した。正昭の姿を見つけると笑みを浮かべ、ささと素早く擦り足で近寄ってきた。

「おめでとうございます!」

 ここは病院だというのに、あまりにもハキハキと朗らかな様子だったものだから、正昭は、まるで何かのくじ引きに当選でもしたかのような錯覚に陥った。

 しかし自分がどんな突飛な想像をしようと、それにより起きた現実のほうが変わることはないわけで、先ほどの看護婦さんの言葉は、現在の状況から判断するに、自分が父親になった、とそれ以外の意味は有り得なかった。

 多くの父親がそうかも知れないように、やはり正昭にもそのような実感はまだまるでなかったが。

「女の子ですよォ」

 部屋に入るなり、後ろからその看護婦が、自分の子でもないのにさも嬉しそうに言葉を投げ掛けてきた。

 女の子、か。

 正昭は、心の中で呟いていた。
 まだ子供が生まれたということ自体が漠然とした感覚に過ぎないというのに、正昭は、女の子であることの嬉しさと、男の子でないことの寂しさを同時に味わっていた。二卵性の双子でもない限り、どうしようもないことなど分かってはいるが。

 看護婦に背中を押されて奥へと進むと、妻であるきようが、つい先ほどまで自らの胎内にいたはずの赤子を両腕に抱いていた。

 赤子は、元気の良い泣き声を上げている。
 その外見は、話によく聞くまさにその通りのものであった。ぶよぶよのしわしわで、色も赤茶で、こんな時にこんなことを思っちゃいけないがまるで何日もプールに浸かっていた水死体だ。

 でも、この子は間違いなく生きている。
 そして、間違いなく自分の、自分たち夫婦の、子供なのだ。

 このような場において、どのような気持ちになればよいものか戸惑っているうちに、恭子がこちらに気付いた。
 激しい疲労の色をその顔に浮かべながらも、ブイサインを作った手を小さく上げ、にこりと微笑んだ。

「女の子だって」
「聞いた」

 正昭は、にべないことをいう。そんなことよりねぎらいの言葉の一つでもかけてあげればいいのに、と自分の鈍感さに呆れながら。

「抱いてみる?」

 恭子が、胸の中の赤子を少し差し出すような仕草を見せた。

「落としそうで怖いな。しっかり支えててよ」
「大丈夫だって」

 そういえる根拠はなんだ。正昭はそう疑問に思いつつも、赤子を受け取ると胸にしっかりと抱いた。

 首が全然すわっておらず、非常に頼りないものはあったが、確かに大丈夫だった。

 しかし本当に首がふらふらだな。原始時代の人間なんか、こんな子を抱いている時に獣に襲われたらどうしてたんだ。

「絶対にねえ、美人になるよぉ、この子は」

 と妻はいうが、現時点でしわしわで、ぶよぶよで、赤茶けていて、将来どのような容姿の子になるのかなど、まったく想像が付かない。付くはずがない。

「名前は考えてた?」

 正昭は尋ねた。
 男の子ならば正昭が、女の子ならば恭子が、それぞれ名付けを担当するよう決めていたのだ。

「うん、たっくさん考えていたんだけどね、いま突然、そのどれでもない、いい名前を思い付いた」
「なに?」

 正昭は促すが、恭子はニヤニヤと笑みを浮かべて焦らした。
 そして、小さく、はっきりと、嬉しそうに、その名を口にした。

「ゆ、い」
「ゆい?」

 はっきり耳に入っていたけれど、正昭は聞き返した。

「そう。ゆい。優しいに衣で、優衣」
「優衣か。いいんじゃないか、とても。うん、凄くいい」

 正昭は、胸の中に抱かれた我が娘、優衣へと視線を落とし、微笑んだ。

「マーちゃん。絶対に、幸せにしようね。優衣を」

 恭子はゆっくりと手を伸ばし、正昭の腕に触れると、そのまま手を滑らせて、我が子の、まだろくに毛の生えていない頭をそっとなでた。

「なるよ絶対に、優衣は、幸せに」

 なるに、決まっている。

「あ、マーちゃん、もし男の子が生まれていたら、名前は?」
「そりゃあもちろん……やっぱり教えない」
「えー。それずるい! あたしは教えたのに!」
「だってそりゃ女の子が産まれたからじゃないか。男の子の名前は、いつか優衣に弟が産まれた時に使うんだから」

 正昭は、優衣をぎゅっと抱きしめた。
 優衣を見つめる二人のその表情は実に穏やかであった。

 希望
 未来
 幸福
 自分たち、そして優衣にとって、きっと、これから素晴らしい人生が待っている。
 正昭は微塵の疑いも持たず、そう確信をしていた。

 だって、
 人は幸せになるために、生まれてくるのだから。
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