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おまけ・後日談

聖女の魔獣訪問6・サーペンダー

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 今回訪問するのは水の魔獣・サーペンダー。
 しかしその前に……? ( ̄▽ ̄;)
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「……んん?」

 窓から差す光の暖かみを感じて、うっすらと目を開ける。
 ふと隣を見ると、セルフィスがすーすーと小さな寝息を立てて眠っていた。

「……っ!」

 叫び出しそうになって慌てて右手で口を押える。
 何てことなの。超・激レアイベントが起こってるわ。
 セルフィスが……魔王が、寝てる!

 驚くべきことに、魔王は寝なくても大丈夫らしい。
 ……というより、何しろ千年も眠っていたので尋常じゃない寝溜めができているらしい。
 しかも今は地上を侵略する訳でもなく特に魔精力を浪費することもないので、あまり疲れないらしい。

 だからセルフィスは私の部屋に来ても眠ることはないんだけど、添い寝してくれることはある。
 でも、私がベッドで目が覚めた時にはすでにいないか、いてもジーッと私を見つめている状態なのよね。……正直言えば、これはやめてほしいのだけど。
 だからこんな風に眠っているのは、初めて見るわ。
 はぁ……びっくりした。

 あまりにも珍しいので頬杖をつき、まじまじと眺めていると、不意にセルフィスがピクリと頬を震わせた。長い黒髪が鼻にかかり、くすぐったいらしい。
 ぷぷぷ、と思いながらそうっと除けてあげると、瞼がピクリと動いた。

「あ……」
「……マユ?」

 ゆっくりと、半分ぐらいまで瞼が開く。金色の瞳がゆらゆらと動いていた。

「あ、ごめん」

 とても貴重な時間だったのに、不用意に起こしてしまったわ。
 申し訳なくなって伸ばしていた手を引っ込めようとすると、グッと右腕を掴まれてギュイン、とセルフィスの腕の中に引き込まれてしまった。
 そのままガッチリと両腕を背中に回され、胸の中に閉じ込められる。こめかみ辺りにキスを落とされたのがわかった。

「……なぜ逃げるんです?」

 半分寝ぼけたような声。
 か、可愛い……というより、妙に色っぽいんですけども!
 もう、朝なので! セルフィスが作った光だけど、地上では朝のはずなので!
 イチャ甘はやめてほしい!

「えっと、逃げたんじゃなくて。今日はサーペンダーのところに行く約束だから、起きないと」
「ああ……」

 納得したように相槌を打ったくせに、腕の力は全然緩まない。

「あの……セルフィス?」
「もう少しこうしていてください。とても疲れているので、癒してほしいです」
「……っ……」

 あ、甘えてるー! 珍しく素直にあっまえってるー!

 ……と、内心軽快なステップを踏みそうになるぐらい大興奮なのだけど、悟られてはいけないのでそっと背中に右腕を回すだけにしておいた。

「……えーと、こう?」

 どうすれば癒すことになるんだろう、と思いながら何となく背中を撫でてみる。
 すると、ギュッと私の腰に回す左腕に力を込めたセルフィスが、いきなり右手でしゅるん、と寝間着のリボンを解いた。するり、布が落ちて左肩が露わになる。

「ひゃっ……」

 あっ、アホかーい! そういう意味じゃない!
 ベチーンと背中を叩き、セルフィスから身体を離そうとしたけど、ビクとも動かない。そりゃそうだ、魔王だし……って、納得してる場合じゃないわ!

「つっ、疲れてるんじゃなかったの!」
「それはまた別です」

 おやつは別腹みたいな言い方をしないでほしい!

「ねぇ、やめて? そろそろ準備しないと、ムーンが迎えに来るし」
「少しぐらい待たせても大丈夫です」
「大丈夫な訳ないでしょ、離してよ」
「時間は取らせませんから」
「そんなおざなりなのはイヤ」
「えぇ……?」

 げんなりしたような溜息が聞こえた。
 セルフィスの右手が私の顎を捕らえ、無理矢理顔を上げさせる。寝起きだからか、トロンとした金色の瞳と目が合った。

「マユはいったい、わたしをどうしたいんです? 困らせないでください」
「いまは私の方が困ってるんだけど……」
「たまには困ってください。もう少しだけ、マユの温もりが欲しいんです」
「……」

 その後、一応は抵抗を試みたのだけど本気の魔王には……というより、珍しく可愛い我儘を言うセルフィスに完全に胸キュンしていた私は、到底逆らえなかった。


   * * *


 魔獣サーペンダーの領域は、リンドブロムから南東の方角にある広大な湖、レスティン湖の湖底。ひょうたん型をしており、一方は海に繋がった海水湖、もう一方は清流から繋がる淡水湖という変わった湖だ。
 湖底だから、サーペンダーと会う場所は水中。水の中でも問題なく動いて話せるよう、セルフィスにはいつもと違った魔法をかけてもらう必要があったのよね。
 それを分かっててあんな駄々を捏ねたんだとしたら、確信犯だと思うわ。本当にずるいったら。

『随分と遅かったのう』

 水底でその長い体躯をくねらせながら、サーペンダーがやや嫌味っぽく言う。
 紫の大蛇、サーペンダー。黒い鬣が頭から胴体までずっと続いていて、青い大空に靡く連凧のよう。水中でゆらゆらと揺れ動き、先の方は全く見えない。

「申し訳ありません、サーペンダー。少々、魔王との打ち合わせが長引きまして」
『ああ、サルサの件か?』
「……サルサ?」

 サルサというと、ミーアが契約した蝶の魔物、『カイ=ト=サルサ』よね。

『何じゃ、違うのか』
「サルサは今……というより、あれからどうしているのですか?」

 クォンを連れて魔界に帰ったサーペンダーは、入口付近でクォンに逃げられた。普通ならクォンを追いかけるところだけど、
『魔界には連れてきたし、もういいだろう』
とばかりに自分の擬態をしていたサルサを追いかけたと聞いている。
 それほど、サーペンダーはサルサに激怒していたのだ。

 私が知っているのはここまで。だからてっきり、サルサはサーペンダーにボコボコにやられて悲惨なことになってるんじゃ……とか考えてしまって、誰にも聞けなかったんだけど。
 ミーアから「もし会えたら」と伝言も預かってたし、気にはなってたのよね。
 こうしてすらっと話題に上がるところを見ると、まだどこかで元気に生きているのかしら?
 
『何じゃ、魔王から何も聞いておらんのか』
「はい」
『我が捕まえ、とりあえずきっちりと落とし前をつけさせてもらったのじゃが』

 落とし前の内容が怖いわ。死なない程度に痛めつけられたんでしょうね、きっと……。

『我の勝手な判断で殺す訳にもいかず、魔王に身柄を渡したのじゃ』
「そうなの、ですか?」
『聖女に関わったしの』
「あ……」

 そうか。マデラギガンダが私達に会ったあと、いったん魔王に聞きに行ったのと同じだ。
 サルサは聖女ミーアに近い存在だったしね。それに恐らく、どの魔獣よりも人間社会に詳しい。その知識だって無駄にはできないわ。

 その後サーペンダーは、サルサのこと、そしてその後のだいたいのあらましを教えてくれた。

 蝶の魔物、カイ=ト=サルサは、実に珍しい人間をベースに進化した魔物。
 ウツシミチョウという蝶の魔物がいて、これは生物にとりついて長く尖った針のような口を皮膚に突き刺し、体液を啜る。
 そして羽根から鱗粉を放つことで、敵を惑わし、かつて食らったことのある生物の姿を幻として見せる能力がある。

 このウツシミチョウにとり憑かれたある女性が、逆にウツシミチョウの能力を吸収した魔物として新たに生まれ変わった。それが、カイ=ト=サルサ。

 最初から人語を解し、知能も高かったカイ=ト=サルサは、数多の生物の体液を入手し、どのような姿にも変身できる他に類を見ない魔物となった。
 しかし強力な攻撃魔法が使える訳ではなく、できることと言えばこの変身魔法と魅了魔法チャームだけ。いわゆるトリックスターとして存在していたのだけど。

『ここ四百年ぐらい、人間社会の中で悪戯に動き回っていた魔物だ。特に人間も魔物も派手に食い荒らす訳ではなかったので、我々も放っておいたのじゃが』
「今回の件で、そういう訳にはいかなくなった、と……」
『そういうことだ』

 サーペンダーの麻痺の霧により拘束されたサルサは、その後魔王に献上された。そして魔王は、命を助ける代わりにサルサに一つの条件を出したという。
 それは、あの『聖なる者の選定』の場へ赴き、民衆を誘導すること。

「……え?」

 あの観衆の中に、いたの? サルサが?
 しかも民衆を誘導するってどういうこと?
 え、待ってよ。私の全力の演説があの舞台を成功に導いたと思ってたんだけど。まさかセルフィスのお膳立てのおかげってこと?
 ちょっと凹むわ……。

『詳しいことは知らんがの。……どうした?』

 私がガックリと項垂れているのを見て、サーペンダーがゆらゆらと胴体を揺らす。一応、気にかけてくれているらしい。

「いえ、何でもありませんわ。それで、その後はどうなったんですの?」
『魔王がどこかに捕えたままのはずじゃ。殺すには惜しい魔物じゃし……聖女とも無関係ではないから、てっきりその話をしていたのかと思っていたが』
「……」

 いえ、ただセルフィスとイチャついてただけです。いつも嫌味なセルフィスが素直に甘えてくるものだから、ついつい絆されて。
 ……ああ、ちょっと自己嫌悪。脳ミソ花畑にしている場合じゃないわ。
 とにかく、『魔物の聖女』としてちゃんとしないとね、ちゃんと!

『まぁ、よいわ。で、我に何の用じゃ』
「クォンの件ではお世話になりましたので、改めてお礼を、と」

 その節はありがとうございました、とお辞儀をすると、サーペンダーは『ふむ』と一つ頷いた。

『しかし、本当にお前が聖女になるとはの』
「まだ見習いですが」
『まぁ、退屈しそうにはないの』
「ありがとうございます」
『褒めてはおらんがな』


 その後、聖女の匣迷宮の湖を作ったときの話や世界に広がる海の魔物の話を聞いて、つつがなく対面は終わった。
 ムーンに乗り、レスティン湖の湖底から魔界の水の領域へと向かう。

「……はあああ……」

 今の気分をどう晴らしたらいいかわからず、思わず長い長い溜息が漏れる。
 するとムーンが
 
“――聖女よ。気落ちすることはないぞ”

と、珍しく慰めのような言葉をかけてくれた。

“サルサがやったことと言えば、民衆の中に紛れ込み、『きっかけの一言』を放った程度だ”
「え……」
“サルサの魅了魔法チャームでは、あの大観衆すべてを操ることなど到底できん”

 相手の魔精力を取り込んでその相手に術をかける、というのがサルサのやり方らしい。だからあれほどの大人数に魔法をかけることは無理だ、と。

 やだ、私が何で凹んでるのかムーンにバレてるわ。
 それはそれでちょっと恥ずかしい。思い上がっていた自分を見られたみたいで。

 でも……そっか、あのあとムーンが迎えにきてくれたんだっけ。きっと上空からあのときの様子を全部見ていたんだわ。

「……そうなの?」
“そうだ。魔王はサルサに服従する意思があるかどうか試しただけだ。わたしは『おかしな動きをするようであれば容赦なく殺せ』と命じられていた”

 大事な『聖なる者の選定』の場をそんな血生臭いものにしないでほしい。
 でも……ということは。

“魔王も恐らく聖女には知られたくなかったはずだ。黙っていた方がよいだろうな”
「……そう?」
“ああ。あのとき、あの場を収めたのは聖女だ。それは誇っていい”

 フン、だからわたし自らわざわざ地上に降りて出迎えたのだぞ、とムーンがいつもの調子でぼやく。
 その“いつもの調子”が嬉しくて、思わずふふふ、と笑ってしまった。

「ありがとう、ムーン。……そうよね、ムーンは魔王のだもの。魔王の命令だからって意に沿わないことをする訳がないものね」
“まぁ、そうだ”

 ムーンがきまり悪そうにまたもや“フン”と鼻を鳴らす。そして
“ただ……”
と不意に低めのトーンで切り出したので、思わず身構えてしまった。
 え、何? やっぱりダメ出しを食らうのかしら?

「……ただ?」
“魔王との営みは、わたしの預かり知らぬところでやってもらえると助かる”
「へ……」
“待たされるこっちの身にもなれ”
「……」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。
 頭の中でムーンの言葉を反芻し……その意味に気づく。ガガガーッととんでもない熱量が頬から額、頭のてっぺんまで突き抜けた。

「ひ、ひ、ひゃあああ――!」

 やだ、そっちまでバレてるじゃない! いくら相棒だからって、そんなことまで見抜かなくてもいいのよぉ!

「む、ムーンのエッチ! スケベ!」
“どっちがだ? この場合はどう見ても……”
「やめてぇぇ――!」

 これ以上聞きたくないわよ、そんなダメ出しは!
 両耳を押さえてムーンの背中で蹲る。“フン”といういつもの鼻息と共に聞こえてきた声は。

“魔王を止めるのは聖女しかいないのだ。しっかり肝に銘じてもらいたい”

 ソウデスネ、仰る通りです。返す言葉もありません。
 ……だけど、セルフィスが悪いのよー。私は悪くないと思うんだけどなー。
 あと、止めるってそういう“止める”も含まれるの?

 そう心の中で愚痴りつつも、
「はい……」
としか言えませんでした。
 魔王の相棒、神獣・月光龍ムーンライトドラゴンはあなどれない、と身に染みて感じたわ……。


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≪設定メモ≫

●水の魔獣『サーペンダー』(愛称:ペント)
 黒い鬣が頭部から長い尾まで生えている、紫の大蛇。龍とも見紛うその姿は、あまりの長さゆえ頭と尾を同時に見ることができた人間はいない。
 真の名は『サー=ペントゥ=ル=ピィア』。

 レスティン湖の湖底に領域を持ち、じっとしていることが多い。この湖は世界の中央に位置し、海や川の魔物をすべて支配している。
 魔獣の中では穏健派だが、我関せずと独自の姿勢を貫いているため、やや空気を読めないところがある。

 フェルワンドとは、火と水という相反する属性のため直接顔を合わせることは殆ど無い。しかしそれゆえにお互いの存在を認め合っており、水陸両性の魔物を通じて時折やりとりをしている。

→ゲーム的パラメータ
 ランク:A
 イメージカラー:紫色
 有効領域:水中
 属性:水
 使用効果:大津波、氷の息、麻痺の霧
 元ネタ:シーサーペント
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