新ブストサル 第二巻

かつたけい

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第九章 だって、フットサルなんだから ―― 対我孫子東高校戦 ――

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     1
 キックオフ直後から、ひがしの攻めの時間帯が続いている。
 とにかくボールと真紅のユニフォームとが連動して、なめらかに流れるようにどんどんと動く。

 その躍動の前に、深い青のユニフォーム、わらみなみは防戦一方であった。

 連係の成熟具合、まるで大人と子供の試合を見ているかのようである。
 素人がこの試合を見たとしても、そう感じただろう。

 我孫子東は、たまにボールを奪われても、組織だった守備としっかりとした個人技で、あっという間に取り戻してしまう。

 副部長であるてらさき以外は、主力チームのベンチにすら入らない二軍の選手たちだというのに、佐原南は攻守両面において圧倒され続けていた。

 前の試合で、かしわふなぼり女子を8ー0という大差で破ったのは、柏船堀女子が弱いからというよりも、我孫子東が強いからだったのだ。

 ただし現在のところ、まだ得点は生まれていない。
 前半四分。両者とも先発選手のまま、まだ交代はない。

 現在ピッチに立っている選手たちは、次の通り。

 我孫子東高校
 ゴレイロ はし
 FPは小林
 ながやまたつ
 ぐもすず
 かねもも

 佐原南高校
 ゴレイロ たけあきら
 FP、いくやまさと
 やまゆう
 しの
 真砂まさごしげ

 寺崎詩緒里は、現在のところピッチの外だ。我孫子東のゲームキャプテンとして、大声で味方の動きを指示している。
 その指示は非常に的確で、佐原南の攻撃の芽を摘み取り、佐原南を自陣へと追い込んで前へ出ようとすることを許さなかった。

 我孫子東の金田桃子は、山野裕子がパスの出しどころに迷う一瞬の隙を突いて、ボールを奪い取った。
 百五十二センチと身長は低いが、身体能力が高く、判断力にも視野の広さにもすぐれた選手である。
 その長所は、ここでも発揮された。佐原南から奪ったその瞬間に、まだ自陣だというのに遠目からシュートを打ったのである。
 確かに佐原南ゴレイロの武田晶が、少し前がかりになっており、精度さえ高ければ狙えば入るかも知れない場面であった。

 実際に精度は高く、球威も申し分ないものであったが、だが佐原南には通用しなかった。
 いつの間にかシュートの軌道上に立っていた真砂茂美が、軽く跳躍しながら頭で大きく跳ね返したのだ。

 我孫子東ならば、その程度の攻撃はやりかねない。
 そんなことは、充分に分かっていた。
 例えそれが二軍メンバーであろうとだ。
 だから裕子は「予想外」を減らすべく徹底的に練習したし、ただ練習するだけでなく気の持ちようとしても選手たちにしっかり落とし込んでおいた。
 その効果が出たのである。

 ぼーんと舞い上がり、天井からのライトを受けて光るボールを、裕子と南雲鈴江が追い、走る。

 セカンドボールを拾われるから、我孫子東のチャンスが続いてしまうのだ。
 一歩踏み出す反応を早くし、さらには決して当たり負けないようにしなければ。
 主力じゃないとはいえ、我孫子東は我孫子東であり、実際、その二軍すら圧倒されているではないか。
 だからすべてのプレーを全力でやらなければ。
 ぜんこんぜんそう、それがうちら佐原南なんだ!

 と胸に叫びながら裕子は全力で走り、ボールを追った。

 横に並ぶ南雲鈴江が額で受けようとするが、裕子はどんと肩をぶつけて、奪い取った。

 ドリブルする裕子であるが、しかしその瞬間に審判の笛が鳴った。
 当然ではあるが、裕子のプレーがファールと判定されたのだ。

 我孫子東のFKである。
 キッカーは、いま小林千賀子と交代で入ってきたばかりのがしらさえ。視野が広く、味方を使うのが上手な、状況判断に優れた選手だ。あまり多くない利き足が左の選手で、そのキック精度は非常に高いらしい。

 田頭冴子はボールを置いた。
 そこはコーナーの近くであり、実質CKであった。

 佐原南ゴール前には、まるで小さく透明な囲いでもあるかのように、赤と青のユニフォーム姿がみっしりと詰まり、ひしめき合っていた。

 審判の笛。
 田頭冴子は助走せずに、丁寧に軽く蹴った。

 そして次の瞬間、佐原南の選手たちの目に、とても信じられないような光景が飛び込んできた。
 素早く短いワンタッチパスの連続で、稲妻のようにボールが走ったのだ。

 まるでビリヤードであった。
 佐原南は相手選手をしっかりマンマークしていたはずなのだが、それぞれが巧妙な動きでマークを外しながら、ボールを受け、繋いだのだ。
 相手の混乱を見逃さずに、ゴール正面から我孫子東のながやまたつがシュートを放っていた。

 まさに電光石火というべき攻撃であったが、武田晶が驚きながらも反射的に手を伸ばして、なんとか弾いた。

 こぼれてバウンドしたところを亜由美がクリアした。
 しかしクリアが小さく、南雲鈴江にプレゼントパス、そのままボレーシュートを打たれてしまった。

 咄嗟のことであるというのに、しっかりとボールの芯を捉えており、威力、角度、ともに素晴らしいシュートであった。

 ボールは佐原南のゴールネットに突き刺さ……いや、またもや晶が弾いていた。

 集中力があり油断をしていないだけでなく、加えて反射神経が並外れて優れているのだ。
 ハンドボールのキーパーをやっていた経験も大きいだろう。
 フットサルよりも小さいボールが、フットサルよりも様々な角度から、もの凄い速度で襲ってくる競技だからだ。

 弾かれたボールはゴールラインを割り、我孫子東のCKになった。

「リューセ、鈴江、いいシュートだった! 続けて!」
「はい!」

 寺崎詩緒里の鼓舞に、長山竜世と南雲鈴江が同時に返事をした。リューセというのは、長山たつの名前を音訓読みしたニックネームであろう。

「亜由美、クリアははっきりと!」

 晶が怒鳴った。

「ごめん」

 亜由美は謝った。

 再び、佐原南ゴール前に、両校の選手たちが密集する。
 我孫子東のキッカーは、またも田頭冴子だ。
 今度はシンプルに、密集の中に蹴り込んできた。

 長山竜世がボールを受け、シュートを打とうとするが、間一髪、里子が蹴り出した。

 ボールは篠亜由美の前へ転がる。今度はしっかり大きくクリアした。
 タッチラインを割った。

 裕子が叫ぶ。

「カナ、入るよ! 亜由美と交代!」
「分かりました」

 かなめは、アップをやめて交代ゾーンへと向かった。

 裕子としては、研究されないように久慈要は我孫子東との後半戦から出したいところであったが、仕方ない。なんとか流れを引き寄せないと、このままでは失点は避けられないからだ。

 久慈要は、交代ゾーンに立った。

「頼むよ、カナ」

 篠亜由美は、右手を上げた。

「はい」

 二人は交代ゾーンでハイタッチ、入れ代わった。

     2
 かなめは、入るなり早速仕事をした。

 ちょっと痛みを伴う仕事ではあったが。
 ゆうからのパスを受けてファーストタッチ、そのまま瞬時に身体を反転させてドリブルしようとしたところ、マークについていたぐもすずに足を引っ掛けられて転ばされてしまったのだ。

 佐原南がFKを獲得。キッカーは山野裕子だ。
 短く助走を付け、蹴った。

 浮き球だ。
 我孫子東のかねももの頭上を通し、いくやまさとへと送った。

 里子に一人ついていたが、競り合って、跳躍しながらヘディングで自陣方向へと戻すように弾いた。

 センターサークル付近に残っていたベッキの真砂まさごしげが、いつの間にか駆け上がってきており、ボールを受け、そのままドリブルで突き進み、一人かわしてシュートを打った。

 弾丸のようなシュートであったが、我孫子東ゴレイロのはしが、両手を突き上げて、弾いた。

「フーミン、ナイスプレー」

 大きく横に反れてタッチを割ろうかというボールを、持ち前の俊敏さでぎりぎり拾ったのは我孫子東のながやまたつであった。
 ニックネームで守護神に礼をいうと、そのまま方向転換して、ドリブルに入った。

 かなめが、すぐさま身体を寄せた。

 長山竜世は構わずドリブルを続ける。
 俊足なだけではなく、キープ力にも定評のある選手なのである。
 相手が誰だろうと、簡単には奪われない。という、自信に溢れたドリブル。
 だが、

 彼女の表情が変化していた。違和感を覚えたように、足を止めた。
 違和感も当然である。
 彼女の足元に、あるはずのボールがなかったのだから。
 長山竜世は驚きの表情を浮かべ、確かめるように振り返ると、久慈要の後ろ姿に、さらに驚愕し、目を見開いた。

「どうして……」

 どうしてわたしではなく、あちらがボールを持ち、ドリブルをしているのだ。ということだろう。

 呆然と呟いている暇はない、と、長山竜世は慌てて追いかける。

 久慈要はほとんど速度を落とすことなく、細かなドリブルで金田桃子をも抜き去ると、コーナー付近からグラウンダーのクロスを送った。

 飛び込んだのは山野裕子である。
 右足でうまく合わせた。

 ゴール至近距離からのシュートであったが、ゴレイロ田ノ橋富美音の左足に弾かれた。

 里子が拾って久慈要へとパス。

 そこからヒールで真砂茂美へ。

 真砂茂美から、また久慈要。真砂茂美、山野裕子、生山里子、山野裕子、綺麗なパスワークでどんどんボールが繋がる。

 序盤は防戦一方だった佐原南に、ようやくエンジンがかかってきた。

 久慈要の投入が功を奏し、自分たちのリズムで試合を運べるようになってきた。

 バスを受け、くるり前を向いた里子の前に、田頭冴子が立ち塞がった。里子はヒールで後ろへ戻すと、すっと田頭冴子の横を抜けた。

 戸惑う田頭冴子の横を、今度は久慈要がドリブルで抜ける。

 久慈要は、金田桃子を軽快なステップでかわすと、ゴール前へとボールを送った。

 山野裕子が、長山竜世を押さえて、転がってくるそのボールを受けようと構えた。
 だが、受けずにスルー。

 ゴール前へと転がるボールに走り込んでいた生山里子が、豪快に右足を振り抜いた。
 至近距離からのシュートであったが、ゴレイロ田ノ橋富美音の反応もポジショニングも素晴らしく、胸でブロックされた。

 だが、床に落ちた足元のボールを、すぐさまクリアしようと右足を振るうはしであったが、焦っていたためか蹴り損ねてしまい、ぽとり里子の前へ転がった。

 当然、すぐさまシュートを狙う里子であるが、同時に我孫子東の南雲鈴江もクリアしようとそのボールを蹴っていた。

 二人の蹴りに揉まれたボールは、ぽーんと大きく跳ね上がって、結局のところ佐原南としてはクリアされたのと同様に、センターサークルの方へと飛んでいった。

 そのボールを、佐原南ベッキの真砂茂美が難なく拾うと、受けに戻った久慈要へとパスを出した。

 金田桃子が激しい勢いで迫るが、久慈要は慌てず引き付けておいて、右と思わせて左という至極単純なフェイントで、一気に抜け出した。

「カナ、上手い!」

 裕子は思わず迷惑なくらいな大声を出していた。
 でも本当に、感心してしまうくらい上手なのだから仕方ない。

 カナ、足元のテクニックがあるばかりでなく、冷静な判断力も素晴らしい。
 先ほど見せた単純なフェイントにしても、むしろそれが有効だろうという瞬時の判断があってのものだろうし。
 個人技抜群だというのに、その上チームプレーに徹してくれる。
 全体の流れを意識してくれる。
 目も心も、視野が広い。
 投入直後からしっかりチームに溶け込んでくれたおかげで、スムーズにボールが回るようになったし、心なしか味方の個人技さえも上昇したように思わせるものがあった。

 南雲鈴江が、久慈要からボールを奪おうと走り寄った。

 久慈要は、里子へパス、と見せて逆から南雲鈴江をかわし、自ら前へボールを運んだ。
 ゴール斜め、距離五メートル。久慈要は、迷うことなく右足を振り抜いた。

 シュートは、またも我孫子東の守護神である田ノ橋富美音がブロックしたが、

「グラビトーン!」

 山野裕子が、なんだか分からないことを叫びながら、こぼれたボールに飛び込んで全力キック。ゴールネットに突き刺した。

 前半十分。
 こうして佐原南は、序盤の劣勢を跳ね返して先制点を奪ったのである。

 佐原南 1ー0 我孫子東

 抱き合い喜ぶ、佐原南の部員たち。
 反対に、床を踏みつけて悔しがるのは我子東の選手たちだ。
 それはそうだろう、序盤からずっと圧倒的に支配していたのに、その時間帯に一点も奪えず、相手に流れが渡った途端に失点してしまったのだから。

「カナのおかげですよ、あれ。誰だって決められる」

 嬉しそうな、不満そうな、複雑な表情の里子。裏表のない彼女、本音もまた顔の表情と同じなのだろう。嬉しいけど悔しいに決まっている、けれど嬉しいに決まってる。
 分かっていて、いや分かっているからこそ裕子は、

「うっせ里子バーカ。自分が点決めてないからって、ゴールの価値落とそうとしてくんな」

 苦虫を噛み潰したような渋い顔で、里子をしっしっと追い払う。

「それに比べて、すんごいのにあのバカと違ってい全然エラそうにしないカナちゃーん。いやあ、さすがだね、ありがとね」

 裕子は、わははと笑いながら、久慈要の小さな背中を叩いた。

「そんな、たいしたこと……王子先輩、どうかしましたか?」

 その言葉に、裕子はどきりとして飛び上がりそうになった。

 先ほどから、右のふくらはぎや足首に軽い違和感を覚えており、それが気になっていたからである。

 ……まさか、な。

「いや、なんでもないよ」

 そうだ。なんでもない。
 きっと、気のせいだ。

 軽く、トントンと右足の踵で床を叩いてみる。

 別に痛みはない。
 大丈夫。

     3
「よし、じゃあさとに代えてアゴ! 暴れてこい!」

 裕子は叫んだ。

「え、あたしまだやれますよ」

 納得いかぬと抗議する、生山里子。

「対策されないように、攻め方を変えるんだよ。いい子にしてたら、また出してやるからさ。あ、ごめん、それじゃあ二度と出られないね。どうでもいいけど」
「ほんっとムカツク先輩!」

 里子は渋々と表情で、アゴことほしいくの待ち構えている交代ゾーンへと向かった。

「しゃぁぁぁ!」

 星田育美は、自分の顔面を右手左手交互にバシバシ叩いて気合を入れている。

「頑張って……下さい」

 あまりの迫力にたじろぐあまり、思わず後輩に敬語を使ってしまう生山里子であった。

 二人はタッチし、入れ代わった。
 こうして百七十六センチの超長身選手、星田育美が初めてピッチに投入されたのである。

 ここまで大きな選手が公式戦に出場したこと、佐原南高校女子フットサル部の歴史において、おそらく初めてのことであろう。

 気合満面ピッチに躍り込んだはいいが、入った直後はなかなかボールに絡む動きが出来ず、無駄に走り回って体力を消耗しているだけであった。
 が、同じく長身のばやしに対してハイボールを競り勝ったところから自信をつけたか、だんだんと動きがよくなってきた。

 動きの硬ささえとれれば、高さを生かしたプレーだけでなく、なかなかに足元の技術も上手であった。

 巨体に似合わず、全身の関節が実に柔らかい。
 練習でそうと分かっていたからこそのメンバー入りだが、しかし、あらためて裕子は星田育美の技術の高さを認め、感心していた。

 だが、ひとつ悩みが……
 デカイ身体の割りに、足元が上手なのか。
 あんな顔だというのに、足元が上手なのか。

 彼女のプレーの上手さに対する驚きを言葉にするにあたり、どういう形容句を使えばいいのだろうか、と。

 考えても仕方ないか。
 デカくてあんな顔をしているのに、足元が柔らかくて上手なのだ。
 いやいや、この表現も紛らわしいな、身体だけが大きいように受け取れてしまう。実際は身体だけでなく、顔も恐ろしくデカイ。
 だから正しくは、顔も肉体もデカイ、なおかつ顎が長くて……

 裕子が自身ピッチの中だというのに、そんなどうでもいいことを心に呟いているうちに、星田育美が単身突破。

 我孫子東、かねももが必死に大きくクリアする。

 真砂まさごしげが拾い、近くで要求しているかなめへとパスを出した。

 久慈要は、一人まだ前線に攻め残っていた星田育美の巨体を目掛けて、まるで手で放っているかのような素晴らしく精度の高いボールを送った。

 飛び出す我孫子東ゴレイロのはしであったが、しかし一瞬、遅かった。

 というよりも星田育美が一瞬、早かったのだ。
 後方からの長いパスに、育美は跳躍すると、上手に頭を合わせていた。

 田ノ橋富美音の頭上、伸ばした手の上を、ボールが飛び越えた。

 追加点。
 誰しもがそう思ったかも知れない。

 しかし実際には、ボールはポストに当たり、ゴールラインぎりぎりのところに落ち、ぽんぽんと跳ねた。

 まだラインを割っていない。
 田ノ橋富美音は、身体を反転させてゴールへと走る。

 星田育美も、自らねじ込んでやろうと着地と同時に猛然とダッシュ。
 地が揺れる。

 田ノ橋富美音の戻るのが早かった。
 横へ大きく蹴飛ばして、キックインに逃れた。
 佐原南、得点ならず。

「アゴ、良かったよ。その調子!」

 裕子は、星田育美のプレーを褒めた。
 アゴだけじゃない。
 いまのプレーに繋がった、カナのパス精度と状況判断力、こちらもたいしたもんだ。

 久慈要は、戦術理解力が高いだけでなく、それを実践出来るしっかりとした技術力を持っている。
 裕子は、ピヴォを生山里子から星田育美に交代させたが、久慈要は、育美の特徴が生かせるように自身のプレースタイルを変化させていた。
 先ほどの育美のヘディングによる惜しいシュートも、そうしたところから生まれたものだ。

 久慈要を投入してからというもの、これまでずっと佐原南がペースを握っている。
 先ほども思ったが、彼女は、個人技があるだけでなく、チーム全体をパワーアップさせる力を持っているようだ。
 疲労のこともあるから、ずっとは出せないけれど、今後も要所要所で使っていきたいな。

 星田育美のキックインでリスタート。
 裕子がすっと出て受け取るが、すぐ背後にながやまたつが密着してきたため、無理せず育美に戻した。

 だが育美にも我孫子東の選手、ぐもすずが迫った。
 育美は再び裕子へとパスを出し、走り出すと、ワンツーで上手に南雲鈴江を抜いた。
 地響き立てての大迫力突破であった。

 久慈要へとボールが渡った。
 すぐに金田桃子が寄ってきて、二人は向かい合った。

 久慈要は、すっとボールを引きながら、身体を反転させる。と、見えたその瞬間、反対方向へ戻ってそのまま金田桃子の横を抜けていた。

 頭が真っ白になっていたのではないか。
 それくらい、金田桃子の顔は呆然とした様子で、ぴくりともせず立ち尽くしていた。

 呆然となるのも仕方ないことかも知れない。
 相手(久慈要)は出しどころがなく、後ろを向こうとしているのか、小賢しくルーレットでも仕掛けようとしているのか、どっちだ、などと思っていたら、そのどちらでもない、そのまま抜けるなどという予測もしていなかったプレーで、見るも簡単にかわされてしまったのだから。
 二軍とはいえ我孫子東。個人技には高いプライドを持っているだろう。それだけに、赤子扱いはショックだったに違いない。

 それ故の無意識であったのか。
 金田桃子は、つい、掴んでしまっていた。
 振り向くなり、久慈要の背後から彼女の襟首を。掴み、引っ張っていた。

 小柄な久慈要は、簡単に引っ張られ、倒され転がった。

 胸を床に強く打ちつけたが、痛そうにしながらもすぐに立ち上がった。

 笛が鳴った。
 金田桃子にイエローカードが出され、佐原南はFKを得た。

「カナ、いいよ! FKも任せた!」

 鼓舞と指示の大声を出しながら、山野裕子は我孫子東のゴールへと向かう。

 ゴール前に、両校の選手が集まった。

 裕子の隣に、星田育美の巨体が立った。

「アゴってさあ」

 裕子は、すぐ隣で塔のようにそびえ立つ星田育美の顔を見上げながら、言葉を発する。
 しかし、続く言葉が出てこない。
 このFKも育美のプレーが発端で得たものだし、なにか褒めてノセてあげれば、決めてくれるかもと思ったのだが。

「あ、お兄ちゃんもこんな感じです」

 育美は、サツマイモのような長い顎をなでた。

「しゃくれ具合の話なんか誰もしてねえ! アホか。なんで試合中にお前ら兄妹の顎の出っ張り具合の話なんかしなきゃいけないんだよ、バーカ!」

 顎をぺちんと叩いた。

「佐原南の4番の方、試合に集中して下さい。それと、乱暴な言動は謹んでください」
「なんで、あたしだけ……」

 審判に注意され、首を不満げに縮こまる裕子であった。

 置いたボールを踏み付けて待っている久慈要は、審判の笛と同時に少し後ろに下がると、小さく助走する。
 柔らかな蹴りで、ふわりとボールを浮かせた。

 我孫子東、ゆうの頭上を飛び越えて、星田育美へ。

「どすこい!」

 育美は巨体を跳躍させると、大きな頭を、渾身の力でボールに叩きつけていた。

 ゴレイロ田ノ橋富美音の脇を抜けて、ゴールネットが揺れた。

 審判の笛が鳴った。
 佐原南の追加点は、認められなかった。

 跳躍した際に、ぐもすずながやまたつの二人を弾き飛ばしてしまったからだ。

「アゴ、ドンマイ」

 裕子は、育美の長い顎を叩いた。

「初ゴールかと思ったのに」

 悔しそうな、でも楽しそうな表情を浮かべている育美。

 一点を追う我孫子東は、ついに唯一の一軍選手であるてらさきが出ることになった。

 寺崎詩緒里はピッチに入るなり魅せた。
 金田桃子からのパスを受けると、リフティングしながら身体を反転させてベッキの真砂茂美を抜いたのである。

 そしてシュート。

 たけあきらは胸で受け、両腕でかかえ込んだ。強い衝撃に、身体ごと押し込まれそうであったが、なんとか持ちこたえた。

 裕子は、おでこの冷や汗を腕の袖で拭った。

 フットサルの試合で、あんなリフティングするかよ。
 非常識な。
 しかもそれで、危うくやられるところだったんだから。

 やっぱり違うな、主力は。
 一瞬たりとも油断が出来ない。

 でも、自分たちは、こんな選手のうじゃうじゃといる我孫子東と去年、互角な勝負をしたのだ。
 自信を持て。

 裕子は自身の胸にそういい聞かせると、博打ともいえる選手交代に出た。勝利の確立を少しでも、こちらに引き寄せるために。

 ベッキの真砂茂美に代えて、その位置にピヴォ特性の生山里子を投入したのだ。
 寺崎詩緒里の個人技に対し、個人技で対応するためだ。

 とはいえ、もちろんチーム全員の協力が必要になる。

 練習でちょっとだけこの戦法を試してみたことがあるが、その時には惨憺たる有様だったというのに、強豪校である我孫子東相手にほぼぶっつけ本番。
 我ながら正気の沙汰でないもするが、とにかく里子を信じよう。あいつもまた、去年、あの我孫子東と戦った一人なのだから。

 というわけで、ベッキとして里子が入ったわけであるが、
 寺崎詩緒里が早速、その急造ベッキの里子に牙を剥いた。佐久間有紀とのコンビネーションで抜こうと、激しい勢いで攻め上がったのである。

 しかし、二人の間に立った里子は、困惑することなく冷静に処理をした。相手二人と適度な距離を保ち、そして寺崎詩緒里のパスを読み、瞬発力を発揮して、スライディングでボールをカットした。
 倒れたままの姿勢で、さらにボールを蹴って大きくクリア。
 見事、裕子の期待に応えて見せた。

 ハーフウェーラインを越えたボールは小さくバウンドし、それを長山竜世が拾った。

 だが、拾ったその瞬間に、久慈要が小柄な身体を巧みに入れ、奪っていた。

「カナ!」

 ゴールへと走る裕子。

 久慈要は、叫び声に反応したか見えていたか、浅い角度からクロスを入れる。軌道上に金田桃子がいるため、その頭上を越えるふわりとした浮き球で。

 裕子は足の回転を急加速させ、ボールを追う。

 ゴレイロの田ノ橋富美音が猛然と飛び出した。

 先にボールに触れたのは裕子だった。
 真正面からゴレイロが迫ってきていたため、頭で横にそらせた。

 ぽーんと横へ跳ねるボールへと、星田育美がダイビングヘッド。
 決定的であったが、しかしボールはポスト横に外れた。

「桃、リューセ、マークが曖昧になってる!」

 運良く失点しなかっただけだ、と、田ノ橋富美音は怒鳴り声を張り上げた。

 田ノ橋富美音のゴールクリアランス。
 ボールの落下地点へ入り込んだ我孫子東の佐久間有紀であるが、山野裕子が迫ってきているのを見ると、トラップせずダイレクトに蹴り上げた。
 それでも精度の高いボールが、待ち構える寺崎詩緒里へと飛んだ。

 だがしかし、胸でトラップというまさにその瞬間、後ろから素早く回り込んだ生山里子が大きくクリア。

「里子、いいよ!」

 裕子は大声を出した。

 大丈夫そう、かな。里子。

 と、恐る恐るであったその思いは、それからさらに一分後、確信に変わっていた。
 任せても大丈夫だ。
 一対一で寺崎詩緒里と対等に渡り合うだけでなく、戦術、周囲との連係などにおいても問題なさそうだ。

 ピヴォの時と違って、博打でボールを奪おうとせず、堅実に守っている。無理に奪おうとせず、上手く遅らせて、味方の下がるのを待って挟み撃ちにしたり。

 一年前の、自分のことしか考えていなかった頃と、同じ里子だとはとても信じられない。

 茂美以外に本職ベッキがいないから、助かった。

 自分も、大会で急造ベッキの経験があるから、本当はやってもよかったのだが……

 とんとん、と裕子は、軽く自らの右足を踏み鳴らしてみる。

 ……やっぱり、ベッキは不安だな。里子に任せよう。
 最悪、さきを入れて、晶をFPにして、ボックスにして晶と里子で守ればいいか。いや、それなら茂美を戻した方がいいな。

 晶は足元が上手でベッキもそつなくこなすけど、やっぱりゴレイロでいて欲しいからな。特に、この我孫子東相手には。

 寺崎詩緒里が、前線でボールを受けた。
 ポストプレー。裕子を背負い、ボールをキープした。

 佐久間有紀が、サイドを駆け上がっていく。

 急造ベッキの里子であるが、佐久間有紀へのパスを警戒するあまり、全体的な視野が狭くなってしまっているようだった。

 反対側から長山竜世がボールを受けて、抜け出していた。

 やば……

 裕子が声掛けしようと思った瞬間には、既に抜け出した長山竜世からのシュートが放たれていた。至近距離からの、思い切りのよいグラウンダーのシュートが。

 ばず、と鈍い音。
 晶が反応し、右足を伸ばして、弾き返していた。

 高く跳ね上がったボールは、タッチラインを割った。

 裕子は、ほっと安堵のため息。

「晶、サンキューな」

 これだから、晶を外したくないんだよな。
 並のゴレイロなら、いまの絶対に決められてたよ。いや、咲のゴレイロが不安ということじゃなくてさ。

 それにしても、我孫子東の攻め上がりの判断、さすがだな。FPのうちの三人までが、あんなにも上がってくるなんて。絶対にシュートで終わらせる自信があるのだろう。
 でも、絶対に守り切るぞ。

「里子、もっと集中して。普段ピヴォだからなんて、いいわけにならないぞ。他も、もっと声掛け合って! あたしもだけど。反省してる。こんな強い相手だからこそ、チームワークをしっかり出してこう!」

 裕子は手を叩き、叫んだ。

 我孫子東、佐久間有紀のキックインである。

 寺崎詩緒里が受けて、また佐久間有紀へと戻そうとしたところを、ベッキの里子が後ろから掻っさらった。
 里子はすぐさま大きく前線へフィード。

 久慈要が、左腿を上げて、受けた。
 トラップから瞬きほどの時差もなく、もう久慈要はドリブルでぐいぐい前進していた。
 金田桃子をかわすと、ゴール前へと横パスを送る。

 そこへ走り込む山野裕子。
 追加点をあげる決定的なチャンスであった。

 だが得点は生まれず。
 裕子は突然膝を崩し、よろけ、ボールを目前に転んでしまったのである。

 ボールは、田ノ橋富美音がクリアした。

 ここで、長い笛が鳴った。
 前半終了だ。

     4
 膝に手をつき、ゆっくりと、確かめるように立ち上がるゆう

「王子先輩、大丈夫ですか?」

 かなめが近づいてきた。

「ああ、大丈夫。それよりもごめん、カナ。せっかくいいのくれたのに転んじゃって」
「そんな。あたしの方こそ、受けにくいの出しちゃったのかも知れません」

 素晴らしい技術を持っているというのに、久慈要はどこまでも謙遜する。

 これから十分間のハーフタイムだ。

 両校、ピッチから出てそれぞれのベンチ前へと向かって行く。

「なんとか崩されることはなく無失点で前半を終えられたけど、あっちがあのままとはとても思えないし、追加点を取らないと安心出来ないよなあ。……どうしよおおぉ。あいつら怖いよ。きっと本気で来るよ!」

 士気を高めねばならぬ立場でありながら、いきなり泣き言から入る裕子であった。

「またさっきみたく先輩が得点すりゃいいじゃないですか、なんとかドーンって」

 里子がからかうようにいった。

「無理だ、グラビトンは一度射出すると十五時間は使用不可なんだ」
「またなんだかわけの分からないことを」

 変身ヒーローだか巨大ロボットだかの必殺技だろうかね。うん、王子先輩そういうの好きだからね。里子と花香は怪訝そうな顔を寄せ合ってぼそぼそ。

「とりあえず、セオリー通りにいくから。しっかり守ってカウンターを狙う。前は前で、後ろは後ろで、しっかり守備をすること。状況状況でどんどん回転させていいけど、なるべくすぐ基本陣形に戻して。あと、途中でしげまた入れるから。そしたら、ボックスにする」
「ボックスじゃ、ベッキもう一人は?」

 里子が尋ねる。

「そこは、里子のままで。攻撃については、カナを中心に、誰かと組ませてく。あたしからはこんな感じで。じゃ、作戦参謀、細かな対策について説明よろしく」
「了解」

 きぬがさはるは、バッグから携帯用のホワイトボードを取り出し、床に置いた。
 磁石を並べて、佐原南と我孫子東それぞれの陣形を作った。

 前半に出場した我孫子東の選手について、特徴や対策を明確に指示していく。

 以前に久慈要が新鮮な驚きを覚えた、衣笠春奈の能力だ。

 相手の特徴や、それに対する個人としての対策、チームとしての対策、それらを簡潔具体的な言葉にまとめて表現出来るのだ。まだ、前半が終わったばかりだというのに。

 もうそろそろ、ハーフタイムも終了である。
 佐原南の選手たちは、ピッチへと入り、円陣を作った。

 遅れて、我孫子東の選手たちが入ってくる。

 それぞれ掛け声をかけ合うと、それぞれの場所に散った。

 審判の笛が鳴り、後半戦が始まった。

     5
 ゆうは、すぐに選手交代の指示を出した。

 ほしいくに代えて、しのだ。

 交代の狙いは前線からの守備にある。
 星田育美は迫力のある攻撃には最適だが、守備に心もとないところがあるからだ。

 篠亜由美は個人技の高い選手ではないが、佐原南三年目で戦術をよく理解しているし、なにより、まだ疲れていない。

 早速、コーナー付近でボールキープする亜由美。
 本来、まだそのような時間稼ぎをしてもあまり意味のない時間帯だが、しかし、相手を焦らし、冷静さを奪う効果は充分に あったようである。
 ひがしの選手たちの顔つき、てらさきが仲間を必死に落ち着かせようとしていることから分かるというものだ。

 精神面での脆さ、ここが彼女ら二軍選手と、百戦錬磨の主力たちとの違いなのだろう。

 とはいえ、さすがは我孫子東である。
 そのような中でも少しずつ修正を施してきた。
 マーク相手の入れ代え、攻めと守りの意識の修正。

 ゲームキャプテンでただ一人の一軍選手である寺崎詩緒里が、短く適切な言葉で指示を出しているのだ。

 これらの修正で上手く回るようになれば、我孫子東は精神的に息を吹き返すだろう。

 だから裕子は、相手の調子が戻る前に手を打った。

 後半四分、篠亜由美に代えて真砂茂美を投入したのである。

 親友同士故かは知らないが、亜由美と茂美もなかなかに質の高い連係を見せてくれるのであるが、この試合ではそれを見ることはなさそうだ。

 茂美の投入により、基本陣形をボックスに変更した。

 試合の中で陣形などいくらでも変化するものであるが、とりあえずさとと茂美が主に守備を受け持つことになる。

 厚みのある攻撃は出来なくなったが、しかし守備を落ち着かせることに成功した。

 とにかくまずは守備から。
 それが佐原南のフットサル。
 後ろがまず落ち着いて、攻撃はそれからだ。

 膠着状態にビハインドの相手こそ焦る、という状態に持っていきたかったのだが、しかしさすがは我孫子東。
 また、流れを引き寄せるための選手投入をしてきた。

 さらと、やまそのという二人である。

 前の試合、柏船堀女子戦にも出場していたが、どうやらコンビで使われる選手のようだ。
 どちらも小柄で俊敏。
 足元の技術力もなくはないが、それよりも運動量で前線を掻き回すタイプ。

 そしてその特徴は、この試合においても発揮された。
 縦横無尽に駆け回る前線二人の勢いに押されて、じわじわと、佐原南全体が後ろへと押し込められていく。

 後半七分、佐原南に選手交代。

 山野裕子は、自分に代えてたけなおを入れることにした。

「ナオ、任せた! 思い切りやってこい。こっちがリードしてるからって、守ることそれほど考えなくてもいい。それは後ろに任せて、向こうの焦るのが見えたらそこを突いて、思い切り掻き回してやれ!」

 裕子は、直子の柔らかな肩を叩いた。

「はい!」

 交代ゾーンで二人は入れ代わり、武田直子は佐原南の公式戦で初のピッチを踏んだ。

     6
 真砂まさごしげのキックイン。

 入ったばかりのたけなおが、早速ボールを受けた。

 今度こそしっかりやるぞ!

 心に気合いを入れる直子であったが、前を振り向こうとしたところ、ボールタッチを誤ってラインを割ってしまった。
 初心者でもやらないようなミスであった。

「ナオ、気にすんな! 誰だって緊張する!」

 ベンチから、やまゆうが励ました。

 直子は、えへへと作り笑い。

 心の中では地団駄踏んで喚き、泣き出したかったが。
 ただボールを蹴るだけが、こんな難しいとは。
 ただ練習通りにやることが、こんな難しいとは。

 ひがしのキックインは、ゆうが入れた。

 ながやまたつが上手く受け、そこからのワンツーで佐原南守備陣を突破しようとするが、いくやまさとが読み、インターセプト。

「ナオ!」

 ボールは、武田直子へ。
 だが、ボールの出しどころを探して躊躇している間に、てらさきに奪われてしまった。

 慌てて背後から追いかける直子。
 直子が追いつくよりも先に、寺崎詩緒里のドリブルコースを塞いだかなめが、ファールをせず上手に足を入れて、取り戻した。

 そこから茂美を経由し、再び直子へとボールが渡った。
 ノープレッシャー。ドリブルでもパスでも、お好きな方をどうぞという状況であったが、またしても直子は、ボールをおかしな方向に蹴ってしまい、ラインを割らせてしまう。
 それだけではない。自分自身の足をもつれさせて、どうと転んでしまったのである。

「君、大丈夫?」

 そばにいた、対戦相手である寺崎詩緒里が、さすがに心配したか声をかけていた。

「具合悪いの?」

 ライン際に立っている審判も尋ねた。

 なんでもありません。
 直子は顔を上げ、そう口を開こうとしたが、言葉が出てこなかった。

 とりあえず笑顔を作ろうとするが、それすらも出来なかった。

 ゆっくりと起き上がろうとするが、まるで力が入らず、床に膝を付いてしまう。

 再び立ち上がろうとするが、膝がぶるぶると震えて、今度は後ろに転んで尻餅をついてしまった。
 手をつき、両膝をついた。
 息が、荒くなっていた。
 両手で、頭を押さえた。

「ダメだ……」

 あたし……やっぱり、ダメだ……
 出来ると思ってたのに。
 もう心はすっかり治って、ピッチに立つことになってカナちんとの久々の公式戦を楽しもうと思ったのに。
 どうして、身体が動かないの?

「ナオ、大丈夫? 交代。交代しようか?」

 ベンチから飛び出した山野裕子が、ライン際に立って、ぶるぶる震えている直子へと呼びかけた。

 王子先輩、きっと後悔しているよ。
 このタイミングでわたしを出場させたこと。
 交代したところて、もうチームの士気をどうしようもないくらい下げちゃったよ、わたしきっと。
 でも、仕方ないじゃないか。
 まだ治ってなかったなんて、わたしにだって分かっていなかったんだ。

 有名な強豪校との対戦からくる緊張などが影響して、また、精神不安定な状態が甦ってしまったんだ。きっと。
 怖い記憶が完全に甦って、どうしようもないわたしになってしまう前に、交代で戻してもらおう。
 わたしなんかがメンバーに選ばれたことが間違いだったんだ。辞退すべきだったんだ。

「王子先輩、あたし……」

 ダメです。とは、いえなかった。
 いおうとしたのだが、絶叫に似た大声に掻き消されたのだ。

「王子、余計なことしないでいい!」

 それはたけあきら、直子の姉の声であった。

「ナオ、頑張れ! お前は本当は強いんだ。優しいから受けるダメージ大きいだけで、あたしなんかよりずっと強いんだ! そう、漫才! 思い出せ! また今度やろう! ナオ! 勝って、突破して、宿泊所の夕食でみんなにあの漫才見せてやろう!」

 懸命に叫び声をあげ続ける晶。

 その必死な感情が、自己防衛のために閉じかけていた直子の意識の中に、すうっと流れ込んできていた。

「お姉ちゃん」

 分かって、くれているんだ。
 わたしのこと。
 一緒に、
 わたしと一緒に、戦って、くれているんだ。

「ナオ」

 その声に顔を上げると、かなめが心配そうに覗き込んでいた。
 彼女は、直子の目に光が戻るのを見て少し安心したような顔になった。

「ナオ、無理しないでいいんだからね」

 久慈要は腰を屈めると、直子の手を取り、握った。

 直子の身体は、相変わらずぶるぶると震えていた。
 でもそれは、恐怖のためではなかった。

 そうだよな……
 お姉ちゃんだけじゃない。
 仲間が、いるんだからな。
 そうだよな。
 だって、フットサルなんだから。
 あたし、
 この部活に入って良かった。
 みんなと出会えて、良かった。
 最高の仲間たちに出会えて、本当に本当に良かった。

 心から、そう思っていた。

「ありがとう。カナちん」

 直子の顔には、じんわりとした笑みが浮かんでいた。
 久慈要の顔にも、なんとも照れくさそうな笑みが浮いていた。

「体調悪いの? 辛そうだけど、続けられる?」

 審判が、どうしたものか困ったように、同じ質問を繰り返している。

「体調は、絶好調です」

 直子は久慈要に引っ張られ、ゆっくりと立ち上がった。

 後ろを振り返ると、姉に向かって笑顔満面ブイサインを突き出した。
 姉、晶は小さく頷くと小さくガッツポーズを作った。

「もう、大丈夫、なの?」

 審判がなおも尋ねる。

「ご迷惑かけました! ちょっと緊張して、目眩がしただけです」

 叫ぶような大きな声を出すと、深く頭を下げた。
 顔を上げる。
 その顔に、いままでどこか残っていた暗い影は、もう微塵も感じられなかった。

「久々に、やろうか、カナちん」

 直子は腰の後ろに手を当て右に左に身体を捻りながら、中学時代の相棒に視線を向けた。

「そうだね。ナオ」

 久慈要は頷いた。

 審判の笛が鳴った。

     7
 ひがしさらのキックインで、試合が再開した。

 皿木麻衣から、やまそのへ繋がる。
 少しドリブルで上がると、斜め前を走るてらさきへ。

 後ろにわらみなみいくやまさとを背負いながらも、冷静に、かねももへ。
 ロングフィード。前線の皿木麻衣が頭で受ける。

 山田美園とのワンツーで、真砂まさごしげを抜く。

 皿木麻衣のシュートでフィニッシュ。
 だが、ぎりぎり身体を投げ出した生山里子の足に当たり、ボールは跳ね上がるように大きく横へそれ、タッチラインを割った。

「いいよ、里子!」

 ピッチの外で、やまゆうは手を叩いた。

「ほんと、よくなってる」

 裕子は小声で呟き、感慨深げな笑みを浮かべる。
 粘り強い守備が出来るようになってきたな。自分自分だけでなく、相手を考えられないと、守備は出来ないからな。

 と、里子がフットサルを通して人としても成長しているのが、その成長に付き合った人間としてはちょっと嬉しかった。

 それにしても……
 予期せぬ試合中断があった直後だというのに、さすがは我孫子東、いきなりこんな見事な連係を見せてくるとは。

 追わねばならない立場なので攻めてくるのは当然だが、しかしここまで冷静にパスを繋げるとは。

 一瞬の油断も出来ない相手だ。二軍がどうとか、関係ない。
 全力で、ぶっ潰すぞ。

 裕子はあらためて気を引き締めていた。

「里子、前空いてる!」

 ボールをなんとかキープしていた里子は、ルーレットでくるり前を向いた瞬間に、大きく蹴った。

 かなめが反応して走るが、ボールは大きくタッチを割った。

 我孫子東、皿木麻衣のキックイン。
 寺崎詩緒里が前へ出つつ受け、そのまま真横へ転がして山田美園へと繋がった。

 すぐさまゴール前へとパス。皿木麻衣が反応して、飛び出していた。

 しかし届かなかった。
 読んでいた生山里子がカットしたのだ。

 里子は、セーフティに大きくクリア。

 高く舞い上がり我孫子東サイドへと飛んで行くボールを、金田桃子と久慈要が追いかけ、競った。
 同時に、跳躍した。

 身長はどちらも小柄であるが、ジャンプ力は久慈要が抜け出ていた。軽く頭を振って、丁寧にたけなおの方へと送った。

 直子は、胸でトラップした。
 落ちるところを山田美園に狙われたが、爪先でちょんと蹴り上げてかわす。
 槍を突き出すかのごとく、激しくがむしゃらにボールを奪おうとする山田美園であるが、直子は足を器用に使って、蹴り上げ、転がし、引いて、簡単に支配権を渡さない。
 ちょっとバランスを崩し、どっ、と蹴り足を床に着いたところを奪われかけたが、間一髪、逆の足でパスを出した。

 コントロールが乱れてタッチラインを割ってしまうかに見えた瞬間、久慈要が受け、ドリブルに入っていた。

 ガムシャラに背後を追う金田桃子に、久慈要は足を引っ掛けられて転ばされた。しかしファールを取って貰えず、佐原南はボールを奪われた。

 金田桃子はセルフジャッジで止めることなく、すぐさま前線へロングフィード。
 精度低く、我孫子東の味方に繋がらず。

 佐原南ベッキの里子が拾い、走りながら大きく蹴って、久慈要へと返した。

 久慈要は、落ちてくるボールをトラップせずに、そのまま爪先で蹴り上げていた。

 ボールは低い山を描いて、ゴール前へと飛んだ。
 久慈要のそのプレーを予測していたとでもいうのだろうか、そこへ直子が走り込んでいた。
 ジャンピングボレー。

 ゴレイロのはしは、ぴくりとも反応することが出来なかった。

 だが、シュートは惜しくもポスト直撃。跳ね返った。
 詰めていた久慈要が、スライディングでボールを押し込む。

 だが、田ノ橋富美音が膝を落として屈み込み、ぎりぎりのところで、なんとかブロックし、ボールに飛び付くように両腕に抱え込んだ。

「すっげえ」

 裕子は、無意識にそんな感嘆の声を漏らしていた。

 武田直子と久慈要、二人の中学時代を知る者ならば、きっと思ったことだろう。
 ナオカナ復活だ、と。

 その後も二人は、抜群のコンビネーションを見せ、我孫子東のゴールを脅かした。

 この二人は、本当にお互いを理解し合っている。
 これ以上はないくらいに上手だと思っていた久慈要のプレーが、直子のプレーによりさらに良さを引き出されている。

 直子も一年生の割に上手で、だからこそメンバー入りしたわけであるが、なんというか、普段は上手なだけであるのに対して、現在はその動きに迫力、怖さが出ていた。

 我孫子東の五人は、たった二人の選手にすっかりと翻弄されてしまっていた。
 皿木麻衣と山田美園でやろうと思っていることを、逆にこの二人にやられてしまっていた。
 全員で引いて、守るのが精一杯になってしまっていた。

 直子の突破をなんとか食い止めようと山田美園が足を伸ばすが、自らバランスを崩して転んでしまう。

「なにやってんだよ、ヤマダミソ!」

 田ノ橋富美音の罵声が飛ぶ。
 我孫子東の五人は、完全に呑まれてしまっていた。
 完全に集中を切らせてしまっていた。

 そして我孫子東の五人は、ナオカナの二人に意識が向きすぎてしまっていた。
 流れから生山里子が上がってきていたのに、気付いていなかったのである。
 フリーの状態で直子からボールを受けた里子は、そのままゴールへとまっしぐら。

 我孫子東の選手たちは、予期せぬことにうろたえ、頭が真っ白になってしまっていたようであったが、さすが主力組のてらさきはいち早く危機を察知して、味方に叫びながらボールとゴールとの直線上に身体を入れていた。

 里子は突如身体を反転させて、寺崎詩緒里を背負った。と、その瞬間にヒールでボールを相手ゴール方向へと転がしていた。

 全力で駆け上がっていた久慈要が、そのボールを拾った。

 ゴレイロの田ノ橋富美音が、久慈要を弾き飛ばすかの勢いでスライディングタックルを仕掛ける。

 だが、久慈要は小さく身体を浮かせ、その攻撃をかわしていた。自身と共に浮かせたボールに、空中でちょこんと足を当てて押した。

 小さいループを描いて、ボールはゴールマウスへ。
 僅かに枠を捉えられず、ボールはポストを直撃。いや、まさにそうなる寸前、走り込んだ直子が、胸で押し込んでいた。

 ゴールネットが揺れた。
 ボールごと、直子がネットの中に飛び込んだのだ。

 佐原南 2-0 我孫子東

 佐原南は追加点を上げた。
 ピッチ内外から、部員たちの歓喜の声が上がった。

「ナオ、ありがと。決めてくれて」

 久慈要は、ゴールネットの中で呆然と突っ立っている武田直子に背後から近寄ると、頭をなでた。

「ナオ?」

 直子の反応がないことに、久慈要は不思議そうな表情で名前を呼んだ。

 振り向いた直子。その瞬間、頭がすっと沈んでいた。力抜けたように、ぺたんと内股で、床に座り込んでいた。

 直子は袖で目をごしごしと拭っている。

 久慈要は、その顔をそっと覗き込んだ。

 泣いていた。
 直子の目からは、涙がぼろぼろとこぼれていた。

「お姉ちゃあああん」

 真上を向いて、情けない泣き声を上げた。
 何故ここで姉の名が出てくるのか、自分でも分からなかったのではないだろうか。
 頑張って泣きやもうとしているが、拭っても拭っても、涙が止まらないようであった。

「ありゃあ、ゴール決めて泣いちゃったよ」

 ベンチから見つめる裕子の顔は、微笑ましげであった。

 から、このゴールを決めるこれまでの間に、直子にどれだけのことがあったのか、それを充分に知っていたから。

 反対側のゴールに目を向けると、武田晶がやはり袖でまぶたを拭っていた。
 隠すように背を向けてはいるが、動きで丸分かりである。

 性格がまるで正反対と思っていたけど、意外と二人は似たもの姉妹なのかも知れない。

     8
 恥ずかしいな。
 みんなの前でさあ。
 でも、どうしても涙が止まらなかったんだもん。
 嬉しかったんだもん。

 目がヒリヒリして、痛いなあ。
 真っ赤かな?
 鏡、ないかな。

 ごまかすように心に色々と呟きながら、たけなおはベンチへと戻って来た。

 もう試合は終盤であり、二点をリードしていることから、わらみなみは守備固めで、武田直子に代わってづきが入ったところである。

「ナオ、やったな。点決めてくれて、助かったよ。ほんとに、お前ら最高のコンビじゃん」

 やまゆうは、笑顔で直子の背中を叩いた。

「練習で全然カナちんと組むことなかったから、ここで使われるとは思ってもいませんでした」

 直子の涙はもう止まっているが、目は真っ赤。でも、その顔には爽やかな笑みが浮かんでいた。

「だって、相性最高なんだろうなって分かってたもん。晶がベタ褒めしてたし。相性がこれ以上ないなら、練習時間は他のことに使わないともったいない」
「え、お姉ちゃんが?」

 そうか。
 直子の顔に、なにか暖かいものが、じんわりと広がっていった。

 全然見てないようなこといってたくせに。
 全然興味ないようなこといってたくせに。

 分かってたんだ。

 直子は、ピッチの上に立つ姉の姿に目をやった。いつもとなんら変わらぬ姉の姿であるはずなのに、不思議なことに、なんだかいつもとまったく違って見えた。
 どう違うのかというと、自分でもよく分からず困ってしまうのだが。

 さて、試合の行方であるが、残り時間あと一分というところでひがしやまそのが意地の一点を返したが、反撃もそこまで。

 佐原南が2-1で、我孫子東を下した。
 二連勝。一試合を残して、予選突破が決定した。

     9
しようたち、この大会に出てなくて良かったよ。主力じゃないから負けた、っていえるからね」

 てらさきは、そういって屈託なく笑った。
 その明るい笑顔を受けて、やまゆうも笑みを浮かべた。

「まあ確かに、出られていたらあたしらボロ負けだったかもなあ」

 分かんないけど。
 強いからね、うちらも。

 なお祥子というのは、ひがしの部長であるなかしましようのことだ。我孫子東の一軍は別の大会に参加しているため、ここには来ていないのである。

 山野裕子、寺崎詩緒里、それぞれの後ろには、それぞれの部員たちが集まっている。先ほど全員で列になって、お互い握手をかわしたばかりである。

 キャプテンの二人は、改めて、がっちりと握手をした。

「祥子さんに、よろしく伝えといてよ。引退前の最後の試合、ガチでやり合いたかったけど、それは下の子らに任せよう」
「分かった。伝えとく」
「あと、代表の子にもよろしくね」

 代表の子、はやしばらかなえのことだ。

「了解」

 などと言葉をかわしていると、かしわふなぼり女子高校の部員たちが、観客席から降りてきた。ぞろぞろと、裕子たちのいるこのピッチへと近づいてくる。

 これからこのピッチ上で、佐原南と柏船堀女子との試合が行われるのである。

「じゃ、お互いフットサル続けてたら、どこかでまた会おうよ」

 寺崎詩緒里は、拳を突き出した。

「そうだね。また、ね」

 裕子も、手を伸ばす。
 お互いの拳を、こつんと当てた。

 そうだよな。
 もうすぐ、引退なんだもんな。
 自分でそういっておきながら、他人にいわれて改めて気付いたよ。

 フットサル、続けるのだろうか、自分。

 中学生までは、ソフトボールをやっていた。
 進学した高校にソフトボール部がなく、仕方なくフットサル部に入ったのだ。

 現在、愛着という面では、どちらのスポーツにも同じくらいある。
 どっちを選ぶか。
 どっちも選ばないかも知れない。
 そもそも、大学へ進学するつもりがないのだし。

 身体を動かすことは好きだから続けるだろうけど、どこかに身を所属させてまでやることは、ないかも知れない。

 だからこそ、思う。
 仲間とこうしていられるこのを時間、大切にしないとな、と。

「どうした? 山野さん」

 寺崎詩緒里が不思議そうな顔で見ていた。

「あ、いや、なんでもない」

 引退の感傷に浸ってたなんて恥ずかしくていえないよ。

「じゃあね。お互い第三試合、頑張ろう」

 寺崎詩緒里はピッチの外へと歩き出した。残る部員たちも後に続く。

 我孫子東の部員たちと挨拶をかわしながら、入れ代わりにこちらへ近づいてくる者たちに、裕子は視線を向けた。

 上下、淡い黄色のユニフォーム。
 胸には、柏船堀女子の文字。

 先頭を歩く、腕にキャプテンマークを巻いている者が、同じくキャプテンマークを巻いている裕子を見つけ、そそくさと歩み寄ってきた。

「あの、次に対戦させていただく、カシジョの、あ、あたしら自分たちの高校カシジョって呼んでるんですけど。山本といいます。下手ですけど、頑張りますんで、よろしくお願いします」

 何十年も昔の、昭和の田舎の少女といえば分かりやすいだろうか、そんな朴訥とした雰囲気と、その見た目の通りの喋り方で、最後に深く大きく頭を下げた。

「こちらこそ、よろしく」

 タメなのにかしこまって敬語なんか使われると、こっちも言葉使いに困るなあ。と、心の中で苦笑しながら、裕子は右手を差し出した。

「よろしく!」

 山本、と名乗った女子は、裕子の手をぎゅううっと両手で強く握った。

 調べはついている。彼女が、主将のやまもとさくらだろう。
 男子に混じってずっとサッカーをしていたらしく、そこそこ上手という話だ。

 山本桜に限らず、他の部員たちも、挨拶をかわしてみれば負けず劣らず爽やかな感じの者ばかりであった。
 ただ一人を除いては。

 そのただ一人とは、むくしまよしであった。

 開会式前に、かなめに話し掛け、不敵な笑みで挑発していた部員である。

 相変わらず尊大そうな笑みをその口元に浮かべ、久慈要を睨み付けていた。
 嘲り、憎悪、どういう気持ちであるのかは分からないが、とにかく温かみの微塵もない、黒く冷たい笑みであることに間違いなかった。

 その視線をぶつけられている久慈要は、わざわざ視線をそらすでもなく、反対に目を合わせるでもなく、ただ硬直してしまっていた。

 自分のことを意識はしている。
 椋島佳美は、最初はそれで満足していたのかも知れないが、物足りなくなったのか、やがて、わらみなみの部員たちの間に押しのけるように平然と入り込み、久慈要に密着するかのごとく眼前に立った。

 身長差が二十センチ近くあるため、椋島佳美の方が見下ろす格好である。

「さっき、あたしがいったこと、覚えてる?」

 椋島佳美は、ゆっくりと、言葉を発した。

 周囲は、しんとなっていた。静かな嵐ともいうべき異様な雰囲気に。

「もう一回、いっとくね。こっち弱小校だし、たぶん、そっちが勝つだろうけど、でもあたし、カナちゃんには負けないから。格の違い、敗北感、たっぷりと教えてあげるから」

 口を閉じた。
 だれも喋る者がいなくなり、一層の静寂が訪れた。

 雰囲気に耐えられなくなったのか、言葉を考えていたのか、やがて、久慈要がおずおずとした視線で、重たそうに口を開いた。

「ずっと、一緒だったんだよ。佳美ちゃんが凄いのは、よく知っている。いまさら敗北感もなにもないよ」

 その言葉の何に激昂したのか椋島佳美は、目の前に立つふた周りも小さな少女の胸倉を、ねじ切らんばかりに激しく掴み上げていた。
 強引に、自分の顔の前まで引き寄せた。

「なあにいまから予防線を張ってんの? そうやって逃げてばかり。卑怯だよね。クラブからは逃げ出しちゃうし。……まあいいけど、でも試合は、本気できなよね。傷つくのが嫌だからって、敗北感を味わいたくないからって、手を抜いたりしないでよね」
「あのさ、もういい? カナを離してやってよ。これから試合なのに、壊されちゃたまんないよ」

 山野裕子はのんびり口調とは裏腹に非常な怪力でもって、椋島佳美の手を掴み、指をこじ開けた。

「痛っ! ……カナちゃんのこと、絶対に出してくださいよね」

 顔をしかめながらも椋島佳美は、山野裕子を攻撃的威圧的な目で睨んだ。

「出さない」

 あくまでのんびりしたその口調に、椋島佳美の表情が瞬時にして変化した。感情ベクトルにはいささかの変化もないが、その激昂具合の凄まじさが何倍にも膨れ上がっていた。

「うそうそ。出すよ。だからしっかり対戦を楽しみな」
「絶対ですよ」

 椋島佳美はふんと鼻を鳴らすと、踵を返し、仲間たちの元へと戻って行った。

「とはいってみたものの……カナ、どうする? 出たい?」

 ちょっと弱ったような笑顔で、裕子は久慈要の顔を見た。

「気は、乗りません。正直いって、嫌です。絶対に心から楽しむことが出来ないと分かっている試合に出るなんて。でも、出なかったら、ここで佳美ちゃんと戦わずに逃げちゃったら、ずっとこのまま。あたしも、佳美ちゃんも、何も変わらない」
「分かった」

 裕子は頷いた。

 館内アナウンスが流れた。
 佐原南と柏船堀女子との試合開始の十分前だ。

「もうすぐ試合。心をしっかりコントロールしておけ。カナにとっては、かなりキツイ試合になるかも知れないからな」
「はい」

 久慈要はそういうと、きゅっと唇を結んだ。

「あの、ごめんなさい」

 柏船堀女子の主将である山本桜が、小走りに近づいてきた。
 裕子たちの前に立つと、まるで土下座でもしそうなくらいに腰を曲げ、深く頭を下げた。

「うちの者が、なんか失礼なことしちゃったようで。ほんと、ごめんなさい」

 何度も頭を下げた。

「おい、カナに謝ってるぞ」

 裕子は、久慈要の脇腹を肘で突付いた。

「あたし別に気にしてませんから。そんな謝らないでください」

 気にしていないはずないが、常識的に、そういうしかないというところだろう。
 山本桜は顔を上げ、ようやくほっとしたような顔を見せた。

「どうも、ありがとう。でも、試合はまた別ですからね。うちら、もう二敗で予選敗退決定してますけど、でも、全力でいきますから」

 山本桜は、力強くそういいながらも、照れくさそうに笑っていた。真っ赤なほっぺが、より赤くなっている。

「こっちもだよ」

 裕子もつられて笑ってしまう。

「こっちも全力でやる。いい試合にしよう」

 二人は、あらためて握手をかわす。

 山本桜は、また深くお辞儀をすると、笑顔のまま去って行った。

 試合開始五分前のアナウンスが流れた。
 両チームとも、登録メンバー全員がピッチ上に集まって、円陣を組んだ。

 佐原南の登録選手は十二人。規定上限フルにいる。
 対して、柏船堀女子は九人しかいない。部員数が十名しかおらず、しかも一人は怪我で欠場しているためだ。

 両円陣から、大きな掛け声が飛んだ。
 もちろん佐原南の掛け声の締めは、「全魂全走」である。

 それぞれ先発の選手がピッチに散らばり、それ以外はベンチへと下がった。

 柏船堀女子は、上下とも淡い黄色のユニフォーム。

 佐原南は、上下深い青色だ。

 なお、佐原南の先発メンバーであるが、

 たけあきら
 真砂まさごしげ
 やまゆう
 きぬがさはる
 ほしいく

 この五人である。
 久慈要は、ベンチスタートだ。

 対して柏船堀女子の先発メンバーには、椋島佳美が入っている。
 このような場に慣れずにそわそわしている者が多い中、彼女は微動だにしていない。
 だが、決して冷静というわけではないようである。
 椋島佳美のその視線は、ピッチの誰でもなく、迷いなくただ一点、佐原南ベンチの久慈要に向けられていた。それは睨むような、それどころか呪い殺そうとでもしているかのような、恐ろしい目つきであった。

 久慈要も、今度は眼をそらさず、椋島佳美の視線を受け止め、見つめ返している。弱々しい表情ではあったが。

「みんな、気合いで負けるなよー」

 山野裕子が、仲間を見回し、声を掛けた。

 あと少しで試合開始である。
 センターサークルに置かれたボールを、柏船堀女子のもりながあきが踏みつけている。

 第一審判が、笛を口にくわえた。
 ゆっくりと、手を上げる。

 キックオフの笛が鳴った。

 森永明菜は、ちょんとボールを前に転がした。
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「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」 「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」 「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」 県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。 頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。 その名も『古羊姉妹』 本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。 ――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。 そして『その日』は突然やってきた。 ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。 助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。 何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった! ――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。 そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ! 意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。 士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。 こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。 が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。 彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。 ※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。 イラスト担当:さんさん

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

プール終わり、自分のバッグにクラスメイトのパンツが入っていたらどうする?

九拾七
青春
プールの授業が午前中のときは水着を着こんでいく。 で、パンツを持っていくのを忘れる。 というのはよくある笑い話。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

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