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1巻
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殿下にエスコートされながら会場に入場する。
多くの拍手を送る親族達や聖歌隊に見守られながら私達は司教の前までゆっくりと歩みを進めた。険しいながらも私を見てフッと笑みを浮かべるお父様。
お母様も笑顔でこちらを見ているわ。目は笑っていないけれど。
私を含め、家族は複雑な思いを抱えている。隣に微笑むようにそっと視線を向けると彼は嬉しそう。この日ばかりは私を想ってくれているのかもしれない。
私達は司教の前で立ち止まると司教は私を見て微笑みながら頷いた。
「サルタン・ラジアント、いついかなる時も国を想い、民を想い、妻を想い行動すると誓いますか?」
「? ……誓います」
「エリアナ・サラテ、いついかなる時も国を想い、民を想い、夫を想い行動すると誓いますか?」
「誓います」
二人でそう誓い、殿下がヴェールを上げ私にキスをしようとした時、神父は会場にいる皆の前で夫婦となったことを宣言した。
一般的な婚姻の誓いとは異なることに違和感は感じたのね。一瞬だけれど殿下の戸惑う仕草に私はふっと笑みを浮かべた。
会場中が祝福に包まれる。
私達は笑顔で参列者に手を振った。
もちろん殿下も手を振る。聖歌隊の清らかな歌声を背景に私をエスコートし、会場を後にする。
さぁ、宣言はなされた。
……いつまでも嘆いていられないわ。
私はサルタン殿下と微笑みながら王都のパレードのため特別に用意された馬車へと乗り込んだ。『出発!』宰相の声と共に白馬に跨った騎士達の先導でゆっくりと馬車は動き出す。
「サルタン殿下、万歳!」
「エリアナ妃、万歳!」
沿道は人で溢れかえり、皆私達の姿を見つけると歓声を上げた。
私達も笑顔で手を振り応える。
「民はこんなにも私達を祝福をしてくれているのか」
「そうですわね。私達も、これからはより一層民の声に耳を傾けていかねばなりませんわ」
地響きにも似た私達を祝う声に胸が詰まる。
国民は集まり、私達を祝福してくれていると思うとそれだけで感動してしまう。
これからもっと国をよくしていかなければ。
「あぁ、そうだな」
そうして馬車はゆっくりと決められた道を進む。
ふとサルタン殿下が一つの方向を見つめた。
何があるのかしらと私も視線をその方向に向ける。そこにいたのは白のドレスを着た一人の女だ。今日という日は花嫁である私と同じ白色のドレスを着るのはタブーとされている。それにもかかわらずまっ白な衣裳を着ている。
「あれは誰かしら?」
「彼女がアリンナだ。可愛いだろう?」
私がそう呟くと、サルタン殿下は上機嫌で答え、彼女に向かって手を振っている。
私の顔が引きつったのは仕方がない。彼女は常識を持ち合わせていないのかしら。
アリンナ嬢は私を睨みつけているようにも見える。
「サルタン殿下、鼻の下が伸びておりますわ」
「あ、あぁ。すまない。彼女のドレスは私が選んだんだ。君のドレスも素晴らしいが、彼女のドレスも可愛いだろう?」
……私は一瞬笑顔の仮面をスルリと落とすところだった。
殿下は何を言っているの?
今日は私とサルタン殿下の結婚式。
それなのにサルタン殿下にとって主役は私ではない、の、ね。
彼の問いに答えようとするけれど、私にはその問いに答えられなかった。
「……」
馬車はアリンナ嬢の前を通り過ぎ、無事にパレードを終えることができた。
サルタン殿下は上機嫌で私をエスコートし、披露宴会場へと向かった。
披露宴の会場は、晩餐会が行われる専用のホールだ。部屋の壁はもちろん、細部に至るまで細やかな装飾がなされており、国力が反映されていると言っても過言ではないほどの素晴らしさだ。会場では爵位を持つ貴族達が既に着席をしている。
流石にこの場にはアリンナ嬢の姿はなくホッと息を吐いた。
「サルタン殿下、エリアナ妃殿下、ご成婚おめでとうございます」
貴族達のテーブルの間を通り、自分達の席までゆっくり進んでいく度に祝福の言葉が掛けられた。おかげで先ほどの傷ついた気持ちも徐々に回復し、笑顔でいられた。
サルタン殿下のエスコートで中央に用意されている特別席に座った。華やかな音楽が流れ、会場中が私達を祝ってくれているようでとても嬉しく思えたわ。
進行役を務める宰相から話があり、陛下のお言葉を賜わった後、サルタン殿下がお礼の言葉を述べると会場中から歓声が上がる。
私達に一番近い席に座る父達は私を見て微笑んでいるわ。
和やかに披露宴が進んでいたけれど、サルタン殿下は忙しなく辺りを見回している。
どうしたのかしら? 彼の様子を不思議に思い、微笑みながら彼の耳元でそっと話をする。
「サルタン殿下、どうかしました?」
「あ、いや。この会場にアリンナが来ると言っていたから……」
「殿下、この場には爵位を持つ者とその夫人しか呼んでいません。アリンナ嬢は爵位を持っていないのです。会場には入れませんわ」
「そ、そうなんだが……」
言い淀む殿下に苛立ちを覚える。
まさか、ね。
こういう時の私の嫌な予感はよく当たるの。
やはりサルタン殿下は彼女が会場に入れるようにしていたみたい。
けれど、陛下が各人に出した招待状ではなかったために会場の入り口で騎士達に止められたようだ。会場の入り口付近にいる貴族達からざわめきが聞こえてくる。
「……殿下。これはどういうことでしょうか?」
「あぁ、アリンナが来たい、私達の結婚を祝いたいと言っていたんだ」
陛下や王妃も入り口付近の異変に気づいた様子。
すぐに宰相が楽団の指揮者に指示をすると、軽快な音楽が流れてきた。
陛下達は微笑みながら近くの従者に指示をしていたわ。
従者はもちろん入り口の護衛騎士に命令し、アリンナ嬢をどこかへと連れていったようだ。
幸いなことに騒ぎは音楽でかき消され、気づいた人達はごく一部にとどまったようだ。
「サルタン殿下、私達の披露宴を台なしになさるつもりですか?」
「いや、そんなことは」
笑顔の仮面を付けたままだが、言い淀むサルタン殿下。
もちろん私も笑顔で仲睦まじい素振りを見せている。
私達の様子を見て仲のよさそうな二人だと映っているに違いない。
シャンパングラスに口を付けながら話を続ける私。
「先ほどの出来事、気づかなかったとは言わせませんわ。陛下や王妃様からこの後、お話があるでしょうね。今日は私達の結婚式、とても大事な式だと思っていましたのに」
「……すまない」
私達はこれ以上このことについて話しはしなかった。
覚悟していたとはいえ、やはり嫌な気分になる。彼の態度にもだ。
無事に披露宴が終わり、貴族達に挨拶をして会場を後にする。
私達は用意された花嫁用の控え室で慌ただしく着替えをしていた。
「お嬢様、早くお部屋に。殿下の侍女に捕まってしまいます」
そう声を掛けながらワンピースを着せてくれる私の侍女。化粧を落とす前に早々に控え室から出ると、私の護衛が部屋の外で待機していた。公爵家から連れてきた侍女のサナとマリーと護衛騎士のラナンとカイン。彼らは今日から私と共に王宮に入ることが決まっているの。
「ええ、急ぐわ」
私はヒールの低い靴に履き替え、扉を開ける。
「着替えは終わられましたか? ではエリアナ様、部屋へと急ぎましょう」
専属の護衛騎士であるラナンが私の前に立ち、侍女の後ろにはカインが立つ。サナとマリーは先ほどまで着ていたドレスや小物を抱えて私の後ろを付いてくる。殿下の息の掛かった侍女や従者と会うのは避けたい。ラナンの後ろで身を隠すように早足で歩いて部屋に戻った。
……よかった。彼らに会わずに済んだわ。
「カインとラナン、わかっているとは思うけれど部屋には誰も入れないでちょうだいね」
「もちろんですよ。お嬢様」
全ての結婚式の行事を終えた私達は急いで一番端の部屋に入り鍵を掛ける。
今ここにいるのは侍女のサナとマリーの二人だけ。
こだわり抜いて用意した家具が心を落ちつかせてくれる。一番奥の部屋は白い壁に深い緑を基調としたカーペットが敷かれた質素な作りになっている。クローゼットと窓に向いた机と椅子。お茶を飲むために置かれたカウチソファと丸テーブル。飾り気はないがふかふかの柔らかいシングルベッドを置いた。
「お嬢様、間に合ってよかったよ。殿下の命令で王宮侍女達はお嬢様を殿下の寝室へ連れていく予定だったみたい。あんな子供みたいな趣味の悪い部屋にお嬢様をお連れするなんてありえな~い」
サナ達の話では殿下と側妃の部屋は扉で繋がっていて側妃の部屋はレースをふんだんにあしらって、猫足の家具や天蓋ベッドなど可愛い部屋だとか。殿下の部屋は側妃が喜ぶようにピンク色のクッションやリボンレースなどがあしらわれた寝具で統一されているらしい。
「お嬢様、これから三日間は公務がないそうです」
「……そう、では三日間部屋に籠ればいいのね。その間、カイン達には無理をさせるわね」
化粧をサナに落としてもらいながらマリーにお茶を淹れてもらう。
披露宴中の食事にはあまり手を付けていなかったのでとてもお腹が減っていたの。マリーが用意したサンドイッチとお茶でホッと緊張の糸が解れ、足を投げ出す。
「そのくらい平気ですよ、彼らは。あと、妾の女は五か月後に王宮住まいになるって。その時に家族だけでひっそり結婚式をするらしいけどね~」
「サナ、王宮では言葉遣いに気をつけなさい」
「は~い」
サナはマリーに注意されながらも私が食べ終わるのを待つ間、テキパキと寝る準備に取り掛かっている。
「それにしても聞いたよ。妾はパレードで白いドレスを着てたんでしょう? どうかしてるよね」
「彼女が目に入った瞬間、まさかと思ったわ。あれは何なのかしら? タブーだと知らなかったのかしら……」
私は常識を知らないアリンナ様が気の毒に思えた。
けれど、私とは反対に侍女達は怒っている様子。
「わかった上でやっているのですよ。自己顕示欲が異常に強いのだと思います。でなければあえて白のドレスを選ぶとは思えませんし、殿下付きの侍女の反対の上でしょうから」
「……そうなのね」
「あれでしょう? それに披露宴会場にも乗り込んできたって。なかなかやるね、妾の分際で」
アリンナ嬢の行動があまりにも常識を逸脱していたのでマリーやサナ達との話が尽きることはなかったけれど、夜も遅いので湯浴みをした後、ベッドに入った。
「今日は流石に疲れたわ。マリー達もありがとう。ではおやすみなさい」
「「お嬢様、おやすみなさいませ」」
私は今日の出来事や初夜ということもあり王子の侍女が呼びに来るのではないかと、不安で仕方がなかったけれど、疲れもあってすぐに眠ってしまったようだ。
気づけば朝になっていた。
「お嬢様、おはようございます。ご気分はいかがですか?」
ゴソゴソと動く気配を察知したのか、部屋の外にいた護衛のカインが扉を開けて心配そうに聞いてくれる。
「カイン、ありがとう。おかげで寝過ごしてしまったわ。昨日は誰も来なかったのかしら?」
「ええ。殿下は夜分遅くにここへ来ましたが、サナ達に『エリアナ様は既に就寝中です。自分の部屋へお戻りください』と言われて追い返されていましたよ」
カインは面白そうに笑いながら昨日の出来事を話してくれた。
「ふふっ、後でサナ達にお礼を言わないとね」
カインと話をしているとサナ達がすぐにやってきて朝の準備に取り掛かってくれた。
今日から三日間全て部屋で過ごす予定。王族に限らず貴族も結婚した日から一週間ほど休暇を取るのが一般的だ。その間、蜜月を過ごすか旅行に行くかは人によるが。
私の場合は蜜月を過ごすわけではないので三日間の休暇となっている。もちろんこれは陛下にも許可をいただいているわ。知らないのは彼のみ。
きっとこの休みの間、アリンナの元へ出向いているのでしょうね。
それにしても今までこんなにもゆっくりする時間はなかった。
朝から晩まで勉強と王妃教育、空いた日は王妃様とのお茶会、舞踏会等で毎日忙しく過ごしていた。王妃教育を終えた後は簡単な執務をこなしていた。
この休みは今まで頑張ってきた私へのご褒美だわ、きっと。
……それにこれからよ、ね。
私はベッドで本を読んだり、一人でゆっくりと食事をしたりしながらいまだかつてないほどゆっくりして三日間を過ごした。
「あぁ、私の至福の時間は遠い国へ行ってしまったわ。三年後にまた会いましょう」
「お嬢様、大丈夫です。三年後には公爵家でのんびりしている姿しか見えません。さぁ、今日から公務が始まります」
このまま私とサルタン殿下の白い結婚が続けば三年で解放される、ことはないけれど決定打の一つとなるのは間違いない。
私は侍女と護衛を連れて執務室へ足を運んだ。
ここから気を抜けないわ。
婚約者として婚姻前から執務を行っていた私はこの三日間で溜まった書類の山をひたすら処理していく。正式な王太子妃となった分、重要書類も増え、学生だった頃よりもはるかに忙しくなる。文官との打ち合わせや大臣達との折衝等も分刻みでこなしていく。
覚悟していたとはいえ、執務室に入ってすぐに教えられたひと月のスケジュール。
朝から晩まで書類や打ち合わせなど考えただけでも目が回りそうだわ。
その時、執務室の扉がノック音と共にガチャリと開いた。
私は手元の書類から目線を上げると、そこには護衛に引き止められながらどこか憤然とした態度で入ってくるサルタン殿下の姿があった。
「エリアナ、なぜ私の部屋に来ないのかな?」
少し怒っているような顔をした彼はさも当然と言わんばかりに私に言ってきた。
既に側妃が決まっている中でどうして私が殿下の部屋に行くのが当たり前だと思うのかしら。
まだ私が殿下を愛していると思っている? 確かに長年支え合ってきたもの、情は残っているわ。けれど、浮気した人と枕を共にしたいとは思えないの。
彼はそんな私の気持ちになどこれっぽっちも気づいていないみたい。
「逆にお聞きしますが、なぜ私が行かなければなりませんの?」
「正妃の子供は必要だからさ」
「本気で仰っているのですか?」
その言葉に眉を顰めてしまったのは仕方がない。
流石の私も思うところはあるけれど、文官達もいることだし、丁寧に対応する。
「殿下は式のひと月前に仰いましたよね? アリンナ嬢を側妃に迎えると。そして彼女は五か月後には王宮住まいになると聞いております。本来なら正妃が三年以上身籠らない時、世継ぎを産むために側妃を充てがうのです。それをサルタン殿下は婚姻前から側妃を望んだ。私は婚姻する前から子供を産めないお飾り妃と決められ、周りもそうなのだろうと噂をしております。そんな妃とお子を望むのはおかしな話ですわ。閨を共にする必要もございません」
私の言葉に、サルタン殿下はようやく気づいたのか顔を青くしている。
「すまない。そんなつもりでは……」
何を今更。本当に気づいてなかったなら相当だわ。彼女ばかりを優先し、私の事情などこれっぽっちも考えていなかったのね。
ふぅと息を吐きそうになるのをグッと我慢する。
「……ですから、私などに構わず愛するアリンナ嬢と仲よく過ごされれば良いのです。五か月後には側妃となり、すぐにお子も生まれましょう。彼女と三人ほど王子を儲ければよろしいのでは? アリンナ嬢のお家は多産の家系でいらっしゃるからすぐでしょう」
「……すまない」
サルタン殿下は私が口にしてようやく気づき、私の置かれる環境を理解したのだろう。
一緒に仕事をしている文官達の視線が気になったようだ。搾りだすようにそう言い残し、執務に戻っていった。
その日以降こまめにサルタン殿下は私宛に花や小さな菓子を贈ってくるようになった。
彼なりに考えたのか、詫びの一つとでも思っているのかしら。
婚約者の時には何一つ贈ってもこなかったのに。
……ひどい人。
私情を挟んで毎日運ばれる書類を滞らせるわけにはいかない。
文官より早く仕事を始め、夜も一人で遅くまで仕事をしている。休みもなく毎日を公務に明け暮れ、文官達に心配されるほどだ。
私は気持ちを抑え込むように仕事に打ち込んだ。暇になると考えてしまうの。
口さがない侍女が教えてくれる、『今日はサルタン殿下とアリンナ様が仲睦まじく中庭でお茶をしておりました』と。マリー達が極力私の耳に入れないようにしてくれているけれど、全てを防ぐのは難しい。私は笑顔で気にしないよう努めている。
私だって、幸せになりたかった。
私だって愛されたかった。
覚悟をしていたとはいえ、『だって、だって』と幼子のような我儘な心に蓋をしないと心が壊れてしまいそうになる。
「エリアナ、最近は執務ばかりで休憩を取っていないと聞いた。一緒に翔鸞の庭でお茶をしないか? 先日視察した領地から珍しい菓子が届いたんだ」
贈り物をするようになったサルタン殿下はこうして誘いにも来るようになった。
陛下達から正妃の機嫌を取っておけとでも言われたのではないか、そう勘ぐってしまう自分が少し悲しい。
翔鸞の庭というのは王妃様が大切にしている庭で、王妃自らが許可した者しか入ることのできない庭。私も過去に何度か足を踏み入れたけれど、物語に出てきそうなほどの素晴らしい庭なの。聞いた話では昔、物書きが翔鸞の庭を一目見て感動したらしい。そこから名作が生まれたのだとか。それほど素晴らしい庭で誰もが一度は訪れてみたいと願うほどのものなの。
「ちょうど区切りもついたので構わないですわ」
「あぁ、よかった。では行こう」
サルタン殿下のエスコートで翔鸞の庭まで歩く。
もちろんサナもカインも後ろに控えているので心配することはないわ。
「最近、カウマン領の収穫が落ちたと報告があったんだ」
「それは気になりますね。文官に確認した後、技術者を送るように手配しますわ」
庭に出る間の話はいつものように執務の内容。
お互い執務で忙しいし、食事も別々に摂っているため共通の話題がないのもその一因だろう。
そうして騎士の守る翔鸞の庭に断りを入れ、中へと入っていく。
やはりこの庭は素晴らしい。
一歩踏み入れるとやはりそこは妖精の森のような不思議で優しい雰囲気に包まれる。風に乗って薫る花。足元の花から背の高い木まで無造作に植えられたように見えながらその実、計算し尽くされているのだ。王妃様の庭を大切にしている気持ちが伝わってくる。そしてこの時季に見頃となる花々の香りも心を穏やかにさせてくれる。
「やはりこの庭は特別な庭ですね。いつまでもこの庭にいたいと思えるほどですわ」
「あぁ、そうだね。後で母上にお礼を伝えておこう」
そうして私達はガゼボにある小さな椅子とテーブルに腰掛ける。
朝から晩まで執務室で書類をにらめっこしている私には本当に気分転換になっているわ。
殿下の従者は気を遣い、いつもとは違うお茶を淹れたようだ。
「このお茶は南部のお茶でしょうか?」
「左様でございます。用意した菓子は砂糖菓子だったので甘さを入れず、庭園の花の香りを楽しめるようなお茶にいたしました」
「相変わらずお茶を淹れるのが上手ね」
「お褒めいただきありがとうございます」
従者とのやり取りになぜかサルタン殿下の機嫌はよくない様子。
「サルタン殿下、ここに連れてきていただいてありがとうございます」
私の言葉で途端に気をよくし菓子の話になった。
「そのまま食べてもいいんだけど、この砂糖菓子はお茶の中に入れるんだ。見ていて」
そうして小さな砂糖菓子をカップの中に入れると砂糖が溶けて花びらが浮かび上がってきた。花びらがフワリを浮かぶ様子がとても美しくて見とれてしまう。
「美しい菓子ですね。驚きました」
「そうだろう? エリアナなら喜んでくれるだろうと思って持ってきたんだ。アリンナは貴族の道楽だと馬鹿にしたんだけどね」
「……そうなのですね」
一瞬言葉が詰まってしまったわ。こういう場合はどう返せば良いのかしら。
どうやらそう思ったのは私だけではなかったみたい。従者の顔が引きつっているもの。
周りの様子に気づかないサルタン殿下は上機嫌に話を続ける。
「先日、アリンナをこの庭に招待した時はとても喜んでくれたんだ。そしてそこにあった白い花を摘んで持って帰ると花をちぎった時には焦ったよ。でも我儘を言うアリンナは可愛くてさ……」
アリンナ様の行動に頭が痛くなった。
人が大切にしている庭の花をちぎるなんて驚きでしかない。
それを許してしまう彼にも呆れてしまう。
そして何より、妻の前で妾の話を愛おしそうにする夫。何を考えているのかしら?
私は地味に嫌がらせをされているの?
いえ、きっと彼は何も考えていないからこそできることなのよね。
そうしている間に別の従者が庭へとやってきた。
多くの拍手を送る親族達や聖歌隊に見守られながら私達は司教の前までゆっくりと歩みを進めた。険しいながらも私を見てフッと笑みを浮かべるお父様。
お母様も笑顔でこちらを見ているわ。目は笑っていないけれど。
私を含め、家族は複雑な思いを抱えている。隣に微笑むようにそっと視線を向けると彼は嬉しそう。この日ばかりは私を想ってくれているのかもしれない。
私達は司教の前で立ち止まると司教は私を見て微笑みながら頷いた。
「サルタン・ラジアント、いついかなる時も国を想い、民を想い、妻を想い行動すると誓いますか?」
「? ……誓います」
「エリアナ・サラテ、いついかなる時も国を想い、民を想い、夫を想い行動すると誓いますか?」
「誓います」
二人でそう誓い、殿下がヴェールを上げ私にキスをしようとした時、神父は会場にいる皆の前で夫婦となったことを宣言した。
一般的な婚姻の誓いとは異なることに違和感は感じたのね。一瞬だけれど殿下の戸惑う仕草に私はふっと笑みを浮かべた。
会場中が祝福に包まれる。
私達は笑顔で参列者に手を振った。
もちろん殿下も手を振る。聖歌隊の清らかな歌声を背景に私をエスコートし、会場を後にする。
さぁ、宣言はなされた。
……いつまでも嘆いていられないわ。
私はサルタン殿下と微笑みながら王都のパレードのため特別に用意された馬車へと乗り込んだ。『出発!』宰相の声と共に白馬に跨った騎士達の先導でゆっくりと馬車は動き出す。
「サルタン殿下、万歳!」
「エリアナ妃、万歳!」
沿道は人で溢れかえり、皆私達の姿を見つけると歓声を上げた。
私達も笑顔で手を振り応える。
「民はこんなにも私達を祝福をしてくれているのか」
「そうですわね。私達も、これからはより一層民の声に耳を傾けていかねばなりませんわ」
地響きにも似た私達を祝う声に胸が詰まる。
国民は集まり、私達を祝福してくれていると思うとそれだけで感動してしまう。
これからもっと国をよくしていかなければ。
「あぁ、そうだな」
そうして馬車はゆっくりと決められた道を進む。
ふとサルタン殿下が一つの方向を見つめた。
何があるのかしらと私も視線をその方向に向ける。そこにいたのは白のドレスを着た一人の女だ。今日という日は花嫁である私と同じ白色のドレスを着るのはタブーとされている。それにもかかわらずまっ白な衣裳を着ている。
「あれは誰かしら?」
「彼女がアリンナだ。可愛いだろう?」
私がそう呟くと、サルタン殿下は上機嫌で答え、彼女に向かって手を振っている。
私の顔が引きつったのは仕方がない。彼女は常識を持ち合わせていないのかしら。
アリンナ嬢は私を睨みつけているようにも見える。
「サルタン殿下、鼻の下が伸びておりますわ」
「あ、あぁ。すまない。彼女のドレスは私が選んだんだ。君のドレスも素晴らしいが、彼女のドレスも可愛いだろう?」
……私は一瞬笑顔の仮面をスルリと落とすところだった。
殿下は何を言っているの?
今日は私とサルタン殿下の結婚式。
それなのにサルタン殿下にとって主役は私ではない、の、ね。
彼の問いに答えようとするけれど、私にはその問いに答えられなかった。
「……」
馬車はアリンナ嬢の前を通り過ぎ、無事にパレードを終えることができた。
サルタン殿下は上機嫌で私をエスコートし、披露宴会場へと向かった。
披露宴の会場は、晩餐会が行われる専用のホールだ。部屋の壁はもちろん、細部に至るまで細やかな装飾がなされており、国力が反映されていると言っても過言ではないほどの素晴らしさだ。会場では爵位を持つ貴族達が既に着席をしている。
流石にこの場にはアリンナ嬢の姿はなくホッと息を吐いた。
「サルタン殿下、エリアナ妃殿下、ご成婚おめでとうございます」
貴族達のテーブルの間を通り、自分達の席までゆっくり進んでいく度に祝福の言葉が掛けられた。おかげで先ほどの傷ついた気持ちも徐々に回復し、笑顔でいられた。
サルタン殿下のエスコートで中央に用意されている特別席に座った。華やかな音楽が流れ、会場中が私達を祝ってくれているようでとても嬉しく思えたわ。
進行役を務める宰相から話があり、陛下のお言葉を賜わった後、サルタン殿下がお礼の言葉を述べると会場中から歓声が上がる。
私達に一番近い席に座る父達は私を見て微笑んでいるわ。
和やかに披露宴が進んでいたけれど、サルタン殿下は忙しなく辺りを見回している。
どうしたのかしら? 彼の様子を不思議に思い、微笑みながら彼の耳元でそっと話をする。
「サルタン殿下、どうかしました?」
「あ、いや。この会場にアリンナが来ると言っていたから……」
「殿下、この場には爵位を持つ者とその夫人しか呼んでいません。アリンナ嬢は爵位を持っていないのです。会場には入れませんわ」
「そ、そうなんだが……」
言い淀む殿下に苛立ちを覚える。
まさか、ね。
こういう時の私の嫌な予感はよく当たるの。
やはりサルタン殿下は彼女が会場に入れるようにしていたみたい。
けれど、陛下が各人に出した招待状ではなかったために会場の入り口で騎士達に止められたようだ。会場の入り口付近にいる貴族達からざわめきが聞こえてくる。
「……殿下。これはどういうことでしょうか?」
「あぁ、アリンナが来たい、私達の結婚を祝いたいと言っていたんだ」
陛下や王妃も入り口付近の異変に気づいた様子。
すぐに宰相が楽団の指揮者に指示をすると、軽快な音楽が流れてきた。
陛下達は微笑みながら近くの従者に指示をしていたわ。
従者はもちろん入り口の護衛騎士に命令し、アリンナ嬢をどこかへと連れていったようだ。
幸いなことに騒ぎは音楽でかき消され、気づいた人達はごく一部にとどまったようだ。
「サルタン殿下、私達の披露宴を台なしになさるつもりですか?」
「いや、そんなことは」
笑顔の仮面を付けたままだが、言い淀むサルタン殿下。
もちろん私も笑顔で仲睦まじい素振りを見せている。
私達の様子を見て仲のよさそうな二人だと映っているに違いない。
シャンパングラスに口を付けながら話を続ける私。
「先ほどの出来事、気づかなかったとは言わせませんわ。陛下や王妃様からこの後、お話があるでしょうね。今日は私達の結婚式、とても大事な式だと思っていましたのに」
「……すまない」
私達はこれ以上このことについて話しはしなかった。
覚悟していたとはいえ、やはり嫌な気分になる。彼の態度にもだ。
無事に披露宴が終わり、貴族達に挨拶をして会場を後にする。
私達は用意された花嫁用の控え室で慌ただしく着替えをしていた。
「お嬢様、早くお部屋に。殿下の侍女に捕まってしまいます」
そう声を掛けながらワンピースを着せてくれる私の侍女。化粧を落とす前に早々に控え室から出ると、私の護衛が部屋の外で待機していた。公爵家から連れてきた侍女のサナとマリーと護衛騎士のラナンとカイン。彼らは今日から私と共に王宮に入ることが決まっているの。
「ええ、急ぐわ」
私はヒールの低い靴に履き替え、扉を開ける。
「着替えは終わられましたか? ではエリアナ様、部屋へと急ぎましょう」
専属の護衛騎士であるラナンが私の前に立ち、侍女の後ろにはカインが立つ。サナとマリーは先ほどまで着ていたドレスや小物を抱えて私の後ろを付いてくる。殿下の息の掛かった侍女や従者と会うのは避けたい。ラナンの後ろで身を隠すように早足で歩いて部屋に戻った。
……よかった。彼らに会わずに済んだわ。
「カインとラナン、わかっているとは思うけれど部屋には誰も入れないでちょうだいね」
「もちろんですよ。お嬢様」
全ての結婚式の行事を終えた私達は急いで一番端の部屋に入り鍵を掛ける。
今ここにいるのは侍女のサナとマリーの二人だけ。
こだわり抜いて用意した家具が心を落ちつかせてくれる。一番奥の部屋は白い壁に深い緑を基調としたカーペットが敷かれた質素な作りになっている。クローゼットと窓に向いた机と椅子。お茶を飲むために置かれたカウチソファと丸テーブル。飾り気はないがふかふかの柔らかいシングルベッドを置いた。
「お嬢様、間に合ってよかったよ。殿下の命令で王宮侍女達はお嬢様を殿下の寝室へ連れていく予定だったみたい。あんな子供みたいな趣味の悪い部屋にお嬢様をお連れするなんてありえな~い」
サナ達の話では殿下と側妃の部屋は扉で繋がっていて側妃の部屋はレースをふんだんにあしらって、猫足の家具や天蓋ベッドなど可愛い部屋だとか。殿下の部屋は側妃が喜ぶようにピンク色のクッションやリボンレースなどがあしらわれた寝具で統一されているらしい。
「お嬢様、これから三日間は公務がないそうです」
「……そう、では三日間部屋に籠ればいいのね。その間、カイン達には無理をさせるわね」
化粧をサナに落としてもらいながらマリーにお茶を淹れてもらう。
披露宴中の食事にはあまり手を付けていなかったのでとてもお腹が減っていたの。マリーが用意したサンドイッチとお茶でホッと緊張の糸が解れ、足を投げ出す。
「そのくらい平気ですよ、彼らは。あと、妾の女は五か月後に王宮住まいになるって。その時に家族だけでひっそり結婚式をするらしいけどね~」
「サナ、王宮では言葉遣いに気をつけなさい」
「は~い」
サナはマリーに注意されながらも私が食べ終わるのを待つ間、テキパキと寝る準備に取り掛かっている。
「それにしても聞いたよ。妾はパレードで白いドレスを着てたんでしょう? どうかしてるよね」
「彼女が目に入った瞬間、まさかと思ったわ。あれは何なのかしら? タブーだと知らなかったのかしら……」
私は常識を知らないアリンナ様が気の毒に思えた。
けれど、私とは反対に侍女達は怒っている様子。
「わかった上でやっているのですよ。自己顕示欲が異常に強いのだと思います。でなければあえて白のドレスを選ぶとは思えませんし、殿下付きの侍女の反対の上でしょうから」
「……そうなのね」
「あれでしょう? それに披露宴会場にも乗り込んできたって。なかなかやるね、妾の分際で」
アリンナ嬢の行動があまりにも常識を逸脱していたのでマリーやサナ達との話が尽きることはなかったけれど、夜も遅いので湯浴みをした後、ベッドに入った。
「今日は流石に疲れたわ。マリー達もありがとう。ではおやすみなさい」
「「お嬢様、おやすみなさいませ」」
私は今日の出来事や初夜ということもあり王子の侍女が呼びに来るのではないかと、不安で仕方がなかったけれど、疲れもあってすぐに眠ってしまったようだ。
気づけば朝になっていた。
「お嬢様、おはようございます。ご気分はいかがですか?」
ゴソゴソと動く気配を察知したのか、部屋の外にいた護衛のカインが扉を開けて心配そうに聞いてくれる。
「カイン、ありがとう。おかげで寝過ごしてしまったわ。昨日は誰も来なかったのかしら?」
「ええ。殿下は夜分遅くにここへ来ましたが、サナ達に『エリアナ様は既に就寝中です。自分の部屋へお戻りください』と言われて追い返されていましたよ」
カインは面白そうに笑いながら昨日の出来事を話してくれた。
「ふふっ、後でサナ達にお礼を言わないとね」
カインと話をしているとサナ達がすぐにやってきて朝の準備に取り掛かってくれた。
今日から三日間全て部屋で過ごす予定。王族に限らず貴族も結婚した日から一週間ほど休暇を取るのが一般的だ。その間、蜜月を過ごすか旅行に行くかは人によるが。
私の場合は蜜月を過ごすわけではないので三日間の休暇となっている。もちろんこれは陛下にも許可をいただいているわ。知らないのは彼のみ。
きっとこの休みの間、アリンナの元へ出向いているのでしょうね。
それにしても今までこんなにもゆっくりする時間はなかった。
朝から晩まで勉強と王妃教育、空いた日は王妃様とのお茶会、舞踏会等で毎日忙しく過ごしていた。王妃教育を終えた後は簡単な執務をこなしていた。
この休みは今まで頑張ってきた私へのご褒美だわ、きっと。
……それにこれからよ、ね。
私はベッドで本を読んだり、一人でゆっくりと食事をしたりしながらいまだかつてないほどゆっくりして三日間を過ごした。
「あぁ、私の至福の時間は遠い国へ行ってしまったわ。三年後にまた会いましょう」
「お嬢様、大丈夫です。三年後には公爵家でのんびりしている姿しか見えません。さぁ、今日から公務が始まります」
このまま私とサルタン殿下の白い結婚が続けば三年で解放される、ことはないけれど決定打の一つとなるのは間違いない。
私は侍女と護衛を連れて執務室へ足を運んだ。
ここから気を抜けないわ。
婚約者として婚姻前から執務を行っていた私はこの三日間で溜まった書類の山をひたすら処理していく。正式な王太子妃となった分、重要書類も増え、学生だった頃よりもはるかに忙しくなる。文官との打ち合わせや大臣達との折衝等も分刻みでこなしていく。
覚悟していたとはいえ、執務室に入ってすぐに教えられたひと月のスケジュール。
朝から晩まで書類や打ち合わせなど考えただけでも目が回りそうだわ。
その時、執務室の扉がノック音と共にガチャリと開いた。
私は手元の書類から目線を上げると、そこには護衛に引き止められながらどこか憤然とした態度で入ってくるサルタン殿下の姿があった。
「エリアナ、なぜ私の部屋に来ないのかな?」
少し怒っているような顔をした彼はさも当然と言わんばかりに私に言ってきた。
既に側妃が決まっている中でどうして私が殿下の部屋に行くのが当たり前だと思うのかしら。
まだ私が殿下を愛していると思っている? 確かに長年支え合ってきたもの、情は残っているわ。けれど、浮気した人と枕を共にしたいとは思えないの。
彼はそんな私の気持ちになどこれっぽっちも気づいていないみたい。
「逆にお聞きしますが、なぜ私が行かなければなりませんの?」
「正妃の子供は必要だからさ」
「本気で仰っているのですか?」
その言葉に眉を顰めてしまったのは仕方がない。
流石の私も思うところはあるけれど、文官達もいることだし、丁寧に対応する。
「殿下は式のひと月前に仰いましたよね? アリンナ嬢を側妃に迎えると。そして彼女は五か月後には王宮住まいになると聞いております。本来なら正妃が三年以上身籠らない時、世継ぎを産むために側妃を充てがうのです。それをサルタン殿下は婚姻前から側妃を望んだ。私は婚姻する前から子供を産めないお飾り妃と決められ、周りもそうなのだろうと噂をしております。そんな妃とお子を望むのはおかしな話ですわ。閨を共にする必要もございません」
私の言葉に、サルタン殿下はようやく気づいたのか顔を青くしている。
「すまない。そんなつもりでは……」
何を今更。本当に気づいてなかったなら相当だわ。彼女ばかりを優先し、私の事情などこれっぽっちも考えていなかったのね。
ふぅと息を吐きそうになるのをグッと我慢する。
「……ですから、私などに構わず愛するアリンナ嬢と仲よく過ごされれば良いのです。五か月後には側妃となり、すぐにお子も生まれましょう。彼女と三人ほど王子を儲ければよろしいのでは? アリンナ嬢のお家は多産の家系でいらっしゃるからすぐでしょう」
「……すまない」
サルタン殿下は私が口にしてようやく気づき、私の置かれる環境を理解したのだろう。
一緒に仕事をしている文官達の視線が気になったようだ。搾りだすようにそう言い残し、執務に戻っていった。
その日以降こまめにサルタン殿下は私宛に花や小さな菓子を贈ってくるようになった。
彼なりに考えたのか、詫びの一つとでも思っているのかしら。
婚約者の時には何一つ贈ってもこなかったのに。
……ひどい人。
私情を挟んで毎日運ばれる書類を滞らせるわけにはいかない。
文官より早く仕事を始め、夜も一人で遅くまで仕事をしている。休みもなく毎日を公務に明け暮れ、文官達に心配されるほどだ。
私は気持ちを抑え込むように仕事に打ち込んだ。暇になると考えてしまうの。
口さがない侍女が教えてくれる、『今日はサルタン殿下とアリンナ様が仲睦まじく中庭でお茶をしておりました』と。マリー達が極力私の耳に入れないようにしてくれているけれど、全てを防ぐのは難しい。私は笑顔で気にしないよう努めている。
私だって、幸せになりたかった。
私だって愛されたかった。
覚悟をしていたとはいえ、『だって、だって』と幼子のような我儘な心に蓋をしないと心が壊れてしまいそうになる。
「エリアナ、最近は執務ばかりで休憩を取っていないと聞いた。一緒に翔鸞の庭でお茶をしないか? 先日視察した領地から珍しい菓子が届いたんだ」
贈り物をするようになったサルタン殿下はこうして誘いにも来るようになった。
陛下達から正妃の機嫌を取っておけとでも言われたのではないか、そう勘ぐってしまう自分が少し悲しい。
翔鸞の庭というのは王妃様が大切にしている庭で、王妃自らが許可した者しか入ることのできない庭。私も過去に何度か足を踏み入れたけれど、物語に出てきそうなほどの素晴らしい庭なの。聞いた話では昔、物書きが翔鸞の庭を一目見て感動したらしい。そこから名作が生まれたのだとか。それほど素晴らしい庭で誰もが一度は訪れてみたいと願うほどのものなの。
「ちょうど区切りもついたので構わないですわ」
「あぁ、よかった。では行こう」
サルタン殿下のエスコートで翔鸞の庭まで歩く。
もちろんサナもカインも後ろに控えているので心配することはないわ。
「最近、カウマン領の収穫が落ちたと報告があったんだ」
「それは気になりますね。文官に確認した後、技術者を送るように手配しますわ」
庭に出る間の話はいつものように執務の内容。
お互い執務で忙しいし、食事も別々に摂っているため共通の話題がないのもその一因だろう。
そうして騎士の守る翔鸞の庭に断りを入れ、中へと入っていく。
やはりこの庭は素晴らしい。
一歩踏み入れるとやはりそこは妖精の森のような不思議で優しい雰囲気に包まれる。風に乗って薫る花。足元の花から背の高い木まで無造作に植えられたように見えながらその実、計算し尽くされているのだ。王妃様の庭を大切にしている気持ちが伝わってくる。そしてこの時季に見頃となる花々の香りも心を穏やかにさせてくれる。
「やはりこの庭は特別な庭ですね。いつまでもこの庭にいたいと思えるほどですわ」
「あぁ、そうだね。後で母上にお礼を伝えておこう」
そうして私達はガゼボにある小さな椅子とテーブルに腰掛ける。
朝から晩まで執務室で書類をにらめっこしている私には本当に気分転換になっているわ。
殿下の従者は気を遣い、いつもとは違うお茶を淹れたようだ。
「このお茶は南部のお茶でしょうか?」
「左様でございます。用意した菓子は砂糖菓子だったので甘さを入れず、庭園の花の香りを楽しめるようなお茶にいたしました」
「相変わらずお茶を淹れるのが上手ね」
「お褒めいただきありがとうございます」
従者とのやり取りになぜかサルタン殿下の機嫌はよくない様子。
「サルタン殿下、ここに連れてきていただいてありがとうございます」
私の言葉で途端に気をよくし菓子の話になった。
「そのまま食べてもいいんだけど、この砂糖菓子はお茶の中に入れるんだ。見ていて」
そうして小さな砂糖菓子をカップの中に入れると砂糖が溶けて花びらが浮かび上がってきた。花びらがフワリを浮かぶ様子がとても美しくて見とれてしまう。
「美しい菓子ですね。驚きました」
「そうだろう? エリアナなら喜んでくれるだろうと思って持ってきたんだ。アリンナは貴族の道楽だと馬鹿にしたんだけどね」
「……そうなのですね」
一瞬言葉が詰まってしまったわ。こういう場合はどう返せば良いのかしら。
どうやらそう思ったのは私だけではなかったみたい。従者の顔が引きつっているもの。
周りの様子に気づかないサルタン殿下は上機嫌に話を続ける。
「先日、アリンナをこの庭に招待した時はとても喜んでくれたんだ。そしてそこにあった白い花を摘んで持って帰ると花をちぎった時には焦ったよ。でも我儘を言うアリンナは可愛くてさ……」
アリンナ様の行動に頭が痛くなった。
人が大切にしている庭の花をちぎるなんて驚きでしかない。
それを許してしまう彼にも呆れてしまう。
そして何より、妻の前で妾の話を愛おしそうにする夫。何を考えているのかしら?
私は地味に嫌がらせをされているの?
いえ、きっと彼は何も考えていないからこそできることなのよね。
そうしている間に別の従者が庭へとやってきた。
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