ニャル様のいうとおり

時雨オオカミ

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伍の怪【シムルグの雛鳥】

かえさない

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「……」

 夕焼け色が濃い藍色に変化していく境目の時間。
 大きな学び舎の中、酷く雑多とした第二美術室の中心で少女はイーゼルの上に乗った大きめのキャンバスに次々と色を乗せていた。
 黄色に黒くつぶらな瞳、小さな体躯。その傍らには黄色に近いクリーム色と青い瞳、大きな体躯を描く。彼らが目指す空は青く澄んでいて、太陽が輝いている。
 大小の鳥が伸び伸びと大空を舞い飛ぶ絵だ。

「…… あれ、なんか、暗い?」

 カチカチと忙しなく時を刻んでいたはずの機械は沈黙している。
その違和感にようやっと気が付いた少女は目の前のキャンバスから顔を上げた。

「集中しすぎてたのかな、もう外が暗い…… 帰ろう」

 少女が見上げると窓の外の景色は既に藍色に食われていて、廊下の電気がチカリチカリと反射する窓硝子の奥はよく見えない。
 絵具や自身の画材を個人用の机に片づけ、傍に置いていたトートバッグを手に取る。
 中にはキッチリと二冊のスケッチブックが入っており、他にお気に入りの筆記用具、よく使用する故に抜き身をハンカチで包んでいるカッターナイフが確認できた。そして、制服のポケットには身だしなみ用のコンパクトミラーが入っている。
 教科書などはいつも学校に置いたままにしているので重い荷物を背負って帰る必要はない。
 放課後になってすぐに点灯した第二美術室の電気を消すと、外の暗さと相まって不安感を掻き立てられるような雰囲気があると彼女は感じた。
 廊下から差し込む中途半端な光に薄暗くて埃臭い教室がぼんやりと浮かんでいる。

 ガタン

 背後に響いた突然の物音に、扉に手をかけていた少女の肩がビクリと跳ねる。
 そして一拍間を置いて、彼女は先程の動揺がなかったようにそっと振り向き、安堵するように息を吐いた。

「なんだ…… ビックリした。まったく、置いていくのはいいけど、先輩達は雑すぎ……」

 動揺していたわりに彼女はひどく落ち着いた…… 悪くいえば抑揚のない棒読みの言葉を漏らす。

 彼女が音の発生源を辿ると窓付近にうずたかく積まれた画材の数々がある。そして、その頂上にあったペンキの缶が下まで落ちてカラカラと音を鳴らしていた。
 赤いペンキが落ちて来てしまったのか、床は安っぽい映画のようにわざとらしく赤く染まっている。
 飛び散ったそれを見て顔を顰めながら彼女は 「汚い……」 と呟き、教室を再び明るくしようと電気のスイッチに触れた。
 しかし、電気はいつまで経っても点かない。時間を置いてから何度もカチカチとスイッチをいじるが効果はないようだった。

「こないだ蛍光灯を変えたばっかりだったのに…… ペンキ片づけにくくなっちゃうな」

 流石に美術室だとは言っても、盛大に零れたペンキをそのままにしておくわけにはいかない。画材に埋まった教室を横断し、特別汚れていてもう少しで廃棄処分になるだろう雑巾を二枚手に取った。いつも軽く絵具を拭いたり水気を拭きとったりしているためか、様々な色に染まった雑巾からは薄く油絵の具の香りが漂っている。

「乾く前に掃除しておかないと……」

 雑巾に含ませるようにペンキを拭いていき、自身の手が赤く染まることも厭わずに暗い中、少女はその手を動かした。

「…… なにこれ」

 幸いペンキが渇く前だったのでかなり大まかにだが汚れは取れていた。どうしてもシミのようなものが残ってしまうのは仕方ないと諦めていたのだが、拭き取られたあとの模様がどう見ても文字に見える。一体どういうことなのだろうか。

「〝かえさない〟? …… 変なの」

 誰もいない場で無表情のまま少女は首を傾げた。
 しかし彼女はその文字を気にすることなく汚れた雑巾を二重にしたビニール袋へ仕舞い、ゴミ箱へと投げ入れる。そして汚れてしまった手を洗面台で洗い流しながら何気なく時計を覗き見た。

「6時で止まってる…… これも電池切れか、先生に言っておかないと」

 暗い顔をした彼女はトートバッグに仕舞っていた一冊のスケッチブックと削ったばかりの鉛筆を取り出し、小脇に抱えた。そしてトートバッグを左肩に掛けて今度こそと教室を出た。
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