【完結】もしも、巡る季節が止まってくれたら

野々 さくら

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2章 夏の始まり

10話 憧れの人

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『未咲ちゃん』
 そんな時に思い浮かんだのは母のように優しく、柔らかな笑顔を向けてくれた保育園の先生。

 私達双子が年少になる頃。姉は療育教室と呼ばれる、障害を抱えていたり発達がゆっくりな子供が通う施設に通うようになった。
 そこは親の付き添い必須で兄弟を連れて行けない決まり。
 だから私は幼稚園ではなく、保育者が仕事や家族の介護などで保育が出来ないと子供を預けることが認められる保育園に入園した。
 いつも母は十六時に迎えに来てくれたけど、姉の定期受診やリハビリ、痙攣発作により迎えが遅れることが頻回にあり私は最後の一人になることが多かった。
 広い保育室でポツンと残される。そんな私の側に寄り添ってくれたのは先生だった。
 
 田舎という環境もあってかこの町では保育園や小中学校を卒業しても先生が覚えてくれていることがあり、先生は卒園後も私を気に掛けてくれた。
 母が亡くなった時はわざわざ焼香を上げに家まで来てくれ、私に無理していないかを聞いてくれた。

 そんな先生が長年勤めた保育園を退職。
 理由は家庭の事情で都会の街へと引っ越ししていった先生は、最後まで私を気にかけてくれた。
 ……あれから五年か。


 寝室の引き戸を十センチほど開けそっと部屋を覗くと、姉はタオルケットを被っていて薄い布越しに両手で両耳を塞いでいると分かる。こうやって自分の気持ちを落ち着かせているのだから、こちらは待つことしか出来ない。
 そんな姉に玄関やベランダなどの施錠確認をした私は、久しぶりに階段を登り二階に上がる。
 姉から目を離せないから基本二階には行かないようにしており、生活基準を下にしているのもその為。でも本来私の部屋は二階で、現在は下に置ききれない物や姉に触られたくない物を保管しておく倉庫となっていた。
 一定のテンポで十二段の階段を登り切ると右側のスライド式窓より裏の木々が見え、左側には父の部屋がある。
 引き戸が完全に閉まっていない為に部屋が見えてしまったけど、冬物の黒いコートやセーターなどの衣類が床に溢れており、夏だというのに衣替えも終わってない。
 父は以前より几帳面な性格だったことから、よほど酷く疲れているのだと察せられる。
 以前代わりに衣替えをしたり片付けたこともあったけど、何度も何度も謝られ逆に気を使わせてしまったと部屋に立ち入ることは辞めた。

 視線を前方に戻すと、目の前には木製のドア。
 久しぶりにドアノブを捻ると、キィーと金属が錆び付いた嫌な音がする。しかしそのまま力を入れてドアを前方に押し込むとドアは開き、閉ざされていた部屋からのムワッとした熱気が立ち込める。
 赤色のカーテンにより直射日光を遮断している為に薄暗く、ドヨンとした空気が立ち込める。私の為に設置してくれたエアコンは長いこと使用していない。同じく現在は使用していない勉強机には高校一、二年の教科書やノートが山積みにしてある。

 ここだけ時間が止まっているみたいだ。
 勉強机に置きっぱなしになっている赤色の置き時計は電池切れで止まっていて、ふっとそう思った。

 そんな考えから目を逸らし、目当ての物がある本棚に向かう。木目の三段ラック上段に仕舞われている小さなアルバムノートを、親指と人差し指で摘み取り出す。
 それはピンク色で表紙に幼児向けの可愛いうさぎの絵が描かれてあり、そっと捲ると一ページ目に「みさきちゃん ごそつえんおめでとう」と綺麗な字で書かれてありお世話になっていた先生達のコメントが一言ずつ書かれてある。
 これは保育園を卒園する時に、一人一人に渡されたアルバム。入園した時からの写真が九枚ほど収まっている。
 年少、年中、年長とあり、全て京子先生と写っていた。
 見たいと思っていた写真。それなのにそれを目にした途端に、ズキっと痛む胸の奥。

 いたたまれさにアルバムノートを本棚に戻そうとするが、何かが引っ掛かって中に入ってくれない。どうやら奥に何かを突っ込んだようで手を伸ばしてみると、ファイルのような硬い物が当たる。
 何だろうとそれを掴んで引き出すと、出てきたのは高校二年生の時に学校から支給された青色の進路指導ファイル。そしてもう一つ、A4サイズの冊子だった。
 ファイルの内容は何年生の何月ぐらいからどのように動いたらいいかを表として記されていたり、定職とフリーによる社会制度や待遇の違い。大学進学の為に勉強する分野や、受験勉強対策など。
 それらを進路指導の度にプリントをもらい先生より説明を受け、その都度ファイルにプリントを挟んで保管。授業で進路指導がある度に持って行くと決まっていた。

 だけど私は、三年生になってから持って行かなくなった。
 話を聞いても意味がない。何も変わらない。
 そう思うと見るのも嫌になって、本の後ろに隠した。……お父さんにうっかり、見られたくなかったから。

 明日、ゴミの日だよね。
 そう思いながらファイルを手にするも、どうしても冊子だけは掴む気になれない。
 いらない物でしょう? 持っていても仕方がないしゃない?
 そんなことを考えていると頭がクラクラと始め、部屋を後にする。

 こうなったのは室温が高すぎたからだ。
 父が階段から落ちたら危ないからと、私に部屋を与えてくれた小学一年生の時に後付けにしてくれた手すりを握りながら、階段を一段一段降りて行く。
 二階との室温の違いの為か上手く酸素が取り込めるようになり落ち着いた私は、廊下より寝室を覗く。
 姉は変わらずタオルケットを被ったままジッとしていて、ホッとした私はリビングに戻り重さを感じないファイルをゴミ袋の奥に突っ込む。
 うちの地域は夕方からゴミ出しをして良いと決まっていて、姉が寝静まってからそっと出しに行っている。朝なんて一分一秒を争う中で、ゴミ出しに費やす時間なんてないのだから。
 だから丁度良い。お父さんが帰ってくる前に捨ててしまおう。つまらないモヤと共に。


 ふわふわの入道雲が流れていく午前中。
 リビングのテーブルに教科書とノートを広げて遅れている勉強をしていると、いつの間にかスマホが表示する時刻は十一時半になっていた。
 姉は変わらず寝室で塞ぎ込んでいて、十時にお茶は飲んでもらったけど部屋より一歩も出ようとしない。
 これからどうしたものかとベランダに繋がる窓に近寄り、空を眺めた私がジーパンより取り出したのは小さな金の鍵。周囲を軽く見渡して姉が居ないことを確認し、窓の上部に取り付けられている鍵穴に差し込み開錠させ、ドアをガラガラと開ける。
 外に一歩出るとジリジリとした熱さがあるも風が吹き、カラッとした空気が結んでいない髪を揺らす。外の世界は、今日もキラキラと美しい。
 しかし私の目的は目の前にある物干し竿に干してある洗濯物たちで、乾き具合を手触りで確認する。強い日差しに照り付けられた夏の薄服は全て乾いており、爽やかな洗剤と柔軟剤の香りが舞い、幾分か心が洗われていくような気がする。
 軽く衣類を払いながら室内用洗濯物干しに一つずつ掛け、最後の洗濯物を回収しベランダのドアに手を掛けると、広がるのは朝と同じ青空。
 あの入道雲達はどこに行ってしまったのだろうか?
 ドクンと嫌な音を鳴らす心臓を抑え、そんなどうしようもない考えを断ち切るようにドアを閉める。上部に付いてある鍵穴に、またポケットから出した鍵を入れて捻る。

 ベランダの鍵なんて最初から備え付けられてあるもので充分だと思われるが、姉は空下に広がる外の世界を知っている。
 太陽により反射した光を求めて、空に広がる虹を見つけて、外より聞こえる楽しげな音に惹かれて、感情のまま出て行ってしまう。
 本当は一人で散歩ぐらい良いじゃないと思うけど、どこまでも弊害となるのは知的障害を抱えていること。近所でも迷子になったことがあり、やはり独り歩きは出来ないとなった。

 そして何より危ないのは衝動性。一点に集中すると周りが見えなくなり、車が行き交う道路でも飛び出してしまう。
 何度、車に轢かれそうになったかなんてもう思い出せないほどの回数で、事故にならなかったのは運転手さんが止まってくれたからにすぎない。
 だから私は常に鍵を掛け忘れていないかと気を張り、何度も何度もチェックする。
 今、姉の命を守れるのは私しかいないのだから。

「お姉ちゃん。外、すっごく良い天気だよ! お弁当食べに行こうよー」
 寝室の壁に保たれかかりウトウトとしている姉をユサユサと揺らし、にこやかに戯けて声をかける。
 本心ではずっと寝ていて欲しいけどそうなると今度は夜眠れなくなるし、それが昼夜逆転に繋がると戻すのが大変になる。
 もう少しで夏休み。それだけは、絶対に避けたかった。

「……うん」
 タオルケットを取り返事はするも、ボーとする目に光がない。そんな姉に好きなピンクのワンピースに無理矢理着替えさせて、好きな髪型であるポニーテールより今日は下側にしピンクの髪ゴムで括る。
 そうなると姉も少し気分が変わったのか硬かった表情が緩み、お弁当箱と水筒を入れておいたリュックを背負い、いつものシューズを履き、お気に入りのピンクのリボンが付いた麦わら帽子を被る。
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