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第10幕 収監令嬢は知らんぷりしたい

第6話 気づきたくなかった、こんなこと

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 大講堂での発表を終えて特別魔法科に行くと、シャルル様はすでに来ていた。後ろのソファでふんぞり返りながら紅茶を飲み、その近くでは三人のメイドが彼の荷物を片付けている。

「シャルル様。三カ月間、お世話になりました」

 来たのかよ、みたいな顔をされたもののそれは無視し、しっかりとお辞儀をする。
 私が魔導士としてレベルアップできたのは、この学院に入れたおかげ。シャルル様のために用意された一流の先生による授業を私も受けさせてもらえたから、だもの。

「あーあー、本当に世話をしてやったよ」
「ありがとうございます」
「なのに全然人の言うことなんか聞きやしないけどな、お前」
「……」

 そりゃ、拝聴に値する言葉なんてなかったしね。
 もともとロクなことを言わない人だったけど、色ボケしてからは本当に酷かった。
 ミーアが好きならちゃんと繋ぎ止めておいてちょうだい。あっさりディオンルートの攻略なんかされちゃって。
 と、頭を下げたまま心の中で舌を出す。

「ま、最後の挨拶はまだ要らねぇよ。五日後に会うから」
「……え?」

 意外な事を言われ、所作も忘れてガバッと顔を上げる。人を小馬鹿にしたようなニヤニヤ笑いを浮かべているかと思いきや、シャルル様はギュッと口を引き結んだ、ひどく真面目な顔をしていた。
 ……というより、何かを決意した、男の顔、とでも言うのかな。
 ミーアへの思いがこんな顔をさせているのかと思ったら、彼女の異性を惹きつける才能には感心してしまう。さすがヒロインは伊達じゃないわね。

「俺も参加するつもりなんだ、『野外探索』に」
「え、何故ですの?」
「ミーアを守りたいから」
「え……」

 トン、とソーサーにカップを戻すと、シャルル様は口の端を少しだけ上げた小さな笑みを浮かべた。

「ミーアはアンディ・カルムとベン・ヘイマーとパーティを組むらしい」
「そうですわね」

 確か大講堂で二人に囲まれているのを見たわ。「よろしくお願いします」という声も聞いた気がするし。

「放っておけないだろ。俺は属性魔法は殆ど使えないが、シールドは張れる。ロワーネの森についても、貴族の連中よりは詳しい。お前が言うところの『正攻法』ってやつさ」
「でも、大公家は許可したんですの?」
「これから話すが、まぁ大丈夫だろう。だから相当頑張らないとお前は不利だぞ」

 シャルル様が嫌な笑みを浮かべる。

「仮にも大公家の人間がミーアの味方に付くんだ。同程度ならミーアが『聖なる者』に選ばれる可能性が高い」
「それはまた、急に方針転換したものですわね」

 確か、ミーアが『聖なる者』に選ばれたら正室に出来なくなるかもしれないからお前頑張れ、とか言ってなかったっけ。
 まぁ、足を引っ張るために一緒に行く、とかいうのよりは全然いいと思うけど。

「最後ぐらいカッコつけたいだろ? ……まぁその点だけは、お前に感謝してやってもいい」
「……」
「せいぜいあがくんだな。俺の見立てだと、『金の箱』を取らないと厳しいぞ」
「選考の途中経過を漏らすのはよろしくないんじゃありませんの?」
「学友として応援してやってんだよ」

 要らんわ、と思ったけど確かに貴重な情報ではある。
 もし私が『銀の箱』3つでミーアが『金の箱』を入手したら、完全に私の負けになるわ。
 認識がちょっと甘かった。もともとミーアは『聖女の再来』ともてはやされているんだもの。『銀の箱』3つで満足しちゃいけないんだわ。

 『野外探索』は最大三日間で、その間に規定の数の宝箱の中身を入手し、森の入り口に待機している試験官に届けた時点でクリア。
 一日ごとに森の外に出るか、それとも野宿するかは自由。まぁ、令嬢が野宿は無理だろうけど。
 ……とすると、三日間ギリギリねばるつもりで『金の箱』を狙うべきなのね。

「ご忠告、感謝いたしますわ」

 内心いろいろな思いが巡って複雑だったけど、あくまで余裕あり気ににっこりと微笑む。
 そして「では、五日後に」とだけ言い、近衛武官がまとめておいてくれた荷物を確認して特別魔法科を後にした。


   * * *


 次の日、私は馬車でパルシアンに戻った。最後の『野外探索』の前に、どうしても帰って来たかったのよね。だって四日間も休みがあるんだし。

 今回の同行はヘレンだけで、アイーダ女史は不在。
 何でも、ワイズ王国に出向いていたガンディス子爵がようやく帰国できそうという連絡がきたので、前にハティが取っておいてくれた布切れを渡すためにロワネスクに残ったのだ。
 詳しいことは知らない方がいいと教えてもらってないけど、これで密猟犯が捕まるといいわね。そういう人間が増えれば増えるほど、魔王の復活が早まる気がして怖い。

「クォンも黒い家リーベン・ヴィラ、好き?」
「キュン」

 バルコニーからぼんやりと庭を眺めながら、ビタッと首に張り付いているクォンに話しかける。
 パーティではさすがに瓶に閉じ込めておいたんだけど、それ以外はずっと私の傍にいる。私の首にピタリと張り付いていて、本当におとなしい。いつの間にかクォンがいないと首がすうすうして寒く感じるぐらい。

 いや、実際に寒いのよね。もう冬も近く、夜ともなるとかなり冷え込む。オルヴィア様のワンピースには魔法が施してあるから体感的には平気なんだけど、体を冷やすといけないので上に一枚だけカーディアンを羽織っている。

 部屋の明かりはすべて消し、テーブルに置いてある手燭灯ランプの明かりだけの状態で、私は夜空を眺めていた。
 夜の黒い家リーベン・ヴィラの空気は、セルフィスが導いてくれた聖女の泉に似ている。
 あのときは、綺麗な上弦の月がセルフィスの肩越しに見えたっけ。今日は三日月だったからもう沈んでしまって、本当に真っ暗な空だけど。
 
「ほどほどにしないと、風邪をひきますよ」

 そんな声が、部屋の中から聞こえてきた。
 声の主は――振り返らなくても分かる。

 黙ったままテーブルに置いてあったランプを持って、部屋の中へ入った。
 扉のすぐ近く、魔王と聖女が描かれた大きな絵画の脇。
 いつもの場所に、セルフィスが立っている。

「……今日は、影?」
「ええ。ロワネスクでちょっと立て込んでいまして」

 勉強に使っていた黒い机の上に、ランプを置く。

「部屋の明かりはつけないのですか?」
「……何となく、ランプの明かりで過ごしたい気分なのよ」

 まさかセルフィスと踊ったときの雰囲気を味わいたかったから、とは言えないし。何か恥ずかしいじゃない。

「確かに、魔道具を使わない環境の方が魔精力を感じることはできるでしょうしね。……あれ?」

 セルフィスは少し首をかしげると、じいっと私の方を見つめた。

「何か首のところにいます?」
「……あっ!」

 しまった、いつもならセルフィスが来そうなときはクォンを瓶に入れてたんだけどな。忘れてた。
 だって魔界のカエルをペットにしているなんてバレたら、あれだけ
「魔物には注意してください。魔界のことを根掘り葉掘り聞こうとしないように」
と注意していたセルフィスに怒られる気がして。

「えーと……あっ!」

 不意に、ランプがバルコニーからの夜風でカタンと揺れ、明かりが消えてしまった。辺りが真っ暗闇になる。

「きゃあ! えっと、あれっ!? マッチどこだっけ?」

 確か机に置いてあったはずなのに、と何も見えない中、机の上をバタバタと手を動かしてまさぐる。

「マユ、炎魔法が使えるでしょう?」
「あ、そ、そっか!」

 呪文を唱え、手の平からぽうっと人魂のような炎を出す。首に張り付いていたクォンがビクッとしてズボッと首の後ろから服の中へと入っていった。背中にビタッと張り付いている。
 クォンは水の魔物なので炎に弱い。ま、これでしばらくはおとなしくしててくれるわね。セルフィスにもバレないし、ちょうどよかった。

 炎の明かりでどうにか小箱の位置がわかり手を伸ばす。
 中から木の棒を一本取り出すと、シュッと擦り火をつけた。手燭灯ランプに火を灯すと、辺りにもとの柔らかい明るさが戻ってくる。

 ホッと息をつくと、セルフィスがクスクスと笑った。

「炎魔法で直接火をつければよかったのでは、と思うのですが」
「あ、そっか……つい慌てちゃった」
「それに相変わらず訛ってますね、マユ。マッチじゃなくて魔燈マチンですよ」
「知ってるわよ。ただどうも最初のイメージが強くて……」

 そこまで言いかけて、急にある事に気づいた。
 あまりにも見た目が同じなものだから、いつまで経っても直らないこの言葉。
 ゾワッと、鳥肌が立つ。

 ――まっ、を失くした、と思ったら居ても立ってもいられなくて……。

 あのとき、ミーアは確かにそう言った。
 緊張して言葉を詰まらせたんだと思ってた。
 でもそうじゃなくて、ついそう言ってしまったんだとしたら?

 この小箱を見て、『マッチ』と発する人間は、この世界にはいない。
 いるとしたら、『マッチ』を知っている人間――私がいた、元の世界の記憶を持っている人間だけ。

 まさか、ミーアも私と同じように元の世界からこの世界に来た人間なの?
 いや、違う。この世界に呼ばれたのが、本当はミーアだったの? むしろ私がおまけ? だから私はこの世界を知らなくて、ミーアは……。

「どうしました? 何だか顔色が悪いような」

 私の様子に気づいたのか、セルフィスが少しだけ近づいて顔を覗き込んでいた。
 
「え、あ、ううん……。ちょっと、ね。『聖なる者』のことを考えていて」

 思えば、ミーアは目につくイケメン達と軒並み親しくなっていた。そして、アンディ、ベン、シャルル様、と着実にターゲットを上へ上へと広げていって……。

 そして、ディオン様。あちらこちらに移動しているディオン様の居場所を、どうして知っていたのか。
 近衛武官がいろいろと教えてくれたから、私は聖者学院の殆どの穴場を把握していた。そんな私がディオン様を探しても、全然見つけられなかったというのに。
 そうよ、あの魔導士学院の魔法実技場での一件だって。

 ――ミーアは、このゲームの攻略法を知っているんだわ。

「気にしているのは、ミーア・レグナンドのことですか?」

 セルフィスに図星をつかれ、喉が詰まる。

「……彼女がやっぱり、最有力候補なのかしらね、と思って」

 どうにか声を絞り出したけれど、胸中はそれどころじゃなかった。
 だって、ミーアが攻略法を知っているということは……。

「らしくないですね。この家で暮らしていた頃は、あんなに前向きだったじゃないですか」
「何も知らなかったもの……」

 ミーアがディオンルートに進んでいるとしたら、その最大の障壁は私、マリアンセイユ・フォンティーヌの存在。
 そしてミーアがゲームを熟知しているなら、私を婚約者の立場から引きずりおろす方法を知っているのかもしれない。
 それがどんなイベントかも、私は知らない。

 そう、何も。何も知らなかった。
 この世界のことも。自分の立場も。

 温かい人たちに囲まれて、絶対に見返してやる!って叫んで、いつか表舞台に帰ることを目標にして頑張ってたあの頃は、楽しかったな。
 あの伯爵家の狸親父たちが言っていたように、ここに引っ込んだままだったら、ずっと幸せな気持ちでいられたのかな。

 何も知らない私はやっぱりこの世界では脇役に過ぎなくて、いつか物語の中央から弾かれてしまうんだろうか。

「……っ……」

 ポタポタポタ、と涙が黒い机と私の左手の甲に落ちた。
 何の涙かはよく分からなかった。
 後悔? 不安? ……いや、もう引き返せないという絶望だろうか。
 だけどこうなってしまうともう止まらなくて、後から後から涙が溢れ、頬を伝い、次々と流れていった。黒い机の上に、小さな水たまりを作っていく。

「……泣かないでください」
「……っ……」
「今のわたしでは、マユの涙を拭くことはできませんから」

 顔を上げると、苦しそうな表情をしているセルフィスと目が合った。
 心なしか、姿がゆらゆらと揺れている。私の魔精力に当てられて、影が壊れかけているのかもしれない。

「何で、今日に限って影なの……」
「すみません」
「――待ってたのに」

 心の奥底に仕舞っていた言葉が、ぽろりと零れた。

 口は悪いし、いっつも私のことをバカにしていたセルフィス。
 だけど、私が困ったときはいつも助けてくれて、話し相手になってくれた。
 もう任務は無いのに、会いたいと思ったときに会いに来てくれて。
 踊りたいと言った私を、踊れる場所まで案内してくれた。
 肝心なことは何も言ってくれないセルフィス。だけど、それは私への同情なんかじゃないよね?

 黒い家リーベン・ヴィラでの暮らしが幸せだと思えたのは。
 いつセルフィスが来るのかな、と待つ間も幸せだったから。

 やだな、ミーアのこともあって思考がグチャグチャだ。こんな状態で気づきたくなかったな。……自分の気持ちに。

 だけど、無理だから。セルフィスと結ばれることはあり得ない。だって私はディオン様の婚約者だ。
 そしてそれ以前に、令嬢と執事だもん。上流貴族と下流貴族ですらきっちりと分けられているこの世界。貴族令嬢にいたっては平民と結婚することも、恋をすることも許されない。

 私とセルフィスを繋ぐものは何もない。私にできることと言えば、立派な大公妃になって、ずっと裏で頑張っていたセルフィスを引き立ててあげるぐらいかな。そうすれば、この先も会う機会があるだろうか。

 ああ、でも。もし『聖なる者』になれなかったら。
 それすらもできないのかもしれない。
 もしミーアに負けたら、ヒロインの敵役らしく断罪されて強制的に物語の世界から退場するしかないのかもしれない……。

「私、どうしてこの世界にいるんだろう……」

 ミーアを引き立てるために存在しているなんて、思いたくないわ。
 涙で目の前が滲んで、セルフィスの姿がますます揺らいで見えた。

 だけど、こんなこと、セルフィスに言っても仕方がない。
 そう思い直して俯き、涙を拭うと、セルフィスが近付く気配がした。

「――のためですよ」
「えっ……」

 よく聞き取れなくて、思わず顔を上げる。黒い机を挟んだところに――手を伸ばせば届くところに、セルフィスがいた。
 眉は下がり、金色の瞳が揺らいでいる。わずかに口角が下がり、なぜか私よりずっと辛そうな顔をしている。

 どうして。どうしてそんな顔をしているの。

「あと少しです。頑張ってください――マユ」

 いつも、見ています。必ず、報われますから。

 その言葉を残し、セルフィスの影が私の涙を1滴だけ拭って――そのまま消えた。


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