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第6幕 収監令嬢は学院に入りたい

第5話 首尾は上々ね

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 土の魔法、風の魔法と披露した。残りは火の魔法と水の魔法。
 さあ、いよいよ大詰めよ。

 左手の紙の扇をひらひらと揺らしながら右手の布の扇をポケットにしまい、魔燈マチンを取り出す。右手一本で擦り(これもめちゃくちゃ練習したわよ)、炎を確認。触れてイメージができたところで魔燈をヘレンに投げる。

『万物の情愛の源、どこまでも熱くどこまでも精悍なる炎の舞。その導きたるは深淵なる女神の鼓動』

 火の魔法はかなりデリケート。完全詠唱でないと扱うのは難しいので、アイーダ女史のヴァイオリンの音に紛れ込ませ、小声で呟く。

『たゆたう魔の精なる力よ、盟約の言の葉により我の下に現れよ、我に集いて力となれ』

 左右の扇を上に振り上げ、金木犀の花びらを上空に舞い上がらせる。
 これを最後に風の魔法を引っ込め、炎の魔法の呪文を唱えた。

『“フォウ=レスティ=スゥプ=ソゥレ”!』

 高らかに歌い上げた瞬間、ヴァイオリンはタンゴに変わる。
 そして金木犀の花びら一つ一つににポッポッポッと炎がともった。それらは瞬く間に周囲の花びらに燃え広がり、火の雪が舞っているように見える。

 これにも仕掛けがあります。さすがに宙を舞っている花びらに点火するのは無理。
 紙の扇から糸で繋げてある花びらにだけ点火しているのです。手の平から糸を動線として魔精力を送り込んでるの。

 金木犀の花びらと小さな炎が、風の魔法の効力が無くなってゆっくりと落ちてくる。ほおぉぉ……という観客席の声に満足しながら、紙の扇で炎の雪を受け止めた。パアッと扇に火が燃え移り、紫の炎が上がる。
 赤や黄色以外の炎なんて見たことがないのか、観客席からどよめきが起こった。

 これは火が紙の扇に燃え移っただけで、魔法でも何でもない。紫の炎も何てことは無い、炎色反応です。
 どの物質がどれとかは忘れちゃったけど、離れにあったいろいろな物で試してこの色を見つけました。その粉を溶かした水を油と共に綿に染み込ませ、紙の扇に貼り付けておいただけ。まぁ、綺麗な紫色が出るまで試行錯誤はしたけど。
 化学の先生、教えてくれてありがとう。この実験だけは幻想的で綺麗だったから、覚えてたのよ。

 ちなみに紫の炎を初めて見たヘレンが
「ま、魔界の炎ですか!?」
とやけにビビってたわね。

 紫の炎に包まれる紙の扇をそっと闘技場の地面に置き、少し離れる。
 みんながそちらに気を取られている間にポケットから小瓶を取り出し、水を手に馴染ませた。頭の中に水滴のイメージが形作られる。

『万物の命の源――我に集いて力となれ! “マ=ゼップ=セィア=ネィロ!”』

 最後は、水の魔法の呪文を発動。これは得意だし使うことも多かったから、簡易詠唱で十分。
 唱えた瞬間、右手の布の扇からぴゅーッと噴水が上がった。両手を広げ、左手の手の平からも噴水が上がり、あっという間に炎の雪と紫の炎から光が消える。

 よし、消火活動はオーケー。曲に合わせてステップを踏みながらくるくると回ると、それに合わせて扇の水も美しい曲線を描き出した。
 確かこういう昔ながらの芸があったわよね? 水芸だったっけ? それを参考にしました。 

 次に噴水から霧吹きのような細かい粒に水を変化させた。辺りに撒き散らしたおかげで、太陽の光を反射してうっすらと虹ができている。
 ここまでできれば上出来。アイーダ女史にそっと目配せをする。

 指揮をするように扇をはためかせ、水の魔法をストップ。右手の扇をパチンと閉じると同時に、ヴァイオリンもピタリとフィニッシュを迎えた。
 観客席を一通り見回し、ゆっくりと腰から頭を下げる。大公殿下に向かって、精一杯の気持ちを込めて、最敬礼。

 ふうう、と周りに聞こえないぐらいの小さな息が漏れた。
 これで、演目はすべて終了。出せる技は全て出せたと思うわ。
 私、よくやった……っ!


   * * *


「おおお、素晴らしい! フォンティーヌ公爵はこんな素晴らしい花をどうして今まで隠していたのか!」

 大公殿下が興奮したように叫び、ガタンッという椅子が鳴る音がした。顔を上げると、何度も頷きながらパンパンパンッと拍手をしている。
 その顔は本当に楽しんでくれていたようで、心の底からホッとした。

 セルフィス、見てるー!? 私、やったわよ!
 だけど大公殿下、「どうして隠していたのか」とか言っちゃ駄目よ。ここ最近目覚めたっていう設定なんだから。

 大公殿下の隣にいた大公妃も立ち上がっていた。陛下の腕をきゅっと掴み、

「本当ね! わたくしは炎が舞った時が一番興奮しましたわ! 火の魔法と言えば魔物を攻撃するものとしか思っていませんでしたから、びっくりしましたの。あんな繊細なことができるんですの?」

と小首を傾げて大公殿下を見上げている。
 いや、お妃サマ、聞くなら私に聞いてください。まぁ喜んでもらえたのなら良かったけど。

 ……そうか。魔法とは、この世界の人にとって魔物と戦う手段にしか過ぎないのか。イリュージョン的な視点は持ち合わせていなかった、ということね。
 昔は生活を豊かにする、という使い方もあったと思う。だけどその役割は魔道具に委ねられた。決まった効果を決まった分だけ発動する道具の方が便利だものね。人だと個人差があるし、体調にだって左右されるし。
 うーん、やっぱりこの世界の魔法は創造性というものに欠ける気がするわ。

「父上、母上。少し落ち着いてください」

 椅子に腰かけたままのディオン様が、眉をひそめて大公殿下夫婦を見上げる。

「これは演目ではなく魔法の実技試験なのですから」
「まぁ、それはそうだが……」

 ディオン様に促され、二人が渋々椅子に座り直す。
 その様子を横目でちらりと見ると、ディオン様は一つ、溜息をついた。
 そして顔を上げ、私の方をまっすぐ見つめる。随分と厳しい目を向けるわね。試験官だからってそんな怖い顔をしなくてもいいのに。

「いくつか質問があります」
「はい、何でしょう?」
「その扇は、魔道具ですか?」

 私が右手の持っている布の扇を指差す。

「いいえ。これはただの扇です。ご確認ください」

 東の観客席に近づく。どこからかウィーンと小さな音が聞こえ、空気が震えた。闘技場のシールドが解除される。
 思えば、謁見の間でもこんなに近づかなかったわね。近くで見ても肌もツルンとしているし、ディオン様はいわゆる正当な王子様キャラといったところかしらね。一見穏やかだけど何を考えているかよく分からないというか。

 観客席は、一段高いところに作られていた。ディオン様の前で一礼し、斜め上に両手を挙げて扇を差し出す。
 ディオン様は扇を受け取って一通り眺めると、ついっと隣のシャルル様に渡した。

「ただの扇です。確認してください」
「……ああ」

 やや憮然とした様子で、シャルル様がディオン様から扇を受け取る。
 シャルル様はというと、演技後はポカーンとしてたのよね。私と目が合って慌てて顔を作ってたけどさ。
 良くも悪くも自分の気持ちに正直な人ってことなのかな。やんちゃだけど憎めないって感じかしらね。その証拠に、さっきまで威圧するぐらい漂っていた魔精力が鳴りを潜めているわ。

「……確かに仕掛けはねぇな。扇だけじゃなくて、服も」

 また無遠慮に上から下までジロジロと見つめられる。まぁ今回は魔法に不正はないか吟味されている訳だから、仕方ないけど。

 私の扇は、シャルル様の手から控えていた兵士に渡り、次に上流貴族の方々のところへと運ばれていった。
 公爵・侯爵の方々はさっと見ただけですぐに回し、扇は伯爵家の方々の元へ。

 ヘイマー伯爵は、不満そうにギリギリと奥歯を噛みしめながら扇を開いたり閉じたりしている。
 ちょっと、折らないでよね。そんな何回もパチパチしたって何も仕掛けなんかないわよ。

  その後、ヘレンのワゴンの中身も確認したいと言われ、魔法実技で使ったものを一つ一つ確認された。
 もう、どれもこれもどこにでもある普通のものだってば。魔道具は魔燈ぐらいよ。
 うーん、舞台裏を暴かれるのはあまりいい気分じゃないわねぇ。別に私はマジシャンじゃないけどさ。

 すべての道具を確認したディオン様が、ふと何かに気づいたように顔を上げた。

「杖は無いのですか?」
「目覚めて日が浅いですから、わたくしに合う杖は用意できませんでしたの」
「それで詠唱による魔法なのですね」
「魔法陣による発動もできますが」

 私が答えると、シャルル様が「ええっ!?」と声を上げ、伯爵家の方からもどよめきが起こった。
 風の魔法の二つ目は魔法陣で……って、そうか、砂嵐で煙幕になっていたから見えていなかったのか。

「杖も無いのに?」
「棒のような物さえ貸して頂ければ」

 すると、ディオン様に目配せされた兵士がさらに後ろに控えていたメイドに小声で指示を出した。ひょっと飛び上がりそうになるぐらい驚いたメイドがピュンッとどこかに消える。


「……これではどうでしょうか?」

 しばらくしてから現れたメイドが持ってきたものは、ハタキだった。細い棒に赤い長方形の布切れが六枚ほどついたもの。
 これまた随分、粗末なものを持ってきたわねぇ。

 大公家と貴族の方たちの間で回され、何の仕掛けもないことを確認した上で手渡される。
 いや、そんなショボいハタキに何かが仕込まれてる訳がないでしょうよ。
 それにしても、力を入れると折れそうね。小さめの魔法陣にしよう。

 観客席から再び距離を取る。その場で土の魔法陣、風の魔法陣、水の魔法陣、火の魔法陣の簡略化されたものを描き、次々と発動させた。
 私の難点は、二つ以上の魔法を同時に発動できないこと。今は悟られたくないので、前の魔法を消すタイミングと次の魔法を発動させるタイミングを正確に測る。

 四つの属性魔法を魔法陣から発動させると、うぬぬ……という呻き声が伯爵家の方から聞こえてきた。
 ヘイマー伯爵が口元を歪め、悔しそうな顔をしている。
 ふん、どれだけ粗を探そうったって無駄よ。こっちはこの舞台に賭けてきたんだからね。

 得意気な顔をしてしまっては元も子もないので、あくまで控え目に柔らかな笑みを浮かべる。
 さて、次は何て言ってくるつもりかしらね?

「……それだけ魔法を使いこなせるのでしたら、そもそも学院に入る必要はないんじゃないですかね?」

 ヘイマー伯爵の隣にいた狐顔の伯爵が嫌味っぽく言った。
 おお、その手があったか!というような顔をしたヘイマー伯爵が、右側だけ口角を上げた厭な笑い方をする。

「全く、コシャド伯爵の仰る通りですな。フォンティーヌ公爵令嬢、わざわざ喧騒の中に身を落とすこともありません。これまで通りの生活をなされては?」

 それは大人しく田舎に引っ込んどけ、表舞台に出てくるなってことかしらね?
 まぁ、難癖をつけてくるとは思ってたけどね。

「フォンティーヌ領のパルシアンでご静養されていたとか。ロワネスクと違い、自然に恵まれた、魔導士としては最高の環境とお聞きしております」
「ええ、わたくしもあの場所は大好きですわ」
「何でも、フォンティーヌの森の護り神に守られているとか。そのままその場におられた方が、貴女の御為になるかと思いますが?」

 ちょっとヘイマー伯爵、さっきから本当にうるさいわね。ディオン様を差し置いて前に出過ぎじゃないかしら。
 でもまぁ、いいネタ振りをありがとう、と言っておくわ。

 知らず知らず、口の右端がくいっと上がる。
 こんな顔を見られたら元も子もないので、考えるふりをして右手を口元で隠したけどね。
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