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第12幕 収監令嬢は運命に抗いたい

第5話 カウントダウンが始まってる

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 フォンティーヌ領の西、パルシアンには雪が降り始めていた。
 黒い家リーベン・ヴィラに着いた私は、愛用していた大きな黒い机の引き出しから初代フォンティーヌ公爵の日記の書き写しを取り出した。
 アイーダ女史とヘレンをソファに座らせ、
「まずはこれを見て」
とテーブルの上に紙の束を広げる。
 そして日記を発見した経緯とその内容を、かいつまんで説明した。

「その日記……本物ですか?」

 アイーダ女史が信じられない、とでも言うように何度も眼鏡のつるに手をやる。

「本物よ。最初の方は、フォンティーヌ公爵がどんな日々を過ごしていたかが書かれてるの。内容を読んでもらえば、確かに本人のものだって分かるわ」

 内容は公爵の身の回りの出来事が中心だけど、大公宮の話や兄の大公のことも書かれている。
 日付も入ってるし、博識のアイーダ女史が歴史と照らし合わせつつ目を通せばすぐに信じるわ。
 それに、私がこんな大作を捏造できる訳がないじゃない。

「それでは、聖女シュルヴィアフェスはあのお屋敷に何度も降り立った、ということなんですね? 何と恐れ多い……」

 大広間でお茶をひっくり返したり、厨房を自由に使っていたヘレンがブルブルしている。

「とは言っても本当に内緒だから、公爵が本を読んで過ごしたというあの開かずの図書室ぐらいだと思うわ」

 実際にはあの秘密のアトリエと庭だけだと思うけど、これについては二人にも言う訳にはいかないわね。

「……これは、今までの聖女の認識をひっくり返す大発見ですね。本物はどこにあるんです?」
「ハティに預けてあるの」
「なぜですか?」
「もともと開かずの図書室にあったものだから、表に出すべきではないと思ったの」

 聖女シュルヴィアフェスが「内緒だ」と言っていたというくだりが書かれた部分を一番上にし、指で指し示す。

「魔王の意図と違うなら、魔王を刺激しないためにもこれはフォンティーヌ家の秘密にするべきかなって」
「そうして、ずっと閉ざされていた扉を開いたのが、マユ様……ということですか」

 アイーダ女史が考え込みながら、独り言のように呟く。その隣でヘレンが、またもやアワアワし始めた。

「そんな大事なお話を、わたくし如きが聞いてしまってよかったのでしょうか?」
「お父様のお世話をするんでしょう? お父様は『聖女』について誤解している。もしお父様が目覚めたら私からこのことは話そうと思ってるけど、アイーダ女史とヘレンにも知っておいてほしかったの」

 二人には、ガンディス子爵から聞かされた父公爵の真意も説明した。アイーダ女史は眉間に皺を寄せてとても沈痛な面持ちになり、ヘレンは
「マユ様は……そしてマリアンセイユ様は、愛されていたんですね!」
と嬉しそうに泣き笑いしていた。

 私への扱いが酷い、と私以上に怒り、嘆いてくれていた二人。
 その二人に真実を伝えることができて、本当に良かった。
 でも、この三人の時間があと少ししか残されていないのは、本当に淋しいけど。


   * * *


 日記の写しはアイーダ女史に預けた。まずはちゃんと信じてもらわないといけないので、女史に一通り目を通してもらいたかったからだ。

 パルシアンに来たその日は、そうして三人でゆっくり話をして一日を終えた。
 夜、セルフィスが来るかもしれない、と明かりを消した部屋の中で夜更け過ぎまで待ち続けていたけれど、セルフィスは来なかった。
 結婚の儀、『聖なる者』の決定とリンドブロム大公国の歴史に関わる重要なイベントがこのあと控えている。大公の臣下であるセルフィスも、忙しいのかもしれない。

 いつも私にぺったり張り付いていたクォンがいなくなって、首筋がスースーする。
 それが一層淋しさを増しているのかもしれないわね、と自分に言い訳しながら、その日は眠りについた。

 翌日は、いよいよ片付けだった。パルシアンに来るのが最後となると、アイーダ女史とヘレンは自分たちが住んでいた部屋も片付けなければならない。
 前は急にロワネスクに戻ってくることになったし、その後もちょくちょくこの地に帰ってきていたので、まだたくさんの私物が残されていたのだ。

 当然、私が暮らしていた黒い家リーベン・ヴィラの片付けもある。だけど、大好きだったこの場所から物が無くなっていく様子を見るのは、まだ辛かった。
 だから、
「この部屋でゆっくり過ごしたいから、私の部屋は後回しにして」
と言って、二人には出て行ってもらった。

 窓に近づく。触れなくても、ひんやりした空気が微かに伝わってくる。
 さすがに雪がちらつく中バルコニーに出る気にはなれなくて、肩にかけたショールの前をそっと両手で押さえた。

 セルフィスが初めて魔法を見せてくれたのも、この庭だったわね。
 セルフィスが言ってた火炎旋風、ちゃんとできるようになったわよ。杖を手に入れて学院に入学して、本当に真面目に頑張ったから、私、魔導士としてもすごく成長できたと思う。

 ほら、見て。この右手の銀の腕輪。フェルワンドとも話したのよ。サーペンダーとも。ユーケルンにはナンパされたし。
 ねぇ、すごいでしょ?

 ……と、これは多分言えないわね。ハティ達のときでさえすごく怒ってたもの。魔獣と取引した、なんて言ったらきっとすごく叱られるわ。

 ああ、そうだ。フェルワンドとの決着もまだだった。正妃になって仮に『聖なる者』に選ばれたとしても、フェルワンドに食べられちゃうかもしれないのか。
 いや、おとなしく食べられる気はないけどね!

 ねぇ、セルフィス。大公殿下の直属の部下なら、もう知ってるわよね。私がここに来るのは最後だって。
 どうして会いにきてくれないの。私から会いに行くことはできないのに。

 セルフィスが普段どこにいて何をしているのか、もっとちゃんと聞いておけばよかったな。大公の間諜ともなると機密事項もあるだろうし、と遠慮したのが悪かった。

「今日は絶対に聞き出してやるわ!」
「何をです?」

 後ろから声が飛んできて、ゆっくりと振り返る。もう、驚きはしない。
 魔王と聖女の絵画の脇、いつもの場所にセルフィスが立っていた。

「……何だ、『影』か」
「わかりますか」
「わかるわよ」

 魔獣と会った影響かしら。影と本体の区別が何となくつくようになった。
 ……それか、セルフィスの力が弱くなっているのか。

「遅いわよ、来るのが」
「いろいろと立て込んでいまして……」
「まぁ、そうよね。リンドブロムにとっての重要な日が目の前に迫ってるしね」

 私がそう言うと、セルフィスは一瞬だけ目を細めた。

「『聖なる者』――なれそうですか?」

 一語一語ゆっくりと、何かを確かめるように言葉を投げかける。
 ああ、そうよね。本来はそれが何よりも重要なことのよね。

「なってみせるわよ、と言いたいところだけど」

 自分の言葉がもう過去形になってしまっていることに気づいて、思わず溜息が漏れる。
 窓から部屋の中央に戻り、ボスンと乱暴にソファに腰掛けた。

「もう、どっちでもいいというか――よくはないんだけど、その後の展開はあまり変わらないというか……」
「は?」

 セルフィスが眉間に皺を寄せ、訝し気な顔をする。

「あれだけ真の魔導士になると息巻いていたのに、どうしたんです?」
「だって結婚が先に決まっちゃったんだもの。そんな自由、ないわよ」
「えっ……」

 セルフィスが佇んでいた壁の前から急にガバッと身を乗り出した。金色の瞳を大きく見開き、今にも私の方に駆け寄らんばかりだ。どうにか自分を抑えているけど、という感じ。
 あれ? ひょっとして、知らないの? 大公の間諜なのに?

「まさか、聞いてないの? 私、三日後にディオン様と結婚の儀をするの」
「えっ!」

 これは本当に知らなかったらしい。私から目を逸らすと手を口元に当て、上を見たり、下を向いたり。いろいろと考えあぐねている。

「だから――ここに来るのも、最後。セルフィスに会うのも、多分……最後よ」

 セルフィスが大公宮で表で働くようになったら会えるかもしれないわね、と無理矢理微笑んでみせた。
 しかしセルフィスは必死に作った私の笑みなんかお構いなしで、妙に慌てた様子で畳みかけてくる。

「どういうことです? 四日後は『聖なる者』の選定でしょう?」
「その選定の場で私がちゃんと正妃になっていることが重要なの。ディオン様と、そういう話になったの」
「なぜ!?」
「なぜって……ええ?」

 ちょっと待って、大公の間諜のくせに、何でこんなに知らないの?
 ディオン様が私と密会したときは確かにディオン様の独断だっただろうけど、もう正式にお手紙も来てるし、大公宮は着々とその準備をしているはずなのに。

「ねぇ、セルフィス。ひょっとしてもうクビになってるの? 大公の間諜の役目」
「いえ、それは……」
「いったい、普段はどこにいるの? どこに行けば会えるの?」
「それを聞いてどうしようというんです?」
「――いつかは、会いに行きたいからよ」

 そうね、聞いたところで大公子妃が自由に出歩けるわけがないわよね。
 だけど大公宮で確実に信頼を得られたら、近衛武官とか協力してくれるんじゃないかしら?
 マリアンセイユが幼い頃に世話になった執事に会いに行く、というテイなら。

「セルフィスが来るのを待つ時間は、もう終わりだから」

 私の言葉が、二人の間に水滴のようにポツンと落ちて……じわりとしたものが胸の奥に広がっていった。

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