モブでいたはずの私が、ただひとりに溺愛されるまで

ChaCha

文字の大きさ
179 / 209

無防備な愛しい君

風が、やけにやさしい午後だった。

訓練もない。
騒がしい声もない。
学園の中庭は、春の光に満ちていて、すべてが穏やかすぎるほどだった。

だから――
見つけた瞬間、胸が止まった。

いつものベンチ。
そこに、アイナがいた。

背もたれに身体を預け、目を閉じている。
完全に、眠っている。

……無防備にもほどがある。

近づく足音にすら、反応しない。
肩まで伸びたブラウンの髪が、光を受けて柔らかく揺れている。
頬は少し赤く、呼吸は深く、規則正しい。

(……本当に、よく眠れるな)

船上訓練の疲れが、まだ抜けきっていないのだろう。
円を組んで魔力を回し、倒れる寸前まで耐えていた姿が、脳裏をよぎる。

頑張った。
無茶もした。
それでも立って、回して、守った。

その結果が、これだ。

――油断しきった寝顔。

俺は、思わず苦笑した。

(誰が見ていると思っている)

ベンチの周囲を一度、無言で確認する。
人影はない。
問題ない。

そう判断した瞬間、もう身体は動いていた。

そっと、音を立てないように腰を下ろす。
距離は、近い。
近すぎる。

アイナの甘い香りが、ふわりと鼻先をかすめる。
汗をかいた後の、あの反則みたいな匂いではない。
ただ、素の彼女の匂い。

落ち着く。
同時に、理性が削られる。

「……ったく」

小さく呟き、上着を脱いだ。
それを、迷いなく彼女の肩へかける。

その瞬間。

アイナが、無意識に動いた。

上着を引き寄せるように、ぎゅっと掴み、
そのまま、こちらへ倒れ込んでくる。

――柔らかい。

反射的に、抱き留めていた。

腕の中に、すっぽりと収まる体温。
軽い。
細い。
それでいて、確かな重み。

「……」

息が、喉に詰まる。

起きない。
本当に、起きない。

どれだけ俺を信用しているんだ。
いや、信用というより――
もう、身体が覚えているのかもしれない。

俺の腕を。

(……参る)

肩に、彼女の額が触れる。
呼吸が、首元にかかる。
くすぐったい。

抱き寄せるつもりなんてなかった。
ただ、起こさないようにと思っただけだ。

なのに。

腕は、自然と力を込めていた。

(離す気、ないな……俺)

自覚した瞬間、少しだけ可笑しくなる。

独占したい。
囲いたい。
奪うんじゃない。

――守りたい。

眠っている彼女は、世界から切り離されたみたいで。
その世界に入れるのが、自分だけであることが、どうしようもなく嬉しい。

指先で、そっと髪を撫でる。
起きない。
呼吸が、少し深くなるだけ。

「アイナ」

名前を呼ぶ。
反応はない。

それでも、呼びたくなる。

「……俺は、ここにいる」

答えを求めていない言葉。
ただの確認。

胸の奥で、静かに、確信が積み重なる。

奪われる不安も、
霧に包まれた違和感も、
この腕の中では、意味を失う。

ここにいる。
今、ここに。

それでいい。

俺は、ベンチに座ったまま、彼女を抱いた。
春の光の中で、時間が止まったように。

起きるまで。
いや――
起きても、離すかは、分からない。

眠る無防備な君を見て、
俺は今日も、静かに、深く惚れ直していた。





エルンスト視点
感想 28

あなたにおすすめの小説

せっかく転生したのにモブにすらなれない……はずが溺愛ルートなんて信じられません

嘉月
恋愛
隣国の貴族令嬢である主人公は交換留学生としてやってきた学園でイケメン達と恋に落ちていく。 人気の乙女ゲーム「秘密のエルドラド」のメイン攻略キャラは王立学園の生徒会長にして王弟、氷の殿下こと、クライブ・フォン・ガウンデール。 転生したのはそのゲームの世界なのに……私はモブですらないらしい。 せめて学園の生徒1くらいにはなりたかったけど、どうしようもないので地に足つけてしっかり生きていくつもりです。 少しだけ改題しました。ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。

転生したら乙女ゲームの主人公の友達になったんですが、なぜか私がモテてるんですが?

山下小枝子
恋愛
田舎に住むごく普通のアラサー社畜の私は車で帰宅中に、 飛び出してきた猫かたぬきを避けようとしてトラックにぶつかりお陀仏したらしく、 気付くと、最近ハマっていた乙女ゲームの世界の『主人公の友達』に転生していたんだけど、 まぁ、友達でも二次元女子高生になれたし、 推しキャラやイケメンキャラやイケオジも見れるし!楽しく過ごそう!と、 思ってたらなぜか主人公を押し退け、 攻略対象キャラからモテまくる事態に・・・・ ちょ、え、これどうしたらいいの!!!嬉しいけど!!!

【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~

降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。

治療係ですが、公爵令息様がものすごく懐いて困る~私、男装しているだけで、女性です!~

百門一新
恋愛
男装姿で旅をしていたエリザは、長期滞在してしまった異国の王都で【赤い魔法使い(男)】と呼ばれることに。職業は完全に誤解なのだが、そのせいで女性恐怖症の公爵令息の治療係に……!?「待って。私、女なんですけども」しかも公爵令息の騎士様、なぜかものすごい懐いてきて…!? 男装の魔法使い(職業誤解)×女性が大の苦手のはずなのに、ロックオンして攻めに転じたらぐいぐいいく騎士様!? ※小説家になろう様、ベリーズカフェ様、カクヨム様にも掲載しています。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

モブなのに、転生した乙女ゲームの攻略対象に追いかけられてしまったので全力で拒否します

みゅー
恋愛
乙女ゲームに、転生してしまった瑛子は自分の前世を思い出し、前世で培った処世術をフル活用しながら過ごしているうちに何故か、全く興味のない攻略対象に好かれてしまい、全力で逃げようとするが…… 余談ですが、小説家になろうの方で題名が既に国語力無さすぎて読むきにもなれない、教師相手だと淫行と言う意見あり。 皆さんも、作者の国語力のなさや教師と生徒カップル無理な人はプラウザバック宜しくです。 作者に国語力ないのは周知の事実ですので、指摘なくても大丈夫です✨ あと『追われてしまった』と言う言葉がおかしいとの指摘も既にいただいております。 やらかしちゃったと言うニュアンスで使用していますので、ご了承下さいませ。 この説明書いていて、海外の商品は訴えられるから、説明書が長くなるって話を思いだしました。

【長編版】孤独な少女が異世界転生した結果

下菊みこと
恋愛
身体は大人、頭脳は子供になっちゃった元悪役令嬢のお話の長編版です。 一話は短編そのまんまです。二話目から新しいお話が始まります。 純粋無垢な主人公テレーズが、年上の旦那様ボーモンと無自覚にイチャイチャしたり様々な問題を解決して活躍したりするお話です。 小説家になろう様でも投稿しています。