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5.俺にできることは、努力することだけ

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 次の日、シィナは昼前には目を覚ました。
 ユズが言った通り、充電するためにずっと眠っていたようだ。起きたら随分と顔色がよくなっていた。

 そしてその日から、俺とユズとシィナの奇妙な共同生活が始まった。
 ただ、ユズは寝るときだけは隣の自分の部屋に戻っていたけど。
 あの男が狙っていたのはユズだから心配だったが、六畳一間では狭すぎて、三人は寝れない。
 そもそも布団だって、ユズのために出したあの一組しかなかったし。
 さすがに、俺とユズで一つの布団には……。

 そうは言っても一応、危機対策のためにはやらなければならないか、と思いユズに提案してみたものの、「そこまでしなくても大丈夫だから」と断られた。
 ユズが言うには、あの変な切れ目が現れるときには場の空気が変わるから俺の部屋に逃げてくる時間ぐらいはある、ということらしい。
 そんな訳で、ベッドはシィナに使わせることにして、俺はユズのために敷いた布団で寝起きしていた。
 
 そして、いきなり襲われても身体が動くように、俺はちゃんとトレーニングすることにした。
 最初に行った公園――いきなり怖いこともあったが、シィナにとってはお気に入りの場所になったようだ。
 三人で行って、俺は公園の周りをランニングしたり、筋トレをしたりする。
 その間、ユズとシィナは木蔭で話をしたり瞑想したりしていた。
 ユズは「シィナも力の使い方を覚えなければ」と言っていたから、多分その訓練なんだろう。

 だけど……前に襲われたとき、男を吹き飛ばしたのはシィナのはずなのに、いざ力を使おうとしても全く使えないらしい。
 シィナ自身、どうやってその力を出したのか、全く覚えていなかったそうだ。
 そして……やっぱりシィナの記憶は戻らないみたいで、ユズは頭を抱えていた。

「力を正しく使いこなすなら、それが一番近道だと思うんだけどね。何だかものすごく頑丈にロックされている感じなんだ」
「ふうん……」

 1週間ほど経った日の朝。ユズが俺の部屋で、溜息をつきながら言った。
 この1週間は誰にも襲われることもなく、平穏だった。

「まぁ、今のところ誰も襲ってこないけど、安心はできないからな……」

 そうは言っても、何の進展もないし、ちょっと飽きてきたな。
 普通の小学生なら、海に行ったりキャンプに行ったり、夏休みを満喫しているはずで……。
 ……まぁ、シィナは普通の小学生とは縁もゆかりもないだろうが。

 俺はシィナの方を見ると
「よし、シィナ。今日はいい天気だし、遊園地に行くか」
と言ってみた。

「遊園地……?」

 まだテレビでも見たことがないのか、シィナが不思議そうな顔をしている。

「ユズも遠足以来行ってないよな」
「まあ……」
「それに、シィナを電車に乗せてやるって約束したしな」
「うん!」

 とりあえずどこか楽しそうな所に出かけるらしい、ということは伝わったらしく、シィナがいそいそと準備を始めた。
 ユズは「まぁいいか」と呟いて、一度自分の部屋に戻って行った。

   * * *

 最寄りの駅まで歩き、電車に乗る。
 遊園地にはこの駅から乗り換えなしで行けるが、2時間ぐらいかかる。
 俺達は駅で弁当を買うと、電車に乗り込んだ。
 シィナを窓側に座らせ、その隣にユズが座る。俺はシィナの向かいに座った。
 ほどなくして、ドアが閉まって電車が走り始めた。

「わぁ……速い……!」

 窓の外の風景が流れる。
 シィナは窓に張り付いて、ずっと外を見ている。

「すごいねー」
「面白いか?」
「うん!」

 一方、隣のユズは黙々と弁当を食べている。

「ユズ……見ないの?」

 素敵な景色を占領してしまって悪い、と思ったのか、シィナが申し訳なさそうに聞いた。

「僕は外を見ていると、酔うから」
「そうだったな。……忘れてた。バス遠足でも、いつも通路側だったっけ」
「酔う?」
「気分が悪くなる、ってことだね。だから、シィナは僕のことは気にしないで外を見てていいよ」
「……うん」

 シィナは弁当を少しずつ食べながらずっと窓の外を眺めていた。
 車窓から見える景色がよっぽど気に入ったようだ。
 ちょっとした満足感を覚えながらもなんだか悪いことをしたような気がして、俺はユズの方に振り返った。

「じゃあチョイスが悪かったかな。確か、ジェットコースターも駄目だろ」
「うん。でも、いいよ。シィナは喜ぶだろうから」

 そう言うと、ユズは窓の外を凝視したまま動かないシィナを見てくすりと笑った。

 シィナといるようになって、ユズはとても表情が豊かになったように思う。
 やっぱり、特殊な力を持っている者同士、波長が合うんだろうか。
 シィナの訓練にも辛抱強く付き合っているもんな……。

 ……あれ? 何で俺は、少し淋しい気持ちになってるんだ?
 ユズがシィナに気を許しているのが淋しいのか、シィナがユズにも懐いてきているのが淋しいのか、どっちだろう?
 ……よくわからん。

「……ぷっ」

 不意にユズが吹き出した。ちょっと顔を赤くしている。

「あっ……お前、勝手に読んだな!」
「トーマが大声で考えるから、聞こえちゃうんだよ」
「だったらせめて聞こえてないフリをしろ!」
「ごめんごめん……」
「……?」

 俺達二人のやり取りを、シィナが不思議そうに見ていた。
 その大きな黒い瞳でじっと見つめられると、何だか恥ずかしいことを考えていたような気がして、ちょっと動揺してしまう。
 「いいから、窓の外の景色を見てろ」と言うと、シィナはおとなしく「うん」と頷いた。

   * * *

 遊園地に着くと、夏休み中ということもあって平日のわりには結構人がいた。
 そんなに大きな遊園地でもないが、T県は田舎なのであまり娯楽がないからかもしれない。

「トーマ! あれ何?」

 シィナが一番目立つ二回転スパイラルのジェットコースターを指差す。

「あれはジェットコースターと言って、スリルを楽しむものだ。ユズは駄目だけどシィナはどうかな……?」
「乗ってみたら? 好きそうじゃない」
「でも、ユズは? もし……」
「僕は下で待ってるよ。僕一人なら隠れられるから……連れ去られたりはしないから。大丈夫」

 ユズはそう言ってひらひらと手を振ると、俺達の前から去って行った。
 しばらくユズの後ろ姿を追っていたが、いつのまにか見えなくなってしまった。
 ……本当に、どこかに隠れたのだろうか。

 シィナを見ると、キラキラした目で俺を見上げていた。ジェットコースターに惹かれてワクワクしているようだ。
 身長制限も問題ないし……ま、いいか。
 はぐれないように、シィナと手をつないで列に並んだ。10分も待てば乗れそうだ。

「トーマは乗ったこと、ある?」
「中学校の遠足で来た以来だから……5年ぶりぐらいかな」
「楽しい?」
「楽しいよ」

 そんな会話をしていると、不意に後ろから誰かに肩を叩かれた。
 不思議に思って振り返ると、茶色いウェーブのかかった髪を肩に垂らした美人がにっこり微笑んでいた。

「……」

 一瞬、誰だっけ……と思ったが
「トーマも来てたの?」
という美人の声で思い出した。
 確か……同じ教育学部の3年生の先輩だ。哲学か何かの講義で見た気がする。

「石橋先輩……でしたっけ?」
「そうよ。石橋……マリカ。マリカって呼んでって言ったじゃない」
「……何ですか、それ。そんなに親しくもないのに」

 俺がちょっとムッとして言うと、石橋先輩はえっと言う顔をした。
 ちょっと言い方がキツかったか。

 先輩は少し考え込むと、なぜか俺の腕を掴んで
「……覚えてないの?」
と意味深な感じで言う。

「何をですか。講義が一緒のときに見かけたかな、っていう程度だと思いますが」
「……」

 先輩が少し意外そうな顔をする。
 同じ学部だから何かの飲み会で会ったかもしれんが、俺は男友達や先輩とワイワイしていたはずだし、女子の先輩の顔なんていちいち覚えていない。
 ……まあ、なかなかの美人だということは認めるけど。

「……まぁ、いいわ。彼女……妹さん?」

 石橋先輩は一つため息を吐くと、俺と手をつないだままじっと見上げているシィナを見て、言った。

「……そんなもんです」

 説明する必要もないので適当に答える。
 石橋先輩が少し屈んでシィナに「こんにちは」と挨拶した。
 同じ教育学部だし、子供は好きみたいだ。
 シィナはペコっと頭を下げたが、すぐに俺の後ろに隠れてしまった。
 俺は咄嗟に、シィナを庇った。何となく、シィナが怯えている気がしたからだ。

「引っ込み思案なんです。気にしないでください」
「そうなの? すっごく可愛いね」

 シィナの頭を撫でる。
 シィナは拒否こそしなかったが、身体をビクッとさせたのが左手を通じて分かった。……警戒している。

「ちょっと、あんまり……」

 俺が先輩の手を制すると、先輩は困惑した表情で俺たちを見た。
 少し気まずくなって、俺は
「……先輩、一人なんですか?」
と聞いてみた。
 これ以上、シィナに構ってほしくない。

「友達も一緒だけど、絶叫系が苦手な子だから……今は一人」
「……そうですか」

 そのとき、俺達の順番がやって来た。
 俺は「じゃ」とだけ言ってその場を離れた。
 ……シィナの右手が、妙に汗ばんでいることに気づく。

「……どうした、シィナ。急にジェットコースターが怖くなったのか?」
「ううん……」

 俺の手をぎゅっと握ったまま首を横に振る。

「何か、思い出し、そうな気がして……」
「思い出したく……ないのか?」
「……」

 黙って頷く。
 記憶が戻るのは良いこと……な気がする。ユズもそう言ってたし。
 でも……シィナの様子を見ていると、それは言えなかった。
 思い出すように促した方がいいのかもしれないけど、シィナはかなり怯えている。

 俺は
「まぁ、今は置いておけ。ちゃんとジェットコースターを楽しもう!」
と言って頭を撫でてやった。

「……うん」

 シィナは俺を見上げると、小さな不安を吹き飛ばすように、にっこり笑った。
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