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第2幕 収監令嬢は痛みを和らげたい

第5話 巨乳ってタイヘン!

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「あー、うー、イタタ……」

 ラグナとの朝駆けを終えた朝。
 白いシャツを脱ぎ、ただ胸を覆ってるだけの心もとないブラジャーを取り、自分の胸を押さえる。

 馬術を習うことになり、アイーダ女史が私用の乗馬服を用意してくれた。白いシャツとぴっちりとした黒いズボンと、エンジ色のジャケット。お尻部分が燕尾服みたいに二つに割れている。
 だけど既製品は私の身体には合わないということで、ここからはヘレンの出番。何しろブラジャーも私用に作り替えてくれているのだから、ヘレンの裁縫スキルは神レベルだわ。

 ただねー、この世界のブラジャーって役立たずなのよね。
 ドレスを着るときの下着は、コルセットと一体型になっていてストラップが無いの。目的は胸とその谷間をいかに魅力的に見せるか、なのよね。
 じゃあ普段用は何なのかというと、布を三角にカットして巻いてるだけ、みたいな感じなのよね。ただおっぱいを包んでいるだけ、というか。

 これまではそれでも別に問題はなかったんだけど、馬術を習うようになってからはそうもいかなくなった。
 あれから3か月、ニコルさんに頼らなくてもラグナとその辺なら走れるようになったんだけどね。

 胸がね、揺れて痛いのよ! とてつもなく!

 私も前はちっぱいだったから大きい人用のブラジャーはあまり見たことは無い。
 だからそんなに詳しくないけど、普通ワイヤーとか入ってたり、ちょっとしっかりした生地で作られたりしてない? それでも走ったら痛い、とか言うよね。
 やっと分かったわ。クラスの巨乳女子が胸を押さえながら走る理由が!

 男子に見られるから恥ずかしいのかと思ってたけど、違うんだ。この揺れが本当にキツいからなんだね。
 可愛い子ぶってんじゃねぇよ、とか毒を吐いていた自分を懺悔します。
 思えばラクだったなあ、貧乳って。

「サラシみたいなものでガッツリ巻けばいいのかなあ」
「お止め下さい!」

 脱ぎ散らかした私の服を握りしめ、ヘレンが涙目で訴える。

「眠っているマユ様の全身をわたくしが夜毎マッサージして作り上げた、奇跡のラインですよ! 押さえつけて形が崩れたら、私のこの三年、いえ四年間はいったい何だったんだということに……っ!」
「え、あ、うん、ごめん」

 ヘレンの迫力に押されてとりあえず謝る。
 毎日それはそれは熱心にマッサージをしてくれてるんだけど、たまに変な熱を感じたのは気のせいじゃなかったらしい。
 いや、ヘレンの存在意義って他にもいろいろとあると思うけどね?
 私のカラダへの思い入れ、そんなに強かったんだね。

「あー、こっちってスポブラとか無いだろうしなあ」
「すぽぶら?」

 ヘレンが不思議そうな顔をするので、紙に絵を描いて説明する。
 胸を一つずつ三角で覆うんじゃなくて、両胸を台形で覆う形。中には胸の形に合わせたパットが入っていて、肩ひもは背中でバッテンになっていたり、Y字になっていたりするもの。

「結局ね、この縦揺れがキツいのよ。だからこう、下着の方が立体で形を作って押さえてくれればその中で動かないというか……」

 自分の胸を両手で掴みながら上下に揺らしてみる。それをまじまじと見たヘレンは「なるほど」と納得したように頷いた。

「しかしこの型を作って押さえるというのが、なかなか難しそうですね」
「そうよね。立体で縫わないといけないし」
「いえ、マユ様のサイズは熟知しておりますし作れるとは思うのですが、肝心の布の方が……」

 要するに、公爵から与えられるものは貴族令嬢としての物ばかりだから、優美さが最優先。上等だけどヒラヒラしたものばかりで、到底しっかりと押さえ込めるような強度がある布は無いらしい。

 二人でうんうん唸っていると
「失礼します、取り急ぎお耳に入れたい件があるのですが」
と言ってアイーダ女史が入ってきた。
 そして胸をさらけ出したままの私を見て目を見開き、
「ま、マユ様! 何て恰好をしてるんです!」
と大声を上げる。

「私のおっぱいの危機なのよ」
「そうなのです」
「ヘレンまで馬鹿を言うんじゃありません!」
「ホントなのにな……」

 とりあえずズボッとワンピースを頭から被り、ボタンを締めながら溜息をつく。これも私用に前開きにし脱ぎ着をラクにしてもらった、ヘレンお手製のもの。

「そうだ。アイーダ女史、聖女騎士団に女剣士はいる?」
「います。かなり少ないですが。それが何か?」
「その人たちって、どんな下着をつけてるの?」
「はぁ?」

 質問がまるで変態みたいだったせいか、アイーダ女史が口を四角く開けて胡散臭そうな顔をする。
 私は馬に乗ると胸が痛いこと、ドレス用ではなく運動用のブラジャーが欲しいことなどを説明した。

「……そういうことですか」

 ようやく納得したように、アイーダ女史が頷く。

「女剣士はそもそも革鎧を身につけていますから」
「鎧?」
「ええ。胸に長い布を巻いて押さえつけ、服の上から革で作られたベストのようなものを身に纏っていますね」
「それは、苦しそうね……」

 ギューッと手の平で自分の胸を押さえつけてみる。ヘレンが
「お止め下さい!」
とすっ飛んできて両手をおっぱいから引き剥がされた。そのままマッサージを始め、「形、形がー!」と半狂乱になっている。
 ちょっとヘレン、さすがにその血走った眼は怖いわ。

「でも、何でそんなことを?」
「支給される革鎧は男女兼用ですから。女性の胸に合わせると肩幅や腰回りには合わず、いざというときに動きにくくなります」
「なるほどね」
「自分の身体のサイズに合わせた鎧を発注できるのは、貴族に限られます」
「貴族の女剣士は……そうか、いないよね」

 上流・下流を含め、貴族で剣術の稽古をするのは男だけ。女は魔精力を制御する鍛錬はしても、剣を手に取ることはない。
 貴族令息が聖女騎士団に入ることはあっても、貴族令嬢が入る事なんて絶対に無いらしいし。
 じゃあ、何のために魔法の勉強をしてるんだろう。大公家に見初められるためかなあ。
 だとしたら、オルヴィア様が
「真の魔導士であり続けるためには」
とこの土地に度々来ていた、というのも頷けるよね。

「母上はどうしてたんだろう、馬に乗るとき……」
「遠駆けの際はやはり布を巻いていらっしゃいましたね。平民のご出身ですし元々聖女騎士団の魔導士でしたから、出征の際はいつもそうしていた、と仰っていました」
「逞しいなあ。じゃあ、アイーダ女史やヘレンが馬に乗るときは?」
「そんなに長距離を移動する訳ではありませんし、急いで乗ることもありません」

 それもそうか。
 多分、今の私があまり上手に乗れてなくて上体を揺らし過ぎてる、というのもあるんだろうけど、だからと言って上手くなったら揺れなくて済む、という訳じゃないよね。オルヴィア様が布を巻いていた、というんなら。

「胸が痛いのならおやめになりますか?」
「嫌よ! ラグナに乗るの、楽しいもん!」
「では我慢なさることですね」
「うー。じゃあ、そのオーダーメイドの革鎧を発注する、というのは?」
「さすがに公爵は認めてくださいませんよ、ずっと閉じ込めておけと仰ってるのに。用途を申請しなければならないのですから、馬で駆け回るためなんて聞いたら卒倒されます」
「ぐうぅぅぅ……」

 今のところ、私の生活を支えているのは公爵から現物支給された物だけなのよね。必要になったらアイーダ女史から公爵に申請して、公爵家が買ったものが届けられる。
 つまり、お金は一切持ってないの、私。この土地で働く人にはアイーダ女史やヘレンを含め、お給金としてお金が支払われているけどね。
 だから好きなものは買えなくて、服や下着は与えられたものをヘレンが作り替えてくれている。あるいは届けられた布から普段着のワンピースを作ってくれたり。

 うーん、だからと言ってアイーダ女史やヘレンの給料から鎧を買ってよ、とは言えないし……。だってきっと、とんでもなく高いに違いないもん。

 ガックリと項垂れていると、アイーダ女史がふと自分の手元の白い封筒に気づき、すっと私に差し出した。

「マユ様、こちらをご覧ください」
「え?」

 そう言えば、火急の要件が、みたいなことを言ってたっけ。
 アイーダ女史から受け取り眺める。アイーダ女史が宛名になっている、白い封筒。
 くるりと裏を返すと、血のように鮮やかな赤の封蝋が目に飛び込んだ。優勝カップみたいな盃の中央には遠吠えをするような狼の紋章。
 随分手が込んだ模様だね。封筒の手触りといい、間違いなく上流貴族の誰かだと思うけど。

「これ、誰から?」
「ガンディス子爵からです」
「――――――ええっ!?」

 思い出すのに、2秒ほどかかっちゃった。
 ガンディス子爵といえば、マリアンセイユの六つ上の兄……ガンディス・フォンティーヌじゃないの。
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