ニャル様のいうとおり

時雨オオカミ

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想の章【紅い蝶に恋をした】

紅い蝶ひとひら 参

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 目を開く。
 ふらりと体が傾げそうになるのを両足で踏ん張る。どうやら、立ったままあの世界に旅立っていたようだな。
 そうして、俺は真っ直ぐとその元凶を見つめた。

「おはよう、れーいちくん。たのしい夢は見れた?」
「起きてすぐにお前を見るなんて、最悪な目覚めだよ」
「うんうん、いつもの通りだね。なによりだよ」

 ムカつくその顔。夢の中で一切出てこなかった奴。俺が理想の世界からいらないと判断した、大嫌いな奴。神内千夜ニャルラトホテプだった。

「おそよう、お兄さん。体にどっか変なところはない? 無事かな?」
「ああ、お陰様で。それより紅子さんのほうこそ大丈夫なのか? 首…… 切ってたけど」
「え? …… あー、ごめんねぇ。アタシの意識のカケラをリンに渡して連れ戻しに行ってもらってたんだけど…… 小さなやつだから、記録は見れないんだよねぇ…… なに、アタシ自殺でもした?」

 そうか、覚えてないのか。そうか……

「うん、まあそうだな」
「へえ…… まあいいや。さて、〝 枕返し 〟の捕獲だけれど、もう済んだよ。案外あっさりね……」
「なあ、結局なんで俺は寝てたんだよ」

 ああ、そういえば無差別テロのように枕返しがやらかしまくるから捕獲しに来たんだったか。そこになぜ神内がいるのかが分からないが。

「覚えてない? お兄さん、バクの風船を割っちゃったんだ」
「バク?」
「うん。本人はいないけれど、邪神が使った。バクは夢の詰まった風船を販売してるらしいから入手経路はそれだろうね。お兄さんが乱入してきた邪神を斬ろうとしたときに、盾にされた風船を割って飲み込まれちゃったんだ」

 あー、つまり、また俺のミスか…… それであんな目に。
 俺達の会話を聞きながら、憎らしい邪神が小首を傾げながら 「でも、心地の良い夢だったろう?」 と聞いてくる。

「…… ああ。こちらを現実と思いたくないほどには、居心地が良かったよ」
「くふふ、良かった」

 心底嬉しそうに奴が笑った。

「良かったって…… なにがだよ」
「なにって、誕生日プレゼントだよ。居心地の良い夢を選ぶのにも苦労したんだよ? 苦労に見合う出来だったみたいでなによりだよ。たまには眷属も労わないとね」

 と、そんなふざけたことを抜かす奴にもう一度斬りかかろうとして紅子さんに制される。

「邪神…… 本気で善意でやったって言いたいのかな」
「それ以外にないだろう? 誕生日くらいいい思いをさせてあげないとね」
「…… あっ、そう。なんというか、性質たちが悪いよねぇ」

 あれで善意? 嘘だろ。悪意しかないだろ。
 なに言ってんだこの邪神。それを本気で言っているあたり、終わってるな。

 紅子さんがあのことを覚えていないのは少し残念だし、とんだ誕生日になってしまったが…… まあいい。いや、よくはないが…… 過ぎたことだ。

「それじゃ、私は先に戻ってるからね。あとで感想を聞かせてよれーいちくん」
「さっき最悪だって言ったばかりだろーが!」

 この数年。邪神野郎はずっと祝ってくれたことなんてなかったのに、どんな心境の変化があったんだよ……

「散々だったねぇ」
「ああ、そうだな」

 ジタバタと暴れる無差別テロ枕返しを俵抱きにして一息つく。
 あとはこいつを引き渡すだけだ。それだけで終わりだ。

「ああ、そうだ。誕生日おめでとう、お兄さん」
「うん。ありがとう紅子さん」

 せめて来年は普通の誕生日になってほしいところだ。
 そんなことを思いながら、隣の彼女を覗き見る。
 同じくこちらを見ていた彼女は不敵に笑って、「どうしたの? アタシに見惚れちゃった?」なんていつものように軽口を叩く。
 俺はそれに同じく軽口を返そうとして……立ち止まる。

 なにも出てこなかった。
 彼女に見惚れていた? 俺が。そうだ、見惚れていたのは本当だ。なにも言い返せない。

「お兄さん?」

 なにも言い返さない俺に対して、紅子さんがどことなく不安気に声をかけてくる。
 そんな姿に、不安な顔はしないでほしいだとか、心配かけたくないだとか、どうしようもなく胸の奥がギュッとするような、熱くなるような感覚に陥って混乱する。

 あれ、俺。

「ねえ、お兄さんったら」
「ごめん、なんでもない。紅子さんに見惚れてたのは図星だったから」
「……そ、そう。そっか。そう言われて嬉しくないなんて言うほど、アタシは意地悪じゃないよ」
「知ってるよ」

 そっぽを向いて照れる彼女がどうしようもなく可愛らしくて、愛しくて、そうして俺は気づいてしまったんだ。

 ああ、俺。きっと紅子さんのことが好きだったんだなって。

 今更気がついた。
 今更知ってしまった。
 今更自覚してしまった。

 こうなってしまえば、もう自覚する前には戻れない。

「紅子さん、どっかご飯食べに行かないか?」
「アタシはお兄さんの手作りがいいなぁ」
「っ……分かった」

 甘えるように言う彼女に、いつもなら少しの動揺で済んだはずの心が動く。
 店に食べに行くよりも、俺の手料理がいいだなんて……そんな殺し文句卑怯だ。

「さ、行こ」
「ああ」

 すぐ隣、肩が触れ合ってしまうほど近くで並んで歩く。
 今日は人生で最高の誕生日になった。

 やっぱり来年は、普通の誕生日なんかじゃなく、もっともっと人生で最高の誕生日の記録を更新していきたいなと……そんなことを思ったのだった。
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