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第6幕 収監令嬢は学院に入りたい

第7話 目にもの見せて差し上げるわ

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 ハティとスコルを『嘘』扱いされて、はらわたが煮えくり返る。
 どうしてくれようか、と思いつつも反論したいのをグッと堪え、他の伯爵たちの様子をそっと窺ってみた。
 さすがにこの発言にはみな驚いたようだ。ヘイマー伯爵の味方だった狐顔の伯爵ですら「それはマズいんじゃ」という顔をしている。

 どうやら私に分があるようね、と思いながらウルウルと瞳を潤ませる。
 きゅっと両手でハタキを握りしめ胸の前で組んだ。いわゆるおねだりポーズというやつね。

「あの……わたくしが、嘘を言っていると仰るのですか?」
「……っ……!」

 自分の発言のマズさに気が付いたのか、ヘイマー伯爵が一瞬たじろいだ様子を見せる。私からも目を逸らし、若干おどおどしているような。
 そーそー、完全にしくじってますよ、伯爵ー。どう落とし前をつけるおつもりで?

「――ヘイマー伯爵」

 さすがに黙っていられなかったのか、ガンディス子爵がガタッと音をさせ、のっそりと椅子から立ち上がった。
 大柄だから威圧感がハンパない。ヘイマー伯爵はやや離れた席にいるのに、完全に見下ろす形になっている。
 まるで黒い大きな熊が子狸の前に立ちはだかっているようだわ。

「アルキス山に現れたホワイトウルフの異常種の件は、すでに会議で報告したはずですが」
「いや、しか……し……」
「我がフォンティーヌ家が大公殿下をも謀るとでも?」
「……申し訳、ありません……」

 ヘイマー伯爵の発言は、フォンティーヌ公爵家が会議の場や大公殿下に対して嘘の報告をした、と誹謗したも同然。
 そのことに気づいたのか、ヘイマー伯爵は悔しそうに奥歯を噛みしめながらも、少しだけ頭を下げた。

 ふう、ようやく矛を収めてくれたわね。
 ……と思ったのも束の間、ヘイマー伯爵が再びダン!と机を激しく拳で叩く。

「だったら尚更! 護り神様たちのそばでひっそりと静かにお暮らしになればよろしいのではないでしょうか!?」
「……ですから、そうも言ってられないと申し上げました」

 ひっそりと静かに、ですって?
 怒りでこめかみがピクピクするのを堪えながら、きっちりと言葉を返す。
 その声に紛れ込ませながら、後ろ手に回した右手でパチン、と指を鳴らした。

 ――いい? 私が指を鳴らしたらプランBに移行するわよ。
 ――アレやんのかあ? 並の人間だとチビっちまうぞー。
 ――チビるー。
 ――仕方ないわ。信じてもらえない場合の、最終手段よ。

 プランA『護り神の厳粛な忠告』モードからプランB『護り神の激烈な怒り』モードへ。

 そのときの会話を、二人はちゃんと覚えていたらしい。
 指の音と共に、私の両サイドに控えていた二人の灰色の体毛がざわざわと揺れ動き、一斉に逆立った。
 四肢を踏ん張り、自らの魔精力オーラを練っているのが分かる。

 私はあわわ、と両手で自分の口元を覆い慌てふためいているふりをしながら、そっと目の前の観客席を見渡した。

 伯爵たちは椅子から転げ落ち、テーブルの陰になっているのが見える。お兄様を始めとする侯爵たちも同じくしゃがんでテーブルの陰に隠れてはいたものの、その眼はランランと輝いていた。
 興味津々といったところで、本気で怖がってはいないようだ。ま、「魔精力オーラを見せることになるかもしれない」と事前に少しだけ話を通しておいたしね。

 シャルル様は左手で自分の口元を覆い、苦悶の表情を浮かべながらも精一杯右手を広げ、大公一家を包むように防御魔法を展開していた。
 なるほど、魔精力が優れているという話は伊達じゃないみたいだ。反応が早いものね。それにちゃんと家族を守っているのも、好感が持てるわ。

 ハッと我に返ったディオン様が机を叩く。それに合わせて、闘技場の周囲に埋め込まれている魔道具が作動し、再び半球状のシールドが闘技場を覆った。

(そのまま多少暴れていいわ。でも、シールドは壊しちゃ駄目よ)
(鬼だな、マユ)
(オニー)
(馬鹿にされて黙ってられないわよ。――さあ、やっておしまい!)
(あらさっさー!)
(ホイサッサー!)

 スコルが唸り声を上げながら、自らの魔精力を灰色の煙に変える。その小さな体から発せられた煙は四方八方にうねりながら広がり、シールドで跳ね返って上空でとぐろを巻いた。
 ハティもむうっと踏ん張り魔精力を放出した。黒と白、二色の細い煙が灰色の煙を追いかけるように舞い上がり、半球の中を三色の煙が覆いつくす。
 灰色のモクモクとした煙を黒と白の糸のような煙が取り巻く。あちこちで二人の魔精力がぶつかり合い、バチッバチッと小さい光を放っている。
 まるで青空を覆いつくす暗雲と雷鳴のようだった。

 なお、魔精力を目に見える形に変えてくれ、とお願いしたのは私です。視覚的に捉えられるようにしないと、鈍い人には伝わらないからね。

「待ってください! 護り神よ、落ち着いてください!」(※注・演技です)
『ま、て、る、か――!』
「護り神さま、どうかお怒りを鎮めてください! これは、わたくしの不徳のいたすところでございますから……!」(※注・くどいですが演技です)
『やかましい! ――よーく聞け、人間ども!』

 スコルが自分の身体を何倍にも大きく見せながら観客席の貴族の方々をジロリと睨みつける。
 一斉にビクンと肩が上がり、波のように揺らいだ。

『このままでは――魔王が蘇るぞ!』
「なっ……!」

 ディオン様が弾かれたように立ち上がる。
 ドーム内の灰色の煙が、質量を増した黒い煙に押されて消えた。辺りは真っ黒な煙に覆われ、白い細い煙が螺旋状に黒い煙を取り巻いている。

 なお、これは魔王が現れて世界が滅ぶというシチュエーションを煙で表してみた様子です。
 うんうん、お喋りはスコルが上手だからお任せしたけど、なかなか名演技だわ。
 そしてハティも、魔精力が行き過ぎないよう、切らさないよう、上手く調整してくれている。

『些末な事で争い、いがみ合い……人間は真に愚かだ』
「ははっ……!」

 大公殿下が平伏せんばかりに首を垂れる。
 しまった、そこまでさせるつもりは無かったんだけど……でもヘイマー伯爵を始めとする反対派には良かったかな。みんなひれ伏してるし。

『我らがなぜマリアンセイユを目覚めさせたと思っている!』

 スコルがすうっと息を吸い込む。
 さきほどまでより、さらに大きな声で。

『フォンティーヌの森を……すべてはこの世界を護るためだ! 忘れるな!』

 護り神からの一喝。観客席の方々が息を呑んで黙り込む。
 なお、お兄様たちもです。プランBの詳細は説明してなかったからね。

(その辺でいいわ。よし、撤収!)
(なぁなぁマユ、オレ上手にできた?)
(うん、最高! ハティもお疲れ様! ヘレンにお菓子をいーっぱい用意してもらうからね!)
(ヤッタな!)
(ウン!)

 そんな思念での会話を最後に、出てきた穴からハティ達はさっと姿を消した。漂っていた煙もすべて穴に吸い込まれていく。
 ハティとスコルがいた痕跡はすべて消え、宙に開いていた穴も綺麗に閉じられた。
 そして辺りに、静寂が訪れた。


   * * *


 その後、ディオン様から私の実技試験終了の言葉が発せられると同時に、伯爵家の方々はワタワタと闘技場から姿を消した。
 お兄様が満足げに笑顔を浮かべ、同じく笑顔を浮かべている侯爵家の方々と共に闘技場を後にする。
 大公殿下と大公妃殿下は驚きを隠せない様子だったものの、私の労を労う言葉をかけてくださった。
 そして大公殿下夫妻の姿が消えると、シャルル様はジロリと私を睨みつけてすぐに二人の後を追う。
 最後に残ったディオン様は、
「追って、連絡いたします」
とだけ言い残し、殆ど無表情のまま闘技場を出て行った。私の魔法実技を見てどう感じたのかは、よく分からなかった。


 ――私の『リンドブロム聖者学院』への入学許可が出たのは、それから3時間後のことだった。
 

 よっしゃ、やった! やりましたよー!
 後でガンディス子爵から事の次第を聞いたアイーダ女史には、
「やり過ぎです!」
とこってり絞られちゃったけどね。

 でも、これでやっと、この世界のスタートラインに立てるわ。
 本当に、長かった……。誰か私を盛大に褒めて!


 そこでふと、金色の瞳をわずかに細めるセルフィスの顔が浮かんだ。
 子爵家に来てからというもの、一度も顔を合わせていない。――あの、真夜中の現実か夢か分からない対面を除いて。
 
 セルフィスは、私の雄姿をどこかで見てくれたのかな。
 ねえ、また、会えるよね?
 あの夢か現実かも分からない夜が最後、なんてことはないよね?

 と、いうか!
 仕事が終わったなら終わったで挨拶には来るべきよね! 絶対そう!
 さすがにそこまで薄情じゃないはずよ。一応、二年もの付き合いがあるんだもの。

 今度会ったらちょっと文句を言わないと、と思いながら、月の出ていない真っ暗な空を見上げた。

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