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第9幕 収監令嬢は華麗に踊りたい

第2話 一発合格を目指すわよ

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「えっ、『舞踏・礼儀作法』の講義を受ける?」

 家に帰り、アイーダ女史に大公宮で開かれるパーティの話とそのための授業の話をすると、怪訝な顔をされた。

「マユ様が、ですか?」
「そうよ」
「いえ、おかしいでしょう」
「どうして?」

 だって私はずっと閉じ込められてたんだから、社交デビューはしてないわよ。

「それは家でまともに教育を受けられなかった下流貴族のための講義と思われます」
「そうだけど、デビューしていない人は授業を受けてくれって言ってたんだもの」
「ディオン様がですか?」
「そうよ」

 あの目配せは、そういう意味だと思うけど。
 確かに、上流貴族の方々はすでにデビュー済みだから、あの中で受講するのは私しかいないのよね。

「それに、『私は上流貴族でしかも婚約者だからいいでしょ』と勝手に決めつけるのは怖いわ。もし『授業に参加していなかったので駄目です』と言われて大公宮に行けなかったら、目も当てられないもの」
「まぁ、それは……」
「あと、一つ一つの作法は理解してるけど全体の流れというかそういうのを知りたいのよね。だから他の人達と一緒に授業を受けることには、ちゃんと意味があると思うのだけど」
「そう、ですが……」

 アイーダ女史はしばらく考え込んでいたけど、
「まぁ、よろしいでしょう」
と了承してくれた。

「確かに、まだ大公家からの正式な招待状は届いておりませんし……信じ難いですが、マユ様が仰るように婚約者がパーティに参加できない、というのは非常によろしくありません」
「そうよね」
「それに通常は大公宮デビューの前に他の貴族のパーティに出席するなどして予行練習をするのが一般的です。マユ様はそれすらしていませんからね」
「あ、それはクロエも言っていたわ」

 私にもう少し余裕があれば屋敷で小さめのパーティぐらいやってあげるのだけど、と言っていた。
 だけど今は公務と学院の授業で忙しく、また交流する人間も増えたためどこまで呼ぶか難しく、大規模になってしまうらしい。とてもそんな時間は取れない、と。

「大丈夫よ、一回授業に出てすぐに合格を貰ってみせるわ。それで、ヘレンにお願いがあって」
「わっ、わたくしですか?」

 どうやら何か妄想していたらしいヘレンが、ひっくり返った声で返事をする。

「……今、何を考えていたの?」
「大公宮へ行くときの装いです。今から準備しなければ間に合いませんから。色はどうしましょう……ボルドーがよろしいですかね。でもクリームイエローも捨てがたい……」
「張り切ってるわね」
「当然です! 見せ場ですよ、ここは! 幸いここは公爵家ですから、数多の布が保管されておりますので大丈夫です」
「……まぁそれはいいんだけど、何か練習着のようなものが必要、と舞踏の先生が説明していたのよ。希望者には学院から配布するらしいんだけど、私は……」
「そうですね、サイズが合いませんものね」

 ヘレンが私の姿を上から下まで見回し、ふむ、と力強く頷く。

「たとえ練習着と言えども、他の方々の前にお出になる以上、手は抜けませんね。着古したものではなく新しいものを、明日までに必ずご用意いたします」
「ありがとう。お願いね」

 練習着とは、家で着ているようなリネンのワンピースのお尻の部分に長い裾をつけたもの。実際に身につけるのは入学試験の時に身につけたようなこんもりとしたバッスルなんだけど、あのときに比べるとやや控えめな膨らみになっている。
 立ち振る舞いと言うと、やはりこの長い裾のさばき方というのが問題になるのよね。黒い家リーベン・ヴィラでも徹底的にたたき込まれたっけ。

 そしてヘレンが縫い物をするために部屋を出て行ったあとは、着古した練習着に着替え、アイーダ女史による特別指導を受けました。
 ただでさえ最近は勉強の方ばかりで、しかもずっと動きやすい制服姿だったから、ちょっと忘れちゃってたわ。

 だけど、久々のアイーダ女史の指導はすさまじかったわ。お辞儀、歩き方は勿論、ダンスもね。
 だけど三時間ぶっ通しは死にます。そしてそれに付き合えるアイーダ女史もすごい、と感心しつつ、深く感謝もしつつ。

 ……そうして、翌日を迎えた。


 4限が終わり、一度聖者学院の門の前でヘレンと待ち合わせる。新しい練習着を持ってきてくれる手筈になってるの。
 それに、ヘレンがかなり本格的な作りにしたものだから一人では着れないのよ。

「え? マリアンセイユ様も『舞踏・礼儀作法』を受けるのですか?」

 今日のお当番であるズィープという少年武官が目を丸くする。

「ええ。わたくし、社交デビューをしておりませんから」
「いえ、ですが……さすがに場違いでは?」
「ですが、ここでは他の皆さんと同じ学院生ですから、きちんと合格を頂かないと」
「いや……でも……ええ?」

 やはり上流貴族の令嬢である私が、公の場で舞踏や礼儀作法の指導を受けるのはおかしい、と感じたらしく、ズィープがしきりに首を捻っている。

「とにかく参りますわ。申し訳ありませんがズィープ、今日は少し残業して頂けませんか? 合格を頂き、今日だけでちゃんと終わるようにいたしますから」

 本来なら4限で彼の仕事は終了するはずだったので、申し訳ない気持ちになる。
 ズィープは困った顔をしながらやや俯くと、右手を口元にあて、何やらブツブツ呟いていた。

 ちょっと、どうしたの? 可愛い顔して黒い愚痴でもこぼしているのかしら。
 “風の音を聴くアネ=モ=ティロ”、と密かに風魔法の呪文を唱え、音を拾ってみる。

「今日だけ……しかも、舞踏会……」
「ひょっとしてすごくレア?」
「マリアンセイユ様のやりたいように、とは言われてるし」
「自慢できるかな」
「アインス副隊長が泣くかも」

 うーん、ちょっと意味がわからない部分があるわ。自慢ってナニ? それに、どうしてアインスが泣くのかしら。
 でもまぁ、比較的前向きな様子なのでホッと安心する。

「あの、ズィープ?」 
「え、あ、はい!」

 埒が明かないのでニッコリと微笑みながら声をかけると、ズィープがピンと背筋を伸ばして私の方に向き直る。

「分かりました、しっかりとお付き合いさせていただきます!」
「よろしくお願いいたしますわね」
「はいっ!」


   * * *


 すっかり支度を終え、大講堂に足を踏み入れる。そこには予想に反して十人ぐらいの生徒しかいなかった。
 そう言えば、社交デビューは十三歳から十四歳ごろと聞く。条件を満たしていない人の方が圧倒的に少ないのね。
 そしてその十人の中には、当然ミーア・レグナンドもいた。

「マリアンセイユ様!?」

 舞踏・礼儀作法の四十歳ぐらいの女性が、入ってきた私を見て血相を変えて飛んでくる。
 確か、モニカ・ビクトル子爵夫人だったかしら。聖者学院の講師ではなくて、この『舞踏・礼儀作法』の講義のために特別にお願いした方だと聞いてるけど。

 モニカ先生は私のところまで来ると、尋常じゃない速さのまばたきをしながら

「な、なぜこの場に!?」

と大声を張り上げた。
 礼儀作法的にそれはどうなのかしら、と思いつつもあくまで優雅にニッコリと微笑んで見せる。

「なぜって、わたくしも舞踏会は未経験ですから、教えを乞いたいと思いまして」
「え、あ! ……でも、ええっ!?」

 ズィープとまるで同じリアクションだわ。そんなに変かしら……。

「あの、マリアンセイユ様にはアイーダ・フランケル様が付いていると伺っていますが?」
「ああ、先生はアイーダ女史をご存じなのですね」

 良かった、それなら話が早いわ。
 さすがアイーダ女史。下流貴族の中でも上位のフランケル子爵家出身、そして大公宮魔導士、魔精医師を経て魔導士学院講師、という経歴は伊達じゃないわね。

「ですが、先生から合格を頂かないといけませんし」
「と、とんでもない! 合格、合格です!」
「先生、それではいけませんわ」

 下流貴族の令嬢方がいる前で何を言っちゃってるんでしょうね、この先生は。
 いくら公爵令嬢だからって見もしないで合格は駄目でしょう。ディオン様の意向にも沿わないわ。

「この学院においては、わたくしも一生徒です。しかも長い間眠っていたために、知らないことも多いですし、至らないこともあるかと思います。早く皆様に追いつくために、基本からきちんと学びたいのですわ」
「え、あ、はい……」

 先生の目が私の背後へと泳ぐ。ズィープの方を見たんだと思うけれど、どうやら私の説得を諦めたようだ。ふう、と溜息をつく。

 それならさっさと終わらせよう、とばかりに
「それでは、マリアンセイユ様から披露をお願いいたします」
と言われてしまった。

 え、私は基本から学びたいと言ったはずだけど? なぜ先頭バッターなのかしら?

「わたくしから、ですか? できれば先生のお手本を拝見したいのですが」
「アイーダ様からどのような指導を受けているのか、確認したいのです」

 うーん、何だか思った展開と違うけど、まぁいいか。
 これさえ終わらせればゆっくりと見学させてもらえるんだろうし。

 アイーダ女史に習ったことを思い出しながら、ホスト役の先生を相手に令嬢らしく振舞う。
 挨拶の仕方、迎えられ方。歩き方、礼の仕方、ダンスの相手を待つときの佇まい。そして実際に踊るときのステップや身のこなし方など。

「素晴らしいです! 合格ですわ、マリアンセイユ・フォンティーヌ」

 ようやく一生徒、という扱いをしてくれた先生が声を上げる。そしてほけーっとした顔で私達の様子を眺めていた下流貴族の令嬢たちの方に振り返った。

「皆さん、これをお手本としてくださいな。一からご説明いたしますが、さきほどのマリアンセイユ嬢の動きをよく思い出してくださいね」
「「はい」」

 本当にこれで合格にしちゃって大丈夫なのかしら、と不安になり、下流貴族の令嬢たちを見回す。
 だけど彼女たちの様子から察するに、先生の買いかぶりすぎという訳ではなく、私はちゃんとそれらしく振舞えていたらしい。

 ホッと安堵し、「先生、私も見学……」と言おうとしたところで、
「失礼します」
とどこかで聞いたことのある声が入口の方から聞こえてきた。

 振り返ると、ドライだった。いつも温和な雰囲気を漂わせる若き『外政部』の副部隊長。
 だけど今日はやや慌てた様子で、いつもの余裕な笑みは無く、焦りの色が見える。
 そしてスタスタスタと私達の方にやってくると、さっと私の前で跪いた。

「マリアンセイユ様。ディオン様がお呼びです」
「……えっ!?」

 今まで、そんな個人的な呼び出しなんてされたことないわよ。何で?
 何かマズいことしたかしら。まるで先生から職員室に呼び出しを食らった生徒みたいな気分だわ。

「ご案内いたします」
「え、でも、あの……」

 まだ授業の途中なんだけど、と思いながら辺りを見回すと、先生は「どうぞ」という風に頷いて手で扉の方を指し示す。

 そして下流貴族の令嬢方も私の不安とは全然別のことを考えたようで、
「これからデートかしら」
「いやん、羨ましい!」
みたいな視線を向けられた。

 ……ただ、ミーア・レグナンドだけは無表情を貫いていて、それだけは少し気になったんだけど。
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