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想の章【紅い蝶に恋をした】
てけてけになった少女 壱
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人身事故。それは防げぬ事象。
いくら気をつけていたとして、起きるときは起きてしまう。そんな悲しい出来事。
電車の人身事故で連想する怪異とはなんだろうか。
世の中電車に纏わる怪異は数知れず存在するが、人身事故となると8割くらいの人間は〝 てけてけ 〟を連想するのではないか…… と少女は思う。
赤いマントに似た服を翻し、少女―― 紅子は令一と共に生まれたての〝 てけてけ 〟を追っていた。
その依頼が電子掲示板に張り出されたのは朝方のことだった。
同盟の特殊なネット回線で表示される掲示板には古今東西の怪異による人間の被害が張り出され、視察や調査、最終的に辿り着く討伐の依頼などが書かれているのだ。
基本的には人間を狩りつくす勢いで殺戮をしなければ討伐対象にはならないが、理性を失った怪異は限度を超える危険性があるため監視がつくこととなる。
今回、紅子と令一が追っている生まれたての〝 てけてけ 〟は理性を失った者。
いや、〝 本能に負けつつある者 〟である。
「今回の仕事、お兄さんには少し酷かも」
唐突に紅子が言った。
「いつもひどいのばっかだろ。今更だよ」
「それもそうかもねぇ…… きついのは、アタシのほうかもしれない」
「え、紅子さんが?」
あのねぇ、と呆れた風に紅子が声を漏らす。
「アタシは完璧超人なんかじゃないよ。きついものはきつい…… どうやら、あのてけてけはアタシと同じようだし」
顔だけは涼しげに、なんでもないように彼女は答える。
「同じって?」
「…… 怪異のできるときに、噂の塊が渦巻いて妖力が形成され、器ができる。その器は基本的に噂通りにしか動かない。人を殺す怪異なら人を殺そうとする理性も知性もない概念だけの存在だよね。でも、そこに怪異と似た境遇の魂が引き寄せられれば…… アタシのように、知性も理性も得た怪異の分身となる。分かるかな?」
令一はしばし黙ってから、 「つまり、あのてけてけには人身事故で死んだ人の魂が入っているってことか?」 と答えた。
「正解。だけど、あの子はアタシと同じようで、同じではない」
「えっと…… ?」
令一は次に出現すると思われる駅へ足を向け、紅子と共に歩く。
現場に着くまでに答え合せを終わらせるつもりなのか、紅子は「分からない?」と答えを急かした。勝手に答えを言うつもりがないのは、もしかしたら彼女が〝奪われる〟ことが嫌いなせいなのかもしれない。
答えを探しているときに勝手に答えを言われてしまったら腹が立つのだろう。だから、彼女は自分がされたら嫌なことをしようとしない。
「魂が入ってるはずなのに、理性が飛んでる…… とかか?」
「ご名答、概ね正解だよ。あれはね…… 並大抵の精神力じゃ到底理性を保てるようなものじゃない。元は普通の人だよね。死にたいから死んだ場合だってある。なのに、体を持って存在している。しかも恨みつらみで誰かを殺してしまいたいくらいの衝動に駆られてしまうんだ。普通の人間なら殺人に忌避を感じるだろう?」
淡々と事実を話す紅子の横顔は凪いでいて、令一には感情の機敏を読むことはできない。
「この世から消えてしまいたかったのに、その機会すら奪われて…… やりたくもない殺人衝動に駆られ続けるんだよ。人なんて殺したくない。でも殺したい。殺さなければならない。そんな葛藤が頭の中でグルグルと続くんだよ。怪異としての性と、人間の魂の理性がせめぎ合うんだ…… 気が狂ってしまいそうになるのは仕方ないことだよねぇ」
令一は、まるで体験談のように言うんだなと思ったが、それを口から漏らすことはなく 「そうか」とだけ答える。
きっとそれを訊いてしまえば紅子の地雷を踏むと思ったのだろう。
実際、それを訊かれたら紅子のと令一の距離はもっと離れていたことだろう。深く自身の領域に踏み入られるのを彼女は好まない。
あまり根掘り葉掘り訊いてしまえばまず間違いなく紅子は嫌悪し、二度とそれをした人物の前に現れないだろう。人間の意識が同居しているにも関わらず怪異より怪異らしい…… そういう気難しい少女なのだ。
「あのてけてけは理性が本能に押し負けつつあるんだ。それだけだよ」
実のところ、紅子はこの情報を令一に伝えるかどうかを迷っていた。
彼にこの話をすれば必ず理性を取り戻してやろうと尽力し始めるからだ。
故に話さない選択肢もあったのだが、彼女はそれをせずに素直に語る。
そのほうが令一の心の成長に必要なのではないかと思ったからだ。
彼は他人に甘い。実に甘い。それはもう弱点であり、彼女が嫌っている部分でもある。少しはシビアな状況を体験してみるのが彼がこの世界で生きていくうえで、最も傷つけない方法なのだと判断した。
今回の件については状況自体はシビアであるが対象の理性の度合いによって結果が変わるので、令一にとってもいい経験になるだろう。てけてけが思いのほか理性を獲得しているようなら紅子自身も手を差し伸べるつもりではあるのだ。
…… 最終的にどう思うかは彼の心次第となるが、紅子にはそこまで縛るつもりがない。
元々奪われるのが嫌いなのである。他人に対しても選択肢を取り上げるようなことはしない。
ただ、取捨選択するにも情報は多いだろうと思っただけで。決して彼を想ってのことではない。決して。
そんな風に自身の心に言い聞かせながら紅子はガラス片を自身の人魂から取り出す。臨戦態勢だ。
「そろそろ駅だよ、きっと、すぐに来る」
「ああ」
その日、雪が降っていた。
さくさくと彼らは浅い雪を踏み込みながら現場に訪れる。
てけてけはその名を呼べば来る。雪の日ならば特に。
てけてけの伝説は有名だ。
人身事故で亡くなった女性の下半身もしくは足だけが発見されなかったというもの。
電車によって上下の体を切断された女性は雪の降る日、あまりの寒さに傷口が凍りつきなかなか死ぬことができず、数分間苦しみ悶えながら死んでいったのだという。
断頭台で首を落としても数分生きることがあるというので、恐らくあまりに早い切断が行われると、体の電気信号が途絶えるまでに少し間が空くのだろう。
余計に残酷なその死に様に多くの者が同情することだろう。けれども、
「死人に同情なんて、しちゃいけないんだよ」
キッと前を見据える紅子に、令一が眉を下げて答える。
分かっては、いる。そんな表情。
「道端で死んだ猫でもなんでも、よく言うだろう? 同情なんてしてはいけない。同情すれば心の隙に入り込まれ、取り憑かれてしまうんだよ。だから、死人には決して同情してはいけない」
それはまるで自分のことも含めたように。
令一は彼女に同情と憐憫を寄せていたこともあるので、責められているように感じたかもしれない。実際、彼はそうして誰かに同情し、何度も酷い目に遭っているのだ。
「てけてけ、いるなら出ておいで」
雪に赤が混じる。
赤く染まった粉雪がまるで桜吹雪のように舞う。
それは合図。てけてけが現れる合図なのだった。
「足を、私の足を知りませんか。足を、足を足を足を」
声に濁りはなく、ただ憂鬱そうに発せられる言葉。
声だけ聞けば人間とそう変わらぬが、その姿はまるで違う。
黒髪ショートで、コートを着た女の子だ。普通と違う点を挙げるとするならば、やはり地面に這いつくばったその下半身がついていないことか。
長かったろうコートは腰から先が千切れ、裾が真っ赤に染まっている。
移動するたびに這う腕は傷だらけで、爪は無残に割れ血が滲んでいた。
擦り傷だらけで、千切れた体を引きずる女。コートの下からチラチラと赤黒い色をした細長いものが見え隠れしており、令一はその姿に思わず口元を押さえた。
「少しお兄さんには刺激が強かったかな? ああそっか、お兄さんは体を取り繕った怪異しか見たことないからね、仕方ないか。まあ…… 残念だけど、アタシはこういうの見慣れてるからねぇ……」
紅子は冷静にてけてけを見やる。
てけてけはどうやら少しだけ理性が残っているようで、そこに佇んでいるだけでなかなか手を出してこようとはしない。まだ、頭の中で本能と理性が争っているのかもしれなかった。
「寒い、寒い、寒いの、足が痛い、痛い、痛い、痛いの。聞こえる? 聞こえているなら教えてください。私の足はどこ? お願い、お願い。助けて。なくなってしまったはずなのに、痛いんです。足が痛いんです。助けて、助けて、助けて…… お願いです。私と同じ苦しみを、痛みを、分かってください。お願いです、哀れに思うならあなたの足をください。痛いんです、痛いんです。私は、私は、私は殺したくなんて…… ないんです。でもやらなければいけないんです。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、なんで、どうして、死んでしまいたかったのにどうして私はまだ苦しまなければならないの…… どうか、どうか教えてください、教えて、ねえ…… 教えてよ」
ぶつぶつと呟き続ける女に令一は絶句する。
その様子に紅子は 「社会勉強の一環かねぇ」 と考えを巡らせながらその様子を眺める。手は出さない。まだ女が堕ちきったとは言えないからだ。
更生の余地はあるが…… さて、自分に手を差し伸べてくれたあのさとり妖怪のように上手くできるだろうか、と紅子は悩む。
しかし、手遅れになる前に打てる手は打っておかなければならない。
ここに秘色いろはが派遣されてこなかった理由はこれにあるのだ。
いろはが来れば、必ず浄霊することが可能だ。
しかし彼女にこの仕事が割り当てられなかった。つまり、紅子達はこのてけてけの理性を取り戻させることができるだろうと期待を持たれているのだ。
できなかったとしても批判はされない。しかし、それはそれで気にくわない。
そんな裏の事情を一人だけ把握している紅子はツカツカと女に近づき、しゃがみこむ。
今回ばかりは令一の甘さを羨ましく思うのだ。
彼女は同情なんてできない。まるで昔の自分を見ているようで心底同族嫌悪が浮かぶくらいだ。
近づいたためにありえないほどの力で紅子の足が掴まれる。
令一の慌てた声が響いたが、彼女は気にせず女を見つめた。
「楽になりたいかな? 死にたいかな? それとも、苦しみをなくしたい?」
同じようで、違う言葉を彼女に問いかける。
カウンセリングなんて器用なことは不得意だと自覚している彼女ではあるが、やってみるしかないのだ。挑戦しろと、きっとそういう指示なのだろうと思っているから。
「ねえ、真っ当な人生を歩めていたならやってみたかったことってあるかな? 美味しいもの食べたりとか、遊園地を友達と行ったりとか、そういうの。ああ、自分が誰にも嫌われていなくて、幸せだったならっていう仮定の話だよ。境遇のことなんて考えずに、素直な欲を言ってごらん」
「痛いのは嫌です。寒いのは嫌です。死にたかった。今は、死ぬのが怖い、です。殺したい。でも、殺すのも怖い、です。人を傷つけるのは怖いんです。でもやらなくちゃ、やらなくちゃ私はずっと苦しいままで」
「うん」
てけてけに掴まれた紅子の足から、嫌な音が鳴る。
そこで令一が彼女の肩を掴み引き離そうとするが、それを彼女は手で制すると笑う。
「アタシは死なないから大丈夫。これくらいいつものことだよ。慣れないことしてるから大変だけどねぇ」
「温かいものが飲みたい、食べたい。みんなと一緒にお昼を食べたかった。少しでいいから、お話したかった。馬鹿騒ぎしてみたかった。一緒にカラオケに行ってみたかった。からかわれてもいいから、仲間に入れてほしかった。修学旅行にも行きたかった。卒業写真に映りたかった。やりたかったことなんて、もっともっともっとあります…… でも叶わないんです。足が痛いの。なくなったはずの足が。もう立てない、走れない。だめなんです」
悲観するようにてけてけが言う。
襲いかかるのを踏みとどまっているのは、紅子が理性の部分へ会話をさせているからなのかもしれない。
「だめじゃないよ。キミは怪異、テケテケとなったけれど、アタシ達のところならその足を補強できる。また歩けるし、走れる。アタシだって首を切って死んだんだよ。でも、そうは見えないだろう? 生前の姿に見えるように、この包帯には術がかかってる。こういうのがまだまだたくさんあるよ。キミもまた、普通に生きられるかもしれない。賭けてみる気はあるかな?」
「でも、でも、でも…… 私嫌われる。また、嫌われるわ」
「そんなことはないはずだよ。アタシだって人から嫌われてたんだからね」
「人を殺したいの。同じ姿にしてやりたいの。苦しみを共有したいの。この苦しみはどうすればいいの」
「アタシと同じだよ。代用を見つけようか。そうだなあ…… 夢の中で謎かけをしよう。私の名前は? 私の足はどこにある? 私の足はいつ見つかる? そんな謎かけを。そして不正解したやつの足を取る幻覚を見せるんだ。それでキミを形成する畏れは手に入る」
「本当に?」
慎重な人だな、と多少面倒に思いつつも紅子は頷いた。
「名前はなんていうのか、教えてもらっていいかな?」
「茅嶋麗子」
「おっと、これではテケテケというよりも」
カシマレイコに近い名前か、と紅子は笑いながらその名前を復唱した。
「茅嶋麗子さん。キミはその殺人衝動を振り切りたいね?」
「…… はい」
「なら、契約だ。キミを同盟へ連れて行く。そこでならその足もどうにかなるだろう。それまで、キミを一時的に捕縛させてもらうよ。許可をくれるかな」
「はい、お願い…… します。すぐに、お願いします。もう、限界で……」
「分かったよ」
捕縛用の術がかかったカチューシャを紅子は彼女の頭につけ、眠るように目を閉じたその体を確認してから息を吐く。
「…… はあ、終わった。お兄さん、勉強になったかな?」
「ああ、とても。手伝えなくて悪い…… でも自分の足を犠牲にするのは良くないんじゃないか?」
「どうせ治るんだからいいんだよ」
令一が 「そういうところだよ」 とでも言いたげな顔で彼女を見つめるが、紅子はどこ吹く風で無視をする。
「あー、でもその子を担ぐのはお願いしてもいいかな。申し訳ないんだけどさ。この場で直接アルフォードさんの店まで行くから、そこまで」
「ああ、それくらいなら喜んでやるよ。この人のことも気になるしな」
「はあー、疲れた。慣れないことなんてするもんじゃないねぇ」
ゲートとなる鏡を近場で探し、リンの導きですぐさま異界の店へと足を踏み入れる。
アルフォードにてけてけ…… もとい茅嶋麗子を引き渡せばひとまず依頼達成だ。
いくら気をつけていたとして、起きるときは起きてしまう。そんな悲しい出来事。
電車の人身事故で連想する怪異とはなんだろうか。
世の中電車に纏わる怪異は数知れず存在するが、人身事故となると8割くらいの人間は〝 てけてけ 〟を連想するのではないか…… と少女は思う。
赤いマントに似た服を翻し、少女―― 紅子は令一と共に生まれたての〝 てけてけ 〟を追っていた。
その依頼が電子掲示板に張り出されたのは朝方のことだった。
同盟の特殊なネット回線で表示される掲示板には古今東西の怪異による人間の被害が張り出され、視察や調査、最終的に辿り着く討伐の依頼などが書かれているのだ。
基本的には人間を狩りつくす勢いで殺戮をしなければ討伐対象にはならないが、理性を失った怪異は限度を超える危険性があるため監視がつくこととなる。
今回、紅子と令一が追っている生まれたての〝 てけてけ 〟は理性を失った者。
いや、〝 本能に負けつつある者 〟である。
「今回の仕事、お兄さんには少し酷かも」
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「え、紅子さんが?」
あのねぇ、と呆れた風に紅子が声を漏らす。
「アタシは完璧超人なんかじゃないよ。きついものはきつい…… どうやら、あのてけてけはアタシと同じようだし」
顔だけは涼しげに、なんでもないように彼女は答える。
「同じって?」
「…… 怪異のできるときに、噂の塊が渦巻いて妖力が形成され、器ができる。その器は基本的に噂通りにしか動かない。人を殺す怪異なら人を殺そうとする理性も知性もない概念だけの存在だよね。でも、そこに怪異と似た境遇の魂が引き寄せられれば…… アタシのように、知性も理性も得た怪異の分身となる。分かるかな?」
令一はしばし黙ってから、 「つまり、あのてけてけには人身事故で死んだ人の魂が入っているってことか?」 と答えた。
「正解。だけど、あの子はアタシと同じようで、同じではない」
「えっと…… ?」
令一は次に出現すると思われる駅へ足を向け、紅子と共に歩く。
現場に着くまでに答え合せを終わらせるつもりなのか、紅子は「分からない?」と答えを急かした。勝手に答えを言うつもりがないのは、もしかしたら彼女が〝奪われる〟ことが嫌いなせいなのかもしれない。
答えを探しているときに勝手に答えを言われてしまったら腹が立つのだろう。だから、彼女は自分がされたら嫌なことをしようとしない。
「魂が入ってるはずなのに、理性が飛んでる…… とかか?」
「ご名答、概ね正解だよ。あれはね…… 並大抵の精神力じゃ到底理性を保てるようなものじゃない。元は普通の人だよね。死にたいから死んだ場合だってある。なのに、体を持って存在している。しかも恨みつらみで誰かを殺してしまいたいくらいの衝動に駆られてしまうんだ。普通の人間なら殺人に忌避を感じるだろう?」
淡々と事実を話す紅子の横顔は凪いでいて、令一には感情の機敏を読むことはできない。
「この世から消えてしまいたかったのに、その機会すら奪われて…… やりたくもない殺人衝動に駆られ続けるんだよ。人なんて殺したくない。でも殺したい。殺さなければならない。そんな葛藤が頭の中でグルグルと続くんだよ。怪異としての性と、人間の魂の理性がせめぎ合うんだ…… 気が狂ってしまいそうになるのは仕方ないことだよねぇ」
令一は、まるで体験談のように言うんだなと思ったが、それを口から漏らすことはなく 「そうか」とだけ答える。
きっとそれを訊いてしまえば紅子の地雷を踏むと思ったのだろう。
実際、それを訊かれたら紅子のと令一の距離はもっと離れていたことだろう。深く自身の領域に踏み入られるのを彼女は好まない。
あまり根掘り葉掘り訊いてしまえばまず間違いなく紅子は嫌悪し、二度とそれをした人物の前に現れないだろう。人間の意識が同居しているにも関わらず怪異より怪異らしい…… そういう気難しい少女なのだ。
「あのてけてけは理性が本能に押し負けつつあるんだ。それだけだよ」
実のところ、紅子はこの情報を令一に伝えるかどうかを迷っていた。
彼にこの話をすれば必ず理性を取り戻してやろうと尽力し始めるからだ。
故に話さない選択肢もあったのだが、彼女はそれをせずに素直に語る。
そのほうが令一の心の成長に必要なのではないかと思ったからだ。
彼は他人に甘い。実に甘い。それはもう弱点であり、彼女が嫌っている部分でもある。少しはシビアな状況を体験してみるのが彼がこの世界で生きていくうえで、最も傷つけない方法なのだと判断した。
今回の件については状況自体はシビアであるが対象の理性の度合いによって結果が変わるので、令一にとってもいい経験になるだろう。てけてけが思いのほか理性を獲得しているようなら紅子自身も手を差し伸べるつもりではあるのだ。
…… 最終的にどう思うかは彼の心次第となるが、紅子にはそこまで縛るつもりがない。
元々奪われるのが嫌いなのである。他人に対しても選択肢を取り上げるようなことはしない。
ただ、取捨選択するにも情報は多いだろうと思っただけで。決して彼を想ってのことではない。決して。
そんな風に自身の心に言い聞かせながら紅子はガラス片を自身の人魂から取り出す。臨戦態勢だ。
「そろそろ駅だよ、きっと、すぐに来る」
「ああ」
その日、雪が降っていた。
さくさくと彼らは浅い雪を踏み込みながら現場に訪れる。
てけてけはその名を呼べば来る。雪の日ならば特に。
てけてけの伝説は有名だ。
人身事故で亡くなった女性の下半身もしくは足だけが発見されなかったというもの。
電車によって上下の体を切断された女性は雪の降る日、あまりの寒さに傷口が凍りつきなかなか死ぬことができず、数分間苦しみ悶えながら死んでいったのだという。
断頭台で首を落としても数分生きることがあるというので、恐らくあまりに早い切断が行われると、体の電気信号が途絶えるまでに少し間が空くのだろう。
余計に残酷なその死に様に多くの者が同情することだろう。けれども、
「死人に同情なんて、しちゃいけないんだよ」
キッと前を見据える紅子に、令一が眉を下げて答える。
分かっては、いる。そんな表情。
「道端で死んだ猫でもなんでも、よく言うだろう? 同情なんてしてはいけない。同情すれば心の隙に入り込まれ、取り憑かれてしまうんだよ。だから、死人には決して同情してはいけない」
それはまるで自分のことも含めたように。
令一は彼女に同情と憐憫を寄せていたこともあるので、責められているように感じたかもしれない。実際、彼はそうして誰かに同情し、何度も酷い目に遭っているのだ。
「てけてけ、いるなら出ておいで」
雪に赤が混じる。
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それは合図。てけてけが現れる合図なのだった。
「足を、私の足を知りませんか。足を、足を足を足を」
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移動するたびに這う腕は傷だらけで、爪は無残に割れ血が滲んでいた。
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「少しお兄さんには刺激が強かったかな? ああそっか、お兄さんは体を取り繕った怪異しか見たことないからね、仕方ないか。まあ…… 残念だけど、アタシはこういうの見慣れてるからねぇ……」
紅子は冷静にてけてけを見やる。
てけてけはどうやら少しだけ理性が残っているようで、そこに佇んでいるだけでなかなか手を出してこようとはしない。まだ、頭の中で本能と理性が争っているのかもしれなかった。
「寒い、寒い、寒いの、足が痛い、痛い、痛い、痛いの。聞こえる? 聞こえているなら教えてください。私の足はどこ? お願い、お願い。助けて。なくなってしまったはずなのに、痛いんです。足が痛いんです。助けて、助けて、助けて…… お願いです。私と同じ苦しみを、痛みを、分かってください。お願いです、哀れに思うならあなたの足をください。痛いんです、痛いんです。私は、私は、私は殺したくなんて…… ないんです。でもやらなければいけないんです。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、なんで、どうして、死んでしまいたかったのにどうして私はまだ苦しまなければならないの…… どうか、どうか教えてください、教えて、ねえ…… 教えてよ」
ぶつぶつと呟き続ける女に令一は絶句する。
その様子に紅子は 「社会勉強の一環かねぇ」 と考えを巡らせながらその様子を眺める。手は出さない。まだ女が堕ちきったとは言えないからだ。
更生の余地はあるが…… さて、自分に手を差し伸べてくれたあのさとり妖怪のように上手くできるだろうか、と紅子は悩む。
しかし、手遅れになる前に打てる手は打っておかなければならない。
ここに秘色いろはが派遣されてこなかった理由はこれにあるのだ。
いろはが来れば、必ず浄霊することが可能だ。
しかし彼女にこの仕事が割り当てられなかった。つまり、紅子達はこのてけてけの理性を取り戻させることができるだろうと期待を持たれているのだ。
できなかったとしても批判はされない。しかし、それはそれで気にくわない。
そんな裏の事情を一人だけ把握している紅子はツカツカと女に近づき、しゃがみこむ。
今回ばかりは令一の甘さを羨ましく思うのだ。
彼女は同情なんてできない。まるで昔の自分を見ているようで心底同族嫌悪が浮かぶくらいだ。
近づいたためにありえないほどの力で紅子の足が掴まれる。
令一の慌てた声が響いたが、彼女は気にせず女を見つめた。
「楽になりたいかな? 死にたいかな? それとも、苦しみをなくしたい?」
同じようで、違う言葉を彼女に問いかける。
カウンセリングなんて器用なことは不得意だと自覚している彼女ではあるが、やってみるしかないのだ。挑戦しろと、きっとそういう指示なのだろうと思っているから。
「ねえ、真っ当な人生を歩めていたならやってみたかったことってあるかな? 美味しいもの食べたりとか、遊園地を友達と行ったりとか、そういうの。ああ、自分が誰にも嫌われていなくて、幸せだったならっていう仮定の話だよ。境遇のことなんて考えずに、素直な欲を言ってごらん」
「痛いのは嫌です。寒いのは嫌です。死にたかった。今は、死ぬのが怖い、です。殺したい。でも、殺すのも怖い、です。人を傷つけるのは怖いんです。でもやらなくちゃ、やらなくちゃ私はずっと苦しいままで」
「うん」
てけてけに掴まれた紅子の足から、嫌な音が鳴る。
そこで令一が彼女の肩を掴み引き離そうとするが、それを彼女は手で制すると笑う。
「アタシは死なないから大丈夫。これくらいいつものことだよ。慣れないことしてるから大変だけどねぇ」
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「だめじゃないよ。キミは怪異、テケテケとなったけれど、アタシ達のところならその足を補強できる。また歩けるし、走れる。アタシだって首を切って死んだんだよ。でも、そうは見えないだろう? 生前の姿に見えるように、この包帯には術がかかってる。こういうのがまだまだたくさんあるよ。キミもまた、普通に生きられるかもしれない。賭けてみる気はあるかな?」
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「アタシと同じだよ。代用を見つけようか。そうだなあ…… 夢の中で謎かけをしよう。私の名前は? 私の足はどこにある? 私の足はいつ見つかる? そんな謎かけを。そして不正解したやつの足を取る幻覚を見せるんだ。それでキミを形成する畏れは手に入る」
「本当に?」
慎重な人だな、と多少面倒に思いつつも紅子は頷いた。
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「茅嶋麗子」
「おっと、これではテケテケというよりも」
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「…… はい」
「なら、契約だ。キミを同盟へ連れて行く。そこでならその足もどうにかなるだろう。それまで、キミを一時的に捕縛させてもらうよ。許可をくれるかな」
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