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第二十五章 終わりの、終わり
06 無理もないことだろう。この異様な空の模様に、驚くこ
しおりを挟む無理もないことだろう。
この異様な空の模様に、驚くことも、怖れることも。
いかような物理法則によるものか。
それとも、ただの夢、または幻影であるのか。
青い空に、亀裂が入っている。
正方形のパネルが、裏返るように一つ消え、二つ消え、青空から無機質なグレーへと変わっていく。
空でなくなった空。
そのグレーのパネルには、文字が逆さまに書かれている。
裏から透かして見ているように、逆さまに。
コンピュータに精通している者ならば、すぐに分かっただろう。
書かれているのは、量子ビットを文字列に変換したものであると。
空が、ぶるぶる震えている。
軋んでいる。
悲鳴を、上げている。
ぴしり、ぴしり、
亀裂が生じては、剥がれ落ちるでなくパネル状に裏返って、青空からグレーへと変わっていく。
量子ビット文字のびっしりと書かれたパネルに変わっていく。
「なんだよ、この空は……どういう、ことなんだよ! アサキもだよ。あいつ、どこへ消えちゃったんだよ!」
青い魔道着、カズミが怒鳴っている。
地面へとイラ付きをぶつけ、踏み付けている。
その隣にいる治奈、原因は同じなのであろうがでも反対に弱々しい表情だ。弱々しい、泣き出しそうな顔で、空を見上げている。
「アサキちゃんに、なにがあったのじゃろか? 魔力は感じたから、生きては、おるんじゃろうけど、ほじゃけど……」
泣き出しそうな顔で、狂い始めた空を見上げている。
震える手を、ぎゅっと握り締めている。
果たしてこれは、なにかの魔法によるものなのか。
だとして、物理現象か、幻影か。
どういうことであるのか。
どうなろうというのか。
世界が、ついに終わろうとしているのか。
青い正方形のパネルが、ぱたんぱたんと裏返ってグレーに置き変わっていく。
そんな空の下を、人々が慌た様子で逃げ惑っている。
さらに向こうに見えるのは、リヒト支部の本棟ビル。
低層より上階を完全に吹き飛ばされており、もう単なる二階、三階建てであり、ビルという言葉からのイメージはない。それどころか、いまにも崩れて自重ですべてが潰れそう。
もう、ほぼ瓦礫である。
魔法使いたちは、途方に暮れていた。
それらの光景を見ながら、なにをすることも出来ずに。
「なにが……なんだか」
ぽかんとした口から声を発するのは、天野姉妹の姉、明子。なにが現実であるのか、すっかり困惑している様子である。
さもあろう。
目の前にある、倒壊寸前の支部本棟。この中に、ほんの数分前まで、彼女たちはいたのだから。
建物の吹き飛ぶ直前に、アサキが魔法で仲間を避難させようとしたのか。それとも、理性を保てず魔力が暴発したのか。
とにかく彼女たちは、アサキの力によって、壁の大穴から外へと吹き飛ばされたのである。
吹き飛ばされ、唖然呆然としているうち、今度は空が地震のごとくがたがた震え、亀裂が入り、崩れ始めた。
空の崩れた向こうに、空間は存在せず。量子ビット文字列が逆さまに記述されているだけという、まるでコンピュータ世界の内側に閉じ込められている想像画のような、奇怪な天幕があるだけ。
そんな薄気味悪い空に動揺しているうち、つい先ほどまで自分たちのいた、アサキのまだいるはずの建物が、大爆発を起こして吹き飛んだ。
それまでは、建物の上で真っ白に輝く太い光が竜のように河のように、ぐねぐねと回っていたのだが、爆発で建物が吹き飛ぶと同時に、その太い光は真っ直ぐに伸びて「橋」の形状を作り、次の瞬間にはすべて溶け消えていた。至垂とアサキの、魔力や気配と共に。
うねる白い光は、もうどこにもなかった。
そうして彼女たちは、途方に暮れつつ、ここに立ち尽くしていたのである。
次々と裏返っていく空を見上げていたのである。
「さっきの、一瞬ぴっと伸びて消えた光。その方向を考えると、『扉』かもね」
銀黒ツートンの髪の毛に魔道着、嘉嶋祥子の小さいがはっきりした声である。
「扉って、中央結界の? それが、この近くにあるのか? あっ、ひょっとして、だからリヒトはここに東京支部を作っていやがったのか!」
ボロボロの青魔道着、カズミは声を荒らげ強く地を踏み付けた。
「はあ? いまごろその疑問?」
天野姉妹の妹、保子が鼻で笑った。
ここにいる誰も、リヒトという組織があることなど、つい最近までは知らなかった。
数ヶ月前に所長である至垂徳柳がアサキに会いにきたという、それがリヒトを知った最初である。
それからしばらくして、アサキは至垂に招かれて、ここ東京支部を訪れることになったのだが、リヒトをいま一つ信用していなかったカズミも番犬的な役割を買って一緒に着いていった。
つまり、いまここにいる少女たちの中では、カズミが最初にこの地を訪れたわけで、それなのに地形条件からまったくピンときていないカズミに、保子は笑ったのである。『扉』に近いところにあえて建てたのではないかということ、仲間うちの雑談の中に散々に上ったことというのに。
とはいえ面と向かって笑われては、カズミも面白くない。
「なんだあ?」
眉釣り上げて、保子の胸倉を掴んだ。
「なんだよお!」
「二人とも、仲間同士こがいなとこで喧嘩しても仕方ないじゃろ!」
治奈が、カズミの手を両手で包んで、そっと引き離した。
「ごめんね、保子ちゃん」
と、保子の背中を優しくさすって、友人の非礼を謝った。
「それはともかくじゃ、うちらも、そこへ行ってみんと、いけんと思うんじゃけど」
険悪になり掛けた空気を戻したかったこともあるだろうが、本心も半分あるだろう。確かにこの状況、運を天に任せる以外には、進む以外の選択肢など彼女たちにはないのだから。
「ま、そうだな。くるんじゃねえってアサキのバカにえらい剣幕で怒鳴られたけど、もう、そうもいってられねえ状況だからな」
天野保子とのいさかいに、まだちょっと憮然とした感じのカズミは、顔をしかめながら後ろ頭をこりこり掻いた。
「そうだね。万が一にも、ヴァイスタが扉に触れてしまったら、もう世界はおしまいなんだから」
広作班リーダー、仁礼寿春が、リストフォンの画面を空間投影させ周辺地図を表示させた。右腕を失っているため、左手の指でタッチ操作しながら。
「『扉』の場所は、ここ。我々がいまいる場所から、徒歩五分くらいだ」
地図上、平将門の首塚の、すぐ隣にある神社マークを指差した。
「ここに行けば……」
「なにがあるかは……」
「分からない、けど」
「行かなきゃ、始まらない」
固めた決心に、頷き合う魔法使いたち。
仁礼寿春は、特に表情を前面に出さず、彼女たちの顔をただ見つめていたが、
「そこにある中央結界に、なにかしらのパワーが集まり始めている。と考えるべきなのかな」
残った左手を、顎の下に当てながら、ぼそり呟いた。
「なんだよ、パワーって」
カズミが、仁礼寿春へと問う。
つい先ほどは至垂徳柳への対応を巡って、あわや殺し合いに発展するところだったというのに、お互いにさっぱりしたものである。
「分かるはずないだろう。適当で構わないなら、より霊化して液状になったヴァイスタ集合体だとか、いくらでもいえるけど」
この尖ったいい方。
冷静沈着そうな広作班リーダーであるが、やはりこの状況に動揺しているのだろうか。
ただし、適当に発したというその言葉は、まったく間違ってはいなかった。
ここから遥か遠く各地方にある五つの結界、それらを守っている魔法使いたちが現在、次々と絶望によるヴァイスタ化を遂げていたのである。
ヴァイスタ化した瞬間には、霊的昇華というさらなる変化に肉体は溶け崩れ、異空を通じて、ここからすぐ近くにある中央結界へと送り込まれ続けていたのである。
カズミたちのいる場所も、中央結界すぐ近くということもあり無数の霊道が走っており、感覚を少し研ぎ澄ませれば、どるどると粘液が流れる音がしているのが分かるだろう。
仁礼寿春いう、液状化したヴァイスタが流れる音である。
霊的昇華したヴァイスタが霊道を流れて、中央結界内の『扉』へと集まって、そうこうしている間にもどんどん空の青に亀裂が入り、剥がれ崩れ落ちたり、パネルのようにパタンと裏返る。
裏返ったグレーの正方形パネルには、魔力の目がなければとても目視出来ないくらい小さな文字が書かれている。量子ビットを文字列化したその羅列が、左右反転された状態で。
「科学呪詛式じゃあるまいし」
文前久子が空を見上げながら苦笑した。
科学呪詛式とは、コンピュータに魔法を記憶させて実行させるための、プログラム構文のことである。
理論科学ではなく、現実的に応用されている。
例えばクラフトの動作や、武器防具の転送などに利用されている。
「あたしらになにが出来るか、正直、分からねえ。でも、こんなけったくそ悪いこたあ、早く終わらせねえとな」
カズミも見上げた。
壊れていく青空を。
意味の分からない文字列に埋め尽くされようとしている灰色の空を。
ぎゅっ、と力強く拳を握りながら。
と、その時である。
「どういうことだ、これは……」
冷静沈着そうな広作班リーダー仁礼寿春の、震える声が聞こえたのは。
その声を背中に受けたカズミは、
「分かるはずないだろう。適当で構わないなら、空の向こう側で小汚いおっさんがパネルにクイズの答えを書いて掲げてるとか、好き勝手いくらでもいえるけれどね」
小馬鹿にされたと腹を立てていたのか、先ほどの口調を真似してやり返した。
だが、カズミは思い違いをしていた。
広作班リーダー仁礼寿春は、この奇怪な空に耐えられず不安を漏らしたわけではなかったのである。
なにげなく後ろを振り向いた瞬間、カズミはそれを知った。
驚きに、どっと汗が吹き出していた。
目を、大きく見開いていた。
「あ……ああ」
カズミの、微かに開いた唇から、乾いた声が漏れていた。
身体が、溶けていたのである。
広作班メンバーの一人の身体が。
皮膚が、肉が、白い魔道着ごと、溶けていたのである。
「うわあああああああ!」
広作班の少女は、溶けていく自分の身体、どろどろと骨の覗く自分の指先を見ながら、大きな口を開き絶叫した。
その彼女の前にリーダーである仁礼寿春が立つが、継ぐ言葉なく呆然と立ち尽くしているだけだった。
あまりの奇怪な出来事に、なにを思考することすらもままならないのだろう。
確かに一瞬で現状を認識し対策を打ち立てよなど、無理な話であろう。
「うわあたしもだああああああああ!」
続いての叫び声は、天野姉妹の妹、保子である。
彼女も広作班の少女と同様、蝋燭の蝋が溶けるように、ふつふつどろどろと変じ始めていた。指先が、顔が、スカート型の魔導着から覗く膝下が。
「おい! な、なにがどうなってんだよ! お前ら! 酔狂なら家でやれ!」
青い魔道着よりもずっと青ざめた顔で、カズミが怒鳴った。
混乱し、恐怖に狂いそうになる自分を、大声で押さえ付けたものであろうか。
だけどもそこへ拍車を掛ける、治奈の震える声。
「カズミちゃんもじゃ!」
「えっ?」
カズミは、ぴくり頬を痙攣させると、ゆっくり腕を上げて、指でそっとその頬を触った。
溶けただれ始めている、自分の頬を。
そっと手を下ろして自分の指先を見ると、頬の皮膚がゼラチン状になって、ねっとりこびり付いていた。
また、指先自体も溶けていた。皮膚が剥げて、ピンク色の中身が覗き見えている。
もう、カズミの顔は青ざめることはなかった。
覚悟が決まったとか、そういうことでなく、青ざめる顔の皮膚が溶け落ちていたのである。
「うちも、同じ……」
治奈も、頬に手を当てている。
カズミと同様に顔の表面がぐずぐずと溶けており、いまにも垂れそうなほどであった。
「永子!」
終わらない、連鎖なのか……
文前久子が、目の前にいる仲間の名前を叫ぶ。
自分自身の顔を、身体を、どろどろ溶かしながら、仲間、嘉納永子の名を。
「だ、だいじょう……」
永子は、力尽きたかのようにがくり肩、膝、頭を落としている。
屈み、膝に手を当てている。骨に骨を当てている。という方が正解に近いだろうか。
腕や、スカートから覗く永子の皮膚は、ここにいる魔法使いたちの中で誰よりも症状が進行していた。
全身の皮膚は溶けに溶けており、筋肉も溶け掛けており、指などは完全に白骨状態、骨の上にゼラチンがまとわりついているだけである。
おそらく魔道着に隠れた部分も進行しているのだろう。スカートの中から、いつ、どそっと内臓が落ちてきても不思議のない状態であった。
だが、ここで異変が起きる。
嘉納永子の身体に。
これ以上のなにを異変とするかはさて置いて、溶けていた皮膚が急速に再生を始めたのである。
どろどろになっていた透明な皮膚が、再び固形化し、綺麗に、骨格上の本来ある位置へと、戻っていく。
だが、完全な巻戻り、ではなかった。
真っ白だったのである。
腕や、スカートから覗く膝下、つまりは見える皮膚のことごとくが真っ白で、ぬるぬるとした粘液に覆われ、光沢さえ放っていたのである。
嘉納永子が項垂れていた顔を上げた瞬間、周囲がざわついた。
彼女の顔に顔がなかったのである。
永子の顔がなかったのである。
鼻があるべき部分が小さく隆起しているだけの、のっぺらぼう。
それはどこをどう見ても、ヴァイスタ、としか呼べないものであった。
「うわああああ!」
「永子お!」
大小、悲鳴が上がっていた。
騒然となっていた。
当然だろう。身体が溶けるだけでも発狂しそうな衝撃であるというのに、再生が始まったかと思えばヴァイスタへと再構成されていたのだから。
「なにが、なんだか……」
文前久子は、普段はおっとりかつ冷静な女子である。
だが現在、仲間の原因不明なヴァイスタ化に、目を白黒させ、身体を震わせていた。取り乱したりはしていないが、狂乱寸前といっても不思議ではない。
そんな彼女へと、白い影が襲う。
誕生したばかりのヴァイスタが、一番近くにいる彼女へと、地を蹴り飛び掛かったのである。
ぶうんっ
ヴァイスタは、腕を振り下ろす。
にょろにょろと、長く、太い腕を。
そう、永子は皮膚の色や顔のパーツだけでなく、身体付きまでが完全なヴァイスタと化していたのである。
打ち下ろされる真っ白な右腕、続く横殴りの左腕。久子が混乱動揺しながらも素早く身を下げ、身を捻って、かわすことが出来たのは、偶然か、純粋に日頃の訓練の賜物か。
「どうであれ、目の前にいるのがヴァイスタならば、戦うしか!」
久子は涙目で震えながらも、剣を両手に構えて応戦態勢に入った。
ヴァイスタヘと自ら距離を詰めると、襲いくる左右の触手を紙一重にかわしながら、剣を握ったまま身体を突っ込ませて勢い殺さず走り抜けた。
振り返る久子の目の前、
ぼとり、
ヴァイスタの右腕が、肘から先が落ちた。
腕を落としただけでは、すぐに回復、再生してしまうだろう。相手はもう、嘉納永子ではない。白い悪霊、ヴァイスタなのだから。
だから久子は二の剣を浴びせるべく、腰を低く落とし、油断なきよう構え直したのであるが、
ここで、予期せぬことが起きた。
予期せぬことではあるが、当然のことが起きたという方が正しいのかも知れない。
リストフォンが、振動したのである。
この場にいる、全員のリストフォンが、一斉に。
emergency
それぞれの画面はみな同じで、黒背景の上に太い英字が表示されている。
数秒後、地図画像に切り替わった。
それを見た全員の顔に、飛び上がりそうなほどの驚愕が浮かんでいた。
画面に表示されている地図の現在地には、黄色つまりヴァイスタを示すポインターが表示されているのだが、その数が、ここにいる人数と同じだったのである。
「嘘だろ……」
カズミが、自分の腕を上げる。
あらためて自分の手を、指を見ると、震える声で呻いた。
嘉納永子と同じである。溶解を終えて固まり始めている指が、真っ白に、そしてぬるぬるとした光沢を放っていたのである。
リストフォンの画面に表示されている地図のあちらこちらに、黄色ポインターの数がどんどん増している。
この近辺にいる魔法使いが次々ヴァイスタ化している、ということに他ならなかった。
絶望に倒れておかしくないほどの、衝撃であろう。
状況であろう。
しかし、打開案を考える時間を微塵も与えることなくヴァイスタが飛び掛かる。
かつて、嘉納永子という名、存在であった、一体のヴァイスタが。
粘液質な、白い身体を震わせながら、文前久子へと。
「ヴァイスタだというのならっ!」
久子も剣を両手に握り、迎え撃つのではなく飛び込んでいた。
だが、お互いの攻撃は、繰り出されることはなかった。
何故ならば、ヴァイスタの動きが止まっていたからである。それを見て久子も動作を止めたからである。
「永子……」
久子の前で、永子であったヴァイスタの身体に異変が生じていた。
煮えていたのである。
大小、無数の泡が出ては弾けて、ほのかに湯気を上げながらぐつぐつと、永子であったヴァイスタの身体が煮えていたのである。
数秒の後、その白い巨体は一瞬にして溶け崩れた。
全身が液体になり、重力に引かれ、潰れ、崩れて、地面に染みが広がった。
その染みも、すぐに消えた。
どうっ
異空側へと、なにかが流れ込む、音ではない音を、ここにいる全員が、聞いた。
一体のヴァイスタが霊的昇華し、中央結界へと運ばれたのである。
そうして世界を包み込む闇が、僅かに広がった。
嘉納永子の、魂の質量分だけ。
「おねえ、ちゃ……」
天野姉妹の妹、保子のか細い声。
四つん這いになって、姉へと手を伸ばしている。
真っ白に固まった、ぬるぬるとした手を。
顔の皮膚もどろり溶けて、塞がった目、塞がり掛けた口で、必死に、姉へと助けを求めている。
「保子!」
妹の名を叫び、身を屈め、自らも手を差し出す天野明子。
彼女自身もどろどろ溶けて、同じような身体の状態であったが、姉としての使命感であろうか。妹を助けたい、という。
だが、力を込めることが出来なくなったか、がくりと膝、身体が崩れて、妹と同じく地に倒れた。
「大丈夫、だから」
確証なくとも、こういうしかないのだろう。
姉は地を這い、手を伸ばす。
姉妹は、手を取り合った。
どろどろ、身体を溶かしながら。
「なんてこった」
周囲を見回しながら、カズミの息が、はあはあ荒い。
腕で額の汗を拭くが、その感触自体が気持ち悪いのか顔をしかめた。
カズミは、下ろした腕をちらと見て、舌打ちした。
腕自体も溶けつつありドロドロ、骨にゼラチンがまとわりついている状態であるが、そこに溶けた額の皮膚がごっそりくっ付き加わっていたのだ。
白く硬化したり、完全にヴァイスタ化した者もいるというのに、カズミはまだ溶解が進行している段階であった。
魔力か体力か、なにが抵抗力になっているのか。ヴァイスタへ転じる速度は、この通り、かなり個人差があり、この中でカズミはかなり穏やかな方である。
穏やかといっても辿る内容自体はみなと同じで、現在、見た目はドロドロ、ゼリーで骨や内蔵を覆っている、一番酷い状態だ。
「なって、たまるかよ。誰が。ヴァイスタなんかに」
強い意思を呼気に乗せ一歩を出すが、がくりと前につんのめってしまう。力が入らず、足がもつれたのである。
「カズミちゃん!」
咄嗟に治奈が腕を伸ばして受け支えた。
治奈も、肉体が溶けてドロドロだ。カズミと同様、まだ溶解化の段階である。
「さんきゅ」
そのまま、お互いに肩を貸し合った。
二人は頷き合うと、示し合わせたようにくるり向きを変え、肩を組んだまま歩き始める。
歩きながら、カズミは少し首を曲げて肩越しにいう。
「歩ける、やつは、歩け。無理なら、せめてヴァイスタにならねえよう、必死に抗っていろ。……あたしらは、先に、行ってるぞ」
中央結界へと。
そのにあるはずの、『扉』へと。
カズミと、治奈、二人は肩を組んだまま、溶ける身体を密着させて、よろよろと頼りのない足取りで、歩いていく。
そして姿を消した。
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