想い紡ぐ旅人

加瀬優妃

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54.待つことなんてできない

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 少し遠くで……携帯が鳴っている気が……する。
 私は半分寝ぼけながら枕の近くにあるはずの携帯を探した。
 手に、少し硬い感触が伝わる。手探りで通話ボタンを押すと、私は再び布団に潜り込みながら電話に出た。

「……はい……?」
“俺だよ”
「ん……夜斗……?」

 少しだけ目が開く。窓から差す光が眩しい。

“何を寝ぼけてるんだ、この不良娘が……。外泊するとは聞いてなかったぞ。いつ帰ってくるんだよ”
「んー……」

 眠い……。夜斗の声が遠くに聞こえる……。

 “瑠衣子さんには一応、誤魔化しといたぞ。言っていいのか?”
「それは駄目!」

 私はハッとしてガバッと起き上がった。

「ん、何……。誰……?」

 隣で寝ていたユウも、私の声で起きたようだ。
 慌ててユウに背中を向け、口元を右手で覆う。

「ママには私からそのうち言うから……。駄目、今は……その、恥ずかしい」
“……それを聞かせて、俺にどうしろと……”

 小声でボソボソと言うと、少し困ったような夜斗のボヤきが聞こえてきた。

「んーと、んーと……」

 駄目だ、寝起きで全然頭が回らない。

「とにかく……じゃあ、今日かえ……」

 そこまで言うと、ユウが私から電話をひったくった。

「駄目。当分帰らないから、夜斗、何とかしておいて」

 私はびっくりしてしまって完全に目が開いてしまった。

「ちょ……」
“おま……ユウ! こら……!”

 夜斗が何か叫んでいるのが聞こえてきたけど、ユウはブツンとそのまま電話を切ってしまった。

「ちょっと、いいの?」
「いいの」

 ユウは幸せそうに布団に潜り込んでいる。

「でも、夜斗が……」
「……いいから」

 ユウは私の腕をひっぱって布団に引き込むと、ギュッと抱きしめた。

「まだ帰りたくない。俺……もう細かいこと考えるのは止めたから」
「それは、別にいいんだけど……」
「それに、この状況で他の男の名前出されると……俺、めちゃくちゃ妬くよ?」

 ユウがじっと私の顔を見つめてそんなことを言うから、思わず真っ赤になってしまった。
 そしてそのままユウの腕に絡めとられ、布団の海に溺れることになったのだった。

   * * *

 結局……私とユウが自宅に戻ってきたのは、出かけてから1週間後のことだった。

「俺の誕生日プレゼントを買いに、どこまで行ってきたんだよ。樹海でも彷徨っていたのか。ああん?」

 夜斗がちょっと拗ねたようにソファで転がっていた。

「ごめんごめん」
「俺が瑠衣子さんを誤魔化すためにどれだけフェルティガを使ったと思ってんだよ、まったく……」

 かなりぶうたれている。
 行ってこいとは言ったものの、まさか1週間も帰ってこなくなるとは思わなかったのだろう。
 私もそのつもりではなかったので、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 それと言うのも、ユウがなかなか帰ろうとしなかったからで……。

 思い出すととても恥ずかしくて真っ赤になりそうだったので、私は慌てて
「でも、ほら。今日が夜斗の誕生日でしょ? またクラッカーやろうね」
と話題を変えた。

「ケーキは?」
「また届けてくれるよ」
「……ふうん」

 夜斗はボスンと乱暴にクッションを置くと、ソファから立ち上がった。

「で、解決したか? ……まぁ、したんだろうな」
「うん。ありがとう、夜斗」
「……まぁ」

 夜斗はちょっと照れたようにそっぽを向くと私の頭をぐしゃぐしゃっとした。

「もう!」
「……おい、こら」

 台所から戻ってきたユウが後ろからぐいっと私を引っ張って抱き寄せた。

「夜斗、前にも言ったよな。朝日に気安く触るな」

 ユウがジロッと夜斗を睨む。その視線に押された夜斗は身を仰け反らせると、「はああ」とわざとらしく大きな溜息をついた。

「前よりさらにめんどくせぇ奴になってる……」
「違う。優先順位がはっきりしただけだ」
「あー、そうかい」

 夜斗は少しふてくされて再びソファにごろんと横になった。


 その日の夜、夜斗の誕生日会をした。
 ユウのときと同じように、写真の中で夜斗が映っている分はアルバムにして渡した。
 ついでに、文化祭のときに撮った理央とツーショットの写真もあったので、写真立てに入れて理央の分も渡した。
 だって、夜斗の誕生日ってことは理央の誕生日でもあるから。
 シルバーのネックレスを渡すと、夜斗は何のことやら分からない感じだったので、雑誌を見せて「こんな感じだよ」と説明した。

「……俺の方がカッコいいんじゃない?」
「自分で言うかな……」
「こう?」

 ポーズをとったから写真に撮ってみる。

「夜斗、写真を撮られるの上手だね。カッコいいよ」
「まぁな」
「何がまぁな、だ……」

 ユウが隣で呆れたようにぼやいている。

 ……そんな感じで、とても賑やかに楽しく時間が過ぎて行った。
 途中からママも帰ってきたから、写真を見せながら夜斗が体育祭や文化祭で大活躍だった話をしたりした。
 私は旅行帰りだったせいもあって疲れてしまい、いつもより早く眠くなってしまった。

「朝日、眠い?」

 ママが私の顔を覗き込む。

「うん……。でも、片付けが……」
「私がやっておくわ。明日は久し振りに仕事がお休みなの。だから、気にしなくていいわよ」
「うん」

 今日はどうも早く寝た方が良さそうだ。身体もだるいし。
 ママの言葉に甘えてそう決めると、私は席を立った。すると、夜斗が私のところに来た。

「朝日、今日はありがとうな。いい思い出になったよ」
「そっか。よかった」

 私が笑顔で返すと、夜斗はいつものように私の髪をぐしゃぐしゃっとした。

「もう……」

 手櫛で直したけど……見てなかったのか、ユウは何も言わなかった。

「じゃ、おやすみー」

 みんなに手を振ると、私はリビングを出て階段を上った。
 自分の部屋に入ろうとしたとき、ユウが追いかけてきた。

「……朝日、忘れ物」
「ん?」

 振り返ると、ユウが私にキスをした。
 私は少し眠気が飛んで、目を見開いた。熱が上がってきて、顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。

「ど……どこで、そんな……」
「何か……マンガで見た」
「もう!」

 ユウはちょっと笑うと

「……じゃあね」

と言って階段を下りて行った。
 私は少し違和感を覚えたけど、答えは見つからなかった。
 とても疲れていたのもあって……あまり深くは考えず、着替えてすぐに寝てしまった。


 次の日、目を覚ますと……辺りが何だか静かだった。
 とりあえず二階の洗面所で歯を磨く。
 いつもなら、この辺で「おはよ」と夜斗が起き出すんだけど、そんな気配はない。
 行儀が悪いな、と思いつつ歯磨きをしながら夜斗の部屋を覗く。
 だけど、夜斗はとっくに起きたようで、もういなかった。今日は随分早起きだったんだなあ……。

 口をすすいで顔を洗う。
 ユウはなかなか部屋から出てこないので、いつもはこのあと私が様子を見に部屋に行っていた。
 だから同じように部屋を覗いたけれど……ユウの姿もなかった。
 二人で早起きさんだったのかな。

 服を着替えて一階に降りる。
 ママはもう起きていて、私のための朝ご飯を準備していた。

「ママ、おはよう」
「おはよう、朝日」
「ねぇ、ユウと夜斗は?」
「……」

 ママはコーヒーを入れる手を少し止めると
「二人で出かけたわよ」
とだけ言った。

「ふうん……」

 珍しい組み合わせ……。ユウのフェルのリハビリかな。
 使う練習をしなきゃ、って軽井沢で言ってた気がする。

 私はママが用意してくれた朝ご飯を食べ終わると、
「部屋の片付けをするね」
と言って二階に上がった。

 昨日、夜斗に渡すアルバムを作るために写真をプリントアウトしたり編集したりしていたから、パソコンの周りは紙が散乱している。昨日は眠くて何もせずに寝ちゃったから、片づけないと。
 整理していると、ちょっと失敗したものとか面白い写真が出てきてつい見入ってしまう。

 そうして片づけが終わる頃には、お昼になってしまっていた。

「……あれ?」

 ふと、二人とも全然帰ってこないことに気づく。
 いつもなら、午後からは夜斗と特訓だ。
 私は階段を下りた。

「ママ、二人はまだ帰ってきてないの?」
「……そうね」
「おっかしいな……」

 とりあえずソファに座って、テレビをつけた。……もう12時だ。

「朝日……学校には、いつ戻るの?」
「え?」

 ママの唐突な質問。不思議なことを聞くな、と思った。

「んー……。留学が1年ってなってるみたいだから、遅くとも2月までには戻ろうかな。テスラの戦争が終わって平和になっていれば、いつでもいいんだけど」
「……そう」

 ママはそれ以上何も言わなかった。
 何気なく答えたけど……急にとてつもない違和感が私を襲ってきた。

 ママは、何で急に学校のことを聞いたんだろう。私達の事情ならとっくに把握しているはずなのに。
 もしかして……もう、終わったことになっている? 夜斗に何かされた?
 いや、でもさっき、ママは夜斗とユウのことをちゃんと認識してた。

 私は急に胸騒ぎがしてきた。
 まさか……。

「ねぇ、ママ。二人はどこに・・・出かけたの?」

 私は立ち上がってママの方を見た。
 ママは昼ご飯を準備をしていたけど、一瞬だけ手が止まった。だけど何も言わない。そのまま包丁を動かしている。
 ……聞こえてない? いや、そんなはずはない。

「……!」

 私は二階に駆け上がった。夜斗の部屋を開ける。

「……やっぱりない!」

 夜斗が管理していた古文書と日記がなくなっていた。
 そしてよく見ると、昨日渡したアルバムとかもなくなっている。

 私は続けてユウの部屋を開けた。
 私が貸してあげた本はそのままになっていたけど……ユウに渡したアルバム、写真立て……そして、引き出しに大事にしまってあった指輪がなくなっていた。

「ママ!」

 私は猛スピードで階段を駆け下りると、リビングの扉を乱暴に開けた。

「ユウと夜斗、テスラに行ったの? どうして!?」

 ママは台所ではなくリビングのソファに腰かけていた。私を待ち受けるように。
 さも、私の疑問なんてお見通しだ、と言わんばかりに。

「約束の日だったって……言ってたわよ」

 ママの声は、とても静かだった。

「昨日……朝日が寝てしまった後……ちゃんと挨拶してくれたのよ」


   ◆ ◆ ◆


 朝日が寝てしまい……瑠衣子と夜斗とユウで後片付けを終えた後。
 二人の青年は瑠衣子の前に並んで立つと、ぺこりとお辞儀をした。

「2か月半……本当にありがとうございました」
「ご迷惑をおかけしました」
「えっ?」

 瑠衣子は驚いて二人を見比べた。

「約束の日、今日だったんです。朝日には曖昧に伝えていたんですけど」

 夜斗が申し訳なさそうに口を開く。

「俺と夜斗は……テスラに帰ります」

 ユウが少し淋しそうな顔で瑠衣子を見つめた。
 突然のことに、瑠衣子はひどく慌ててしまった。脳裏には朝日がショックを受ける顔がよぎる。

「え、ちょっと待って。朝日は……」
「エルトラの女王には連れてくるように言われているんですが……」
「やっぱり危険なので、置いていきます。だから、寝てるうちに行こうかと」
「……」

 どう言っていいのかわからず……瑠衣子は二人の顔を見比べるだけだった。
 夜斗とユウは顔を見合わせると、少し頷いてから、瑠衣子の方に向き直った。

「あの……俺はやっぱりテスラの民なんで……。多分、もうここには来ないと思います。お会いできるのは、これで最後になるかな、と。だから……」

 夜斗はもう一度お辞儀した。

「今まで本当に……ありがとうございました」
「夜斗くん……」

 ユウはちょっと考えたあと
「俺……は……」
と、ゆっくりと……言葉を選びながら、話し始めた。

「朝日が……好きです。大好きです。でも、そのためには戦争を終わらせて……テスラが平和になるまで立て直さないといけないから……」
「……」
「しばらく会えないんですけど……。でも、もし……朝日が俺を忘れないでいてくれたら、俺はここに帰ってきたいです」
「……アオ……」

 ユウは深くお辞儀をした。

「もし朝日が俺を待っててくれるのなら……俺、この家に来てもいいですか?」

 瑠衣子はユウを抱きしめた。

「ええ、もちろん。ヒロの分まで、私が面倒を見るわ」
「……」

 ユウはちょっと泣いてしまった。
 瑠衣子の言葉と、その身体の温かさに。
 そして瑠衣子も、泣くのを堪えながら必死に声を絞り出した。

「……絶対、死なないで。私のような思いを……あの子にさせないで」


   ◆ ◆ ◆


 ママは少し涙ぐんでいた。私の手をギュッと握る。

「だからね……朝日。この家で、アオが帰ってくるのを待ちましょう?」
「……」

 ママの言っていること、夜斗やユウの言っていること……そんなに間違っているとは思えなかった。
 実際、ユウは嘘をつかなかった。「朝日は連れて行かない」と最初から言っていたから。
 でも……でも、何かが「それじゃ駄目だ」と私に報せている。実際、女王も私を呼んでいた。
 何か重要な意味があるんじゃ……。

「ママ……話はわかったわ」
「朝日……」
「でも、私はテスラに行く」
「えっ!?」

 私はママの手をそっと離すとくるりと後ろを向いた。急いで玄関に行き、とりあえず靴を履く。
 テスラになんてどうやって行ったらいいかわからないけど……とにかく、外に出ようと思った。
 後ろから慌てて追いかけてきたママが、驚いて私の腕を引っ張る。

「どうして!? アオは帰ってくるって言ってたわよ? もう会えないわけじゃ……」
「でも、違うの。今、このまま別れたら……」

 胸の奥がざわめく。

「私は、永久にユウに会えなくなる。そんな気がしてならないの」
「なぜ……」

 理屈じゃない。私の中の何かがそう強く訴えている。
 私が……行かなければ!

 そう思った瞬間……私の身体から何かが溢れた。

「朝日!」

 ママの手が私の腕から跳ね飛ばされた。慌ててもう一度掴もうとするが、直前で弾かれる。
 多分、私の力のせいでママは近寄れないのだ。

「【私は・・……】」

 ――強制執行カンイグジェが発動しかかっているのがわかった。

 それじゃ駄目だ。ちゃんと、ママに納得してもらわなくちゃ。
 私は唇を噛んで言葉をリセットした。

 ママはパパを追いかけられなかった。待つことしかできなかった。
 ……でも、私は違う。
 できることがあるのに……何もしないでただ待ってるなんて、私にはできない!

「ママ……私は、絶対に帰ってくる。だから行かせて!」
「朝日……!」

 空間に光の裂け目ができた。これが……ゲート?
 越えたことはあっても、自分で開くのは初めてだ。

「私、絶対に後悔したくないの! 私にはユウを追いかける力がある。できることがある。だから……行ってくる!」

 ママは少し泣いていたけど……微かに頷くのが見えた。

「必ず……必ずよ。アオも一緒に……」
「……ありがとう。――行ってきます!」

 私はママにガッツポーズをすると、自ら開いた、その裂け目に飛び込んだ。
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