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漆の怪【ひとはしらのかみさま】
薔薇色の鱗
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「それ、どういう意味だ紅子さん」
俺が尋ねると、彼女は自身の首に手をかけてほんの少しだけ包帯を緩める。
すると彼女の姿がブレるように薄くなり、普段見えて、聞こえて、触れられるような存在感が希薄に、そして儚げに変化した。
「包帯の端……これ。同盟のロゴマークだよ。アルフォードさんが作った道具だから、この包帯にもロゴマークが入っているんだ」
そこには、確かに木箱に刻まれた鮮やかな模様と同じ模様が浮かんでいる。
それは、赤い〝つ〟の形に近い囲みの中に五つの色とりどりな三角形が風車のように円形になるよう並べられたものだ。
俺がそれを確認すると紅子さんは手早く緩めた包帯を巻き直して、ツンと前を向く。
初めて包帯を緩めるのを見たな。昨夜の露天風呂のときだって外していなかったのに。
特別な呪具になっているとは聞いていたが、まさかロゴマークつきだとは。
「ええと、家紋? みたいなものだよな」
軽くスマホで調べたところによると、この五つの三角形は〝五つ鱗車〟という種類の家紋のようだが……
「同盟が関わってるのか……」
「ほら、やっぱり分かっていてアルフォードさんはアタシ達を寄越してるんだよ。まったく、事前に教えてくれればいいのにさ」
この村に来る前、紅子さんが言ったようにアルフォードさんも神様であるということだな。普通教えてくれるだろ。これじゃあ愉快犯の神内とそう変わらないぞ。
「それで? あんた達にはこれを開けることができるの?」
華野ちゃんは会話の流れで察したんだろう。もちろん、俺達のほうがまだ可能性はあるだろうな。ここまで来たのはアルフォードさんからの勧めだし。
「きゅう」
眠っていたリンが顔を出す。
「おー、そうだ。リン、なにか知らないかー?」
「もうなにも突っ込まないわよ」
華野ちゃんはリンを見て驚いたあとにそっぽを向いた。
ああ、うん。情報量が多いよな。ごめん。内心で謝ってリンの頭を撫でると、リンはふわりと浮かび上がり、木箱の表面につけられた鏡を指差した。
「ここか?」
「んきゅい」
リンに従って手を鏡に触れる。
すると、まるで水面に手を入れたときのように波紋が広がっていき俺の手が沈み込む。
「えっ」
さすがにこれは予想していなかった。
「多分、同盟所属者を認識する結界だね。ほら、いつもあちらに行くときと同じように認証システムになっているんだよ」
「紅子さんは驚かないんだな」
「同盟はなんでもありだから、驚いていたらキリがないかな」
「わたし、巫女になってからも詩子しか見たことなかったのに……!」
頭を抱える華野ちゃんには申し訳ないが、これで手がかりが手に入る。
俺はゆっくりと手を鏡から抜く。
そこにあったのは、鱗だった。
リンと同じアルフォードさんの……赤い、薔薇色の鱗だ。
「ウロコ?」
疑問を呟く紅子さんの声が聞こえる。
だが、俺は昼間と同じく引っ張られるような感覚に視線が鱗に引きずられていく。
「また……」
「お兄さん?」
「視線が引っ張られる。ちょっと、ごめん」
それだけを伝えるのが精一杯で、視界が暗くなっていく。
物の記憶を視る力――月夜視がまた、勝手に発動したのだ。
◆
「このままじゃあ、キミいつか死んじゃうんじゃないかな」
俺の口から漏れる声。
いや、この声は俺ではない。その声は聞き覚えがある、明るい声だ。
視界の端で赤い髪が揺れている のが見えて、やっと俺はアルフォードさんの視点になっているのだと気がついた。
「いきなり不躾な予言をいう君は誰だい?」
アルフォードさんはどうやら高いところにいるらしい。見おろすと、そこには黒髪で紫色の着物を着た少女が立っていた。
昼間とは違い、情報量と感情の雪崩に押し潰されるような感覚はなかった。
記憶を見ている。ただそれくらいで。
アルフォードさんは少女を見下ろしながら笑うように視界が動く。
「キミも大概だろうに」
「私はいいのだよ。みんなから感謝されるからね。じゃないとこんなに目立つことしないさ」
「へえ、尊大な子なのかなと思っていたら、違ったんだね。意外だなあ。現人神ってチヤホヤされていい気になってるとばかり」
「そうやって尊大に私を見下す君は誰なのかな。ふむ、人でないことだけは分かるのだけれど」
現人神ってなんだ? ……まあ、あとで調べることができるから、いいか。
「はじめまして。オレはアルフォード・D・ゴッホ。うーん、キミ達には呼びづらいかな? 〝 アル 〟って呼んでね。キミの予想通り、オレは人じゃない。神様さ」
「そうかいそうかい。どうやら本物の神様がマガイモノの私をからかいに来たわけだ。それも外つ国の? んふふ、それは愉快だね」
紛い物?
少女は得体の知れないはずのアルフォードさんを前にしても、動揺ひとつしない。そんな彼女に、アルフォードさんは言った。
「キミのその予言、それに他人を治癒する力。それは普通の人にはできない芸当だね。オレはね、そんな…… いわゆる〝 まともじゃない 〟人間を保護したりとか、まあそんな活動をしてるわけだ。そういう人間って同族に殺されちゃったりするからさ」
「うさんくさいね。予言をする私が言うことではないけれど。それに、余計なお世話だ」
「まあ、キミは今のところ愛されてるからね」
皮肉気に言うアルフォードさんに、少女は首を振る。
「私はこの村を離れるつもりはないよ」
「いつか、裏切られてしまうかもしれないのに? キミだって分かってるんじゃないかな。村の人たちから、怖がられてるって」
「分かっているよ。それでも、私の居場所はここだけさ。妹もいることだし」
「ふうん…… 人間のキミがそうやって覚悟を決めてるなら、オレは止めるつもりないけど」
「なんだ、話が分かるじゃないか。最初からそうしてくれ」
「一応意思確認だよ。じゃないと職務怠慢になっちゃうからね」
そこまで聞いて、やっと俺はあの少女が詩子ちゃんなのだと気がついた。
妹がいるってことは、多分そのはずだ。
紫色の着物を着ているのは変わらないけれど、幽霊になった彼女は白髪なのに、今俺が見ている彼女は黒髪だから気づけなかった。
「でも、もし気が変わったら……これに呼びかけてみてよ。助けてほしいって言われれば、オレも助けてあげられるからね」
アルフォードさんがなにかを投げる。
少女……詩子ちゃんが受け取ったそれは赤い、薔薇色の鱗だった。
「ふふ、その日はきっと永遠に来ないよ…… ある殿とやら、また合わないことを祈るよ」
「そうだったらいいね。ばいばい、ウタコちゃん」
◆
意識が浮上していく。
そして、俺は鱗を持って棒立ちになった状態に戻っていた。
「お兄さん、なにか見えたかな?」
「……ああ、いろいろと。調べたいことも増えたし、華野ちゃんのおかげで進展しそうだ」
「そ、そう? ならいいわ」
褒められ慣れていないのか、華野ちゃんは少しだけ動揺して、それから踏ん反り返るように胸を張った。張れる胸は……
「お に い さ ん ?」
あー、なんでもない。
俺の考えていることってなんで紅子さんには筒抜けなんだろうな? さとり妖怪でもないのに。
「えーっと、それで……あとはなんだっけ」
「もう、お兄さん……華野ちゃん、神社の前に運転手さんの遺体を置いたのはなぜか、訊いてもいいかな?」
あ、それだ!
訊こうと思っていてすっかり忘れていた。記憶のフラッシュバックもあったから、頭から質問内容が飛んでいた。
「ああ、それ。いつも、そうなのよ……昔から。警察に届け出てもロクに捜査されないし、原因不明の死亡ってことになるからかえって処理が面倒なの。ああしてると、神社の神様が引き取ってくれるから」
「分かっていて、あそこに置いていたのか」
「……昔から、そうだもの」
華野ちゃんが視線を逸らす。
まあ、これ以上追求しても仕方ない……か。カッとなって子供に暴力を振るうような運転手さんではあったが、できるならきっちりと埋葬してあげたかった。それに、あの人にだって家族はいるはずだし……けれど、この感じだと行方不明って処理になりそうだな。
「分かった。理由が知りたかっただけだから……嫌なこと訊いたな」
「いいえ、これが悪いことだっていうのは知っているもの」
「華野ちゃん、ひとつだけ確認してもいいかな」
「なにかしら?」
「キミは、あの神社の神様を見たことがあるのかな?」
「……ある」
唇を噛んで、華野ちゃんが言った。
「もういいでしょ。早く帰んなさい」
「うん、協力ありがとう」
紅子さんもそれ以上は訊かずに引き下がる。
嫌そうな彼女に根掘り葉掘り質問を続けるのもよくないだろう。
「そ、それじゃあそろそろ……夕方にもなるし行くか」
「……一応、なんかあったらまた来なさい。さすがに今回の件は看過できないもの」
未確認の事例だから、彼女も警戒しているのか。
協力的になってくれているから心強い。味方は多い方がいいからな。
「さて、夜を超したらあと2日か」
「そうなるね」
華野ちゃんと別れて資料館内の廊下を二人で歩く。
一階の窓からは、暗くなり始めた村の景色が見えた。
俺が尋ねると、彼女は自身の首に手をかけてほんの少しだけ包帯を緩める。
すると彼女の姿がブレるように薄くなり、普段見えて、聞こえて、触れられるような存在感が希薄に、そして儚げに変化した。
「包帯の端……これ。同盟のロゴマークだよ。アルフォードさんが作った道具だから、この包帯にもロゴマークが入っているんだ」
そこには、確かに木箱に刻まれた鮮やかな模様と同じ模様が浮かんでいる。
それは、赤い〝つ〟の形に近い囲みの中に五つの色とりどりな三角形が風車のように円形になるよう並べられたものだ。
俺がそれを確認すると紅子さんは手早く緩めた包帯を巻き直して、ツンと前を向く。
初めて包帯を緩めるのを見たな。昨夜の露天風呂のときだって外していなかったのに。
特別な呪具になっているとは聞いていたが、まさかロゴマークつきだとは。
「ええと、家紋? みたいなものだよな」
軽くスマホで調べたところによると、この五つの三角形は〝五つ鱗車〟という種類の家紋のようだが……
「同盟が関わってるのか……」
「ほら、やっぱり分かっていてアルフォードさんはアタシ達を寄越してるんだよ。まったく、事前に教えてくれればいいのにさ」
この村に来る前、紅子さんが言ったようにアルフォードさんも神様であるということだな。普通教えてくれるだろ。これじゃあ愉快犯の神内とそう変わらないぞ。
「それで? あんた達にはこれを開けることができるの?」
華野ちゃんは会話の流れで察したんだろう。もちろん、俺達のほうがまだ可能性はあるだろうな。ここまで来たのはアルフォードさんからの勧めだし。
「きゅう」
眠っていたリンが顔を出す。
「おー、そうだ。リン、なにか知らないかー?」
「もうなにも突っ込まないわよ」
華野ちゃんはリンを見て驚いたあとにそっぽを向いた。
ああ、うん。情報量が多いよな。ごめん。内心で謝ってリンの頭を撫でると、リンはふわりと浮かび上がり、木箱の表面につけられた鏡を指差した。
「ここか?」
「んきゅい」
リンに従って手を鏡に触れる。
すると、まるで水面に手を入れたときのように波紋が広がっていき俺の手が沈み込む。
「えっ」
さすがにこれは予想していなかった。
「多分、同盟所属者を認識する結界だね。ほら、いつもあちらに行くときと同じように認証システムになっているんだよ」
「紅子さんは驚かないんだな」
「同盟はなんでもありだから、驚いていたらキリがないかな」
「わたし、巫女になってからも詩子しか見たことなかったのに……!」
頭を抱える華野ちゃんには申し訳ないが、これで手がかりが手に入る。
俺はゆっくりと手を鏡から抜く。
そこにあったのは、鱗だった。
リンと同じアルフォードさんの……赤い、薔薇色の鱗だ。
「ウロコ?」
疑問を呟く紅子さんの声が聞こえる。
だが、俺は昼間と同じく引っ張られるような感覚に視線が鱗に引きずられていく。
「また……」
「お兄さん?」
「視線が引っ張られる。ちょっと、ごめん」
それだけを伝えるのが精一杯で、視界が暗くなっていく。
物の記憶を視る力――月夜視がまた、勝手に発動したのだ。
◆
「このままじゃあ、キミいつか死んじゃうんじゃないかな」
俺の口から漏れる声。
いや、この声は俺ではない。その声は聞き覚えがある、明るい声だ。
視界の端で赤い髪が揺れている のが見えて、やっと俺はアルフォードさんの視点になっているのだと気がついた。
「いきなり不躾な予言をいう君は誰だい?」
アルフォードさんはどうやら高いところにいるらしい。見おろすと、そこには黒髪で紫色の着物を着た少女が立っていた。
昼間とは違い、情報量と感情の雪崩に押し潰されるような感覚はなかった。
記憶を見ている。ただそれくらいで。
アルフォードさんは少女を見下ろしながら笑うように視界が動く。
「キミも大概だろうに」
「私はいいのだよ。みんなから感謝されるからね。じゃないとこんなに目立つことしないさ」
「へえ、尊大な子なのかなと思っていたら、違ったんだね。意外だなあ。現人神ってチヤホヤされていい気になってるとばかり」
「そうやって尊大に私を見下す君は誰なのかな。ふむ、人でないことだけは分かるのだけれど」
現人神ってなんだ? ……まあ、あとで調べることができるから、いいか。
「はじめまして。オレはアルフォード・D・ゴッホ。うーん、キミ達には呼びづらいかな? 〝 アル 〟って呼んでね。キミの予想通り、オレは人じゃない。神様さ」
「そうかいそうかい。どうやら本物の神様がマガイモノの私をからかいに来たわけだ。それも外つ国の? んふふ、それは愉快だね」
紛い物?
少女は得体の知れないはずのアルフォードさんを前にしても、動揺ひとつしない。そんな彼女に、アルフォードさんは言った。
「キミのその予言、それに他人を治癒する力。それは普通の人にはできない芸当だね。オレはね、そんな…… いわゆる〝 まともじゃない 〟人間を保護したりとか、まあそんな活動をしてるわけだ。そういう人間って同族に殺されちゃったりするからさ」
「うさんくさいね。予言をする私が言うことではないけれど。それに、余計なお世話だ」
「まあ、キミは今のところ愛されてるからね」
皮肉気に言うアルフォードさんに、少女は首を振る。
「私はこの村を離れるつもりはないよ」
「いつか、裏切られてしまうかもしれないのに? キミだって分かってるんじゃないかな。村の人たちから、怖がられてるって」
「分かっているよ。それでも、私の居場所はここだけさ。妹もいることだし」
「ふうん…… 人間のキミがそうやって覚悟を決めてるなら、オレは止めるつもりないけど」
「なんだ、話が分かるじゃないか。最初からそうしてくれ」
「一応意思確認だよ。じゃないと職務怠慢になっちゃうからね」
そこまで聞いて、やっと俺はあの少女が詩子ちゃんなのだと気がついた。
妹がいるってことは、多分そのはずだ。
紫色の着物を着ているのは変わらないけれど、幽霊になった彼女は白髪なのに、今俺が見ている彼女は黒髪だから気づけなかった。
「でも、もし気が変わったら……これに呼びかけてみてよ。助けてほしいって言われれば、オレも助けてあげられるからね」
アルフォードさんがなにかを投げる。
少女……詩子ちゃんが受け取ったそれは赤い、薔薇色の鱗だった。
「ふふ、その日はきっと永遠に来ないよ…… ある殿とやら、また合わないことを祈るよ」
「そうだったらいいね。ばいばい、ウタコちゃん」
◆
意識が浮上していく。
そして、俺は鱗を持って棒立ちになった状態に戻っていた。
「お兄さん、なにか見えたかな?」
「……ああ、いろいろと。調べたいことも増えたし、華野ちゃんのおかげで進展しそうだ」
「そ、そう? ならいいわ」
褒められ慣れていないのか、華野ちゃんは少しだけ動揺して、それから踏ん反り返るように胸を張った。張れる胸は……
「お に い さ ん ?」
あー、なんでもない。
俺の考えていることってなんで紅子さんには筒抜けなんだろうな? さとり妖怪でもないのに。
「えーっと、それで……あとはなんだっけ」
「もう、お兄さん……華野ちゃん、神社の前に運転手さんの遺体を置いたのはなぜか、訊いてもいいかな?」
あ、それだ!
訊こうと思っていてすっかり忘れていた。記憶のフラッシュバックもあったから、頭から質問内容が飛んでいた。
「ああ、それ。いつも、そうなのよ……昔から。警察に届け出てもロクに捜査されないし、原因不明の死亡ってことになるからかえって処理が面倒なの。ああしてると、神社の神様が引き取ってくれるから」
「分かっていて、あそこに置いていたのか」
「……昔から、そうだもの」
華野ちゃんが視線を逸らす。
まあ、これ以上追求しても仕方ない……か。カッとなって子供に暴力を振るうような運転手さんではあったが、できるならきっちりと埋葬してあげたかった。それに、あの人にだって家族はいるはずだし……けれど、この感じだと行方不明って処理になりそうだな。
「分かった。理由が知りたかっただけだから……嫌なこと訊いたな」
「いいえ、これが悪いことだっていうのは知っているもの」
「華野ちゃん、ひとつだけ確認してもいいかな」
「なにかしら?」
「キミは、あの神社の神様を見たことがあるのかな?」
「……ある」
唇を噛んで、華野ちゃんが言った。
「もういいでしょ。早く帰んなさい」
「うん、協力ありがとう」
紅子さんもそれ以上は訊かずに引き下がる。
嫌そうな彼女に根掘り葉掘り質問を続けるのもよくないだろう。
「そ、それじゃあそろそろ……夕方にもなるし行くか」
「……一応、なんかあったらまた来なさい。さすがに今回の件は看過できないもの」
未確認の事例だから、彼女も警戒しているのか。
協力的になってくれているから心強い。味方は多い方がいいからな。
「さて、夜を超したらあと2日か」
「そうなるね」
華野ちゃんと別れて資料館内の廊下を二人で歩く。
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