ニャル様のいうとおり

時雨オオカミ

文字の大きさ
131 / 144
漆の怪【ひとはしらのかみさま】

八ツ目の視線

しおりを挟む
 茜色の日が差し込む廊下で、俺達は自室に帰るべく並んで歩いていた。

「紅子さん、おしら様ってやつの声はもう聞こえない?」
「うん、今のところは……たまに、そうたまに視線を感じるくらいかな」
「視線?」

 それは初耳だぞ。

「だから、なにか変なことがあったら言ってくれって」
「あ、えっと……ごめん。アタシもそんなに気にしてなかったから、言ってなかったんだよ」

 バツの悪そうな顔をする紅子さんに、これ以上責めるのもどうかと思ってこっちも同じように「ごめん」と言ってから尋ねる。

「視線を感じるときって、どんなときだ?」
「外にいるとき……かな。特に森の中だね。感じる視線もひとつじゃなくて、複数で、いろんなところから観察されているような……そんな感じ。視線に嫌な感じはしないから、あまり気にしていなかったんだけれど……でも、お兄さんのことを怖い目で見ている気がするから、放ってもおけないし……」
「俺のことを?」
「うん、なんとなくだけれど。あまりあてにしないでよ? アタシ個人の感覚なんだし、そういう感覚はお兄さんのほうが鋭いと思っていたんだけれど……」

 俺は特に異変は感じないな。紅子さんにだけ分かるなにかがあるのか? 

「まあ、あまり気にするものでも……っ」

 彼女の足がピタリと止まり、辺りを見回す。
 もしかして、視線を感じたのか? 
 そう思い至ってすぐに紅子さんの肩を引き、庇うようにしながら俺も周囲を観察する。
 しかし、相変わらず廊下には夕暮れの光が差し込むばかりで異変は見られなかった。
 普段と違っているとしたら、窓が開いているくらいか。

「窓、開けっ放しか……いたっ」

 手を伸ばし、窓を閉める。そのときに、なにかチクリとした痛みが手の甲に走った。

「蜘蛛……?」
「噛まれたの!?」
「え」

 なんだ蜘蛛かなんて思っていた俺は、彼女の剣幕に驚いて口を開く。

「もうっ、お兄さんは今日の出来事すら覚えていられない鳥頭なの?」

 腕に閉じ込められて、庇われた状態のまま彼女は俺の手を取り、蜘蛛に噛まれたらしい手の甲にそっと顔を近づけて……って!? 

「あの、紅子さん?」
「お兄さんは黙ってて!」

 そして、彼女は俺の傷口に口をつける。
 ここまでくれば、さすがの俺も毒があったら困るから吸い出してくれようとしているのは分かる。分かるのだが、状況が状況だけに頭が混乱してくる。
 いつも皮肉気な笑みを浮かべている小さな口。柔らかい感触。なぜか犯罪に手を染めてしまったような感覚になってくる。
 数分か、それとも数秒なのか、長くて短い時間が終わると、彼女は開いた窓から吸い出したのであろう毒を吐き捨てる。口を手で拭い、そして視線を彷徨わせると女子トイレに入ってすぐに出てくる。多分、吐き捨てるだけじゃ不安で口をゆすぎに行ったんだろうな。

 帰って来た紅子さんは僅かに頬を染めたまま、自分の唇を人差し指で触れ、目を伏せる。どうやら自分のやったことに、今更ながら恥ずかしくなってしまったらしい。

 そんないじらしい仕草に、どうしても俺は惹かれる。

 けれど、彼女がそれを隠して首を振るのなら俺は特になにも言わず、見ないフリをするしかないんだ。

 紅子さんは暫くそうして余韻に浸るように目を伏せていたが、口をキュッと結んでへの字にすると、振り切れたのか俺を真っ直ぐと強い瞳で睨んだ。

「……あのね、ここの神様は蜘蛛のカタチをしているって詩子ちゃんも言っていたよね? 覚えていないのかな? ボケちゃったの?」
「いや、さっき思い出した」

 あまりにも衝撃的な体験すぎて知識からすっぽ抜けそうになったが。

「さっきの蜘蛛は?」
「……もういないね。それに視線も感じない。やっぱり視線の主は蜘蛛かもしれない」
「蜘蛛、か」

 紅子さんは蝶々だ。こうして考えると、非常にまずい関係だと思う。相性が単純に悪い。なにせ、食うものと食われるものだ。今の状況と少し似ている。

「でも、なんで俺だったんだろうな。それに、監視してるならいつでも襲いに来れるはずなのに」

 窓を閉めながら振り返れば、彼女は考え込みながら首を傾げていた。

「期日を守っている……とかかな。それとも、なにか別の原因があるのか。いずれにせよ、蜘蛛には注意だね」
「蜘蛛を追っていけば……」
「お兄さんも変なことは考えないように」
「はい」

 すぐにでも決着をつけて安心したいわけだが、まあダメだよな。

「アタシのことを心配して注意するぐらいなんだから、自分も徹底してくれないと困るよ」
「まったくの正論です……」

 ぐうの音も出ない。

「ん、通知が」

 紅子さんの言葉に反応して俺もスマホを取り出す。
 資料室に行っていた二人からの連絡事項だった。
 なんでも、重要な文献を見つけたから俺の部屋に集合だとか……って、俺の部屋? 

「順番に部屋を変えて会議しているんだからいいんじゃないかな?」
「ま、まあそうか」

 ということで、俺達は歩みを再開して部屋へと向かうのだった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

翡翠のうた姫〜【中華×サスペンス】身分違いの恋と陰謀に揺れる宮廷物語〜

雪城 冴 (ゆきしろ さえ)
キャラ文芸
【中華×サスペンス】 「いつか僕のために歌って――」  雪の中、孤独な少女に手を差し伸べた少年。 その記憶を失った翠蓮(スイレン)は、歌だけを頼りに宮廷歌姫のオーディションへ挑む。  だがその才能は、早くも権力と嫉妬の目に留まる。中傷や妨害は次々とエスカレート。  やがて舞台は、後宮の派閥争いや戦場、国境まで越えていく。  そんな中、翠蓮を何度も救うのは第二皇子・蒼瑛(ソウエイ)。普段は冷静で穏やかな彼が、翠蓮のこととなると、度々感情を露わにする。  蒼瑛に対する気持ちは、尊敬? 憧れ? それとも――忘れてしまった " あの約束 " なのか。  すれ違いながら惹かれ合う二人。甘く切ない、中華ファンタジー

宿敵の家の当主を妻に貰いました~妻は可憐で儚くて優しくて賢くて可愛くて最高です~

紗沙
恋愛
剣の名家にして、国の南側を支配する大貴族フォルス家。 そこの三男として生まれたノヴァは一族のみが扱える秘技が全く使えない、出来損ないというレッテルを貼られ、辛い子供時代を過ごした。 大人になったノヴァは小さな領地を与えられるものの、仕事も家族からの期待も、周りからの期待も0に等しい。 しかし、そんなノヴァに舞い込んだ一件の縁談話。相手は国の北側を支配する大貴族。 フォルス家とは長年の確執があり、今は栄華を極めているアークゲート家だった。 しかも縁談の相手は、まさかのアークゲート家当主・シアで・・・。 「あのときからずっと……お慕いしています」 かくして、何も持たないフォルス家の三男坊は性格良し、容姿良し、というか全てが良しの妻を迎え入れることになる。 ノヴァの運命を変える、全てを与えてこようとする妻を。 「人はアークゲート家の当主を恐ろしいとか、血も涙もないとか、冷酷とか散々に言うけど、 シアは可愛いし、優しいし、賢いし、完璧だよ」 あまり深く考えないノヴァと、彼にしか自分の素を見せないシア、二人の結婚生活が始まる。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...